宇治拾遺物語:河内守頼信、平忠恒を攻むる事

晴明、蛙殺す 宇治拾遺物語
巻第十一
11-5 (128)
河内守頼信
白河法皇

 
 昔、河内守頼信、上野守にてありしとき、坂東に平忠恒といふ兵ありき。仰せらるる事、なきがごとくにする、うたんとて、おほくの軍おこして、かれがすみのかたへ行きむかふに、岩海にはるかにさし入たるむかひに、家をつくりてゐたり。この岩海をまはるものならば、七八日にめぐるべし。すぐにわたらば、その日の中に攻めつべければ、忠恒、わたりの舟どもを、みな取隠してけり。されば渡るべきやうもなし。
 

 濱ばたに打たちて、この濱のままにめぐるべきにこそあれと、兵ども思ひたるに、上野守のいふやう、「この海のままに廻てよせば日ごろへなん。その間に逃げもし、またよられぬ構へもせられなん。けふのうちによせて攻めんこそ、あのやつは存じのほかにして、あわてまどはんずれ。しかるに、舟どもは、みな取隠したる、いかがはすべき」と、軍どもに問はれけるに、
 軍「さらにわたし給ふべきやうなし。まはりてこそ、よせさせ給ふべく候ふ」と申しければ、「この軍共の中に、さりとも、この道しりたる者はあらん。頼信は、坂東がたはこの度こそはじめて見れ。されども、我家のつたへにて、聞き置きたることあり。この海中には、堤のやうにて、ひろさ一丈ばかりして、すぐにわたりたる道あるなり。深さは馬の太腹にたつと聞く。この程にこそ、その道はあたりたるらめ。さりとも、このおほくの軍どもの中に、しりたるもあるらん。さらば、さきに立ちてわたせ。頼信つづきてわたさん」とて、馬をかきはやめて寄りければ、しりたるものにやありけん、四五騎ばかりの軍どもわたしけり。まことに馬の太腹に立てわたる。
 

 おほくの兵どもの中に、ただ三人ばかりぞ、この道はしりたりける。
 のこりは、「つゆもしらざりけり。聞くことだにもなかりけり。然に、この守殿、この国をば、これこそ始にておはするに、我等は、これの重代のものどもにてあるに、聞だにもせず、しらぬに、かくしり給へるは、げに人にすぐれたる兵の道かな」と、みなささやき、怖ぢて、わたり行くほどに、
 忠恒は、「海をまはりてぞ寄せ給はんずらん、舟はみなとりかくしたれば、浅き道をば、わればかりこそ知りたれ。すぐにはえわたり給はじ。浜をまはり給はん間には、とかくもし、逃げもしてん。さうなくは、え攻め給はじ」と思ひて、心静かに軍揃へてゐたるに、
 家のめぐりなる郎等、あわて走りきていはく、「上野殿は、この海の中に浅き道の候ひけるより、おほくの軍をひき具して、すでにここへ来給ひぬ。いかがせさせ給はん」と、わななき声に、あわてて言ひければ、
 忠恒、かねてのしたくにたがひて、「われすでに攻められなんず。かやうにしたて奉らん」と言ひて、たちまちに名簿をかきて、文ばさみにはさみてさし上て、小舟に郎等一人のせて、もたせて、むかへて、参らせたりければ、
 守殿みて、かの名簿をうけとらせていはく、「かやうに、名簿に怠り文をそへていだす。すでに来たれるなり。されば、あながちに攻むべきにあらず」とて、この文をとりて、馬を引かへしければ、軍どもみなかへりけり。
 その後より、いとど守殿をば、「ことにすぐれて、いみじき人におはします」と、いよいよいはれ給ひけり。