宇治拾遺物語:優婆崛多の弟子の事

清瀧川の聖 宇治拾遺物語
巻第十三
13-14 (174)
優婆崛多の弟子
巻第十四
海雲比丘の弟子童

 
 今は昔、天竺に、仏の御弟子優婆崛多といふ聖おはしき。
 如来滅後百年ばかりありて、その聖に弟子ありき。
 いかなる心ばへをか見給ひたりけん、「女人に近づくことなかれ。女人に近づけば、生死にめぐること車輪のごとし」と、つねにいさめ給ひければ、弟子の申さく、「いかなる事を御覧じて、たびたび、かやうに承るぞ。我も証果の身にて侍れば、ゆめ女に近づくことあるべからず」と申す。
 

 余の弟子共も、この中にはことに貴き人を、いかなればかく宣ふらんと、あやしく思ひけるほどに、この弟子の僧、物へ行くとて河をわたりける時、女人出来て、おなじく渡りけるが、ただ流に流れて、「あらかなし。われをたすけ給へ。あの御坊」と言ひければ、師の宣ひし事あり。耳に聞き入れじと思ひけるが、ただ流れにうきしづみ流れければ、いとほしくて、よりて手をとりて引わたしつ。手のいと白くふくやかにて、いとよかりければ、この手をはなしえず。
 女、「今は手をはづし給へかし」、物恐ろしきものかなと、思ひたるけしきにて言ひければ、僧のいはく、「先世の契ふかきことやらん。きはめて心ざしふかく思ひ聞こゆ。わが申さんこと、きき給ひてんや」と言ひければ、女こたふ、「ただいま死ぬべかりつる命を助け給ひたれば、いかなることなりとも、なにしにかは、いなみ申さん」と言ひければ、うれしく思ひて、萩、すすきのおひ茂りたるところへ、手をとりて、「いざ給へ」とて、引いれつ。
 

 おしふせて、ただ犯しに犯さんとて、股にはさまれてある折、この女を見れば、我師の尊者なり。淺ましく思ひて、ひきのかんとすれば、優婆崛多、股につよくはさみて、「なんの料に、この老法師をば、かくはせたむるぞや。これや汝、女犯の心なき証果の聖者なる」と宣ひければ、物おぼえず、はづかしくなりて、はさまれたるを逃れんとすれども、すべて強くはさみてはづさず。さてかくののしり給ひければ、道行く人集まりてみる。あさましく、はづかしきこと限りなし。
 

 かやうに諸人に見せて後、おき給ひて、弟子をとらへて寺へおはして、鐘をつき、衆會をなして、大衆にこのよし語り給ふ。人々笑ふこと限りなし。
 弟子の僧、生きたるにもあらず、死にたるにもあらずおぼえけり。
 かくのごとく、罪を懺悔してければ、阿那含果を得つ。
 尊者、方便をめぐらして、弟子をたばかりて、仏道に入らしめ給ひけり。