伊勢物語 17段:年にまれなる人 あらすじ・原文・現代語訳

第16段
紀有常
伊勢物語
第一部
第17段
年にまれなる人
第18段
白菊

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文対照
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
 

あらすじ

 
 
 「年頃」訪れていないと言う(年頃の)人にかけた歌のやりとり。そして、この段は「昔」から始まらない唯一の段。
 桜花からはじまり、雪がふるとかの言葉がでてくる。花は女性、雪が降るとは、気分が急に変わることの象徴表現。だから昔とかけない(女を)。
 
 「消えずは有りとも」とは、前段からの紀有常とかけて、紀の家の有友とかけた友達の話。しかし内容は有友に関係ないので、紀のせいでしょう。
 紀のともしびは消えないねん! って、あ~きえてもうた!
 

 いや、真面目にいえば、前段の真面目な話に続けて、有常にした友達(著者)のおかしなお話。
 東下りの段のように、前後でバランスをとっている。前段末尾の「あるは涙の降る」が、この段で雪が降るふらないの話にかかっている。
 

 なお、この段の歌は業平とは全く関係ない(末尾で説明)。
 端的にいえば、この物語の主体を業平と解する文面上の根拠がない。古今の認定以外に根拠がない。少なくとも物語中には存在しない(むしろ否定する)。
 
 

原文対照

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第17段 年にまれなる人
   
 年ごろおとづれざりける人の、  としごろ、をとづれざりける人の、  昔。年比音信ざりける人の。
  桜の盛りに見に来たりければ、あるじ、 さくらのさかりに見にきたりければ、あるじ 櫻見に來たりければ。あるじ。
       

28
 あだなりと
 名にこそたてれ桜花
 あだなりと
 名にこそたてれさくら花
 あたなりと
 なに社たてれ櫻花
  年にまれなる
  人も待けり
  としにまれなる
  人もまちけり
  としにまれなる
  人もまちけり
       
   返し、 返し、 返し。
       

29
 今日来ずは
 明日は雪とぞ降りなまし
 けふこずば
 あすは雪とぞふりなまし
 けふこすは
 あすは雪とそ降なまし
  消えずはありとも
  花と見ましや
  きえずは有とも
  花と見ましや
  消すは有と
  花とみましや
   

現代語訳

 
 

年ごろおとづれざりける人の、
桜の盛りに見に来たりければ、あるじ、
 
 あだなりと 名にこそたてれ 桜花
 年にまれなる 人も待けり

 
 
年ごろおとづれざりける人の、
 数年来来ていなかった人が

年頃:長年の間。長年。数年間。数年来。
 →女にかかる(暗示する)言葉。いわゆる序詞)
 

桜の盛りに見に来たりければ、
 桜の盛りに(突如)見に来たので、
(花の盛り≒女盛り=成熟した女性。
 ここでは歌にあるように桜=花。)
 

あるじ、
 その家の主が、
 

あだなりと
 

あだなり (徒なり):
 ①はかない・もろい(本命の意味)
 ②不誠実・浮気、疎略=ぞんざい)
 

名にこそたてれ桜花
 その名を立てる桜花(=このワタシ)

(①=綺麗・繊細
 ②=サクラ→演技)
 

年にまれなる
 まれにしかみえない(浮気な)
 

人も待(まち)けり
 人でも待ち侍りけり(誠実に)
 

※つまり、ウチ(家≒ワタシ)が大事なんじゃないん? という歌。
 こんな花盛りなのによーみーひんで(構ってくれない)。
 主とあるが、こう見れば女性の歌としかいえない。
 冒頭のおかしな「年頃」もそれを暗示している。普通なら長年なのに、あえて年頃。
 

返し、
 
 今日来ずは 明日は雪とぞ 降りなまし
 消えずはありとも 花と見ましや

 
 
返し、
 来た人が返すには、
 

今日来ずは
 今日こなければ、
 

明日は雪とぞ降りなまし
 明日には雪も降って
 

なまし
 きっと…〔事実と反する仮想〕
 いっそのこと…たものだろうか。〔疑問語を伴ってためらいの気持ち〕)
 …してしまえばよかったのに〔実現不可能な希望〕)。
 

消えずはありとも
 消えてしま……わずにあると思いますが?
 

花と見ましや
 花と見えますが?
(貴方は雪が降ってもそんなことで散るような花ではない。だって盛りなんだもの)
 

→たまにしかこない…? いやいや、そんなことないでしょう。
 今日明日としたのは、昨日今日で何いっているのと。
 

 明日は雪かな?
 →なにを突然変なこと言い出すの。女心と春の空とかけ、突如いつもと全然違う(サムい)ことを吹いて言い出すの意味。(気分の急変)
 突然来た風の人とかけ、突然北風。つまり、女が突如、ずっと捨て置かれた風のサムい演技をした歌であった。これが冒頭のおかしな「年頃」の意味。
 いや、もちろん笑い話です。コントコント。今きたよ遅いよ師匠。懲りずに来たのに全然コントいうのや。どないせーっつーの。そういう話。
 

 なお、この歌は業平作と古今集では認定されているが(春上63)、業平の作ではない。
 なぜなら、その根拠になる記述はどこにもない。そんな知性・ウイットもないだろう。
 むしろ明確に否定し(65段。人目をしのばず女に言い寄る在原)、相容れない描写は山ほどある(常に人目を忍ぶ性格。10段84段。父はただの人)。
 なにをおかしなことを言い出すのかと。つまり、女のことばかりだから業平、という安易な決めつけでそうなっただけ。
 この時代、男女関係の認識は全く未熟。だからこういう認識になる。それをあらわしたのが竹取。ひたすらズレまくった男達の描写。
 伊勢・竹取が発端になり、古今を経て、恋愛の文化が始まった。そしたらオッサン達までナヨナヨした歌を。だから小町に歌ってもらっていたのにと。
 それまでは、いくら人麻呂が歌おうと下品な色物扱いされていた。自分達の発想で下品と認定する。だから業平説の人は発想がそのようである。