紫式部日記 和歌一覧 18首

紫式部日記 紫式部日記
和歌一覧
紫式部集

 
 紫式部日記の和歌一覧18首。リンクで原文対訳に通じさせた。

 

 内訳:11(紫式部=越後守藤原為時の娘)、3(藤原道長)、1×4(播磨守、小少将の君、大納言の君、渡殿の戸をたたく人)

 

 紫式部日記の和歌は公的な仕事(宮中)の和歌で、私的なつまりプライベートの和歌は紫式部集に126首あるので、合わせて参照されたい(百人一首57も紫式部集1が出典)。紫式部日記の和歌は時期も話題も限定されており、恐らく一般的な日記のイメージとしては紫式部集の方がむしろ近い。

 またもちろん源氏物語の和歌・795首も全て紫式部の作品。

 

 
紫式部日記・和歌18首
目次
1
2
道長
3
播磨守
4
5
6
7
小少将の君
8
9
10
道長
11
12
大納言の君
13
紫:大輔おもと代筆
14
15
道長
16
17
渡殿の戸をたたく人
18
   
 
和歌の対応の程度
分類 歌数/割合 和歌間の文字数
即答 10首/55.5%  40字未満
応答 2首/11.1%  40~100字未満
単体 6首/33.3% 独詠・返事ない単独贈歌

 

※先頭・中心・最後直前が道長という配置。

最後の渡殿の戸を叩く人は、総合的に解釈すると道長。文脈も連続し、かつ渡殿の戸口の局の先頭歌と対をなす(全集・集成は理由を示さず道長と認定。新大系は人定を明示せず)。先頭は屏風越し、中心は屏風を取り払ってきた点で連続する。このような配置による表現は貫之も見せる高等技法。

 そして最後の殿と明示された道長の和歌「すきものと名にしたてれば見る人の折らで過ぐるはあらじとぞ思ふ」は夜這いの暗示と解すべきもので、しかしこのことから全集は「恋愛の種々…の道に精通した女と見立てたもので式部が道長の召人であった意も含んでいるかもしれない」とし(学者のいう「召人」とは性のはけ口用召使女の暗語)、続く戸を叩く人の和歌の解説でも「式部が道長の召人であったことを思わせるもの」と恥辱的言いがかりをつけるが、であれば紫式部が居留守を使い戸を開けなかったのは筋が通らないし、枕詞が「夜もすがら」(叩く人)「ただならじ」(紫)であることも無視した、男本位の願望的解釈水準を象徴している。

 

 道長の「折らで過ぐるはあらじとぞ思ふ」は女郎花の枝を折ってきた先頭歌の文脈(あな疾)と対をなし、居ないの口語調「おらで」を掛けている(独自)。そうせんのはおらんで(おらんぞ)と思う。女を手に取らないまま過ぎるのはないと思う。「過ぐる」は場所と時間を掛ける。式部はこの時三十代後半。ちなみに源氏物語一番最後の「わが御心の思ひ寄らぬ隈なく落とし置きたまへりしならひにとぞ本にはべめる」も、とまあ本に(really)そういうことでございますという物語の語り口と解すべきもので、この点、本文と一連一体にもかかわらず「と元の本にございますような」という後世の注記とする通説は、蜻蛉日記特有の注記を文脈の違いを無視して暗記的に当てはめ正当化した解釈。古語を文語と観念的に定義する一番最初から今の読解理論は誤っている。

 一般に「折る」に「枝を折る意と女を手に入れるの意をかける」(全集)とされるが、「女をなびかせるの意をかける」(新大系)に至っては論理不明で「女を手に入れる」から不用意にひねったドグマというのが無理ない分析。このように思い込みを文言に注入する循環論(ならひ)が目につくが、あとは読者の判断に任せる。

 

特徴:かぐや調の和歌(紫式部日記≒竹取:式部集≒伊勢)

 

 

 この紫式部三作品の対比(日記18首・式部集126首・源氏795首)から、宮中で人前にいる時、職場でコミュニケーションが要求される場合は、後述する道長の強要などの余程の事情がない限り、世界的ともいえる強い独自性を徹底して出さなかったと見れる。

 したがって日記18首は、全て紫式部にとってそのような余程の、十中八九大迷惑で面倒だった出来事と見ていい。

 この点、公のハレの歌が赤染や公任などに遠く及ばないという説があるのもその一例。そもそもその比較にどのような意義があるか。和歌の王道は四季と恋歌というのは古今和歌集にも示される構成で(342首・360首)、賀は一巻のみ22首であるところ、それは大体、紫式部に対する公任・赤染の知名度影響力の差、メジャーとマイナーの差を象徴している。上記批判は、世界的殿堂入り最多勝をつかまえてチーム力とスローカーブでは遠く及ばないというような我田引水。赤染と公任が良いなら好きなだけそちらで褒めればいい。こうした言説が興行的ではなく大真面目に影響力を持つところが、国力・知的実績の差として結実している(神や信仰が単なる方便の、公至上主義の人の傲慢)。

 

 そして日記・式部集・源氏の三位一体の構成がさらに竹取・伊勢・源氏とパラレルになり、本日記の和歌は彼女が物語の祖と讃えた竹取物語のかぐや姫の歌風(滑稽の揶揄)と同様のものになっている。

 即ち、一般に源氏物語はその形式分類(空想+歌主体物語)から竹取・伊勢の融合とされるところ、物語調の日記18首は竹取15首、簡素な詞書と和歌が連続する式部集126首は伊勢125段と対をなしており、竹取と伊勢の投影は源氏物語に対するものに限らず、単なる分類論でもなく内実を伴った紫式部の行動原理であり、彼女の描写は両作風と無関係には見れない(なお本項の分析は全て独自説で、以下も同様)。

 

道長和歌の配置と文脈:朝夜襲来+お断り

 

 道長との贈答が、目次に示すように先頭・中心・最後、全ての要所の配置を押さえている。道長を重んじたと思う人もいるかもしれないが、第一に126首ある紫式部集において、道長の和歌は上記三首の内の二首のみであることから、道長を重んじた訳ではなく、さらに大河ドラマのように二人が親密だったという客観的根拠もない。というより積極的に証拠と相容れない(従来の恣意的解釈に基づけばともかく、上記和歌の客観的構成から明らか)。道長の容貌描写もないことから、光源氏のモデルという根拠も、俗物的な思い込み以外ない(なお紫式部集は紫式部自身の手による自選歌集というのが何の問題もない通説)。

 さらに日記の文脈でも、道長と直接やり取りする時はその幼稚な無作法に常に迷惑しており、それが彼女が物語の祖と讃える竹取物語に端を発する上流貴族批判精神でもあるし竹取の筋でもある(ただし一般的解釈は、その種の批判的文言を紫式部自身の自戒へと超展開で曲げ、さらに竹取の通説的解釈も、一連の貴族皇族の滑稽文脈を無視し最後に襲ってきた帝と愛を育み別れを嘆いたとし、最高権威に対する批判を断固認めず曲げるのが、この国の学説の一般的態度)。

 そのような紫式部の道長の狼藉的描写(竹取の帝的描写とパラレル)は、典型的権力者像とも合致するものと思う。

 

 日記で紫式部の次に多いのは道長の和歌3首だが、それは本日記の公務日誌性格によるもので、俗説にいう道長との特別な恋愛関係(光源氏のモデル性)や、和歌の実力(光源氏は紫の十倍の221首)を裏付けるものでは全くない。

 即ち、道長が朝やってきて寝起きの紫式部に女郎花の枝を几帳の上から見せて「これ、遅くては悪ろからむ」と言った間接強制(1-2)・「恐ろしかるべき夜」に人が騒がしく几帳の裏にいるとそれを取り払い「和歌一つ仕うまつれ。さらば許さむ」という直接強制(9-10)、面前で好きものと言ってきた道長に、誰がそんなことを言っているのか心外と返した(15-16)という三例で、全て紫式部が迷惑しつつ、本来は若紫と呼びかけてきた公任のように無視するところ、立場上やむなく返さざるをえない客観的情況が描写されている(今でいうパワハラとセクハラ)。

 この紫式部日記18首中3首道長に対し、私的な紫式部集では126首中道長は2首で、しかもそれは日記と同じ内容(2,10)。つまり道長とは仕事以上の絡みはないし、それ以上絡みたくもないという客観的な表現。

 

 これらすべての記述と構成を無視して、紫式部が道長の妾やソウルメイトのような親密な関係だったという大河などで強力に流布する俗説は、一次資料の文言に基づくのではなく、二次的に紫式部をはずかしめるもの。学者も含めほとんどの人は微妙な原文の意味は自分で確定できず、集団が与えた定義・解釈による。そしてその解釈は、総じて募ったが募集してない的、思い上がりは誇り高い的に権力に都合よく「解釈」された大政翼賛会的妄想に基づく。

 日本でいう「解釈」は、自分達で適当と思う意味を適当に当てることのようだが、それは論理的思考ではない(しかしそうした情緒的反応が日本的な論理ではある。エビデンス・エビデンスと外来語を持ち出すのもその裏返し)。自分達の思いたい意味ではなく、紫式部の総体的・外形的文脈によらなければならない。そして彼女の最大の特徴の一つとして非常に批判的であることがある。そしてこの点に異論はない。なぜその強烈なマインドが道長には適用されない。適用されないと思っているのは通説支持者達でしかなく、そういう強烈な皮肉や批判を大臣・帝にも適用するのが、紫式部が祖と讃えた竹取。道長等への批判的文言を、そんな批判を絶対するはずがないから、紫式部自身に対する自戒だと悉くアクロバティックに曲げる。これが日本的解釈。狭い世界の公頂点思想は独善的な思い上がりを生む。竹取が諸外国を並べたのはその裏返しの象徴表現でもある。

 だから日本古来の王道の思想を知るには、舶来の王道思想に通じる必要があり、それに通じないと雑多な道草に食いつく。なお鹿も道草を食べるようである。
 

 

和歌一覧


 
原文
(黒川本)
現代語訳
(渋谷栄一)
【人定と改訳は当サイト】
1
女郎花
 盛りの
 見るからに
 露
の分きける
 身こそ知らるれ

〔紫式部:道長から歌の催促を受け〕

女郎花の朝露を置いた 盛りの美しい色を 見る【につけて】×とすぐに
露が分け隔てして恩恵を受けないわが身が思い知られます

【取り分け泣ける(女盛りを取られた) その花のようなわが身の物言えぬ心を言わせるな察せられよ】

2
白露
 分きても置かじ
 女郎花
 心からに
 の染むらむ

〔道長〕△白露は花に分け隔てをして置いているのではないでしょう、女郎花が
 自分から美しい色に染まって咲いているのでしょう

【白々しく涙は、特に心にもなく流すものよ、女どもはな。
心からなのか、勝手に色づいて盛んに誘ってくるのは】

3
紀伊の国の
 良の浜に
 拾ふてふ
 この石こそは
 巌ともなれ
〔播磨守〕紀伊の国の白良の浜で拾うという
 この碁石こそは大きな巌ともなるでしょう
4
菊の露
 若ゆばかりに
 袖触れ
 花のあるじに
 千代は譲らむ
〔紫式部〕菊の露にわたしはちょっと若返るくらいに袖を触れることにして
 この花の持ち主であるあなた様に千年の寿命はお譲り申し上げましょう
5
めづらしき
 さしそふ
 さかづきは
 もちながらこそ
 千代もめぐらめ
〔紫式部〕若宮御誕生の祝宴の盃は
 手に持ちながら満月のように欠けることなく人々の手から手へと千年もめぐり続けるでしょう
6
水鳥を
 水の上とや
 よそに見む
 われも浮きたる
 世を過ぐしつつ
〔紫式部〕あの水鳥たちをただ水の上で遊んでいる鳥だと他人事と思われようか
 わたしも同じように浮いたような嫌な人生を過ごしているのだから
7
雲間なく
 ながむる空
 かきくらし
 いかにしのぶる
 時雨れなるらむ
〔小少将の君〕絶え間なく物思いに耽って眺めている空も曇ってきて雨が降り出しました
 時雨は何を恋い忍んで降るのでしょう、実はあなたを思ってなのですよ
8
ことわりの
 時雨れ
 雲間あれど
 ながむる袖ぞ
 乾く間もなき
〔紫式部〕季節どおりに降る時雨れの空には雲間もあるが
 物思いに耽っているわたしは袖の乾く間もありません
9
いかにいかが
 かぞへやるべき
 八千歳の 
 あまり久しき
 君が御代をば
〔紫式部:道長の命令で作った歌〕いったいいかように数えあげたらよいのでしょう幾千年もの
 あまりにも久しい若宮様のお齢を
10
あしたづの
 齢しあらば
 君が代
 千歳の数も
 かぞへとりてむ
〔道長〕わたしにも千年の寿命を保つ鶴ほどの齢があったならば、若宮の御代の
 千年の数もかぞえとることができるだろうよ
11
浮きせし
 水の上のみ
 恋しくて
 鴨の上毛に
 さへぞ劣らぬ
〔紫式部〕ご一緒に仮寝をした宮仕え生活が恋しく思い出されて
 独り寝の夜の冷たさは霜の置く鴨の上毛にも劣りません
12
うちはらふ
 友なきころの
 覚めには
 つがひし鴛鴦ぞ
 夜半に恋し
〔大納言の君〕鴨の上毛に置く霜を互いに払う友もいないころの夜半の寝覚めには
 いつも一緒にいた鴛鴦のようにあなたのことが恋しく思われてなりません
13
おほかりし
 豊の宮人
 さしわきて
 しるき日蔭を
 あはれとぞ見し
〔紫式部:大輔のおもと代筆〕大勢奉仕した豊明節会の人々の中でひときわ目立って
 はっきり見えた日蔭の鬘のあなたをしみじみと拝見しました
14
年暮れて
 わが世更け行く
 風の音に
 心の中の
 すさまじきかな
〔紫式部〕今年も暮れてわたしの齢もまた一つ加わっていくが、夜更けの風の音を聞くにつけても
 わが心の中をなんと寒々としたものが吹き抜けていくことか
15
すきもの
 名にしたてれば
 見る
 折らで過ぐるは
 あらじとぞ思ふ
〔道長〕「あなたは好色者との評判が高いので、見かけた人は
 口説かずに放っておく人はいないと思います」
16
にまだ
 折られぬものを
 たれかこの
 すきものぞとは
 口ならしけむ
〔紫式部〕「誰にもまだなびいたことはないのに、いったい誰がわたしを
 好色者だと言いふらしたのでしょうか
17
よもすがら
 水鶏よりけに
 なくなくぞ
 槙の戸口に
 たたき侘びつる
〔渡殿の戸をたたく人〕一晩中水鶏以上に泣く泣く開けてほしいと
 槙の戸口をたたき続けて思い嘆きました
18
ただならじ
 とばかりたた
 水鶏ゆゑ
 あけてはいかに
 悔しからまし
〔紫式部〕ただごとではないとばかりに、戸をたたくあなた様ゆえに
 戸を開けてはどんなに後悔をしたことでしょう