伊勢物語 79段:千尋ある あらすじ・原文・現代語訳

第78段
山科の宮
伊勢物語
第三部
第79段
千ひろあるかげ
第80段
おとろへたる家

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
  御産屋 祖父方なりける翁 中将の子 
 
 
 
 

あらすじ

 
 
 むかしある氏に親王が生まれ、人々が産屋で歌を詠んだ(この時点でおかしい。帝なら氏はない。それを意図している)。
 そこで祖父方の翁、

 我が門に 千尋ある陰を植えゑつれば 夏冬たれか 隠れざるべき
 (我が門に 広い広い陰を植えれば、いつでも誰からも隠れられるのに)
 

 この親王とは貞数親王。時の人、これを中将の子といった。
 しかも、兄の行平の娘(で天皇の女御)を孕ませたと。
 
 ~
 

 このことから、冒頭の翁とは確実に業平。
 今まで在五、在原なりける男、という表現に更に加えて確実にする(十分確実だったが、ダメ押し)。
 

 つまり、人としてありえない行為。
 露見するとまずいので「陰」で「隠れる」としている。隠したいが、生まれた以上は隠せないと。
 千尋は松にかかるが、松はないので待ち望んでいない。わかります? このひどさ。
 竹ではない。竹は広がらない。
 

 寄らば大樹の影のような意味ではない。
 だったら寄るじゃなくて「隠れ」とした意味が説明できない。しかも「隠れざる」。隠れたいが隠れられない。
 

 さらにこの歌は「もとより歌のことは知らざりければ」と著者が評した101段の歌と、様々な要素で符合している。
 咲く花の  したにかくるる 人を多み ありしにまさる 藤のかげかも
 この101段は、行平が兄弟に無理に歌わせる段。つまりそこでの「もとより」とは、本段の歌は、著者の翻案ということを言っている。
 

 本段の「中将」は、63段「在五中将」以来の言葉。これは、63段と本段の二つしかない。
 (97段のものは、定家以外の本に付加されたもの。以下に示す文脈から、著者以外による勝手な付け足しと確実に言える)
 63段で、在五は女が泣いて伏せっている寝こみを襲った(表現上は「その夜は寝にけり」)。
 そしてそのことを著者は「けぢめ見せぬ心」と非難する。
 ここで「中将」が出てきたのは、当然その文脈。
 

 著者は「むかし男」と、在五は明確に書き分けている。
 父はただの人、身はいやしなどの説明が相容れない(10段)うえに、業平を出す全ての段で非難している(63,65~101,103,106段)
 

 したがって、業平を著者と解するのは絶対に無理。中身の解釈と無関係にそう言える。
 「けぢめ見せぬ」「もとより歌のことは知らざり」などの言葉の存在を、受け入れられるかの問題。
 内容の真実性は問題ではない。記述それ自体で著者の心象がそうであったことを示している。
 それに現状判明している外的事情とも問題なく整合する(業平の評判の基礎は伊勢にしかない。つまり他に実績が何もない。極めて不自然)。
 
 そして、著者を業平と見ない以上、その時点で主人公足りえない。
 著者では受け入れられているようだが、主人公と未だに解している。その前提はもう崩れた。
 
 
 
 

原文

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第79段 千ひろあるかげ
   
   むかし、  むかし、  昔。
氏のなかに、親王生まれ給へけり。 うぢのなかにみこうまれたまへりけり。 氏の中にみこうまれ給へりけり。
  御産屋に人々うたよみけり。 御うぶやに人々うたよみけり。 御うぶやに。みな人々歌よみけり。
  御祖父方なりける翁のよめる。 御おほぢがたなりけるおきなのよめる。 御おほぢのかたなりけるおきなのよめる。
       

142
 我が門に
 千尋ある陰を植えゑつれば
 わがゝどに
 ちひろあるかげをうへつれば
 我もとに
 千尋あるかけをうゑつれは
  夏冬たれか
  隠れざるべき
  なつふゆたれか
  ゝくれざるべき
  夏冬誰か
  隱れさるへき
       
  これは貞数の親王。 これはさだかずのみこ、 これはさだかずのみこ。
  時の人、中将の子となむいひける。 時の人、中将のことなむいひける。 中納言
ゆきひらのむすめのはらなる
淸和の親王なり。
  兄の中納言
行平のむすめの腹なり。
あにの中納言、
ゆきはらのむすめのはら也。
時の人中將の子となんいひける。
   

現代語訳

 
 

御産屋

 

むかし、氏のなかに、親王生まれ給へけり。
御産屋に人々うたよみけり。

 
 
むかし
 

氏のなかに親王生まれ給へけり
 ある一族の中に親王が生まれなさった。
 
 「氏のなか」、この時点で若干ひっかかる書き方。
 

御産屋に人々うたよみけり
 うぶやで人々が歌を詠んだ。
 
 

祖父方なりける翁

 

御祖父方なりける翁のよめる。
 
我が門に 千尋ある陰を植えゑつれば
 夏冬たれか 隠れざるべき

 
 
御祖父方なりける翁のよめる
 祖父方の翁が詠んだ。
 
 「祖父」=行平
 「なるける翁」とは、
 近衛府にさぶらひける翁(76段)
 右馬頭なりける翁(77段)とかけている。この時業平が51歳だとか、あと4年で死ぬことは関係ない。
 76段に示されるように「翁」は年に関係ない蔑称。このような男が仕込んだと噂されるだけでありえないという表現。
 
 

我が門に 千尋ある陰を植えゑつれば
 俺の門に すげー広い陰を植えたらば
 

夏冬たれか 隠れざるべき
 いつでも誰からも 隠れられるのに
 
 「陰」であり、大樹や竹などではない。根拠なく認定しないように。
 これは松ではないということ。広がりにかかるのは、普通松。
 つまりこの子のことなど待ち望んでいない。だから「隠れる」。でないと後段と整合しない。
 陰に身を寄せる? 何から守ってもらいたいの? 軍人が? いや「隠れられない」ってあるけど。
 
 噂だから信じる人もいただろう、しかし根も葉もないことよ、となぜそうなる?
 木がないから? でもそう認定してない。つまり何が書いてあってもどうでもいい。全部思い込む。
 史実じゃない? それでは肩身が狭い二条との話も史実ではない。
 
 

中将の子

 

これは貞数の親王。
時の人、中将の子となむいひける。
兄の中納言行平のむすめの腹なり。

 
 
これは貞数の親王
 
 貞数親王(875-916≒41歳)。
 父は公式では清和天皇とされるが、
 

時の人、中将の子となむいひける
 それを時の人(つまり主に後宮の人)は、これを(在五)中将の子と言った。この物語で中将は業平しかいない(63段)。
 しかも最悪の文脈。そこでは、女が伏せっている寝込みを襲った。
 つまりここでも強○を暗示している。後宮にみだりに上がりこむ描写も、それに続く65段(在原なりける男)にあった。
 

兄の中納言行平のむすめの腹なり
 しかも兄の娘を孕ませたと。
 
 当時は不道徳ではなかったようだ? んなわけない。とてつもない不敬。
 二条の后との話が禁断?。それを色んな意味でぶっこえている話。
 
 女御に手を出すのも、兄の娘に手を出すのも、ありえない。
 こういうことは時を超えても正当化されない。だからあえて記している。
 根も葉もない噂ならあえて書かない。信じ難いほどとんでもなかった、情況から言ってそれしかないと思ったから書いた。
 むすめの自供があったのではないか。世が世なら命の保障はない。
 しかしそうだとしても、女子がそういうことをされて黙っているのは、死ぬほど耐え難い。まず無理。
 
 めでたいはずの時に「陰」「隠れ」。その哀れさが「翁」。
 77段右馬頭なりける翁、目はたがひながらよみける