枕草子160段 心もとなきもの

とくゆかし 枕草子
中巻中
160段
心もとなき
故殿の御服

(旧)大系:160段
新大系:153段、新編全集:154段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず混乱を招くので、以後、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:164段
 


 
 心もとなきもの 人のもとにとみの物縫ひにやりて、いまいまとくるしうゐ入りて、あなたをまもらへたる心地。子倦むべき人の、そのほど過ぐるまでさるけしきもなき。
 遠き所より思ふ人の文を得て、かたく封じたる続飯などあくるほど、いと心もとなし。
 物見におそくいでて、ことなりにけり、しろきしもとなどみつけたるに、近くやり寄するほど、わびしう、下りてもいぬべき心地こそすれ。知られじと思ふ人のあるに、前なる人に教へて物いはせたる。いつしかと待ちいでたるちごの、五十日、百日などのほどになりにたる、行く末いと心もとなし。
 

 とみのもの縫ふに、生暗うて針に糸すぐる。されど、それはさるものにて、ありぬべき所をとらへて、人にすげさするに、それも急げばにやあらむ、とみにもさし入れぬを、「いで、ただなすげそ」といふを、さすがになどてかと思ひ顔にえ去らぬ、にくきさへそひたり。
 

 何事にもあれ、急ぎてものへいくべき折に、まづ我さるべき所へいくとて、ただいまおこせむとて出でぬる車待つほどこそ、いと心もとなけれ。大路いきけるを、さななりとよろこびたれば、外ざまにいぬる、いとくちをし。まいて、物見にいでむとてあるに、「ことはなりぬらむ」と、人のいひたるを聞くこそわびしけれ。
 

 子産みたる後の事のひさしき。物見、寺詣でなどに、もろともにあるべき人を乗せていきたるに、車をさし寄せて、とみにも乗らで待たするを、いと心もとなく、うち捨てても往ぬべき心地ぞする。
 

 また、とみにていり炭おこすも、いとひさし。人の歌の返しとくすべきを、え詠み得ぬほども心もとなし。懸想人などはさしも急ぐまじけれど、おのづからまたさるべきをりもあり。まして、女も、ただにいひかはすことは、ときこそはと思ふほどに、あいなくひがごともあるぞかし。
 

 心地のあしく、もののおそろしき折、夜のあくるほど、いと心もとなし。
 
 

とくゆかし 枕草子
中巻中
160段
心もとなき
故殿の御服