伊勢物語 98段:梅の造り枝 あらすじ・原文・現代語訳

第97段
四十の賀
伊勢物語
第四部
第98段
梅の造り枝
第99段
ひをりの日

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
  太政大臣 なが月ばかり 
 
  君がため おかしがり
 
 
 
 

あらすじ

 
 
 昔、太政大臣と聞こえるのがいらした。
 
 仕えている男が、長月(九月)ばかりに梅の作り枝に、キジをつけて奉るといって、
 

 わがたのむ 君がためにと 折る花は ときしもわかぬ ものにぞありける
 わたしが わざわざ頼んできた君のためにと わざわざ折ったこの花は いつのトキとも わからんものです
 
 使い古したネタっすわ。こういうとき用に用意していた、つまり誰でも良い用にね。
 

 と詠んで奉れば、
 (君がため=代作を示す著者の典型語。つまり著者は卑官。百人一首15の光孝の歌も同様(114段にその描写がある)。
 さらに翻り前段の歌は詠んで奉ってない、心の声であったことも示す)
 
 いとかしこくおかしがって。
 折るに掛け、ここにおる俺様に折れとな? なるほどぉ~ホホォ~ いやそうじゃネっすよ。そういう意味もあっけど、
 そんでこの使に禄をたまわったのであった。(いとあわれ 褒美もらって よむわたし)

 (「使」は著者を表わす言葉。60・69・70・71段)
 
 ~
 

 季節はずれの梅と、違う月とを違うトキとかけ、わざわざ折ってヤったと解く。
 その心は、キジといつつ食えないトキの歌、わかります? ちっとはウメーっすか? あ、わからない? 和歌わからない?
 噛めば噛むほど味出そうで出ないねん、それがウメの種やねん。
 

 わが君(私の主君)と見せかけ、オレがチミの頼みを聞いてやったという意味にすりかえた食えない内容。
 藤原対抗意識とかどうでもいいし、皇族でもないし業平でもない。
 というか母が藤原だったいうてるがな(10段。父とはしていない。さらに元は宮・84段。だから「身はいやし」としつつ二条の后の近くにいるわけ)。
 これまでの「むかし男」の描写を完全無視で決めつけないように。
 
 この段の太政大臣は、前段の堀川大臣と明らかにかかってますよね? いやそこからかよ~泣 
 良房? は~。いやどこに書いてあんの。伊勢の。どこに。
 なぜ伊勢の記述をろくに見ないでガン無視して、古今からスタートすんの。それを刷込みとかアンカリングという。
 いや、古今の認定で問題ないならいいんですよ、しかし伊勢と古今はおもっきし矛盾してるがな。業平認定はまさにそれ。
 
 古今が業平の歌と認定しているから、業平の話と無条件で決めて見る。
 伊勢と矛盾すれば常に伊勢が間違いと見る。なぜだ。伊勢が実力でも記された年代も全て先なのに。伊勢の著者が古今最高の貫之以下とでもいうのか?
 問うても、伊勢はなぜ古今と違うように表現しているのか、というように、常に古今は正しい前提ありきで問題設定する。
 ひどいのは著者の勘違いだのこじつけだの。一貫した用語の使い方も全く見れないまま。どっちがこじつけだよ。
 それは論理でも学問でもない。権威主義。だからこの国には新鮮な見解が生まれ難い。というよりない。大勢が惰性で誤ると外圧で壊されるまで止まれない。
 
 古今の歌で本段の歌が、先の太政大臣の歌とされるが、業平認定を基礎にすれば基経ではない(太政大臣時には既に死亡)ので先代の良房と見る。
 あまりに都合が良すぎる。良房など伊勢に一切出てきていない。かたや基経は前後全体の言葉で符合しているのに。
 著者は「在五」をけぢめ見せぬ心と断固拒絶していますが(63段)。在五自体蔑称でしょうが。それで古今にすがり続けるのは理解に苦しむ。
 
 古今とそれを盲信する人達がこじつけなんだってなぜ思えないかな。
 つまり古今が伊勢の中身を理解せず、二条の后の話が書いてあるから、全体を業平の日記と安易にみなした。それだけ。現状の理解がまさにそうじゃない。
 伊勢が古今の歌を流用しているのではない。逆。伊勢は万葉すら直接引用せず、けぢめ見せぬ心と非難する人物の歌など、流用する動機が全くない。
 そして流用した独立した出典など確認されていないし、そんなものは伊勢の記述(業平は歌をもとより知らない。101段)からして存在しえない。
 
 

原文

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第98段 梅の造り枝
   
   むかし、  むかし、  むかし。
  太政大臣と聞ゆる、 おほきおほいまうちぎみときこゆる、 をき[おほきイ]をとゞときこゆる
  おはしけり。 おはしけり。 おはしけり。
仕うまつる男、 つかうまつるおとこ、 つかうまつるおとこ。
  なが月ばかりに、 なが月許に、 なが月ばかりに。
  梅のつくり枝に むめのつくりえだに さくらのつくりたるえだに。
  雉をつけて、奉るとて、 きじをつけてたてまつるとて、 きじをつけて奉るとて。
       

173
 わがたのむ
 君がためにと折る花は
 わがたのむ
 きみがためにとおる花は
 我たのむ
 君かためにとおる花は
  ときしもわかぬ
  ものにぞありける
  時しもわかぬ
  物にぞありける
  時しもわかぬ
  物にそ有ける
       
  とよみて奉りたりければ、 とよみたてまつりたりければ、 とよみてたてまつりたりければ。
  いとかしこくおかしがり給ひて、 いとかしこくをかしがりたまひて、 いとかしこがり給て。
  使に禄たまへりけり。 つかひにろくたまへりけり。 使にろくたまへり。
   

現代語訳

 
 

太政大臣

 

むかし、太政大臣と聞ゆる、おはしけり。

 
 
むかし
 

太政大臣と聞ゆるおはしけり
 太政大臣と聞こえたのがおわした。
 
 本段の「太政大臣」は、前段の堀河大臣藤原基経)。全体の流れ・前後の連結からもそれしかない。
 前々段の96段で「女」と「せうと(兄人)」が出てくるが、これは6段で説明された二条の后と堀河大臣の組み合わせしかない。
 そして次の97段で、6段以来の堀河大臣が出現する。そして本段の太政大臣。これで基経でないということのほうが無理。
 なお、伊勢で「大臣」はこの堀河と、六条の河原左大臣(81段)しか出てこない。
 
 藤原良房(基経の養父)という認定もあるようだが、根拠がない。
 古今866には「さきのおほいまうち君」が歌った可能性があるという、詠み人不知の歌として収録されている。
 この「さき」の解釈が問題になるわけだが、古今の編纂時を基準にすれば、先の太政大臣は基経で問題ない。基経は891年没、古今は905年に成立。
 さらに基経が太政大臣になったのは880年12月、その時点で業平は死んでいるから、著者は業平ではありえないのは当然のこと。
 
 良房説はその不都合を防ごうとしたものと思われる。しかしそれは無理。
 業平没後5年もたった、114段も無視している。何より伊勢の一貫した記述を無視して業平認定にひきつけるから、悉くそうなる。
 
 なお、ここで太政大臣と聞こゆる「人」としていないのには訳がある。
 人でなしという意味。101段の行平も同様。16段の親友の有常には人をつけて区別している。
 
 基経が人でなしたる話が記述されているのは、96段の天の逆手。直接表現はしていないけども、それくらいはせんと。
 つまり、そこでは女にせうと(兄人)が迎えに来て、女がそれを拒絶してせうとが逆上するのであるが、女とせうとのセットは二条の后と基経しかいないことは上述の通り。そしてその直前の95段では二条の后に仕うまつる男が出てくるわけ。本段とパラレルの関係。後宮に仕えた、それが昔男。
 
 
 

なが月ばかり

 

仕うまつる男、
なが月ばかりに、梅のつくり枝に雉をつけて、奉るとて、

 
 
仕うまつる男
 仕えている男が、
 
 全体・前段の文脈から著者(むかし男)しかありえない。
 ただし、直接の主従という訳ではない。
 太政大臣なら宮中の者は、実質的にほぼ誰でも配下。
 
 ここでも前段でも「むかし男」が仕えたとしていないのは、主体ではないという表現。
 歌に自分の名はつけず、相手のものとする。
 その意味での仕え。
 

なが月ばかりに
 長月(九月)ばかりに
 

梅のつくり枝に
 梅の作り枝に
 
 もちろん春の時期ではないので、ナンセンス。
 作り枝も、ナンセンスの象徴品。
 

雉をつけて奉るとて
 キジをつけて奉ると
 
 雉は献上品。捧げ物の象徴(52段「雉子をなむやりける」)
 狩られたエジキ。
 
 

君がため

 

わがたのむ 君がためにと折る花は
 ときしもわかぬ ものにぞありける
 
とよみて奉りたりければ、

 
 
わがたのむ 君がためにと折る花は
 ワ(俺)が わざわざ頼んできた君のためにと わざわざ折ったこの花は
 

ときしもわかぬ ものにぞありける
 いつのトキとも わからんものです
 

とよみて奉りたりければ
 と詠んで奉ったところ、
 
 ここでは「わが」の掛かりがおかしい。
 わが君(私の主君)という意味ではなく、オレとオマエ(君)の意味になっている。
 5音でカモフラージュしているが、意味は2+3で分解。
 著者は一番の実力者だから、そこは何とでも言える。
 
 加えて「折る」も、作り枝だから方便。
 ここでは、前段の老人風の表現と合わせて骨折れるの意味。つまり面倒。
 
 

おかしがり

 

いとかしこくおかしがり給ひて、
使に禄たまへりけり。

 
 
いとかしこくおかしがり給ひて
 畏れ多くも(意外に賢く)、おかしがって
 
 これは解説をしたから。でなければ普通は理解できない。
 
 トキを時とかけ、梅と違う月と解く、
 その心は、違う鳥のトキをキジにかけてます。
 どう? ウメーすか? いや作り物なんでうまくないです。おおー。と言って。
 

使に禄たまへりけり
 この使に禄を給わったのであった。
 
 「使」も著者(むかし男)を表わす言葉(69・70・71段)。
 
 しかし歌を楽しめるなら、賢いでしょう。
 ちゃんと録をやるのも、コレタカ親王より上玉である(83段)。