古事記~序 原文対訳

作者 古事記
上巻
目次
古事記の概要
安萬侶言
造化三神
イザナギのミソギ
鏡と珠と剣(三種の神器)
安河原
ニニギと神武(上~中)
賢后※と聖帝(中~下)
近江と飛鳥
趣旨:古以照今
古事記の企画
飛鳥清原大宮(天武と持統の宮)
帝紀と本辞の誤り
稗田阿礼
古事記の成立
元明天皇
711年:安萬侶への勅命
表記解釈の注意
古事記の構成:上中下巻
署名:712年安萬侶・正五位

 
 ※「賢后」が通説では崇神天皇とされるが、后の字義からも、上下の掛かり(武と近)からも、神功皇后。后で天皇とは通常ありえない曲解だが、その点についての説明は特にない。
 
 

古事記の概要

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(同)

安萬侶言

     

安萬侶言。
 臣やつこ
安萬侶やすまろ言まをさく、
 わたくし
安萬侶やすまろが申しあげます。

造化三神

夫混元
既凝。
それ混元
既に凝りしかども、
 宇宙のはじめに當つては、
すべてのはじめの物がまずできましたが、
氣象
未效。
氣象
いまだ敦あつからざりしとき、
その氣性は
まだ十分でございませんでしたので、
無名無爲。 名も無く爲わざも無く、 名まえもなく動きもなく、
誰知其形。 誰かその形を知らむ。 誰もその形を知るものはございません。
     

乾坤初分。
然しかありて
乾と坤と初めて分れて、
それからして
天と地とがはじめて別になつて、
參神
作造化之
首。
參神造化の
首はじめと作なり、
アメノミナカヌシの神、
タカミムスビの神、
カムムスビの神が、
すべてを作り出す最初の神となり、
陰陽斯開。 陰と陽とここに開けて、 そこで男女の兩性がはつきりして、
二靈爲群品之祖。 二靈群品の祖となりたまひき。 イザナギの神、イザナミの神が、
萬物を生み出す親となりました。

イザナギのミソギ

所以
出入幽顯。
所以このゆゑに
幽と顯とに出で入りて、
そこでイザナギの命は、
地下の世界を訪れ、
またこの國に歸つて、
日月彰
於洗目。
日と月と目を洗ふに
彰あらはれたまひ、
禊みそぎをして
日の神と月の神とが
目を洗う時に現われ、
浮沈海水。 海水うしほに浮き沈みて、 海水に浮き沈みして身を洗う時に、
神祇呈
於滌身。
神と祇と身を滌ぐに
呈あらはれたまひき。
さまざまの神が出ました。
     

太素
杳冥。
故かれ、
太素は
杳冥えうめいたれども、
それ故に
最古の時代は、
くらくはるかのあちらですけれども、
因本教而
識孕土
產嶋之時。
本つ教に因りて
土くにを孕はらみ
島を産みたまひし時を識しり、
前々からの教によつて
國土を
生み成した時のことを知り、
元始綿邈。 元始は綿邈めんばくたれども、  
賴先聖而

生神立人之世。
先の聖に頼よりて
神を生み人を立てたまひし
世を察あきらかにす。
先の世の物しり人によつて
神を生み人間を成り立たせた
世のことがわかります。

鏡と珠と剣

寔知。 寔まことに知る、  ほんとにそうです。
懸鏡
吐珠。
鏡を懸け
珠を吐きたまひて、
神々が賢木さかきの枝に玉をかけ、
スサノヲの命が
玉を噛んで吐いたことがあつてから、
而百王相續。 百の王相續き、 代々の天皇が續き、
喫劔
切蛇。
劒を喫かみ
蛇をろちを切りたまひて、
天照らす大神が劒をお噛みになり、
スサノヲの命が
大蛇を斬つたことがあつてから、
以萬神蕃息歟。 萬の神蕃息はんそくせしことを。 多くの神々が繁殖しました。

安河原


安河而
平天下。
安やすの河かはに
議はかりて
天の下を平ことむけ、
神々が天のヤスの川の川原で
會議をなされて、
天下を平定し、
論小濱而
清國土。
小濱をばまに
論あげつらひて
國土を清めたまひき。
タケミカヅチノヲの命が、
出雲の國のイザサの小濱で
大國主の神に
領土を讓るようにと談判されてから
國内をしずかにされました。

ニニギと神武

是以
番仁岐命。
ここを以ちて
番ほの仁岐ににぎの命、
これによつて
ニニギの命が、
初降于
高千嶺。
初めて
高千たかちの巓たけに降あもり、
はじめて
タカチホの峯にお下りになり、
神倭天皇。 神倭かむやまとの天皇すめらみこと、 神武天皇が
ヤマトの國におでましになりました。
     
經歷于秋津嶋。 秋津島に經歴したまひき。 この天皇のおでましに當つては、
化熊出爪。 化熊川より出でて、 ばけものの熊が川から飛び出し、
天劔獲
於高倉。
天の劒を
高倉に獲、
天からはタカクラジによつて
劒をお授けになり、
生尾遮徑。 生尾徑こみちを遮さへきりて、 尾のある人が路をさえぎつたり、
大烏導
於吉野。
大き烏
吉野に導きき。
大きなカラスが
吉野へ御案内したりしました。

賢后と聖帝

列儛攘賊。 儛まひを列ねて賊あたを攘はらひ、 人々が共に舞い、
聞歌伏仇。 歌を聞きて仇を伏しき。 合圖の歌を聞いて敵を討ちました。
即覺夢而
敬神祇。
すなはち夢に覺さとりて
神祇を敬ゐやまひたまひき、
そこで崇神天皇は、
夢で御承知になつて
神樣を御崇敬になつたので、
所以稱賢后。 所以このゆゑに賢后と稱まをす。 賢明な天皇と申しあげますし、
望烟而
撫黎元。
烟を望みて
黎元を撫でたまひき、
仁徳天皇は、
民の家の煙の少いのを見て
人民を愛撫されましたので、
於今傳聖帝。 今に聖帝と傳ふ。 今でも道に達した天皇と申しあげます。

近江と飛鳥

定境
開邦。
境を定め
邦を開きて、
成務天皇は近江の高穴穗の宮で、
國や郡の境を定め、
地方を開發され、
制于近淡海。 近ちかつ淡海あふみに制したまひ、  
正姓撰氏。
勒于遠飛鳥。
姓かばねを正し氏を撰みて、
遠とほつ飛鳥あすかに勒しるしたまひき。
允恭天皇は、大和の飛鳥の宮で、
氏々の系統をお正しになりました。

趣旨:古以照今

雖步驟各異。 歩と驟と、
おのもおのも異に、
それぞれ
保守的であると進歩的であるとの
相違があり、
文質不同。
文と質と同じからずといへども、
華やかなのと質素なのとの
違いはありますけれども、
莫不稽古以
繩風猷
於既頽。

古を稽かむがへて
風猷ふういうを
既に頽すたれたるに繩ただしたまひ、
いつの時代にあつても、
古いことをしらべて、
照今
以補典教
於欲絶。
今を照して
典教を絶えなむとするに
補ひたまはず
といふこと無かりき。
現代を指導し、
これによつて衰えた道徳を正し、
絶えようとする徳教を補強しない
ということはありませんでした。
     

 

古事記の企画

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(同)

飛鳥清原大宮(天武と持統の宮)

     
曁飛鳥
清原大宮。
 飛鳥あすかの
清原きよみはらの大宮に
 飛鳥あすかの
清原きよみはらの大宮において
御大八洲
天皇御世。
太八洲おほやしましらしめしし
天皇の御世に曁およびて、
天下をお治めになつた
天武天皇の御世に至つては、
濳龍體元。 潛龍元を體し、 まず皇太子として
洊雷應期。 洊せん雷期に應こたへき。 帝位に昇るべき徳をお示しになりました。
聞夢歌而
想纂業。
夢の歌を聞きて
業を纂つがむことをおもほし、
 
投夜水而
知承基。
夜の水に投いたりて
基を承けむことを知らしたまひき。
 

天時未臻。
然れども
天の時いまだ臻いたらざりしかば、
しかしながら
時がまだ熟しませんでしたので
蟬蛻
於南山。
南の山に
蝉のごとく蛻もぬけ、
吉野山に入つて
衣服を變えてお隱れになり、
人事共洽。 人と事ことと共に給たりて、 人と事と共に得て
虎步
於東國。
東の國に
虎のごとく歩みたまひき。
伊勢の國において
堂々たる行動をなさいました。
皇輿忽駕。 皇輿たちまちに駕して、 お乘物が急におでましになつて
凌渡山川。 山川を凌ぎ度り、 山や川をおし渡り、
六師雷震。 六師雷のごとく震ひ、 軍隊は雷のように威を振い
三軍電逝。 三軍電のごとく逝きき。 部隊は電光のように進みました。
杖矛擧威。 杖矛ぢやうぼう威を擧げて、 武器が威勢を現わして
猛士烟起。 猛士烟のごとく起り、 強い將士がたくさん立ちあがり、
絳旗耀兵。 絳旗かうき兵を耀かして、 赤い旗のもとに武器を光らせて
凶徒瓦解。 凶徒瓦のごとく解けぬ。 敵兵は瓦のように破れました。
     
未移
浹辰。
いまだ浹辰せふしんを
移さずして、
まだ十二日にならないうちに、
氣沴自清。 氣沴きれい
おのづから清まりぬ。
惡氣が
自然にしずまりました。
乃。 すなはち そこで
放牛息馬。 牛を放ち馬を息いこへ、 軍に使つた牛馬を休ませ、
愷悌
歸於華夏。
愷悌がいていして
華夏に歸り、
なごやかな心になつて
大和の國に歸り、
卷旌戢戈。 旌はたを卷き戈ほこを戢をさめ、 旗を卷き武器を納めて、
儛詠
停於都邑。
儛詠ぶえいして
都邑に停まりたまひき。
歌い舞つて
都におとどまりになりました。
     
歳次大梁。 歳ほしは大糜に次やどり、 そうして酉の年の
月踵俠鍾。 月は夾鐘に踵あたり、 二月に、
清原大宮。 清原の大宮にして、 清原の大宮において、
昇即天位。 昇りて天位に即つきたまひき。 天皇の位におつきになりました。
     
道軼軒后。 道は軒后に軼すぎ、 その道徳は黄帝以上であり、
德跨周王。 徳は周王に跨こえたまへり。 周の文王よりもまさつていました。
握乾符而
摠六合。
乾符を握とりて
六合を摠すべ、
神器を手にして
天下を統一し、
得天統而
包八荒。
天統を得て
八荒を包かねたまひき。
正しい系統を得て
四方八方を併合されました。
乘二氣之正。 二氣の正しきに乘り、 陰と陽との
二つの氣性の正しいのに乘じ、
齊五行之序。 五行の序つぎてを齊ととのへ、 木火土金水の
五つの性質の順序を整理し、
設神理
以奬俗。
神あやしき理を設まけて
俗ひとを奬すすめ、
貴い道理を用意して
世間の人々を指導し、
敷英風
以弘國。
英すぐれたる風のりを敷きて
國を弘めたまひき。
すぐれた道徳を施して
國家を大きくされました。
重加。 重加しかのみにあらず そればかりではなく、
智海浩瀚。 智の海は浩汗として、 知識の海はひろびろとして
潭探上古。 潭ふかく上古を探り、 古代の事を深くお探りになり、
心鏡煒煌。 心の鏡は煒煌として、 心の鏡はぴかぴかとして
明覩先代。 あきらかに
先の代を覩たまふ。
前の時代の事を
あきらかに御覽になりました。

帝紀と本辞の誤り

於是
天皇詔之。
ここに
天皇詔したまひしく、
 ここにおいて
天武天皇の仰せられましたことは
朕聞
諸家之所齎。
「朕聞かくは、
諸家のもたる
「わたしが聞いていることは、
諸家で持ち傳えている
帝紀及本辭。 帝紀と本辭と 帝紀と本辭とが、
既違正實。 既に正實に違ひ、 既に眞實と違い
多加
虛僞。
多く虚僞を
加ふといへり。
多くの僞りを
加えているということだ。
     
當今之時。 今の時に當りて、 今の時代において
不改其失。 その失を改めずは、 その間違いを正さなかつたら、
未經幾年。 いまだ幾年いくとせを經ずして、 幾年もたたないうちに、
其旨欲滅。 その旨滅びなむとす。 その本旨が無くなるだろう。
斯乃邦家之經緯。 こはすなはち邦家の經緯、 これは國家組織の要素であり、
王化之鴻基焉。 王化の鴻基こうきなり。 天皇の指導の基本である。
故惟撰錄帝紀。 故かれここに帝紀を撰録し、 そこで帝紀を記し定め、
本辭をしらべて
討覈舊辭。 舊辭くじを討覈たうかくして、  
削僞定實。 僞を削り實を定め、  
欲流
後葉。
後葉のちのよに
流つたへむと欲おもふ」
と宣りたまひき。
後世に
傳えようと思う」
と仰せられました。

稗田阿礼

時有舍人。
姓稗田
名阿禮。
時に舍人とねりあり、
姓は稗田ひえだ、
名は阿禮あれ、
その時に
稗田の
阿禮という奉仕の人がありました。
年是廿八。 年は二十八。 年は二十八でしたが、
爲人聰明。 人となり聰明にして、 人がらが賢く、
度目誦口。 目に度わたれば口に誦よみ、 目で見たものは口で讀み傳え、
拂耳勒心。 耳に拂ふるれば心に勒しるす。 耳で聞いたものはよく記憶しました。
     
即勅語阿禮。 すなはち阿禮に勅語して、 そこで阿禮に仰せ下されて、
令誦習
帝皇日繼。
及先代舊辭。
帝皇の日繼ひつぎと
先代の舊辭とを
誦み習はしめたまひき。
帝紀と
本辭とを
讀み習わしめられました。
     

運移世異。
然れども
運とき移り世異にして、
しかしながら
時勢が移り世が變わつて、
未行
其事矣。
いまだその事を
行ひたまはざりき。
まだ記し定めることを
なさいませんでした。
     

 

古事記の成立

原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(同)

元明天皇

     
伏惟
皇帝陛下。
 伏して惟おもふに
皇帝陛下、
 謹んで思いまするに、
今上天皇陛下(元明天皇)は、
得一
光宅。
一を得て
光宅くわうたくし、
帝位におつきになつて
堂々とましまし、
通三
亭育。
三に通じて
亭育ていいくしたまふ。
天地人の萬物に通じて
人民を正しくお育てになります。
御紫宸而
德被
馬蹄之所極。
紫宸に御いまして
徳は馬の蹄つめの
極まるところに被かがふり、
皇居にいまして
道徳をみちびくことは、
陸地水上のはてにも及んでいます。
坐玄扈而
化照
船頭之所逮。
玄扈げんこに坐いまして
化は船の頭への
逮いたるところを照したまふ。
日浮重暉。 日浮びて暉ひかりを重ね、 太陽は中天に昇つて光を増し、
雲散非烟。 雲散りて烟かすまず。 雲は散つて晴れわたります。
連柯
并穗
之瑞。
柯えだを連ね
穗を并あはす
瑞しるし、
二つの枝が一つになり、
一本の莖から二本の穗が出るような
めでたいしるしは、
史不絶書。 史ふみひとは書しるすことを絶たず、 書記が書く手を休めません。
列烽
重譯之貢。
烽とぶひを列ね、
譯をさを重ぬる貢みつき、
國境を越えて
知らない國から奉ります物は、
府無空月。 府みくらに空しき月無し。 お倉にからになる月がありません。
可謂
名高文命。
名は
文命よりも高く、
お名まえは
夏の禹王うおうよりも高く聞え
德冠
天乙矣。
徳は天乙に冠まされり
と謂ひつべし。
御徳は
殷いんの湯王とうおうよりもまさつている
というべきであります。

711年安萬侶への勅命

於焉惜
舊辭之誤忤。
ここに
舊辭の誤り忤たがへるを惜しみ、
そこで
本辭の違つているのを惜しみ、

先紀之謬錯。
先紀の謬あやまり錯あやまれるを
正さまくして、
帝紀の誤つているのを
正そうとして、
以和銅四年
九月十八日。
和銅四年
九月十八日を以ちて、
和銅四年(711年)
九月十八日を以つて、
詔臣安萬侶 臣安萬侶に詔して、 わたくし安萬侶に仰せられまして
撰錄
稗田阿禮所
誦之勅語舊辭。
稗田の阿禮が
誦める勅語の
舊辭を撰録して、
稗田の阿禮が
讀むところの天武天皇の仰せの
本辭を記し定めて
以獻上者。 獻上せよと宣りたまへば、 獻上せよと仰せられましたので、
謹隨詔旨。 謹みて詔の旨に隨ひ、 謹んで仰せの主旨に從つて、
子細採摭。 子細に採り摭ひりひぬ。 こまかに採録いたしました。

表記解釈の注意


上古之時。
然れども
上古の時、
 しかしながら
古代にありましては、
言意
並朴。
言と意と
並みな朴すなほにして、
言葉も内容も
共に素朴でありまして、
敷文
構句。
文を敷き
句を構ふること、
文章に作り、
句を組織しようと致しましても、
於字
即難。
字には
すなはち難し。
文字に
書き現わすことが困難であります。
已因訓述者。 已すでに訓に因りて述ぶれば、 文字を訓で讀むように書けば、

不逮心。
詞は
心に逮いたらず。
その言葉が
思いつきませんでしようし、
全以音
連者。
全く音を以ちて
連ぬれば、
そうかと言つて字音で
讀むように書けば
事趣更長。 事の趣更に長し。 たいへん長くなります。
是以今。 ここを以ちて今或るは そこで今、
或一句之中。 一句の中に、 一句の中に
交用音訓。 音と訓とを交へ用ゐ、 音讀訓讀の文字を交えて使い、
或一事之内。 或るは一事の内に、 時によつては一つの事を記すのに
全以訓
錄。
全く訓を以ちて
録しるしぬ。
全く訓讀の文字ばかりで
書きもしました。
     
即。 すなはち  
辭理叵見
以注明。
辭理の見え叵がたきは、
注を以ちて明にし、
言葉やわけのわかりにくいのは
註を加えてはつきりさせ、
意况易解
更非注。
意況の解き易きは
更に注しるさず。
意味のとり易いのは
別に註を加えません。
亦於姓日下
謂玖沙訶。
また姓の日下くさかに、
玖沙訶くさかと謂ひ、
またクサカという姓に
日下と書き、
於名帶字
謂多羅斯。
名の帶の字に
多羅斯たらしといふ。
タラシという名まえに
帶の字を使うなど、
如此之類。 かくの如き類は、 こういう類は、
隨本不改。 本に隨ひて改めず。 もとのままにして改めません。

古事記の構成:上中下

大抵所記者。 大抵記す所は、 大體書きました事は、
自天地開闢始。 天地の開闢よりして、 天地のはじめから
以訖于
小治田御世。
小治田をはりだの御世に
訖をふ。
推古天皇の御代
まででございます。
     
故。 故かれ そこで
天御中主神
以下。
天あめの御中主みなかぬしの神
より以下しも、
アメノミナカヌシの神から
日子波限建
鵜草葺不合尊
以前。
日子波限建鵜草葺不合
ひこなぎさたけ
うがやふきあへずの尊みこと
より前さきを
ヒコナギサ
ウガヤフキアヘズの命
までを
爲上卷。 上つ卷とし、 上卷とし、
神倭
伊波禮毘古
天皇以下。
神倭伊波禮毘古
かむやまといはれびこの
天皇より以下、
神武天皇から
品陀御世以前。 品陀ほむだの御世より前を 應神天皇までを
爲中卷。 中つ卷とし、 中卷とし、
大雀皇帝
以下。
大雀おほさざきの
皇帝すめらみことより以下、
仁徳天皇から
小治田大宮以前。 小治田の大宮より前を 推古天皇までを
爲下卷。 下つ卷とし、 下卷としまして、
并錄三卷。 并はせて三つの卷に録しるし、 合わせて三卷を記して、
謹以獻上。 謹みて獻上たてまつる。 謹んで獻上いたします。
     
臣安萬侶。 臣安萬侶、 わたくし安萬侶、
誠惶誠恐。 誠惶誠恐かしこみかしこみ、 謹みかしこまつて
頓首頓首。 頓首頓首のみまをす。 申しあげます。

署名:712年安萬侶

和銅五年正月廿八日。 和銅五年正月二十八日 和銅五年(712年)正月二十八日
正五位上勳五等
太朝臣安萬侶謹上。
正五位の上勳五等
太おほの朝臣あそみ安萬侶やすまろ
正五位の上勳五等
太の朝臣安萬侶