蜻蛉日記 題名の由来:陽炎×蜻蛉=すぐ消える日記(哀愁)

全体構造 蜻蛉日記
題名の由来
和歌一覧

 

 『蜻蛉日記』という題名は、上巻最後の本文
 「猶物はかなきを思へば、あるかなきかの心ちする、かげろふのにきといふべし」による。
 (訳:なおもの儚いことを思うと、あるかないかの心地がする、かげろうの日記というべきだろう)

 

 上の「かげろう」は、「あるかなきか」という実体のなさ(影)をいう文脈なので、陽炎の意味となる(有力説結論同旨)。
 他方で題名は『蜻蛉』つまり昆虫となっているが、本文中に「蜻蛉」はなく「かげろう」も上記の一回しかない。つまり「蜻蛉」表記自体、あるのかないのか分からない(写本によってはあるかもしれない)。
 そして本文の「かげろう」は、上記文脈からは陽炎が素直で蜻蛉(トンボ・あるいはそれと似た昆虫)と確実に導くことはできない。
 したがって、題名の『蜻蛉』は著者が自ら意図をもって付けたというのが順当と思う。

 かつ掛詞的で、表面的・即物的に昆虫を主題にして記した意味とは見れない(著者は百人一首に入選する歴史的歌人で、本作の和歌は諸作品の中で極めて多い310首)。

 

 『蜻蛉』は数日程度の短命を象徴し、書いて(飛び立って)すぐ消える日記。
 枕草子・徒然草のような皮肉の効いた題名の先祖だが(元祖は古事記・万葉集、「蜻蛉」は古事記の歌にも出てくる(即蜻蛉來 咋其虻而飛〈訓蜻蛉云阿岐豆〉)、それらよりは皮肉性は薄く洒落を効かせており、哀愁・儚さが強い。
 題名は全体の象徴であるから、作品全体の調子もそう言えると思う。

 

 なお、古事記で「蜻蛉」はアキズと読むが(そう見れば飽きず日記になる)、それは大和を象徴する歌詞として用いられ(私見では細い島国とその情況に掛けた)、先行する大和物語にも引っ掛けたと見れなくもない。そうであればこれが高次の題名の由来と言える。和歌の多作性・男女の和歌贈答性は、伊勢・大和の流れ(209→295)を受けている(土佐日記55首は独詠が基本)。

 竹取物語のかぐや姫は古事記「迦具夜比賣」と万葉「竹取翁」を受けていること、徒然草は枕草子とその「もの狂ほしけれ」を受けていること、源氏物語末尾に蜻蛉巻があり、源氏と枕草子最後の「とぞ本に」は、蜻蛉末尾の「本のまゝに」に影響を受けているように、前の世代の作品を取り込むことは古典の要でも、著者の意図は定かではない。

 

蜻蛉+陽炎