源氏物語 24帖 胡蝶:あらすじ・目次・原文対訳

初音 源氏物語
第一部
第24帖
胡蝶

 
 本ページは、高千穂大名誉教授・渋谷栄一氏の『源氏物語の世界』(目次構成・登場人物・原文・訳文)を参照引用している(全文使用許可あり)。
 ここでは、その原文と現代語訳のページの内容を統合し、レイアウトを整えた。速やかな理解に資すると思うが、詳しい趣旨は上記リンク参照。
 
 

 胡蝶のあらすじ

 光源氏36歳の春から夏の話。

 3月20日頃、源氏は春の町で船楽(ふながく)を催し、秋の町からも秋好中宮【前伊勢斎宮】方の女房たちを招いた。夜も引き続いて管弦や舞が行われ、集まった公卿や親王らも加わった。中でも兵部卿宮(源氏の弟【異母弟】)は玉鬘【頭中将の子、源氏の養女】に求婚する一人で、源氏にぜひにも姫君をと熱心に請うのだった。翌日、秋の町で中宮による季の御読経が催され、船楽に訪れた公卿たちも引き続いて参列した。紫の上は美々しく装った童たちに持たせた供養の花を贈り、中宮と和歌を贈答した。

 夏になり、玉鬘の下へ兵部卿宮、髭黒右大将、柏木【頭中将の子】らから次々と求婚の文が寄せられた。

 それらの品定めをしつつ、いつか玉鬘への思慕を押さえがたくなった【??】源氏は、ある夕暮れにとうとう想いを打ち明け側に添い臥してしまう。源氏の自制でそれ以上の行為はなかったものの、世慣れぬ玉鬘は養父からの思わぬ懸想に困惑するばかりだった。

(以上Wikipedia胡蝶(源氏物語)より。色づけと【】は本ページ)

 ここでは源氏が劣情を催したようになっているがずれている。
 「橘の薫りし袖によそふれば 変はれる身とも思ほえぬかな」
 「袖の香をよそふるからに 橘の身さへはかなくなりもこそすれ」

 これが源氏と玉鬘の歌。
 橘(袖の香)は仕事で構えなかった女が他の男について行き、その後パシリにされる女に再会した象徴アイテム。伊勢物語60段はそういう文脈。
 ここで女子と髭黒。客観的に不釣り合いだから引きとめた。髭黒はそういうネーミング。それについて行った玉蔓はグダグダになる。
 冒頭の前伊勢斎宮は伊勢とのリンクを象徴する存在。だから絵合の巻で伊勢物語を擁護している。なお「秋好中宮」は読者達の呼称で、原文にはない。
 

目次
和歌抜粋内訳#胡蝶(14首:別ページ)
主要登場人物
 
第24帖 胡蝶
 光る源氏の太政大臣時代
 三十六歳の春三月から四月の物語
 
第一章 光る源氏の物語
 春の町の船楽と季の御読経
 第一段 三月二十日頃の春の町の船楽
 第二段 船楽、夜もすがら催される
 第三段 蛍兵部卿宮、玉鬘を思う
 第四段 中宮、春の季の御読経主催す
 第五段 紫の上と中宮和歌を贈答
 
第二章 玉鬘の物語
 初夏の六条院に求婚者たち多く集まる
 第一段 玉鬘に恋人多く集まる
 第二段 玉鬘へ求婚者たちの恋文
 第三段 源氏、玉鬘の女房に教訓す
 第四段 右近の感想
 第五段 源氏、求婚者たちを批評
 
第三章 玉鬘の物語
 夏の雨と養父の恋慕の物語
 第一段 源氏、玉鬘と和歌を贈答
 第二段 源氏、紫の上に玉鬘を語る
 第三段 源氏、玉鬘を訪問し恋情を訴える
 第四段 源氏、自制して帰る
 第五段 苦悩する玉鬘
 出典
 校訂
 

主要登場人物

 

光る源氏(ひかるげんじ)
三十六歳
呼称:大臣の君・主人の大臣・大臣・殿
夕霧(ゆうぎり)
光る源氏の長男
呼称:殿の中将の君・中将の君・殿の中将・中将・君
紫の上(むらさきのうえ)
源氏の正妻
呼称:春の上・上
玉鬘(たまかづら)
内大臣の娘
呼称:西の対の姫君・西の対の御方・対の御方・姫君・女君・君・女
内大臣(ないだいじん)
呼称:内の大殿・父大臣・大臣
蛍兵部卿宮(ほたるひょうぶきょうのみや)
呼称:兵部卿宮・宮・親王・君
柏木(かしわぎ)
呼称:内の大殿の中将・岩漏る中将
秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)
〔六条御息所の娘・斎宮女御・梅壷〕
呼称:中宮・宮
鬚黒大将(ひげくろだいしょう)
呼称:右大将・大将

 
 以上の内容は、全て以下の原文のリンクを参照。秋好中宮の〔〕の説明は本ページ。なお「秋好中宮」は読者の通称で、源氏原文には一度も出てこない。
 
 

変はれる身×橘×袖の香=伊勢60段=転生

 
 さつき待つ花橘の香をかげば
 昔の人の袖の香ぞする (伊勢60段・花橘)
 

 本巻で「変はれる身」「あやしうなつかしき」「かのいにしへ」などが玉鬘の母、夕顔の面影として解釈されるが違う。これは転生の暗示。若い娘なのに古というのはその意味でしかない。変はれる身、さらに橘、袖の香(袖振れ=会うのは多生の縁)とある時点で確定する。前世思想をちりばめている物語というのは争いないだろうに、具体的に描かれると字義を無視して世俗化させるところが前世の理解のなさ。
 源氏は「古代の歌詠みは『唐衣』『袂濡るる』かことこそ離れねな。まろもその列」としている(22玉鬘)。唐衣は伊勢の昔男の妻を象徴する歌詞(伊勢9段東下り)。業平が入り込む余地は全くない。話相手はなぜか花散里であり、花散里は葵没後出現する葵の変わり身。葵は早世した筒井筒=梓弓の女を受けている。大和の筒井の里の女。それに掛けて筒井筒という(河内・龍田川・筒井という地理的配置)。それが梓弓で散った。
 本巻冒頭の歌「風吹けば」は、伊勢の筒井筒の歌の枕詞。1111首ある古今の中で突出して最長の詞書の歌。なのに詠み人知らず。これは表面的には伊勢で筒井筒の女(昔男の妻)が詠んだことになっているからだが、全記述を総合すると伊勢の著者、昔男の歌でしかない。伊勢は昔男の歌物語=ミュージカル。だから貫之は古今の詞書上位10首に6首伊勢の歌を並べ、業平認定された5首ではなく、突出した古今最長を無名の筒井筒にした。この筒井筒・東下りに続く詞書を持つ仲麻呂は万葉末期の歌人であり、この歌を貫之は土佐日記でも取り上げ、かつそこで同じ羇旅の伊勢の渚の院の歌も参照しているのだから、明確な古今以前の歌集の参照性を表している。これら一連の詞書を配置を曲げて古今後の左注とするのは、伊勢を古今後に回して業平認定を維持するための曲解である。伊勢は業平の歌ではなく、無名の扱いきれない歌集(現に唐衣の歌の錯綜した注釈を見よ)を貴族目線の下らない目線に貶めて定義し、一方的断定的に業平歌集とみなし利用されただけ。そういう根拠しかない。ただ業平認定のみに基づき、他の全てを右を左に好き勝手分断して曲げる業平説。
 

 風吹けば沖つ白浪龍田山 夜半にや君がひとり越ゆらむ(伊勢23段)
 風吹けば波の花さへ色見えて こや名に立てる山吹の崎(♪358)
 
 つまりこれは伊勢の引き歌、本歌取りである。序詞とかではない。序詞も縁語も廃止した方がいい。序詞というが導く根拠を常に示さない。縁語も何となくで何とでも言う。縛りのある掛詞すら文脈無視の思いつきで羅列する。そんな後付けの学者的分類をして理解が進むと思えるのが理解のなさ。歌を詠む時の発想ではない。歌を詠む時の基本、それは史上最高実力者の歌、その世界観を血肉にすることである。それが業平のものとされる理解と世界観のレベル。そういう目線の解釈レベル。それが限界。古今の参照ではない。そうではなく伊勢を別格に重んじていることは、竹取と並べて「伊勢の海の深き心」を厚く議論する絵合から明らか。業平にそんな海ほど深い心があるとは一般にされていないので、業平の歌集や歌ではありえないという意味である。
 
 

原文対訳

和歌 定家本
(大島本
現代語訳
(渋谷栄一)
  胡蝶
 
 

第一章 光る源氏の物語 春の町の船楽と季の御読経

 
 

第一段 三月二十日頃の春の町の船楽

 
   弥生の二十日あまりのころほひ、春の御前のありさま、常よりことに尽くして匂ふ花の色、鳥の声、ほかの里には、まだ古りぬにやと、めづらしう見え聞こゆ。
 山の木立、中島のわたり、色まさる苔のけしきなど、若き人びとのはつかに心もとなく思ふべかめるに、唐めいたる舟造らせたまひける、急ぎ装束かせたまひて、下ろし始めさせたまふ日は、雅楽寮の人召して、舟の楽せらる。
 親王たち上達部など、あまた参りたまへり。
 
 三月の二十日過ぎのころ、春の御殿のお庭先の景色は、例年より殊に盛りを極めて照り映える花の色、鳥の声は、他の町の方々では、まだ盛りを過ぎないのかしらと、珍しく見えもし聞こえもする。
 築山の木立、中島の辺り、色を増した苔の風情など、若い女房たちがわずかしか見られないのをもどかしく思っているようなので、唐風に仕立てた舟をお造らせになっていたのを、急いで装備させなさって、初めて池に下ろさせなさる日は、雅楽寮の人をお召しになって、舟楽をなさる。
 親王方、上達部など、大勢参上なさっていた。
 
   中宮、このころ里におはします。
 かの「春待つ園は」と励ましきこえたまへりし御返りもこのころやと思し、大臣の君も、いかでこの花の折、御覧ぜさせむと思しのたまへど、ついでなくて軽らかにはひわたり、花をももてあそびたまふべきならねば、若き女房たちの、ものめでしぬべきを舟に乗せたまうて、南の池の、こなたに通しかよはしなさせたまへるを、小さき山を隔ての関に見せたれど、その山の崎より漕ぎまひて、東の釣殿に、こなたの若き人びと集めさせたまふ。
 
 中宮は、このころ里邸に下がっていらっしゃる。
 あの「春を待つお庭は」とお挑み申されたお返事もこのころがよい時期かとお思いになり、大臣の君も、ぜひともこの花の季節を、御覧に入れたいとお思いになりおっしゃるが、よい機会がなくて気軽にお越しになり、花を御鑑賞なさることもできないので、若い女房たちで、きっと喜びそうな人々を舟にお乗せになって、南の池が、こちら側に通じるようにお造らせになっているので、小さい築山を隔ての関に見せているが、その築山の崎から漕いで回って来て、東の釣殿に、こちら方の若い女房たちを集めさせなさる。
 
   龍頭鷁首を、唐のよそひにことことしうしつらひて、楫取の棹さす童べ、皆みづら結ひて、唐土だたせて、さる大きなる池の中にさし出でたれば、まことの知らぬ国に来たらむ心地して、あはれにおもしろく、見ならはぬ女房などは思ふ。
 
 龍頭鷁首を、唐風の装飾に仰々しく飾って、楫取りの棹をさす童は、皆角髪を結って、唐土風にして、その大きな池の中に漕ぎ出たので、ほんとうに見知らない外国に来たような気分がして、素晴らしくおもしろいと、見馴れていない女房などは思う。
 
   中島の入江の岩蔭にさし寄せて見れば、はかなき石のたたずまひも、ただ絵に描いたらむやうなり。
 こなたかなた霞みあひたる梢ども、錦を引きわたせるに、御前の方ははるばると見やられて、色をましたる柳、枝を垂れたる、花もえもいはぬ匂ひを散らしたり。
 ほかには盛り過ぎたる桜も、今盛りにほほ笑み、廊をめぐれる藤の色も、こまやかに開けゆきにけり。
 まして池の水に影を写したる山吹、岸よりこぼれていみじき盛りなり。
 水鳥どもの、つがひを離れず遊びつつ、細き枝どもを食ひて飛びちがふ、鴛鴦の波の綾に紋を交じへたるなど、ものの絵やうにも描き取らまほしき、まことに斧の柄も朽たいつべう思ひつつ、日を暮らす。
 
 中島の入江の岩蔭に漕ぎ寄せて眺めると、ちょっとした立石の様子も、まるで絵に描いたようである。
 あちらこちら霞がたちこめている梢々、錦を張りめぐらしたようで、御前の方は遥々と遠くに望まれて、色濃くなった柳が、枝を垂れている、花も何ともいえない素晴らしい匂いを漂わせている。
 他では盛りを過ぎた桜も、今を盛りに咲き誇り、渡廊を回るの藤の花の色も、紫濃く咲き初めているのであった。
 それ以上に池の水に姿を写している山吹、岸から咲きこぼれてまっ盛りである。
 水鳥たちが、番で離れずに遊びながら、細い枝をくわえて飛びちがっている、鴛鴦が波の綾に紋様を交えているのなど、何かの図案に写し取りたいくらいで、ほんとうに斧の柄も朽ちてしまいそうに面白く思いながら、一日中暮らす。
 
 

358
 「風吹けば 波の花さへ 色見えて
 こや名に立てる 山吹の崎」
 「風が吹くと波の花までが色を映して見えますが
  これが有名な山吹の崎でしょうか」
 

359
 「春の池や 井手の川瀬に かよふらむ
 岸の山吹 そこも匂へり」
 「春の御殿の池は井手の川瀬まで通じているのでしょうか
  岸の山吹が水底にまで咲いて見えますこと」
 

360
 「亀の上の 山も尋ねじ 舟のうちに
 老いせぬ名をば ここに残さむ」
 「蓬莱山まで訪ねて行く必要もありません
  この舟の中で不老の名を残しましょう」
 

361
 「春の日の うららにさして ゆく舟は
 棹のしづくも 花ぞ散りける」
 「春の日のうららかな中を漕いで行く舟は
  棹のしずくも花となって散ります」
 
   などやうの、はかなごとどもを、心々に言ひ交はしつつ、行く方も帰らむ里も忘れぬべう、若き人びとの心を移すに、ことわりなる水の面になむ。
 
 などというような、とりとめもない和歌を、思い思いに詠み交わしながら、行く先も帰り路も忘れてしまいそうに、若い女房たちが心を奪われるのも、もっともな池の表面の美しさである。
 
 
 

第二段 船楽、夜もすがら催される

 
   暮れかかるほどに、「皇じやう」といふ楽、いとおもしろく聞こゆるに、心にもあらず、釣殿にさし寄せられて下りぬ。
 ここのしつらひ、いとこと削ぎたるさまに、なまめかしきに、御方々の若き人どもの、われ劣らじと尽くしたる装束、容貌、花をこき交ぜたる錦に劣らず見えわたる。
 世に目馴れずめづらかなる楽ども仕うまつる。
 舞人など、心ことに選ばせたまひて。
 
 日が暮れるころ、「おうじょう」という楽が、たいそう面白く聞こえる中を、残念ながら、釣殿に漕ぎ寄せられて降りた。
 ここの飾り、たいそう簡略な造りで、優美であって、御方々の若い女房たちが、自分こそは負けまいと心を尽くした装束、器量、花を混ぜた春の錦に劣らないように見渡される。
 世にも珍しい楽の音をいくつも演奏する。
 舞人など、特に選ばせなさって。
 
   夜に入りぬれば、いと飽かぬ心地して、御前の庭に篝火ともして、御階のもとの苔の上に、楽人召して、上達部、親王たちも、皆おのおの弾きもの、吹きものとりどりにしたまふ。
 
 夜になったので、たいそうまだ飽き足りない心地がして、御前の庭に篝火を燈して、御階のもとの苔の上に、楽人を召して、上達部、親王たちも、皆それぞれの弦楽器や、管楽器などをお得意の演奏をなさる。
 
   物の師ども、ことにすぐれたる限り、双調吹きて、上に待ちとる御琴どもの調べ、いとはなやかにかき立てて、「安名尊」遊びたまふほど、「生けるかひあり」と、何のあやめも知らぬ賤の男も、御門のわたり隙なき馬、車の立処に混じりて、笑みさかえ聞きにけり。
 
 音楽の師匠たちで、特に優れた人たちだけが、双調を吹いて、階上で待ち受けて合わせるお琴の調べを、とてもはなやかにかき鳴らして、「安名尊」を合奏なさるほどは、「生きていた甲斐があった」と、何も分からない身分の低い男までも、御門近くにびっしり並んだ馬、牛車の立っている間に混じって、顔に笑みを浮かべて聞いていた。
 
   空の色、物の音も、春の調べ、響きは、いとことにまさりけるけぢめを、人びと思し分くらむかし。
 夜もすがら遊び明かしたまふ。
 返り声に「喜春楽」立ちそひて、兵部卿宮、「青柳」折り返しおもしろく歌ひたまふ。
 主人の大臣も言加へたまふ。
 
 空の色も、楽の音も、春の調べと、響きあって、格別に優れている違いを、ご一同はお分かりになるであろう。
 一晩中遊び明かしなさる。
 返り声に「喜春楽」が加わって、兵部卿宮が、「青柳」を繰り返し美しくお謡いになる。
 ご主人の大臣もお声を添えなさる。
 
 
 

第三段 蛍兵部卿宮、玉鬘を思う

 
   夜も明けぬ。
 朝ぼらけの鳥のさへづりを、中宮はもの隔てて、ねたう聞こし召しけり。
 いつも春の光を籠めたまへる大殿なれど、心をつくるよすがのまたなきを、飽かぬことに思す人びともありけるに、西の対の姫君、こともなき御ありさま、大臣の君も、わざと思しあがめきこえたまふ御けしきなど、皆世に聞こえ出でて、思ししもしるく、心なびかしたまふ人多かるべし。
 
 夜も明けてしまった。
 朝ぼらけの鳥の囀りを、中宮は築山を隔てて、悔しくお聞きあそばすのであった。
 いつも春の光がいっぱいに満ちている六条院であるが、思いを寄せる姫君のいないのが残念なことにお思いになる方々もいたが、西の対の姫君、何一つ欠点のないご器量を、大臣の君も、特別に大事にしていらっしゃるご様子など、すっかり世間の評判となって、ご予想どおりに心をお寄せになる人々が多いようである。
 
   わが身さばかりと思ひ上がりたまふ際の人こそ、便りにつけつつ、けしきばみ、言出で聞こえたまふもありけれ、えしもうち出でぬ中の思ひに燃えぬべき若君達などもあるべし。
 そのうちに、ことの心を知らで、内の大殿の中将などは、好きぬべかめり。
 
 自分こそ適任者だと自負なさっている身分の方は、つてを求め求めしては、ほのめかし、口に出して申し上げなさる方もあったが、口には出せずに心中思い焦がれている若い公達などもいるのであろう。
 その中で、事情を知らないで、内の大殿の中将などは、思いを寄せてしまったようである。
 
   兵部卿宮はた、年ごろおはしける北の方も亡せたまひて、この三年ばかり、独り住みにてわびたまへば、うけばりて今はけしきばみたまふ。
 
 兵部卿宮は宮で、長年お連れ添いになった北の方もお亡くなりになって、ここ三年ばかり独身で淋しがっていらっしゃったので、気兼ねなく今は求婚なさる。
 
   今朝も、いといたうそら乱れして、藤の花をかざして、なよびさうどきたまへる御さま、いとをかし。
 大臣も、思ししさまかなふと、下には思せど、せめて知らず顔をつくりたまふ。
 
 今朝も、とてもひどく酔ったふりをして、藤の花を冠に挿して、しなやかに振る舞っていらっしゃるご様子、まこと優雅である。
 大臣も、お考えになっていたとおりになったと、心の底ではお思いになるが、しいて知らない顔をなさる。
 
   御土器のついでに、いみじうもて悩みたまうて、  ご酒宴の折に、ひどく苦しそうになさって、
   「思ふ心はべらずは、まかり逃げはべりなまし。
 いと堪へがたしや」
 「内心思うことがございませんでしたら、逃げ出したいところでございます。
 とてもたまりません」
   とすまひたまふ。
 
 とお杯をご辞退なさる。
 
 

362
 「紫の ゆゑに心を しめたれば
 淵に身投げむ 名やは惜しけき」
 「ゆかりのある方に思いを懸けていますので
  淵に身を投げても名誉は惜しくもありません」
 
   とて、大臣の君に、同じかざしを参りたまふ。
 いといたうほほ笑みたまひて、
 と詠んで、大臣の君に、同じ藤の插頭を差し上げなさる。
 とてもたいそうほほ笑みなさって、
 

363
 「淵に身を 投げつべしやと この春は
 花のあたりを 立ち去らで見よ」
 「淵に身を投げるだけの価値があるかどうか
  この春の花の近くを離れないでよく御覧なさい」
 
   と切にとどめたまへば、え立ちあかれたまはで、今朝の御遊び、ましていとおもしろし。
 
 と無理にお引き止めなさるので、お帰りになることもできないで、今朝の御遊びは、いっそう面白くなる。
 
 
 

第四段 中宮、春の季の御読経主催す

 
   今日は、中宮の御読経の初めなりけり。
 やがてまかでたまはで、休み所とりつつ、日の御よそひに替へたまふ人びとも多かり。
 障りあるは、まかでなどもしたまふ。
 
 今日は、中宮の御読経の初日なのであった。
 そのままお帰りにならず、めいめい休息所をとって、昼のご装束にお召し替えになる方々も多くいた。
 都合のある方は、退出などもなさる。
 
   午の時ばかりに、皆あなたに参りたまふ。
 大臣の君をはじめたてまつりて、皆着きわたりたまふ。
 殿上人なども、残るなく参る。
 多くは、大臣の御勢ひにもてなされたまひて、やむごとなく、いつくしき御ありさまなり。
 
 午の刻ころに、皆あちらの町に参上なさる。
 大臣の君をお始めとして、皆席にずらりとお着きになる。
 殿上人なども、残らず参上なさる。
 多くは、大臣のご威勢に助けられなさって、高貴で、堂々とした立派な御法会の様子である。
 
   春の上の御心ざしに、仏に花たてまつらせたまふ。
 鳥蝶に装束き分けたる童べ八人、容貌などことに整へさせたまひて、鳥には、銀の花瓶に桜をさし、蝶は、金の瓶に山吹を、同じき花の房いかめしう、世になき匂ひを尽くさせたまへり。
 
 春の上からの供養のお志として、仏に花を供えさせなさる。
 鳥と蝶とにし分けた童女八人は、器量などを特にお揃えさせなさって、鳥には、銀の花瓶に桜を挿し、蝶には、黄金の瓶に山吹を、同じ花でも房がたいそうで、世にまたとないような色艶のものばかりを選ばせなさった。
 
   南の御前の山際より漕ぎ出でて、御前に出づるほど、風吹きて、瓶の桜すこしうち散りまがふ。
 いとうららかに晴れて、霞の間より立ち出でたるは、いとあはれになまめきて見ゆ。
 わざと平張なども移されず、御前に渡れる廊を、楽屋のさまにして、仮に胡床どもを召したり。
 
 南の御前の山際から漕ぎ出して、庭先に出るころ、風が吹いて、瓶の桜が少し散り交う。
 まことにうららかに晴れて、霞の間から現れ出たのは、とても素晴らしく優美に見える。
 わざわざ平張なども移させず、御殿に続いている渡廊を、楽屋のようにして、臨時に胡床をいくつも用意した。
 
   童べども、御階のもとに寄りて、花どもたてまつる。
 行香の人びと取り次ぎて、閼伽に加へさせたまふ。
 
 童女たちが、御階の側に寄って、幾種もの花を奉る。
 行香の人々が取り次いで、閼伽棚にお加えさせになる。
 
 
 

第五段 紫の上と中宮和歌を贈答

 
   御消息、殿の中将の君して聞こえたまへり。
 
 お手紙、殿の中将の君から差し上げさせなさった。
 
 

364
 「花園の 胡蝶をさへや 下草に
 秋待つ虫は うとく見るらむ」
 「花園の胡蝶までを下草に隠れて
  秋を待っている松虫はつまらないと思うのでしょうか」
 
   宮、「かの紅葉の御返りなりけり」と、ほほ笑みて御覧ず。
 昨日の女房たちも、
 中宮は、「あの紅葉の歌のお返事だわ」と、ほほ笑んで御覧あそばす。
 昨日の女房たちも、
   「げに、春の色は、え落とさせたまふまじかりけり」  「なるほど、春の美しさは、とてもお負かせになれないわ」
   と、花におれつつ聞こえあへり。
 鴬のうららかなる音に、「鳥の楽」はなやかに聞きわたされて、池の水鳥もそこはかとなくさへづりわたるに、「急」になり果つるほど、飽かずおもしろし。
 「蝶」は、ましてはかなきさまに飛び立ちて、山吹の籬のもとに、咲きこぼれたる花の蔭に舞ひ出づる。
 
 と、花にうっとりして口々に申し上げていた。
 鴬のうららかな声に、「鳥の楽」がはなやかに響きわたって、池の水鳥もあちこちとなく囀りわたっているうちに、「急」になって終わる時、名残惜しく面白い。
 「蝶の楽」は、「鳥の楽」以上にひらひらと舞い上がって、山吹の籬のもとに咲きこぼれている花の蔭から舞い出る。
 
   宮の亮をはじめて、さるべき上人ども、禄取り続きて、童べに賜ぶ。
 鳥には桜の細長、蝶には山吹襲賜はる。
 かねてしも取りあへたるやうなり。
 物の師どもは、白き一襲、腰差など、次ぎ次ぎに賜ふ。
 中将の君には、藤の細長添へて、女の装束かづけたまふ。
 御返り、
 中宮の亮をはじめとして、しかるべき殿上人たちが、禄を取り次いで、童女に賜る。
 鳥には桜襲の細長、蝶には山吹襲の細長を賜る。
 前々から準備してあったかのようである。
 楽の師匠たちには、白の一襲、巻絹などを、身分に応じて賜る。
 中将の君には、藤襲の細長を添えて、女装束をお与えになる。
 お返事は、
   「昨日は音に泣きぬべくこそは。
 
 「昨日は声を上げて泣いてしまいそうでした。
 
 

365
 胡蝶にも 誘はれなまし 心ありて
 八重山吹を 隔てざりせば」
  胡蝶にもつい誘われたいくらいでした
  八重山吹の隔てがありませんでしたら」
 
   とぞありける。
 すぐれたる御労どもに、かやうのことは堪へぬにやありけむ、思ふやうにこそ見えぬ御口つきどもなめれ。
 
 とあったのだ。
 優れた経験豊かなお二方に、このような論争は荷がかち過ぎたのであろうか、想像したほどに見えないお詠みぶりのようである。
 
   まことや、かの見物の女房たち、宮のには、皆けしきある贈り物どもせさせたまうけり。
 さやうのこと、くはしければむつかし。
 
 そうそう、あの見物の女房たちで、宮付きの人々には、皆結構な贈り物をいろいろとお遣わしになった。
 そのようなことは、こまごまとしたことなので厄介である。
 
   明け暮れにつけても、かやうのはかなき御遊びしげく、心をやりて過ぐしたまへば、さぶらふ人も、おのづからもの思ひなき心地してなむ、こなたかなたにも聞こえ交はしたまふ。
 
 朝に夕につけ、このようなちょっとしたお遊びも多く、ご満足にお過ごしになっているので、仕えている女房たちも、自然と憂いがないような気持ちがして、あちらとこちらとお互いにお手紙のやりとりをなさっている。
 
 
 

第二章 玉鬘の物語 初夏の六条院に求婚者たち多く集まる

 
 

第一段 玉鬘に恋人多く集まる

 
   西の対の御方は、かの踏歌の折の御対面の後は、こなたにも聞こえ交はしたまふ。
 深き御心もちゐや、浅くもいかにもあらむ、けしきいと労あり、なつかしき心ばへと見えて、人の心隔つべくもものしたまはぬ人ざまなれば、いづ方にも皆心寄せきこえたまへり。
 
 西の対の御方は、あの踏歌の時のご対面以後は、こちらともお手紙を取り交わしなさる。
 深いお心用意という点では、浅いとかどうかという欠点もあるかも知れないが、態度がとてもしっかりしていて、親しみやすい性格に見えて、気のおけるようなところもおありでない性格の方なので、どの御方におかれても皆好意をお寄せ申し上げていらっしゃる。
 
   聞こえたまふ人いとあまたものしたまふ。
 されど、大臣、おぼろけに思し定むべくもあらず、わが御心にも、すくよかに親がり果つまじき御心や添ふらむ、「父大臣にも知らせやしてまし」など、思し寄る折々もあり。
 
 言い寄るお方も大勢いらっしゃる。
 けれども、大臣は、簡単にはお決めになれそうにもなく、ご自身でもちゃんと父親らしく通すことができないようなお気持ちもあるのだろうか、「実の父大臣にも知らせてしまおうかしら」などと、お考えになる時々もある。
 
   殿の中将は、すこし気近く、御簾のもとなどにも寄りて、御応へみづからなどするも、女はつつましう思せど、さるべきほどと人びとも知りきこえたれば、中将はすくすくしくて思ひも寄らず。
 
 殿の中将は、少しお側近く、御簾の側などにも寄って、お返事をご自身でなさったりするのを、女は恥ずかしくお思いになるが、しかるべきお間柄と女房たちも存じ上げているので、中将はきまじめで思いもかけない。
 
   内の大殿の君たちは、この君に引かれて、よろづにけしきばみ、わびありくを、その方のあはれにはあらで、下に心苦しう、「まことの親にさも知られたてまつりにしがな」と、人知れぬ心にかけたまへれど、さやうにも漏らしきこえたまはず、ひとへにうちとけ頼みきこえたまふ心むけなど、らうたげに若やかなり。
 似るとはなけれど、なほ母君のけはひにいとよくおぼえて、これはかどめいたるところぞ添ひたる。
 
 内の大殿の公達は、この中将の君にくっついて、何かと意中をほのめかし、切ない思いにうろうろするが、そうした恋心の気持ちでなく、内心つらく、「実の親に子供だと知って戴きたいものだ」と、人知れず思い続けていらっしゃるが、そのようにはちょっとでもお申し上げにならず、ひたすらご信頼申し上げていらっしゃる心づかいなど、かわいらしく若々しい。
 似ているというのではないが、やはり母君の感じにとてもよく似ていて、こちらは才気が加わっていた。
 
 
 

第二段 玉鬘へ求婚者たちの恋文

 
   更衣の今めかしう改まれるころほひ、空のけしきなどさへ、あやしうそこはかとなくをかしきを、のどやかにおはしませば、よろづの御遊びにて過ぐしたまふに、対の御方に、人びとの御文しげくなりゆくを、「思ひしこと」とをかしう思いて、ともすれば渡りたまひつつ御覧じ、さるべきには御返りそそのかしきこえたまひなどするを、うちとけず苦しいことに思いたり。
 
 衣更のはなやかに改まったころ、空の様子などまでが、不思議とどことなく趣があって、のんびりとしていらっしゃるので、あれこれの音楽のお遊びを催してお過ごしになっていると、対の御方に、人々の懸想文が多くなって行くのを、「思っていた通りだ」と面白くお思いになって、何かというとお越しになっては御覧になって、しかるべき相手にはお返事をお勧め申し上げなさったりなどするのを、気づまりなつらいこととお思いになっている。
 
   兵部卿宮の、ほどなく焦られがましきわびごとどもを書き集めたまへる御文を御覧じつけて、こまやかに笑ひたまふ。
 
 兵部卿宮が、まだ間もないのに恋い焦がれているような怨み言を書き綴っていらっしゃるお手紙をお見つけになって、にこやかにお笑いになる。
 
   「はやうより隔つることなう、あまたの親王たちの御中に、この君をなむ、かたみに取り分きて思ひしに、ただかやうの筋のことなむ、いみじう隔て思うたまひてやみにしを、世の末に、かく好きたまへる心ばへを見るが、をかしうもあはれにもおぼゆるかな。
 なほ、御返りなど聞こえたまへ。
 すこしもゆゑあらむ女の、かの親王よりほかに、また言の葉を交はすべき人こそ世におぼえね。
 いとけしきある人の御さまぞや」
 「子供のころから分け隔てなく、大勢の親王たちの中で、この君とは、特に互いに親密に思ってきたのだが、ただこのような恋愛の事だけは、ひどく隠し通してきてしまったのだが、この年になって、このような風流な心を見るのが、面白くもあり感に耐えないことでもあるよ。
 やはり、お返事など差し上げなさい。
 少しでもわきまえのあるような女性で、あの親王以外に、また歌のやりとりのできる人がいるとは思えません。
 とても優雅なところのあるお人柄ですよ」
   と、若き人はめでたまひぬべく聞こえ知らせたまへど、つつましくのみ思いたり。
 
 と、若い女性は夢中になってしまいそうにお聞かせになるが、恥ずかしがってばかりいらっしゃった。
 
   右大将の、いとまめやかに、ことことしきさましたる人の、「恋の山には孔子の倒ふれ」まねびつべきけしきに愁へたるも、さる方にをかしと、皆見比べたまふ中に、唐の縹の紙の、いとなつかしう、しみ深う匂へるを、いと細く小さく結びたるあり。
 
 右大将で、たいそう実直で、ものものしい態度をした人が、「恋の山路では孔子も転ぶ」の真似でもしそうな様子に嘆願しているのも、そのような人の恋として面白いと、全部をご比較なさる中で、唐の縹の紙で、とてもやさしく、深くしみ込んで匂っているのを、とても細く小さく結んだのがある。
 
   「これは、いかなれば、かく結ぼほれたるにか」  「これは、どういう理由で、このように結んだままなのですか」
   とて、引き開けたまへり。
 手いとをかしうて、
 と言って、お開きになった。
 筆跡はとても見事で、
 

366
 「思ふとも 君は知らじな わきかへり
 岩漏る水に 色し見えねば」
 「こんなに恋い焦がれていてもあなたはご存知ないでしょうね
  湧きかえって岩間から溢れる水には色がありませんから」
 
   書きざま今めかしうそぼれたり。
 
 書き方も当世風でしゃれていた。
 
   「これはいかなるぞ」  「これはどうした文なのですか」
   と問ひきこえたまへど、はかばかしうも聞こえたまはず。
 
 とお尋ねになったが、はっきりとはお答えにならない。
 
 
 

第三段 源氏、玉鬘の女房に教訓す

 
   右近を召し出でて、  右近を呼び出して、
   「かやうに訪づれきこえむ人をば、人選りして、応へなどはせさせよ。
 好き好きしうあざれがましき今やうの人の、便ないことし出でなどする、男の咎にしもあらぬことなり。
 
 「このように手紙を差し上げる方を、よく人選して、返事などさせなさい。
 浮気で軽薄な新しがりやな女が、不都合なことをしでかすのは、男の罪とも言えないのだ。
 
   我にて思ひしにも、あな情けな、恨めしうもと、その折にこそ、無心なるにや、もしはめざましかるべき際は、けやけうなどもおぼえけれ、わざと深からで、花蝶につけたる便りごとは、心ねたうもてないたる、なかなか心立つやうにもあり。
 また、さて忘れぬるは、何の咎かはあらむ。
 
 自分の経験から言っても、ああ何と薄情な、恨めしいと、その時は、情趣を解さない女なのか、もしくは身の程をわきまえない生意気な女だと思ったが、特に深い思いではなく、花や蝶に寄せての便りには、男を悔しがらせるように返事をしないのは、かえって熱心にさせるものです。
 また、それで男の方がそのまま忘れてしまうのは、女に何の罪がありましょうか。
 
   ものの便りばかりのなほざりごとに、口疾う心得たるも、さらでありぬべかりける、後の難とありぬべきわざなり。
 すべて、女のものづつみせず、心のままに、もののあはれも知り顔つくり、をかしきことをも見知らむなむ、その積もりあぢきなかるべきを、宮、大将は、おほなおほななほざりごとをうち出でたまふべきにもあらず、またあまりもののほど知らぬやうならむも、御ありさまに違へり。
 
 何かの折にふと思いついたようないいかげんな恋文に、すばやく返事をするものと心得ているのも、そうしなくてもよいことで、後々に難を招く種となるものです。
 総じて、女が遠慮せず、気持ちのままに、ものの情趣を分かったような顔をして、興あることを知っているというのも、その結果よからぬことに終わるものですが、宮や、大将は、見境なくいいかげんなことをおっしゃるような方ではないし、また、あまり情を解さないようなのも、あなたに相応しくないことです。
 
   その際より下は、心ざしのおもむきに従ひて、あはれをも分きたまへ。
 労をも数へたまへ」
 この方々より下の人には、相手の熱心さの度合に応じて、愛情のほどを判断しなさい。
 熱意のほどをも考えなさい」
   など聞こえたまへば、君はうち背きておはする、側目いとをかしげなり。
 撫子の細長に、このころの花の色なる御小袿、あはひ気近う今めきて、もてなしなども、さはいへど、田舎びたまへりし名残こそ、ただありに、おほどかなる方にのみは見えたまひけれ、人のありさまをも見知りたまふままに、いとさまよう、なよびかに、化粧なども、心してもてつけたまへれば、いとど飽かぬところなく、はなやかにうつくしげなり。
 他人と見なさむは、いと口惜しかべう思さる。
 
 などと申し上げなさるので、姫君は横を向いていらっしゃる、その横顔がとても美しい。
 撫子の細長に、この季節の花の色の御小袿、色合いが親しみやすく現代的で、物腰などもそうはいっても、田舎くさいところが残っていたころは、ただ素朴で、おっとりとしたふうにばかりお見えであったが、御方々の有様を見てお分かりになっていくにつれて、とても姿つきもよく、しとやかに、化粧なども気をつけてなさっているので、ますます足らないところもなく、はなやかでかわいらしげである。
 他人の妻とするのは、まことに残念に思わずにはいらっしゃれない。
 
 
 

第四段 右近の感想

 
   右近も、うち笑みつつ見たてまつりて、「親と聞こえむには、似げなう若くおはしますめり。
 さし並びたまへらむはしも、あはひめでたしかし」と、思ひゐたり。
 
 右近も、ほほ笑みながら拝見して、「親と申し上げるには、似合わない若くていらっしゃるようだ。
 ご夫婦でいらっしゃったほうが、お似合いで素晴しろう」と、思っていた。
 
   「さらに人の御消息などは、聞こえ伝ふることはべらず。
 先々も知ろしめし御覧じたる三つ、四つは、引き返し、はしたなめきこえむもいかがとて、御文ばかり取り入れなどしはべるめれど、御返りは、さらに。
 聞こえさせたまふ折ばかりなむ。
 それをだに、苦しいことに思いたる」
 「けっして殿方のお手紙などは、お取り次ぎ申したことはございません。
 以前からご存知で御覧になった三、四通の手紙は、突き返して、失礼申し上げてもどうかと思って、お手紙だけは受け取ったりなど致しておりますようですが、お返事は一向に。
 お勧めあそばす時だけでございます。
 それだけでさえ、つらいことに思っていらっしゃいます」
   と聞こゆ。
 
 と申し上げる。
 
   「さて、この若やかに結ぼほれたるは誰がぞ。
 いといたう書いたるけしきかな」
 「ところで、この若々しく結んであるのは誰のだ。
 たいそう綿々と書いてあるようだな」
   と、ほほ笑みて御覧ずれば、  と、にっこりして御覧になると、
   「かれは、執念うとどめてまかりにけるにこそ。
 内の大殿の中将の、このさぶらふみるこをぞ、もとより見知りたまへりける、伝へにてはべりける。
 また見入るる人もはべらざりしにこそ」
 「あれは、しつこく言って置いて帰ったものです。
 内の大殿の中将が、ここに仕えているみるこを、以前からご存知だった、その伝てでことずかったのでございます。
 また他には目を止めるような人はございませんでした」
   と聞こゆれば、  と申し上げると、
   「いとらうたきことかな。
 下臈なりとも、かの主たちをば、いかがいとさははしたなめむ。
 公卿といへど、この人のおぼえに、かならずしも並ぶまじきこそ多かれ。
 さるなかにも、いとしづまりたる人なり。
 おのづから思ひあはする世もこそあれ。
 掲焉にはあらでこそ、言ひ紛らはさめ。
 見所ある文書きかな」
 「たいそうかわいらしいことだな。
 身分が低くとも、あの人たちを、どうしてそのように失礼な目に遭わせることができようか。
 公卿といっても、この人の声望に、必ずしも匹敵するとは限らない人が多いのだ。
 そうした人の中でも、たいそう沈着な人である。
 いつかは分かる時が来よう。
 はっきり言わずに、ごまかしておこう。
 見事な手紙であるよ」
   など、とみにもうち置きたまはず。
 
 などと、すぐには下にお置きにならない。
 
 
 

第五段 源氏、求婚者たちを批評

 
   「かう何やかやと聞こゆるをも、思すところやあらむと、ややましきを、かの大臣に知られたてまつりたまはむことも、まだ若々しう何となきほどに、ここら年経たまへる御仲にさし出でたまはむことは、いかがと思ひめぐらしはべる。
 なほ世の人のあめる方に定まりてこそは、人びとしう、さるべきついでもものしたまはめと思ふを。
 
 「このようにいろいろとご注意申し上げるのも、ご不快にお思いになることもあろうかと、気がかりですが、あの大臣に知っていただかれなさることも、まだ世間知らずで何の後楯もないままに、長年離れていた兄弟のお仲間入りをなさることは、どうかといろいろと思案しているのです。
 やはり世間の人が落ち着くようなところに落ち着けば、人並みの境遇で、しかるべき機会もおありだろうと思っていますよ。
 
   宮は、独りものしたまふやうなれど、人柄いといたうあだめいて、通ひたまふ所あまた聞こえ、召人とか、憎げなる名のりする人どもなむ、数あまた聞こゆる。
 
 宮は、独身でいらっしゃるようですが、人柄はたいそう浮気っぽくて、お通いになっている所が多いというし、召人とかいう憎らしそうな名の者が、数多くいるということです。
 
   さやうならむことは、憎げなうて見直いたまはむ人は、いとようなだらかにもて消ちてむ。
 すこし心に癖ありては、人に飽かれぬべきことなむ、おのづから出で来ぬべきを、その御心づかひなむあべき。
 
 そのようなことは、憎く思わず大目に見過されるような人なら、とてもよく穏便にすますでしょう。
 少し心に嫉妬の癖があっては、夫に飽きられてしまうことが、やがて生じて来ましょうから、そのお心づかいが大切です。
 
   大将は、年経たる人の、いたうねび過ぎたるを、厭ひがてにと求むなれど、それも人びとわづらはしがるなり。
 さもあべいことなれば、さまざまになむ、人知れず思ひ定めかねはべる。
 
 大将は、長年連れ添った北の方が、ひどく年を取ったのに、嫌気がさしてと求婚しているということですが、それも回りの人々が面倒なことだと思っているようです。
 それも当然なことなので、それぞれに、人知れず思い定めかねております。
 
   かうざまのことは、親などにも、さはやかに、わが思ふさまとて、語り出でがたきことなれど、さばかりの御齢にもあらず。
 今は、などか何ごとをも御心に分いたまはざらむ。
 まろを、昔ざまになずらへて、母君と思ひないたまへ。
 御心に飽かざらむことは、心苦しく」
 このような問題は、親などにも、はっきりと、自分の考えはこうこうだといって、話し出しにくいことであるが、それ程のお年でもない。
 今は、何事でもご自分で判断がおできになれましょう。
 わたしを、亡くなった方と同様に思って、母君とお思いになって下さい。
 お気持に添わないことは、お気の毒で」
   など、いとまめやかにて聞こえたまへば、苦しうて、御応へ聞こえむともおぼえたまはず。
 いと若々しきもうたておぼえて、
 などと、たいそう真面目にお申し上げになるので、困ってしまって、お返事申し上げようというお気持ちにもなれない。
 あまり子供っぽいのも愛嬌がないと思われて、
   「何ごとも思ひ知りはべらざりけるほどより、親などは見ぬものにならひはべりて、ともかくも思うたまへられずなむ」  「何の分別もなかったころから、親などは知らない生活をしてまいりましたので、どのように思案してよいものか考えようがございません」
   と、聞こえたまふさまのいとおいらかなれば、げにと思いて、  と、お答えなさる様子がとてもおおようなので、なるほどとお思いになって、
   「さらば世のたとひの、後の親をそれと思いて、おろかならぬ心ざしのほども、見あらはし果てたまひてむや」  「それならば世間が俗にいう、後の養父をそれとお思いになって、並々ならぬ厚志のほどを、最後までお見届け下さいませんでしょうか」
   など、うち語らひたまふ。
 思すさまのことは、まばゆければ、えうち出でたまはず。
 けしきある言葉は時々混ぜたまへど、見知らぬさまなれば、すずろにうち嘆かれて渡りたまふ。
 
 などと、こまごまとお話になる。
 心の底にお思いになることは、きまりが悪いので、口にはお出しにならない。
 意味ありげな言葉は時々おっしゃるが、気づかない様子なので、わけもなく嘆息されてお帰りになる。
 
 
 

第三章 玉鬘の物語 夏の雨と養父の恋慕の物語

 
 

第一段 源氏、玉鬘と和歌を贈答

 
   御前近き呉竹の、いと若やかに生ひたちて、うちなびくさまのなつかしきに、立ちとまりたまうて、  お庭先の呉竹が、たいそう若々しく伸びてきて、風になびく様子が愛らしいので、お立ち止まりになって、
 

367
 「ませのうちに 根深く植ゑし 竹の子の
 おのが世々にや 生ひわかるべき
 「邸の奥で大切に育てた娘も
  それぞれ結婚して出て行くわけか
 
   思へば恨めしかべいことぞかし」  思えば恨めしいことだ」
   と、御簾を引き上げて聞こえたまへば、ゐざり出でて、  と、御簾を引き上げて申し上げなさると、膝行して出て来て、
 

368
 「今さらに いかならむ世か 若竹の
 生ひ始めけむ 根をば尋ねむ
 「今さらどんな場合にわたしの
  実の親を探したりしましょうか
 
   なかなかにこそはべらめ」  かえって困りますことでしょう」
   と聞こえたまふを、いとあはれと思しけり。
 さるは、心のうちにはさも思はずかし。
 いかならむ折聞こえ出でむとすらむと、心もとなくあはれなれど、この大臣の御心ばへのいとありがたきを、
 とお答えなさるのを、たいそういじらしいとお思いになった。
 実のところ、心中ではそうは思っていないのである。
 どのような機会におっしゃって下さるのだろうかと、気がかりで胸の痛くなる思いでいたが、この大臣のお心のとても並々でないのを、
   「親と聞こゆとも、もとより見馴れたまはぬは、えかうしもこまやかならずや」  「実の親と申し上げても、小さい時からお側にいなかった者は、とてもこんなにまで心をかけて下さらないのでは」
   と、昔物語を見たまふにも、やうやう人のありさま、世の中のあるやうを見知りたまへば、いとつつましう、心と知られたてまつらむことはかたかるべう、思す。
 
 と、昔物語をお読みになっても、だんだんと人の様子や、世間の有様がお分かりになって来ると、たいそう気がねして、自分から進んで実の親に知っていただくことは難しいだろう、とお思いになる。
 
 
 

第二段 源氏、紫の上に玉鬘を語る

 
   殿は、いとどらうたしと思ひきこえたまふ。
 上にも語り申したまふ。
 
 殿は、ますますかわいいとお思い申し上げなさる。
 上にもお話し申し上げなさる。
 
   「あやしうなつかしき人のありさまにもあるかな。
 かのいにしへのは、あまりはるけどころなくぞありし。
 この君は、もののありさまも見知りぬべく、気近き心ざま添ひて、うしろめたからずこそ見ゆれ」
 「不思議に人の心を惹きつける人柄であるよ。
 あの亡くなった人は、あまりにも気がはれるところがなかった。
 この君は、ものの道理もよく理解できて、人なつこい性格もあって、心配なく思われます」
   など、ほめたまふ。
 ただにしも思すまじき御心ざまを見知りたまへれば、思し寄りて、
 などと、お褒めになる。
 ただではすみそうにないお癖をご存知でいらっしゃるので、思い当たりなさって、
   「ものの心得つべくはものしたまふめるを、うらなくしもうちとけ、頼みきこえたまふらむこそ、心苦しけれ」  「分別がおありでいらっしゃるらしいのに、すっかり気を許して、ご信頼申し上げていらっしゃるというのは、気の毒ですわ」
   とのたまへば、  とおっしゃると、
   「など、頼もしげなくやはあるべき」  「どうして、頼りにならないことがありましょうか」
   と聞こえたまへば、  とお答えなさるので、
   「いでや、われにても、また忍びがたう、もの思はしき折々ありし御心ざまの、思ひ出でらるるふしぶしなくやは」  「さあどうでしょうか、わたしでさえも、堪えきれずに、悩んだ折々があったお心が、思い出される節々がないではございませんでした」
   と、ほほ笑みて聞こえたまへば、「あな、心疾」とおぼいて、  と、微笑して申し上げなさると、「まあ、察しの早いことよ」と思われなさって、
   「うたても思し寄るかな。
 いと見知らずしもあらじ」
 「嫌なことを邪推なさいますなあ。
 とても気づかずにはいない人ですよ」
   とて、わづらはしければ、のたまひさして、心のうちに、「人のかう推し量りたまふにも、いかがはあべからむ」と思し乱れ、かつは、ひがひがしう、けしからぬ我が心のほども、思ひ知られたまうけり。
 
 と言って、厄介なので、言いさしなさって、心の中で、「上がこのように推量なさるのも、どうしたらよいものだろうか」とお悩みになり、また一方では、道に外れたよからぬ自分の心の程も、お分かりになるのであった。
 
   心にかかれるままに、しばしば渡りたまひつつ見たてまつりたまふ。
 
 気にかかるままに、頻繁にお越しになってはお目にかかりなさる。
 
 
 

第三段 源氏、玉鬘を訪問し恋情を訴える

 
   雨のうち降りたる名残の、いとものしめやかなる夕つ方、御前の若楓、柏木などの、青やかに茂りあひたるが、何となく心地よげなる空を見い出したまひて、  雨が少し降った後の、とてもしっとりした夕方、お庭先の若い楓や、柏木などが、青々と茂っているのが、何となく気持ちよさそうな空をお覗きになって、
   「和してまた清し」  「和して且た清し」
   とうち誦じたまうて、まづ、この姫君の御さまの、匂ひやかげさを思し出でられて、例の、忍びやかに渡りたまへり。
 
 とお口ずさみなさって、まずは、この姫君のご様子の、つややかな美しさをお思い出しになられて、いつものように、ひっそりとお越しになった。
 
   手習などして、うちとけたまへりけるを、起き上がりたまひて、恥ぢらひたまへる顔の色あひ、いとをかし。
 なごやかなるけはひの、ふと昔思し出でらるるにも、忍びがたくて、
 手習いなどをして、くつろいでいらっしゃったが、起き上がりなさって、恥ずかしがっていらっしゃる顔の色の具合、とても美しい。
 物柔らかな感じが、ふと昔の母君を思い出さずにはいらっしゃれないのも、堪えきれなくて、
   「見そめたてまつりしは、いとかうしもおぼえたまはずと思ひしを、あやしう、ただそれかと思ひまがへらるる折々こそあれ。
 あはれなるわざなりけり。
 中将の、さらに昔ざまの匂ひにも見えぬならひに、さしも似ぬものと思ふに、かかる人もものしたまうけるよ」
 「初めてお会いした時は、とてもこんなにも似ていらっしゃるまいと思っていましたが、不思議と、まるでその人かと間違えられる時々が何度もありました。
 感慨無量です。
 中将が、少しも昔の母君の美しさに似ていないのに見慣れて、そんなにも親子は似ないものと思っていたが、このような方もいらっしゃったのですね」
   とて、涙ぐみたまへり。
 箱の蓋なる御果物の中に、橘のあるをまさぐりて、
 とおっしゃって、涙ぐんでいらっしゃった。
 箱の蓋にある果物の中に、橘の実があるのをいじりながら、
 

369
 「橘の 薫りし袖に よそふれば
 変はれる身とも 思ほえぬかな
 「あなたを昔懐かしい母君と比べてみますと
  とても別の人とは思われません
 
   世とともの心にかけて忘れがたきに、慰むことなくて過ぎつる年ごろを、かくて見たてまつるは、夢にやとのみ思ひなすを、なほえこそ忍ぶまじけれ。
 思し疎むなよ」
 いつになっても心の中から忘れられないので、慰めることなくて過ごしてきた歳月だが、こうしてお世話できるのは夢かとばかり思ってみますが、やはり堪えることができません。
 お嫌いにならないでくださいよ」
   とて、御手をとらへたまへれば、女、かやうにもならひたまはざりつるを、いとうたておぼゆれど、おほどかなるさまにてものしたまふ。
 
 と言って、お手を握りなさるので、女は、このようなことに経験がおありではなかったので、とても不愉快に思われたが、おっとりとした態度でいらっしゃる。
 
 

370
 「袖の香を よそふるからに 橘の
 身さへはかなく なりもこそすれ」
 「懐かしい母君とそっくりだと思っていただくと
  わたしの身までが同じようにはかなくなってしまうかも知れません」
 
   むつかしと思ひてうつぶしたまへるさま、いみじうなつかしう、手つきのつぶつぶと肥えたまへる、身なり、肌つきのこまやかにうつくしげなるに、なかなかなるもの思ひ添ふ心地したまて、今日はすこし思ふこと聞こえ知らせたまひける。
 
 困ったと思ってうつ伏していらっしゃる姿、たいそう魅力的で、手つきのふっくらと肥っていらっしゃって、からだつき、肌つきがきめこまやかでかわいらしいので、かえって物思いの種になりそうな心地がなさって、今日は少し思っている気持ちをお耳に入れなさった。
 
   女は、心憂く、いかにせむとおぼえて、わななかるけしきもしるけれど、  女は、つらくて、どうしようかしらと思われて、ぶるぶる震えている様子もはっきり分かるが、
   「何か、かく疎ましとは思いたる。
 いとよくも隠して、人に咎めらるべくもあらぬ心のほどぞよ。
 さりげなくてをもて隠したまへ。
 浅くも思ひきこえさせぬ心ざしに、また添ふべければ、世にたぐひあるまじき心地なむするを、この訪づれきこゆる人びとには、思し落とすべくやはある。
 いとかう深き心ある人は、世にありがたかるべきわざなれば、うしろめたくのみこそ」
 「どうして、そんなにお嫌いになるのですか。
 うまくうわべをつくろって、誰にも非難されないように配慮しているのですよ。
 何でもないようにお振る舞いなさい。
 いいかげんにはお思い申していません思いの上に、さらに新たな思いが加わりそうなので、世に類のないような心地がしますのに、この懸想文を差し上げる人々よりも、軽くお見下しになってよいものでしょうか。
 とてもこんなに深い愛情がある人は、世間にはいないはずなので、気がかりでなりません」
   とのたまふ。
 いとさかしらなる御親心なりかし。
 
 とおっしゃる。
 実にさしでがましい親心である。
 
 
 

第四段 源氏、自制して帰る

 
   雨はやみて、風の竹に生るほど、はなやかにさし出でたる月影、をかしき夜のさまもしめやかなるに、人びとは、こまやかなる御物語にかしこまりおきて、気近くもさぶらはず。
 
 雨はやんで、風の音が竹林の中から生じるころ、ぱあっと明るく照らし出した月の光、美しい夜の様子もしっとりとした感じなので、女房たちは、こまやかなお語らいに遠慮して、お近くには伺候していない。
 
   常に見たてまつりたまふ御仲なれど、かくよき折しもありがたければ、言に出でたまへるついでの、御ひたぶる心にや、なつかしいほどなる御衣どものけはひは、いとよう紛らはしすべしたまひて、近やかに臥したまへば、いと心憂く、人の思はむこともめづらかに、いみじうおぼゆ。
 
 いつもお目にかかっていらっしゃるお二方であるが、このようによい機会はめったにないので、言葉にお出しになったついでの、抑えきれないお思いからであろうか、柔らかいお召し物のきぬずれの音は、とても上手にごまかしてお脱ぎになって、お側に臥せりなさるので、とてもつらくて、女房の思うことも奇妙に、たまらなく思われる。
 
   「まことの親の御あたりならましかば、おろかには見放ちたまふとも、かくざまの憂きことはあらましや」と悲しきに、つつむとすれどこぼれ出でつつ、いと心苦しき御けしきなれば、  「実の親のもとであったならば、冷たくお扱いになろうとも、このようなつらいことはあろうか」と悲しくなって、隠そうとしても涙がこぼれ出しこぼれ出し、とても気の毒な様子なので、
   「かう思すこそつらけれ。
 もて離れ知らぬ人だに、世のことわりにて、皆許すわざなめるを、かく年経ぬる睦ましさに、かばかり見えたてまつるや、何の疎ましかるべきぞ。
 これよりあながちなる心は、よも見せたてまつらじ。
 おぼろけに忍ぶるにあまるほどを、慰むるぞや」
 「そのようにお嫌がりになるのがつらいのです。
 全然見知らない男性でさえ、男女の仲の道理として、みな身を任せるもののようですのに、このように年月を過ごして来た仲の睦まじさから、この程度のことを致すのに、何と嫌なことがありましょうか。
 これ以上の無体な気持ちは、けっして致しません。
 一方ならぬ堪えても堪えきれない気持ちを、晴らすだけなのですよ」
   とて、あはれげになつかしう聞こえたまふこと多かり。
 まして、かやうなるけはひは、ただ昔の心地して、いみじうあはれなり。
 
 と言って、しみじみとやさしくお話し申し上げなさることが多かった。
 まして、このような時の気持ちは、まるで昔の時と同じ心地がして、たいそう感慨無量である。
 
   わが御心ながらも、「ゆくりかにあはつけきこと」と思し知らるれば、いとよく思し返しつつ、人もあやしと思ふべければ、いたう夜も更かさで出でたまひぬ。
 
 ご自分ながらも、「だしぬけで軽率なこと」と思わずにはいらっしゃれないので、まことによく反省なさっては、女房も変に思うにちがいないので、ひどく夜を更かさないでお帰りになった。
 
   「思ひ疎みたまはば、いと心憂くこそあるべけれ。
 よその人は、かうほれぼれしうはあらぬものぞよ。
 限りなく、そこひ知らぬ心ざしなれば、人の咎むべきさまにはよもあらじ。
 ただ昔恋しき慰めに、はかなきことをも聞こえむ。
 同じ心に応へなどしたまへ」
 「お厭いなら、とてもつらいことでしょう。
 他の人は、こんなに夢中にはなりませんよ。
 限りなく、底深い愛情なので、人が変に思うようなことはけっしてしません。
 ただ亡き母君が恋しく思われる気持ちの慰めに、ちょとしたことでもお話し申したい。
 そのおつもりでお返事などをして下さい」
   と、いとこまかに聞こえたまへど、我にもあらぬさまして、いといと憂しと思いたれば、  と、たいそう情愛深く申し上げなさるが、度を失ったような状態で、とてもとてもつらいとお思いになっていたので、
   「いとさばかりには見たてまつらぬ御心ばへを、いとこよなくも憎みたまふべかめるかな」  「とてもそれ程までとは存じませんでしたお気持ちを、これはまたこんなにもお憎みのようですね」
   と嘆きたまひて、  と嘆息なさって、
   「ゆめ、けしきなくてを」  「けっして、人に気づかれないように」
   とて、出でたまひぬ。
 
 とおっしゃって、お帰りになった。
 
   女君も、御年こそ過ぐしたまひにたるほどなれ、世の中を知りたまはぬなかにも、すこしうち世馴れたる人のありさまをだに見知りたまはねば、これより気近きさまにも思し寄らず、「思ひの外にもありける世かな」と、嘆かしきに、いとけしきも悪しければ、人びと、御心地悩ましげに見えたまふと、もて悩みきこゆ。
 
 女君も、お年こそはおとりになっていらっしゃるが、男女の仲をご存知でない人の中でも、いくらかでも男女の仲を経験したような人の様子さえご存知ないので、これより親しくなるようなことはお思いにもならず、「まったく思ってもみない運命の身の上であるよ」と、嘆いていると、とても気分も悪いので、女房たち、ご気分が悪そうでいらっしゃると、お困り申している。
 
   「殿の御けしきの、こまやかに、かたじけなくもおはしますかな。
 まことの御親と聞こゆとも、さらにかばかり思し寄らぬことなくは、もてなしきこえたまはじ」
 「殿のお心づかいが、行き届いて、もったいなくもいらっしゃいますこと。
 実のお父上でいらっしゃっても、まったくこれ程までお気づきなさらないことはなく、至れり尽くせりお世話なさることはありますまい」
   など、兵部なども、忍びて聞こゆるにつけて、いとど思はずに、心づきなき御心のありさまを、疎ましう思ひ果てたまふにも、身ぞ心憂かりける。
 
 などと、兵部なども、そっと申し上げるにつけても、ますます心外で、不愉快なお心の程を、すっかり疎ましくお思いなさるにつけても、わが身の上が情けなく思われるのであった。
 
 
 

第五段 苦悩する玉鬘

 
   またの朝、御文とくあり。
 悩ましがりて臥したまへれど、人びと御硯など参りて、「御返りとく」と聞こゆれば、しぶしぶに見たまふ。
 白き紙の、うはべはおいらかに、すくすくしきに、いとめでたう書いたまへり。
 
 翌朝、お手紙が早々にあった。
 気分が悪くて臥せっていらっしゃったが、女房たちがお硯などを差し上げて、「お返事を早く」とご催促申し上げるので、しぶしぶと御覧になる。
 白い紙で、表面は穏やかに、生真面目で、とても立派にお書きになってあった。
 
   「たぐひなかりし御けしきこそ、つらきしも忘れがたう。
 いかに人見たてまつりけむ。
 
 「またとないご様子は、つらくもまた忘れ難くて。
 どのように女房たちはお思い申したでしょう。
 
 

371
 うちとけて 寝も見ぬものを 若草の
 ことあり顔に むすぼほるらむ
  気を許しあって共寝をしたのでもないのに
  どうしてあなたは意味ありげな顔をして思い悩んでいらっしゃるのでしょう
 
   幼くこそものしたまひけれ」  子供っぽくいらっしゃいますよ」
   と、さすがに親がりたる御言葉も、いと憎しと見たまひて、御返り事聞こえざらむも、人目あやしければ、ふくよかなる陸奥紙に、ただ、  と、それでも親めいたお言葉づかいも、とても憎らしいと御覧になって、お返事を差し上げないようなのも、傍目に不審がろうから、厚ぼったい陸奥紙に、ただ、
   「うけたまはりぬ。
 乱り心地の悪しうはべれば、聞こえさせぬ」
 「頂戴致しました。
 気分が悪うございますので、お返事は失礼致します」
   とのみあるに、「かやうのけしきは、さすがにすくよかなり」とほほ笑みて、恨みどころある心地したまふ、うたてある心かな。
 
 とだけあったので、「こういうやりかたは、さすがにしっかりしたものだ」とにっこりして、口説きがいのある気持ちがなさるのも、困ったお心であるよ。
 
   色に出でたまひてのちは、「太田の松の」と思はせたることなく、むつかしう聞こえたまふこと多かれば、いとど所狭き心地して、おきどころなきもの思ひつきて、いと悩ましうさへしたまふ。
 
 いったん口に出してしまった後は、「太田の松のように」と思わせることもなく、うるさく申し上げなさることが多いので、ますます身の置き所のない感じがして、どうしてよいか分からない物思いの種となって、ほんとうに気を病むまでにおなりになる。
 
   かくて、ことの心知る人は少なうて、疎きも親しきも、むげの親ざまに思ひきこえたるを、  こうして、真相を知っている人は少なくて、他人も身内も、まったく実の親のようにお思い申し上げているので、
   「かうやうのけしきの漏り出でば、いみじう人笑はれに、憂き名にもあるべきかな。
 父大臣などの尋ね知りたまふにても、まめまめしき御心ばへにもあらざらむものから、ましていとあはつけう、待ち聞き思さむこと」
 「こんな事情が少しでも世間に漏れたら、ひどく世間の物笑いになり、情けない評判が立つだろうな。
 父大臣などがお尋ね当てて下さっても、親身な気持ちで扱っても下さるまいだろうから、他人が思う以上に浮ついたようだと、待ち受けてお思いになるだろうこと」
   と、よろづにやすげなう思し乱る。
 
 と、いろいろと心配になりお悩みになる。
 
   宮、大将などは、殿の御けしき、もて離れぬさまに伝へ聞きたまうて、いとねむごろに聞こえたまふ。
 この岩漏る中将も、大臣の御許しを見てこそ、かたよりにほの聞きて、まことの筋をば知らず、ただひとへにうれしくて、おりたち恨みきこえまどひありくめり。
 
 宮、大将などは、殿のご意向が、相手にしていなくはないと伝え聞きなさって、とても熱心に求婚申し上げなさる。
 あの岩漏る中将も、大臣がお認めになっていると、小耳にはさんで、ほんとうの事を知らないで、ただ一途に嬉しくなって、身を入れて熱心に恋の恨みを訴え申してうろうろしているようである。
 
 
 

【出典】

 
  出典1 繞廊紫藤架 夾砌紅薬欄(白氏文集 秦中吟・傷宅-七七)(戻)  
  出典2 不見蓬莱不敢帰 童男くわん女舟中老(白氏文集 新楽府・海漫漫-一二八)(戻)  
  出典3 あな尊 今日の尊さ や いにしへも はれ いにしへも かくやありけむ や 今日の尊さ あはれ そこよしや 今日の尊さ(催馬楽-あな尊)(戻)  
  出典4 青柳を 片糸によりて やおけや 鴬のおけや 鴬の 縫ふといふ笠は おけや梅の花笠(催馬楽-青柳)(戻)  
  出典5 紫の一本ゆゑに武蔵野の草は見ながらあはれとぞ思ふ(古今集雑上-八六七 読人しらず)(戻)  
  出典6 わが宿と頼む吉野に君し入らば同じかざしをさしこそはせめ(後撰集恋四-八〇九 伊勢)(戻)  
  出典7 わが園の梅のほつえに鴬の音に鳴きぬべき恋もするかな(古今集恋一-四九八 読人しらず)(戻)  
  出典8 四月天気和且清 緑槐陰合沙堤平(白氏文集巻一九-一二八〇)(戻)  
  出典9 五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする(古今集夏-一三九 読人しらず)(戻)  
  出典10 橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどまして常磐木(古今六帖六-四二五〇)(戻)  
  出典11 風生竹夜窓間臥 月照待時台上行(白氏文集巻一九-一二八〇)(戻)  
  出典12 うら若み寝よげに見ゆる若草を人の結ばむことをしぞ思ふ(伊勢物語四九段-九〇)初草のなど珍しき言の葉ぞうらなくものを思ひけるかな(伊勢物語四九段-九一)(戻)  
  出典13 忍ぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで(拾遺集恋一-六二二 平兼盛)(戻)  
  出典14 恋ひわびぬ太田の松のおほかたは色に出でてや逢はむといはまし(躬恒集-三五八)(戻)  
 
 

【校訂】

 
  備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△  
  校訂1 花の--花(花/+の)(戻)  
  校訂2 山吹--やまふ(ふ/+き)(戻)  
  校訂3 日を--(/+ひ)を(戻)  
  校訂4 響きは--ひゝき(き/+は)(戻)  
  校訂5 堪へぬ--たへ(え/#へ)ぬ(戻)  
  校訂6 苦しい--くるしいゝ(ゝ/$<朱>)(戻)  
  校訂7 手--(/+て)(戻)  
  校訂8 従ひて--したかひてを(を/#<朱>)(戻)  
  校訂9 ありさまをも-ありさまを(を/+も<朱>)(戻)  
  校訂10 みるこをぞ--見てこそを(てこそを/$るこをそ<朱>)(戻)  
  校訂11 親--(/+おや<朱>)(戻)  
  校訂12 匂ひやかげさ--にほひや(や/+か<朱>)けさ(戻)  
  校訂13 おほどか--おほ(ほ/+と)か(戻)