古事記 允恭天皇の系譜~原文対訳

履中天皇陵 古事記
下巻④
19代 允恭天皇
宮と系譜
新羅の八十一艘
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)

遠飛鳥宮

     
男淺津間
若子宿禰命。
 弟男淺津間
をあさづまの
若子わくごの宿禰の王、
 弟の
ヲアサヅマ
ワクゴノスクネの王(允恭天皇)、
坐遠飛鳥宮。 遠つ飛鳥あすかの宮にましまして、 大和の
遠つ飛鳥の宮においでになつて
治天下也。 天の下治らしめしき。 天下をお治めなさいました。
     

衣通王=衣通姫

     
此天皇。 この天皇、 この天皇、

意富本杼王之妹。
忍坂之
大中津比賣命。
意富本杼
おほほどの王が妹、
忍坂おさかの
大中津おほなかつ比賣の命
に娶ひて、
オホホドの王の妹の
オサカノ
オホナカツ姫の命と
結婚して
生御子。 生みませる御子、 お生みになつた御子みこは、
     
木梨之輕王。 木梨きなしの輕かるの王、 キナシノカルの王・
次長田大郎女。 次に長田の大郎女おほいらつめ、 ヲサダの大郎女・
次境之黑日子王。 次に境さかひの黒日子の王、 サカヒノクロヒコの王・
次穴穂命。 次に穴穗あなほの命、 アナホの命・
     
輕大郎女 次に輕の大郎女、 カルの大郎女・
亦名
衣通郎女
またの御名は
衣通そとほしの郎女、
(カルの大郎女は
またの名を
衣通そとおしの郎女
〈御名所。
以負衣通王者。
(御名は
衣通の王と負はせる所以は、
と申しますのは、
其身之光。
自衣通出
也〉
その御身の光
衣より出づればなり。)
その御身の光が
衣を通して出ましたからでございます。)
     
次八瓜之白日子王。 次に八瓜やつりの白日子の王、 ヤツリノシロヒコの王・
次大長谷命。 次に大長谷はつせの命、 オホハツセの命・
次橘大郎女。 次に橘たちばなの大郎女、 タチバナの大郎女・
次酒見郎女。 次に酒見さかみの郎女 サカミの郎女
〈九柱〉 九柱。 の九王です。
     
凡天皇之御子等。 およそ天皇の御子たち、  
九柱。 九柱。  
〈男王五。女王四〉 (男王五柱、女王四柱。) 男王五人女王四人です。
     
此九王之中。 この九柱の中に、  
穴穂命者。
治天下也。
穴穗の命は、
天の下治らしめしき。
このうちアナホの命は
天下をお治めなさいました。
次大長谷命。
治天下也。
次に大長谷の命も、
天の下治らしめしき。
次にオホハツセの命も
天下をお治めなさいました。
履中天皇陵 古事記
下巻④
19代 允恭天皇
宮と系譜
八十一の船

衣通姫と古今仮名序

 

 ここで出てくる衣通王は、古事記から万葉にも入った特別な人物。後に衣通姫とも呼ばれ、古今仮名序で参照される(衣通姫の歌として古今に一首ありそれは墨滅扱いとなっているが、墨滅数も調節されており1111首中の11、古今世代は貫之しかなくかつ唯一2首あるので、貫之の純粋な私見による選定)。

 

 をのゝこまちは、いにしへのそとほりひめのりうなり。あはれなるやうにてつよからず。 いはゞよきをむなのなやめるところあるにゝたり。 つよからぬはをうなのうたなればなるべし。
 
 以上の貫之による仮名序は単なる例えではなく、竹取物語でかぐや姫が光を放つ記述、「その竹の中に、 本光る竹ひとすぢありけり。怪しがりて 寄りて見るに、筒の中ひかりたり。…この兒のかたち 清(けう)らなること 世になく、家の内は暗き處なく光滿ちたり」、及び「秋田なよ竹のかぐや姫とつけつ」を受けたもの。言い寄る男達を徹底拒絶する話の小町針というエピソードと名づけの秋田を掛け、小町がかぐや姫のモデル。貫之が竹取を意識していたことは、源氏の絵合でも示される(物語の出で来はじめの祖なる『竹取の翁』…絵は巨勢相覧、手は紀貫之書けり)。