源氏物語・夕顔巻の和歌19首を抜粋一覧化し、現代語訳と歌い手を併記、原文対訳の該当部と通じさせた。
内訳:11(源氏)、4(夕顔=常夏=頭中将の愛人)、2(空蝉=伊予介の後妻=人妻)、1×2(中将君=女房、軒端荻=空蝉の継娘)※最初と最後
即答 | 6首 | 40字未満 |
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応答 | 7首 | 40~100字未満 |
対応 | 4首 | ~400~1000字+対応関係文言 |
単体 | 2首 | 単一独詠・直近非対応 |
※分類について和歌一覧・総論部分参照。
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上下の句に分割したバージョン。見やすさに応じて。
なお、付属の訳はあくまで通説的理解の一例なので、訳が原文から離れたり対応していない場合、より精度の高い訳を検討されたい。
原文 (定家本校訂) |
現代語訳 (渋谷栄一) |
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26 贈 |
心あてに それかとぞ見る 白露の 光そへたる 夕顔の花 |
〔夕顔〕 当て推量に 貴方さまでしょうかと思います 白露の 光を加えて美しい 夕顔の花は |
27 答 |
寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔 |
〔源氏〕もっと近寄って どなたかとはっきり見ましょう 黄昏時に ぼんやりと見えた美しい 花の夕顔を |
28 贈 |
咲く花に 移るてふ名は つつめども 折らで過ぎ憂き 今朝の朝顔 |
〔源氏〕 美しく咲いている花のようなそなたに 心を移したという評判は 憚られますが やはり手折らずには素通りしがたい 今朝の朝顔の花です |
29 答 |
朝霧の 晴れ間も待たぬ 気色にて 花に心を 止めぬとぞ見る |
〔中将君〕 朝霧の 晴れる間も待たないで お帰りになるご様子なので 朝顔の花に心を 止めていないものと思われます |
30 贈 |
優婆塞が 行ふ道を しるべにて 来む世も深き 契り違ふな |
〔源氏〕 優婆塞が 勤行しているのを 道しるべにして 来世にも深い 約束に背かないで下さい |
31 答 |
前の世の 契り知らるる 身の憂さに 行く末かねて 頼みがたさよ |
〔夕顔〕 前世の 宿縁の拙さが 身につまされるので 来世まではとても 頼りかねます |
32 贈 |
いにしへも かくやは人の 惑ひけむ 我がまだ知らぬ しののめの道 |
〔源氏〕昔の人も このように 恋の道に迷ったのだろうか わたしには経験したことのない 明け方の道だ |
33 答 |
山の端の 心も知らで 行く月は うはの空にて 影や絶えなむ |
〔夕顔〕 山の端を どことも知らないで 随って行く月は 途中で 光が消えてしまうのではないでしょうか |
34 贈 |
夕露に 紐とく花は 玉鉾の たよりに見えし 縁にこそありけれ |
〔源氏〕 夕べの露を待って 花開いて顔をお見せするのは 道で出逢った 縁からなのですよ |
35 答 |
光ありと 見し夕顔の うは露は たそかれ時の そら目なりけり |
〔夕顔〕 光輝いていると 見ました夕顔の 上露は たそがれ時の 見間違いでした |
36 独 |
見し人の 煙を雲と 眺むれば 夕べの空も むつましきかな |
〔源氏〕 契った人の 火葬の煙をあの雲かと 思って見ると この夕方の空も 親しく思われるよ |
37 贈 |
問はぬをも などかと問はで ほどふるに いかばかりかは 思ひ乱るる |
〔空蝉〕お見舞いできませんことを なぜかとお尋ね下さらずに 月日が経ましたが わたしもどんなにか 思い悩んでいます |
38 答 |
空蝉の 世は憂きものと 知りにしを また言の葉に かかる命よ |
〔源氏〕あなたとのはかない仲は嫌なものと 知ってしまいましたが またもあなたの言の葉に 期待を掛けて生きていこうと思います |
39 贈 |
ほのかにも 軒端の荻を 結ばずは 露のかことを 何にかけまし |
〔源氏〕 一夜の逢瀬なりとも 軒端の荻を 結ぶ契りをしなかったら わずかばかりの恨み言も 何を理由に言えましょうか |
40 答 |
ほのめかす 風につけても 下荻の 半ばは霜に むすぼほれつつ |
〔軒端荻〕 ほのめかされる お手紙を見るにつけても 霜にあたった下荻のような 身分の賤しいわたしは、 嬉しいながらも半ばは 思い萎れています |
41 独 |
泣く泣くも 今日は我が結ふ 下紐を いづれの世にか とけて見るべき |
〔源氏〕泣きながら 今日はわたしが結ぶ 袴の下紐【紐帯=絆】を いつの世にかまた再会して 心打ち解けて下紐を解いて 【それと分かって】逢うことができようか |
42 贈 |
逢ふまでの 形見ばかりと 見しほどに ひたすら袖の 朽ちにけるかな |
〔源氏〕再び逢う時までの 形見の品ぐらいに 思って持っていましたが すっかり涙で 朽ちるまでになってしまいました |
43 答 |
蝉の羽も たちかへてける 夏衣 かへすを見ても ねは泣かれけり |
〔空蝉〕 蝉の羽の 衣替えの終わった後の 夏衣は、 返してもらっても 自然と泣かれるばかりです |
44 独 |
過ぎにしも 今日別るるも 二道に 行く方知らぬ 秋の暮かな |
〔源氏〕亡くなった人も 今日別れて行く人も それぞれの道に どこへ行くのか知れない 秋の暮れだなあ |
歌詞でいう「下紐」とは、紐帯・絆(体の関係・契りを結んだ男女間の人に見えないつながり)のこと。いわば運命の赤い糸で、これが赤い理由。下には古来赤が相応。下紐とセットの「とく(解く)」は明らかになること。高等な文脈では解釈と同じ。来世で会うとして前のあの人と分かるかという話。
この41の歌詞の直前に「忍びて調ぜさせたまへりける装束の袴を取り寄せさせたまひて」とあり、通説はその袴(下着)の紐のことと解しているが、それは前世の心を解せない即物的解釈で誤っている。さらにその直前には「文章博士…かう思し嘆かすばかりなりけむ宿世の高さと言ひけり」とあり、夜の男女のシーンならともかく、四十九忌法要の際に博士の前で下着の紐を解き放ちたいと詠むなど変態もいいところ。ここで持ち出された袴は心を投影させた化体物(象徴)であり、その物自体を詠んでいるのではない。
貫之が仮名序で古の事と歌の心をも知る人は一人二人とした訳が、おわかり頂けたのではないか。この心は肝心で、表面的かつ品詞分類や活用のように些末なことではないこと。多くの教育者達は前世宿世を色々小難しく論じつつ、実質はただの夢想空想で実在ではないと小ばかにしているだろうし(よって見ても認めず解きようもない)、学者達が貫之の理解を上回らない以上、それはいつの世にも当てはまる。