源氏物語 10帖 賢木:あらすじ・目次・原文対訳

源氏物語
第一部
第10帖
賢木
花散里

 
 本ページは、高千穂大名誉教授・渋谷栄一氏の『源氏物語の世界』(目次構成・登場人物・原文・訳文)を参照引用している(全文使用許可あり)。
 ここでは、その原文と現代語訳のページの内容を統合し、レイアウトを整えた。速やかな理解に資すると思うが、詳しい趣旨は上記リンク参照。
 
 

 賢木(さかき)のあらすじ

 光源氏23歳秋9月から25歳夏の話。

 源氏との結婚を諦めた六条御息所は、娘の斎宮と共に伊勢へ下ることを決意する。紫の上と結婚した源氏も、さすがに御息所を哀れに思って秋深まる野の宮を訪れ、別れを惜しむのだった。

 御息所母娘の伊勢下向からしばらくして、すでに15歳になっていた、紫の上の裳着を執り行い、紫の上は一人前の女人となった。

 斎宮下向から程なく、桐壺帝が重態に陥り崩御した。源氏は里下がりした藤壺への恋慕がますます止みがたく忍んでいくが、藤壺に強く拒絶される。事が露見し東宮の身に危機が及ぶことを恐れた藤壺は、源氏にも身内にも知らせず桐壺帝の一周忌の後突然出家した。

 悲嘆に暮れる源氏は、右大臣家の威勢に押されて鬱屈する日々の中、今は尚侍となった朧月夜と密かに逢瀬を重ねるが、ある晩右大臣に現場を押さえられてしまう。激怒した右大臣と弘徽殿大后は、これを期に源氏を政界から追放しようと画策するのだった。

Wikipedia賢木より。色づけは本ページ)
 

目次
和歌抜粋内訳#賢木(33首:別ページ)
主要登場人物
 
第10帖 賢木(さかき)
 光る源氏の
 二十三歳秋九月から二十五歳夏まで
 近衛大将時代の物語
 
第一章 六条御息所 秋の別れと伊勢下向
第二章 光源氏① 父桐壺帝の崩御
第三章 藤壺①  塗籠事件
第四章 光源氏② 雲林院参籠
第五章 藤壺②  法華八講主催と出家
第六章 光源氏③ 寂寥の日々
第七章 朧月夜  村雨の紛れの密会露見
 
 
第一章 六条御息所の物語
 秋の別れと伊勢下向の物語
 第一段 六条御息所、伊勢下向を決意
 第二段 野の宮訪問と暁の別れ
 第三段 伊勢下向の日決定
 第四段 斎宮、宮中へ向かう
 第五段 斎宮、伊勢へ向かう
 
第二章 光る源氏の物語
 父桐壺帝の崩御
 第一段 10月、桐壺院、重体となる
 第二段 11月1日、桐壺院、崩御
 第三段 諒闇の新年となる
 第四段 源氏朧月夜と逢瀬を重ねる
 
第三章 藤壺の物語
 塗籠事件
 第一段 源氏、再び藤壺に迫る
 第二段 藤壺、出家を決意
 
第四章 光る源氏の物語
 雲林院参籠
 第一段 秋、雲林院に参籠
 第二段 朝顔斎院と和歌を贈答
 第三段 源氏、二条院に帰邸
 第四段 朱雀帝と対面
 第五段 藤壺に挨拶
 第六段 初冬のころ、源氏朧月夜と和歌贈答
 
第五章 藤壺の物語
 法華八講主催と出家
 第一段 11月1日、故桐壷院の御国忌
 第二段 12月10日過ぎ、藤壺、法華八講主催後、出家
 第三段 後に残された源氏
 
第六章 光る源氏の物語
 寂寥の日々
 第一段 諒闇明けの新年を迎える
 第二段 源氏一派の人々の不遇
 第三段 韻塞ぎに無聊を送る
 
第七章 朧月夜の物語
 村雨の紛れの密会露見
 第一段 源氏、朧月夜と密会中、右大臣に発見される
 第二段 右大臣、源氏追放を画策する
 出典
 校訂
 ※一部見易さを考慮し漢数字を数字に変更した。
 

主要登場人物

 

光る源氏(ひかるげんじ)
二十三歳から二十五歳 参議兼近衛右大将
呼称:大将の君・大将・大将殿・右大将・男・君・殿
頭中将(とうのちゅうじょう)
故葵の上の兄
呼称:三位中将・中将
桐壺院(きりつぼのいん)
光る源氏の父
呼称:院の上・院・故院
朱雀帝(すざくてい)
光る源氏の兄
呼称:帝・内裏・今
弘徽殿大后(こうきでんのおおぎさき)
朱雀帝の母后
呼称:大后・后・大宮・后の宮・宮・宮の御方
藤壺の宮(ふじつぼのみや)
桐壺帝の后、東宮の母
呼称:中宮・宮・母宮
六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)
光る源氏の愛人
呼称:御息所・女君・女
斎宮(さいぐう)
六条御息所の娘
呼称:宮
紫の上(むらさきのうえ)
光る源氏の妻
呼称:西の対の姫君・対の姫君・女君・姫君
朧月夜の君(おぼろづきよのきみ)
右大臣の娘、弘徽殿女御の妹
呼称:御匣殿・尚侍君・女君・女
朝顔の姫君(あさがおのひめぎみ)
光る源氏の恋人の一人
呼称:斎院・朝顔、式部卿宮の娘
兵部卿宮(ひょうぶきょうのみや)
紫の上の父
呼称:親王・父親王・宮
左大臣(さだいじん)
故葵の上の父
呼称:左大殿・左大臣・致仕大臣・大臣

 
 以上の内容は、全て以下の原文のリンク先参照。文面はそのままで表記を若干整えた。
 
 
 
 

原文対訳

  定家本
(大島本
現代語訳
(渋谷栄一)
  賢木(さかき)
 
 

第一章 六条御息所の物語 秋の別れと伊勢下向の物語

 
 

第一段 六条御息所、伊勢下向を決意

 
1  斎宮の御下り、近うなりゆくままに、御息所、もの心細く思ほす。
 やむごとなくわづらはしきものにおぼえたまへりし大殿の君も亡せたまひて後、さりともと世人も聞こえあつかひ、宮のうちにも心ときめきせしを、その後しも、かき絶え、あさましき御もてなしを見たまふに、まことに憂しと思すことこそありけめと、知り果てたまひぬれば、よろづのあはれを思し捨てて、ひたみちに出で立ちたまふ。
 
 斎宮の御下向が近づくにつれて、御息所は何となく心細くいらっしゃる。
 重々しくけむたいご本妻だと思っていらっしゃった大殿の姫君もお亡くなりになって後、いくら何でもと世間の人々もお噂申し、宮家の内でも期待していたのに、それから後、すっかりお通いがなく、あまりなお仕向けを御覧になると、本当にお嫌いになる事があったのだろうと、すっかりお分かりになってしまったので、一切の未練をお捨てになって、一途にご出立なさる。
 
2  親添ひて下りたまふ例も、ことになけれど、いと見放ちがたき御ありさまなるにことつけて、「憂き世を行き離れむ」と思すに、大将の君、さすがに、今はとかけ離れたまひなむも、口惜しく思されて、御消息ばかりは、あはれなるさまにて、たびたび通ふ。
 対面したまはむことをば、今さらにあるまじきことと、女君も思す。
 「人は心づきなしと、思ひ置きたまふこともあらむに、我は、今すこし思ひ乱るることのまさるべきを、あいなし」と、心強く思すなるべし。
 
 母親が付き添ってお下りになる先例も、特にないのであるが、とても手放し難いご様子なのに託つけて、「嫌な世間から逃れ去ろう」とお思いになっているので、大将の君は、そうは言っても、これが最後と遠くへ行っておしまいになるのも残念に思わずにはいらっしゃれず、お手紙だけは情のこもった書きぶりで、度々取り交わす。
 お会いになることは、今さらありえない事と、女君も思っていらっしゃる。
 「相手は気にくわないと、根に持っていらっしゃることがあろうから、自分は、今以上に悩むことがきっと増すにちがいないので、無益なこと」と、固くご決心されているのだろう。
 
3  もとの殿には、あからさまに渡りたまふ折々あれど、いたう忍びたまへば、大将殿、え知りたまはず。
 たはやすく御心にまかせて、参うでたまふべき御すみかにはたあらねば、おぼつかなくて月日も隔たりぬるに、院の上、おどろおどろしき御悩みにはあらで、例ならず、時々悩ませたまへば、いとど御心の暇なけれど、「つらき者に思ひ果てたまひなむも、いとほしく、人聞き情けなくや」と思し起して、野の宮に参うでたまふ。
 
 里の殿には、ほんのちょっとお帰りになる時々もあるが、たいそう内々にしていらっしゃるので、大将殿は、お知りになることができない。
 野宮の方は簡単にお心のままに参ってよいようなお住まいでは勿論ないので、気がかりに月日も経ってしまったところに、院の上が、たいそう重い御病気というのではないが、普段と違って、時々お苦しみあそばすので、ますますお気持ちに余裕がないけれど、「薄情な者とお思い込んでしまわれるのも、おいたわしいし、人が聞いても冷淡な男だと思われはしまいか」とご決心されて、野宮にお伺いなさる。
 
 
 

第二段 野の宮訪問と暁の別れ

 
4  九月七日ばかりなれば、「むげに今日明日」と思すに、女方も心あわたたしけれど、「立ちながら」と、たびたび御消息ありければ、「いでや」とは思しわづらひながら、「いとあまり埋もれいたきを、物越ばかりの対面は」と、人知れず待ちきこえたまひけり。
 
 九月七日ごろなので、「まったく今日明日の間近だ」とお思いになると、女君の方でも気忙しいが、「立ちながらでも」と、何度もお手紙があったので、「どうしたものか」とお迷いになりながらも、「あまりに控え目過ぎるから、物越しにお目にかかるのなら」と、人知れずお待ち申し上げていらっしゃるのであった。
 
5  遥けき野辺を分け入りたまふより、いとものあはれなり。
 秋の花、みな衰へつつ、浅茅が原も枯れ枯れなる虫の音に、松風、すごく吹きあはせて、そのこととも聞き分かれぬほどに、物の音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶なり。
 
 広々とした野辺に分け入りなさるなり、いかにも物寂しい感じがする。
 秋の花は、みな萎れかかって、浅茅が原も枯れがれとなり、虫の音も鳴き嗄らしているところに、松風が、身にしみて音を添えて、いずれの琴の音とも聞き分けられないくらいに、楽の音が絶え絶えに聞こえて来るのは、まことに優艶である。
 
6  むつましき御前、十余人ばかり、御随身、ことことしき姿ならで、いたう忍びたまへれど、ことにひきつくろひたまへる御用意、いとめでたく見えたまへば、御供なる好き者ども、所からさへ身にしみて思へり。
 御心にも、「などて、今まで立ちならさざりつらむ」と、過ぎぬる方、悔しう思さる。
 
 気心の知れた御前駆の者、十余人ほどで、御随身も、目立たない服装で、たいそうお忍びのふうをしていらっしゃるが、格別にお気を配っていらっしゃるご様子は、まことに素晴らしくお見えになるので、お供の風流者などは、場所が場所だけに身にしみて感じ入っていた。
 ご内心、「どうして、今まで来なかったのだろう」と、過ぎ去った日々を、後悔せずにはいらっしゃれない。
 
7  ものはかなげなる小柴垣を大垣にて、板屋どもあたりあたりいとかりそめなり。
 黒木の鳥居ども、さすがに神々しう見わたされて、わづらはしきけしきなるに、神司の者ども、ここかしこにうちしはぶきて、おのがどち、物うち言ひたるけはひなども、他にはさま変はりて見ゆ。
 火焼屋かすかに光りて、人気すくなく、しめじめとして、ここにもの思はしき人の、月日を隔てたまへらむほどを思しやるに、いといみじうあはれに心苦し。
 
 ちょっとした小柴垣を外囲いにして、板屋が幾棟もあちこちに仮普請のようである。
 黒木の鳥居などは、やはり神々しく眺められて、遠慮される気がするが、神官たちが、あちこちで咳払いをして、お互いに、何か話している様子なども、他所とは様子が変わって見える。
 火焼屋が、微かに明るくて、人影も少なく、しんみりとしていて、ここに物思いに沈んでいるお方が、幾月日も世間から離れて過ごしてこられた間のことをご想像なさると、とてもたまらなくおいたわしい。
 
8  北の対のさるべき所に立ち隠れたまひて、御消息聞こえたまふに、遊びはみなやめて、心にくきけはひ、あまた聞こゆ。
 
 北の対の適当な場所にお立ち隠れになって、ご来訪の旨をお申し入れなさると、管弦のお遊びはみな止めて、奥ゆかしい気配が、たくさん聞こえる。
 
9  何くれの人づての御消息ばかりにて、みづからは対面したまふべきさまにもあらねば、「いとものし」と思して、  何やかやと女房を通じてのご挨拶ばかりで、ご自身はお会いなさる様子もないので、「まことに面白くない」とお思いになって、
10  「かうやうの歩きも、今はつきなきほどになりにてはべるを、思ほし知らば、かう注連のほかにはもてなしたまはで。
 いぶせうはべることをも、あきらめはべりにしがな」
 「このような外出も、今では相応しくない身分になってしまったことを、お察しいただければ、このような注連の外には、立たせて置くようなことはなさらないで。
 胸に溜まっていますことをも、晴らしたいものです」
11  と、まめやかに聞こえたまへば、人びと、  と、真面目に申し上げなさると、女房たちは、
12  「げに、いとかたはらいたう」  「おっしゃるとおり、とても見てはいられませんわ」
13  「立ちわづらはせたまふに、いとほしう」  「お立ちん坊のままでいらっしゃっては、お気の毒で」
14  など、あつかひきこゆれば、「いさや。
 ここの人目も見苦しう、かの思さむことも、若々しう、出でゐむが、今さらにつつましきこと」と思すに、いともの憂けれど、情けなうもてなさむにもたけからねば、とかくうち嘆き、やすらひて、ゐざり出でたまへる御けはひ、いと心にくし。
 
 などと、お取りなし申すので、御息所は「さてどうしたものか。
 ここの女房たちの目にも体裁が悪いだろうし、あの方がお思いになることも、年甲斐もなく、端近に出て行くのが、今さらに気後れして」とお思いになると、とても億劫であるが、冷淡な態度をとるほど気強くもないので、とかく溜息をつきためらって、いざり出ていらっしゃったご様子は、まことに奥ゆかしい。
 
15  「こなたは、簀子ばかりの許されははべりや」  「こちらでは、簀子に上がるくらいのお許しはございましょうか」
16  とて、上りゐたまへり。
 
 とおっしゃって、上がっておすわりになった。
 
17  はなやかにさし出でたる夕月夜に、うち振る舞ひたまへるさま、匂ひに、似るものなくめでたし。
 月ごろのつもりを、つきづきしう聞こえたまはむも、まばゆきほどになりにければ、榊をいささか折りて持たまへりけるを、挿し入れて、
 明るく照り出した夕月夜に、立ち居振る舞いなさるご様子の、その美しさは、似るものがなく素晴らしい。
 幾月ものご無沙汰を、もっともらしく言い訳申し上げなさるのも、面映ゆいほどになってしまったので、榊を少し折って持っていらっしゃったのを、御簾の下から差し入れて、
18  「変らぬ色をしるべにてこそ、斎垣も越えはべりにけれ。
 さも心憂く」
 「この榊葉の変わらない心に導かれて、神の斎垣も越えて参ったのです。
 何とも薄情な」
19  と聞こえたまへば、  と申し上げなさると、
 

133
 「神垣は しるしの杉も なきものを
 いかにまがへて 折れる榊ぞ」
 「ここには人の訪ねる目印の杉もないのに
  どうお間違えになって折った榊なのでしょう」
 
20  と聞こえたまへば、  とお答え申し上げなさると、
 

134
 「少女子が あたりと思へば 榊葉の
 香をなつかしみ とめてこそ折れ」
 「少女子がいる辺りだと思うと
  榊葉が慕わしくて探し求めて参ったのです」
 
21  おほかたのけはひわづらはしけれど、御簾ばかりはひき着て、長押におしかかりてゐたまへり。
 
 周囲の雰囲気は憚られるが、御簾だけを引き被るようにして、長押に持たれかかって座っていらっしゃった。
 
22  心にまかせて見たてまつりつべく、人も慕ひざまに思したりつる年月は、のどかなりつる御心おごりに、さしも思されざりき。
 
 思いのままにお目にかかることができ、相手も慕っているようなお心持ちでいらっしゃった年月の間は、のんびりといい気になって、それほどまでご執心なさらなかった。
 
23  また、心のうちに、「いかにぞや、疵ありて」、思ひきこえたまひにし後、はた、あはれもさめつつ、かく御仲も隔たりぬるを、めづらしき御対面の昔おぼえたるに、「あはれ」と、思し乱るること限りなし。
 来し方、行く先、思し続けられて、心弱く泣きたまひぬ。
 
 また一方、心の中に、「どうしたものなのか、欠点があって」と、お思い申してから後は、やはり、情愛も次第に褪めて、このように仲も離れてしまったのを、久しぶりのご対面が昔のことを思い出させるので、しみじみと、悩ましさで胸が限りなくいっぱいになる。
 今までのことや、将来のことを、それからそれへとお思い続けられて、心弱く泣いてしまった。
 
24  女は、さしも見えじと思しつつむめれど、え忍びたまはぬ御けしきを、いよいよ心苦しう、なほ思しとまるべきさまにぞ、聞こえたまふめる。
 
 女君は、そうとは見せまいと気持ちを抑えていらっしゃるようだが、とても我慢がおできになれないご様子を、ますますお気の毒に思われて、やはりお思い止まるように、お制止申し上げになるようである。
 
25  月も入りぬるにや、あはれなる空を眺めつつ、怨みきこえたまふに、ここら思ひ集めたまへるつらさも消えぬべし。
 やうやう、「今は」と、思ひ離れたまへるに、「さればよ」と、なかなか心動きて、思し乱る。
 
 月も入ったのであろうか、しみじみとした空を物思いに耽って見つめながら、恨み言を申し上げなさると、積もり積もっていらっしゃった恨みもきっと消えてしまうことだろう。
 だんだんと、「今度こそ最後」と、未練を断ち切って来られたのに、「やはり案じてていたとおりだった」と、かえって心が揺れて、お悩みになる。
 
26  殿上の若君達などうち連れて、とかく立ちわづらふなる庭のたたずまひも、げに艶なるかたに、うけばりたるありさまなり。
 思ほし残すことなき御仲らひに、聞こえ交はしたまふことども、まねびやらむかたなし。
 
 殿上の若い公達などが連れ立って、何かと佇んでは心惹かれたというこの庭の風情も、なるほど優艶という点では、どこの庭にも負けない様子である。
 物思いの限りを尽くしたお二人の間柄で、お語らいになった内容の数々は、そのまま筆に写すことができない。
 
27  やうやう明けゆく空のけしき、ことさらに作り出でたらむやうなり。
 
 だんだんと明けて行く空の風情は、特別に作り出したかのようである。
 
 

135
 「暁の 別れはいつも 露けきを
 こは世に知らぬ 秋の空かな」
 「明け方の別れにはいつも涙に濡れたが
  今朝の別れは今までにない涙に曇る秋の空ですね」
 
28  出でがてに、御手をとらへてやすらひたまへる、いみじうなつかし。
 
 帰りにくそうに、お手を捉えてためらっていられるのは、たいそう優しい。
 
29  風、いと冷やかに吹きて、松虫の鳴きからしたる声も、折知り顔なるを、さして思ふことなきだに、聞き過ぐしがたげなるに、まして、わりなき御心惑ひどもに、なかなか、こともゆかぬにや。
 
 風が、とても冷たく吹いて、松虫が鳴き嗄らした声も、気持ちを知っているかのようなのを、それほど物思いのない者でさえ、聞き過ごしがたいのに、まして、どうしようもないほど思い乱れていらっしゃるお二人には、かえって、歌も思うように行かないのだろうか。
 
 

136
 「おほかたの 秋の別れも 悲しきに
 鳴く音な添へそ 野辺の松虫」
 「ただでさえ秋の別れというものは悲しいものなのに
  さらに鳴いて悲しませてくれるな野辺の松虫よ」
 
30  悔しきこと多かれど、かひなければ、明け行く空もはしたなうて、出でたまふ。
 道のほどいと露けし。
 
 悔やまれることが多いが、しかたのないことなので、明けて行く空も体裁が悪くて、お帰りになる。
 その道の程はまことに露っぽい。
 
31  女も、え心強からず、名残あはれにて眺めたまふ。
 ほの見たてまつりたまへる月影の御容貌、なほとまれる匂ひなど、若き人びとは身にしめて、あやまちもしつべく、めできこゆ。
 
 女君も、気強くはいられず、その後の物思いに沈んでいらっしゃる。
 ほのかに拝見なさった月の光に照らされたお姿や、まだ残っている匂いなどを、若い女房たちは身に染みて、心得違いをしかねないほど、お褒め申し上げる。
 
32  「いかばかりの道にてか、かかる御ありさまを見捨てては、別れきこえむ」  「どれほどの余儀ない旅立ちだからといっても、あのようなお方をお見限って、お別れ申し上げられようか」
33  と、あいなく涙ぐみあへり。  と、わけもなく涙ぐみ合っていた。
 
 
 

第三段 伊勢下向の日決定

 
34  御文、常よりもこまやかなるは、思しなびくばかりなれど、またうち返し、定めかねたまふべきことならねば、いとかひなし。
 
 後朝の御文が、いつもより情愛濃やかなのは、お気持ちも傾きそうなほどであるが、また改めて、お思い直しなさるべき事でもないので、まことにどうにもならない。
 
35  男は、さしも思さぬことをだに、情けのためにはよく言ひ続けたまふべかめれば、まして、おしなべての列には思ひきこえたまはざりし御仲の、かくて背きたまひなむとするを、口惜しうもいとほしうも、思し悩むべし。
 
 男君は、それほどお思いにならないことでも、恋路のためには上手に言い続けなさるようなので、まして、並々の相手とはお思い申し上げなさらなかったお間柄で、そのお方が、このようにしてお別れなさろうとするのを、残念にもおいたわしくも、お思い悩んでいられるのであろう。
 
36  旅の御装束よりはじめ、人びとのまで、何くれの御調度など、いかめしうめづらしきさまにて、とぶらひきこえたまへど、何とも思されず。
 あはあはしう心憂き名をのみ流して、あさましき身のありさまを、今はじめたらむやうに、ほど近くなるままに、起き臥し嘆きたまふ。
 
 女君の旅のご装束をはじめとして、女房たちの物まで、何かとご調度類など、立派で目新しいさまに仕立てて、お餞別を申し上げになさるが、女君はそれを何ともお思いにならない。
 軽々しく嫌な評判ばかりを流してしまって、あきれはてたわが身の有様を、今さらのように、下向が近づくにつれて、起きていても寝ていてもお嘆きになる。
 
37  斎宮は、若き御心地に、不定なりつる御出で立ちの、かく定まりゆくを、うれし、とのみ思したり。
 世人は、例なきことと、もどきもあはれがりも、さまざまに聞こゆべし。
 何ごとも、人にもどきあつかはれぬ際はやすげなり。
 なかなか世に抜け出でぬる人の御あたりは、所狭きこと多くなむ。
 
 斎宮は、幼な心に、決定しなかった母君のご出立が、このように決まってきたのを、嬉しい、とばかりお思いでいた。
 世間の人々は、母親の同行を先例のないことだと、非難も同情も、いろいろとお噂申しているようだ。
 何事につけても、人から非難されないような身分の者は気楽なものである。
 かえって世に抜きん出た方のご身辺は窮屈なことが多いことである。
 
 
 

第四段 斎宮、宮中へ向かう

 
38  十六日、桂川にて御祓へしたまふ。
 常の儀式にまさりて、長奉送使など、さらぬ上達部も、やむごとなく、おぼえあるを選らせたまへり。
 院の御心寄せもあればなるべし。
 出でたまふほどに、大将殿より例の尽きせぬことども聞こえたまへり。
 「かけまくもかしこき御前にて」と、木綿につけて、
 十六日、桂川でお祓いをなさる。
 慣例の儀式より立派で、長奉送使などや、その他の上達部も、身分が高く、世間から評判の良い方をお選びあそばしになった。
 院のお心遣いもあってのことであろう。
 野の宮をお出になる時、大将殿から例によって名残尽きない思いのたけをお申し上げなさった。
 「恐れ多くも、御前に」と言って、木綿に結びつけて、
39  「鳴る神だにこそ、  「『鳴る神でさえ思い合う仲を裂かぬ』と云いますものを、
 

137
 八洲もる 国つ御神も 心あらば
 飽かぬ別れの 仲をことわれ
  大八洲をお守りあそばす国つ神もお情けがあるならば
  尽きぬ思いで別れなければならいわけをお聞かせ下さい
 
40  思うたまふるに、飽かぬ心地しはべるかな」  どう考えてみても、満足しない気が致しますよ」
41  とあり。
 いとさわがしきほどなれど、御返りあり。
 宮の御をば、女別当して書かせたまへり。
 
 とある。
 とても取り混んでいる時だが、お返事がある。
 斎宮のお返事は、女別当にお書かせになっていた。
 
 

138
 「国つ神 空にことわる 仲ならば
 なほざりごとを まづや糾さむ」
 「国つ神がお二人の仲を裁かれることになったならば
  あなたの実意のないお言葉をまずは糺されることでしょう」
 
42  大将は、御ありさまゆかしうて、内裏にも参らまほしく思せど、うち捨てられて見送らむも、人悪ろき心地したまへば、思しとまりて、つれづれに眺めゐたまへり。
 
 大将は、ご出立の様子を見たくて、宮中にも参内したくお思いになるが、振り捨てられて見送るようなのも、人聞きの悪い感じがなさるので、お思い止まりになって、所在なげに物思いに耽っていらっしゃった。
 
43  宮の御返りのおとなおとなしきを、ほほ笑みて見ゐたまへり。
 「御年のほどよりは、をかしうもおはすべきかな」と、ただならず。
 かうやうに例に違へるわづらはしさに、かならず心かかる御癖にて、「いとよう見たてまつりつべかりしいはけなき御ほどを、見ずなりぬるこそねたけれ。
 世の中定めなければ、対面するやうもありなむかし」など思す。
 
 斎宮のお返事がいかにも成人した詠みぶりなのを、ほほ笑んで御覧になった。
 「お年の割には、人情がお分かりのようでいらっしゃるな」と、お心が動く。
 このように普通とは違っためんどうな事には、きっと心動かすご性分なので、「いくらでも拝見しようとすればできたはずであった幼い時のお姿を、見ないで過ごしてしまったのは残念なことであった。
 世の中は無常であるから、お目にかかるようなこともきっとあろう」などと、お思いになる。
 
 
 

第五段 斎宮、伊勢へ向かう

 
44  心にくくよしある御けはひなれば、物見車多かる日なり。
 申の時に内裏に参りたまふ。
 
 奥ゆかしく風雅なお人柄の方なので、見物の車が多い日である。
 申の時に宮中に参内なさる。
 
45  御息所、御輿に乗りたまへるにつけても、父大臣の限りなき筋に思し志して、いつきたてまつりたまひしありさま、変はりて、末の世に内裏を見たまふにも、もののみ尽きせず、あはれに思さる。
 十六にて故宮に参りたまひて、二十にて後れたてまつりたまふ。
 三十にてぞ、今日また九重を見たまひける。
 
 御息所は、御輿にお乗りになるにつけても、父大臣が限りない地位にとお望みになって、大切にかしずきお育てになった境遇が、うって変わって、晩年に宮中を御覧になるにつけても、感慨無量で、悲しく思わずにはいらっしゃれない。
 十六歳で故春宮にご入内なさって、二十歳で先立たれ申される。
 三十歳で、今日再び宮中を御覧になるのであった。
 
 

139
 「そのかみを 今日はかけじと 忍ぶれど
 心のうちに ものぞ悲しき」
 「昔のことを今日は思い出すまいと堪えていたが
  心の底では悲しく思われてならない」
 
46  斎宮は、十四にぞなりたまひける。
 いとうつくしうおはするさまを、うるはしうしたてたてまつりたまへるぞ、いとゆゆしきまで見えたまふを、帝、御心動きて、別れの櫛たてまつりたまふほど、いとあはれにて、しほたれさせたまひぬ。
 
 斎宮は、十四歳におなりであった。
 とてもかわいらしくいらっしゃるご様子を、立派に装束をお着せ申されたのが、とても恐いまでに美しくお見えになるのを、帝は、お心が動いて、別れの御櫛を挿してお上げになる時に、まことに心揺さぶられて、涙をお流しあそばされた。
 
47  出でたまふを待ちたてまつるとて、八省に立て続けたる出車どもの袖口、色あひも、目馴れぬさまに、心にくきけしきなれば、殿上人どもも、私の別れ惜しむ多かり。
 
 ご出立になるのをお待ち申そうとして、八省院の辺に立ち並べていたお供の女房たちの車から、袖口や、色合いも、目新しい意匠で、奥ゆかしい感じなので、殿上人たちも個人的な別れを惜しんでいる者が多かった。
 
48  暗う出でたまひて、二条より洞院の大路を折れたまふほど、二条の院の前なれば、大将の君、いとあはれに思されて、榊にさして、  暗くなってからご出発になって、二条大路から洞院の大路ヘお曲がりになる時、二条の院の前なので、大将の君は、まことにしみじみと感じられて、榊の枝に挿して、
 

140
 「振り捨てて 今日は行くとも 鈴鹿川
 八十瀬の波に 袖は濡れじや」
 「わたしを振り捨てて今日は旅立って行かれるが、鈴鹿川を
  渡る時に袖を濡らして後悔なさいませんでしょうか」
 
49  と聞こえたまへれど、いと暗う、ものさわがしきほどなれば、またの日、関のあなたよりぞ、御返しある。
 
 とお申し上げになったが、たいそう暗く、何かとあわただしい折なので、翌日、逢坂の関の向こうからお返事がある。
 
 

141
 「鈴鹿川 八十瀬の波に 濡れ濡れず
 伊勢まで誰れか 思ひおこせむ」
 「鈴鹿川の八十瀬の波に袖が濡れるか濡れないか
  伊勢に行った先まで誰が思いおこしてくださるでしょうか」
 
50  ことそぎて書きたまへるしも、御手いとよしよししくなまめきたるに、「あはれなるけをすこし添へたまへらましかば」と思す。
 
 言葉数少なにお書きになっているが、ご筆跡はいかにも風情があって優美であるが、「優しさがもう少しおありであったならば」とお思いになる。
 
51  霧いたう降りて、ただならぬ朝ぼらけに、うち眺めて独りごちおはす。
 
 霧がひどく降りこめて、いつもと違って感じられる朝方に、物思いに耽りながら独り言をいっていらっしゃる。
 
 

142
 「行く方を 眺めもやらむ この秋は
 逢坂山を 霧な隔てそ」
 「あの行った方角を眺めていよう、今年の秋は
  逢うという逢坂山を霧よ隠さないでおくれ」
 
52  西の対にも渡りたまはで、人やりならず、もの寂しげに眺め暮らしたまふ。
 まして、旅の空は、いかに御心尽くしなること多かりけむ。
 
 西の対にもお渡りにならず、誰のせいというのでもなく、何とはなく寂しげに物思いに耽ってお過ごしになる。
 ましてや、旅路の一行は、どんなにか物思いにお心を尽くしになることが、多かったことだろうか。
 
 
 

第二章 光る源氏の物語 父桐壺帝の崩御

 
 

第一段 十月、桐壺院、重体となる

 
53  院の御悩み、神無月になりては、いと重くおはします。
 世の中に惜しみきこえぬ人なし。
 内裏にも、思し嘆きて行幸あり。
 弱き御心地にも、春宮の御事を、返す返す聞こえさせたまひて、次には大将の御こと、
 桐壺院の御病気は、神無月になってからは、ひどく重くおなりあそばす。
 世を挙げてお惜しみ申し上げない人はいない。
 帝におかれても、御心配あそばして行幸がある。
 院は御衰弱の御容態ながらも、春宮の御事を、繰り返しお頼み申し上げあそばして、次には大将の御事を、
54  「はべりつる世に変はらず、大小のことを隔てず、何ごとも御後見と思せ。
 齢のほどよりは、世をまつりごたむにも、をさをさ憚りあるまじうなむ、見たまふる。
 かならず世の中たもつべき相ある人なり。
 さるによりて、わづらはしさに、親王にもなさず、ただ人にて、朝廷の御後見をせさせむと、思ひたまへしなり。
 その心違へさせたまふな」
 「わが在世中と変わらず、大小の事に関わらず、何事も御後見役とお思いあそばせ。
 年の割には政治を執っても、少しも遠慮するところはない人と拝見している。
 必ず天下を治める相のある人である。
 それによって、煩わしく思って、親王にもなさず、臣下に下して、朝廷の補佐役とさせようと思ったのである。
 その心づもりにお背きあそばすな」
55  と、あはれなる御遺言ども多かりけれど、女のまねぶべきことにしあらねば、この片端だにかたはらいたし。
 
 と、しみじみとした御遺言が多かったが、女の書くべきことではないので、その一部分を語るだけでも気の引ける思いだ。
 
56  帝も、いと悲しと思して、さらに違へきこえさすまじきよしを、返す返す聞こえさせたまふ。
 御容貌も、いときよらにねびまさらせたまへるを、うれしく頼もしく見たてまつらせたまふ。
 限りあれば、急ぎ帰らせたまふにも、なかなかなること多くなむ。
 
 帝も、大層悲しいとお思いあそばして、決してお背き申し上げまい旨を、繰り返し申し上げあそばされる。
 御容貌もとても美しく御成長あそばされているのを、院は嬉しく頼もしくお見上げあそばす。
 きまりがあるので、急いでお帰りあそばすにつけても、かえって悲しいことが多い。
 
57  春宮も、一度にと思し召しけれど、ものさわがしきにより、日を変へて、渡らせたまへり。
 御年のほどよりは、大人びうつくしき御さまにて、恋しと思ひきこえさせたまひけるつもりに、何心もなくうれしと思し、見たてまつりたまふ御けしき、いとあはれなり。
 
 春宮も帝と御一緒にとお思いなったが、大層な騷ぎになるので、日を改めて行啓なさった。
 お年の割には、大人びてかわいらしい御様子で、恋しいとお思い申し上げあそばしていたころなので、ただもう無心に嬉しくお思いになって、お目にかかりになる御様子は、まことにいじらしい。
 
58  中宮は、涙に沈みたまへるを、見たてまつらせたまふも、さまざま御心乱れて思し召さる。
 よろづのことを聞こえ知らせたまへど、いとものはかなき御ほどなれば、うしろめたく悲しと見たてまつらせたまふ。
 
 中宮が涙に沈んでいらっしゃるのを、院はお見上げ申しあそばされるにつけても、あれこれとお心の乱れる思いでいらっしゃる。
 院は春宮にいろいろの事をお教え申し上げなさるが、とても御幼少でいらっしゃるので、不安で悲しく御拝見あそばす。
 
59  大将にも、朝廷に仕うまつりたまふべき御心づかひ、この宮の御後見したまふべきことを、返す返すのたまはす。
 
 大将にも、朝廷にお仕えなさるためのお心構えや、春宮の御後見なさるべき事を、繰り返し仰せになる。
 
60  夜更けてぞ帰らせたまふ。
 残る人なく仕うまつりてののしるさま、行幸に劣るけぢめなし。
 飽かぬほどにて帰らせたまふを、いみじう思し召す。
 
 夜が更けてからお帰りあそばす。
 残る人なく陪従して大騷ぎする様子は、行幸に劣るところがない。
 満足し切れないところでお帰りおそばすのを、院はたいそう残念にお思いあそばす。
 
 
 

第二段 十一月一日、桐壺院、崩御

 
61  大后も、参りたまはむとするを、中宮のかく添ひおはするに、御心置かれて、思しやすらふほどに、おどろおどろしきさまにもおはしまさで、隠れさせたまひぬ。
 足を空に、思ひ惑ふ人多かり。
 
 大后も、お見舞いなさろうと思っていたが、中宮がこのように付き添っていらっしゃるためにおこだわりになって、おためらいになっていらっしゃるうちに、院はたいしてお苦しみにもならないで、お隠れあそばした。
 浮き足立ったように、お嘆き申し上げる人々が多かった。
 
62  御位を去らせたまふといふばかりにこそあれ、世のまつりごとをしづめさせたまへることも、我が御世の同じことにておはしまいつるを、帝はいと若うおはします、祖父大臣、いと急にさがなくおはして、その御ままになりなむ世を、いかならむと、上達部、殿上人、皆思ひ嘆く。
 
 院はお位をお退きあそばしたというだけで、世の政治をとりしきっていられたのは、御在位中と同様でいらっしゃったが、帝はまだお若くいらっしゃるし、外祖父の右大臣が、まことに性急で意地の悪い方でいらっしゃって、その意のままになってゆく世を、どうなるのだろうと、上達部や殿上人は、皆不安に思って嘆く。
 
63  中宮、大将殿などは、ましてすぐれて、ものも思しわかれず、後々の御わざなど、孝じ仕うまつりたまふさまも、そこらの親王たちの御中にすぐれたまへるを、ことわりながら、いとあはれに、世人も見たてまつる。
 藤の御衣にやつれたまへるにつけても、限りなくきよらに心苦しげなり。
 去年、今年とうち続き、かかることを見たまふに、世もいとあぢきなう思さるれど、かかるついでにも、まづ思し立たるることはあれど、また、さまざまの御ほだし多かり。
 
 中宮や大将殿などは、まして人一倍、何もお考えられなく、後々の御法事などをご供養申し上げなさる様子も、大勢の親王たちの御中でも格別優れていらっしゃるのを、当然のことながら、まことにおいたわしく、世の人々も拝し上げる。
 喪服を着て悲しみに沈んでいらっしゃるのにつけても、この上なく美しくおいたわしげである。
 去年、今年と引き続いて、このような不幸にお遭いになると、世の中が本当につまらなくお思いになるが、このような機会に、出家しようかと思わずにはいらっしゃれない事もあるが、また一方では、いろいろとお妨げとなるものが多いのであった。
 
64  御四十九日までは、女御、御息所たち、みな、院に集ひたまへりつるを、過ぎぬれば、散り散りにまかでたまふ。
 師走の二十日なれば、おほかたの世の中とぢむる空のけしきにつけても、まして晴るる世なき、中宮の御心のうちなり。
 大后の御心も知りたまへれば、心にまかせたまへらむ世の、はしたなく住み憂からむを思すよりも、馴れきこえたまへる年ごろの御ありさまを、思ひ出できこえたまはぬ時の間なきに、かくてもおはしますまじう、みな他々へと出でたまふほどに、悲しきこと限りなし。
 
 御四十九日までは、女御や御息所たちが、皆、院に集まっていらっしゃったが、それが過ぎたので、散り散りにご退出なさる。
 十二月の二十日なので、世の中一般も年の暮という空模様につけても、まして心晴れることのない中宮のお心の中である。
 大后のお心も御存知でいらっしゃるので、思いのままになさるであろう世が、体裁の悪く住みにくいことになろうことをお考えになるよりも、お親しみ申し上げなさった長い年月の御面影を、お偲び申し上げない時の間もない上に、このままここにおいでになるわけにもゆかず、皆方々へとご退出なさるに当たっては、悲しいことこの上ない。
 
65  宮は、三条の宮に渡りたまふ。
 御迎へに兵部卿宮参りたまへり。
 雪うち散り、風はげしうて、院の内、やうやう人目かれゆきて、しめやかなるに、大将殿、こなたに参りたまひて、古き御物語聞こえたまふ。
 御前の五葉の雪にしをれて、下葉枯れたるを見たまひて、親王、
 中宮は、三条の宮にお渡りになる。
 お迎えに兵部卿宮が参上なさった。
 雪がひとしきり降り、風が激しく吹いて、院の中はだんだんと人数少なになっていって、しんみりとしていた時に、大将殿がこちらに参上なさって、昔の思い出話をお申し上げなさる。
 お庭先の五葉の松が雪に萎れて下葉が枯れているのを御覧になって、兵部卿親王が、
 

143
 「蔭ひろみ 頼みし松や 枯れにけむ
 下葉散りゆく 年の暮かな」
 「木蔭が広いので頼りにしていた松の木は枯れてしまったのだろうか
  その下葉が散り行く今年の暮ですね」
 
66  何ばかりのことにもあらぬに、折から、ものあはれにて、大将の御袖、いたう濡れぬ。
 池の隙なう氷れるに、
 何という歌でもないが、折柄、何となく寂しい気持ちに駆られて、大将のお袖は、ひどく濡れた。
 池が隙間なく凍っていたので、
 

144
 「さえわたる 池の鏡の さやけきに
 見なれし影を 見ぬぞ悲しき」
 「氷の張りつめた池が鏡のようになっているが
  長年見慣れたそのお姿を見られないのが悲しい」
 
67  と、思すままに、あまり若々しうぞあるや。
 王命婦、
 と、お気持ちのままに詠まれたのは、あまりに子供っぽい詠み方ではないか。
 王命婦は、
 

145
 「年暮れて 岩井の水も こほりとぢ
 見し人影の あせもゆくかな」
 「年が暮れて岩井の水も凍りついて
  見慣れていた人影も見えなくなってゆきますこと」
 
68  そのついでに、いと多かれど、さのみ書き続くべきことかは。
 
 その折に、とても多くあったが、そうばかり書き連ねてよいことであろうか。
 
69  渡らせたまふ儀式、変はらねど、思ひなしにあはれにて、旧き宮は、かへりて旅心地したまふにも、御里住み絶えたる年月のほど、思しめぐらさるべし。
 
 お移りあばす儀式は、従来と変わらないが、思いなしかしみじみとして、お里の三条の宮邸は、かえって旅先のような心地がなさるにつけても、里下りなさらなかった歳月の長さを、あれこれと回想されて来るのだろう。
 
 
 

第三段 諒闇の新年となる

 
70  年かへりぬれど、世の中今めかしきことなく静かなり。
 まして大将殿は、もの憂くて籠もりゐたまへり。
 除目のころなど、院の御時をばさらにもいはず、年ごろ劣るけぢめなくて、御門のわたり、所なく立ち込みたりし馬、車うすらぎて、宿直物の袋をさをさ見えず、親しき家司どもばかり、ことに急ぐことなげにてあるを見たまふにも、「今よりは、かくこそは」と思ひやられて、ものすさまじくなむ。
 
 年も改まったが、世の中ははなやかなことはなく静かである。
 まして大将殿は、何となく悲しくて退き籠もっていらっしゃる。
 除目のころなどは、院の御在位中は言うまでもなく、ここ数年来、何ら変わることもなく、邸の御門の周辺に隙間なく立て込んでいた馬や車が、少なくなっていって、宿直の夜具袋などもほとんど見えず、親密な家司たちぐらいが、特別に準備することもなさそうでいるのを御覧になるにつけても、「今後は、こうなるのだろう」と思いやられて、何となく味気なく思われる。
 
71  御匣殿は、二月に、尚侍になりたまひぬ。
 院の御思ひにやがて尼になりたまへる、替はりなりけり。
 やむごとなくもてなし、人がらもいとよくおはすれば、あまた参り集りたまふなかにも、すぐれて時めきたまふ。
 后は、里がちにおはしまいて、参りたまふ時の御局には梅壺をしたれば、弘徽殿には尚侍の君住みたまふ。
 登花殿の埋れたりつるに、晴れ晴れしうなりて、女房なども数知らず集ひ参りて、今めかしう花やぎたまへど、御心のうちは、思ひのほかなりしことどもを忘れがたく嘆きたまふ。
 いと忍びて通はしたまふことは、なほ同じさまなるべし。
 「ものの聞こえもあらばいかならむ」と思しながら、例の御癖なれば、今しも御心ざしまさるべかめり。
 
 御匣殿は、二月に尚侍におなりになった。
 院の御喪に服してそのまま尼におなりになった方の替わりであった。
 高貴な家の出らしく振る舞われて、人柄もとてもよくいらっしゃるので、大勢入内なさっている中でも、格別に御寵愛をお受けになる。
 大后は、里邸にいらっしゃることが多く、参内なさる時のお局には、梅壺を当てていたので、弘徽殿には尚侍がお住まいになる。
 それまでの登花殿が陰気であったのに対して、晴ればれしくなって、女房なども数えきれないほど参集して、当世風にはなやかにおなりになったが、お心の中では、源氏の君との思いがけなかった出来事を忘れられず嘆いていらっしゃる。
 ごく内密に文を通わしなさることは、以前と同様なのであろう。
 源氏の君は「噂が立ったらどうなることだろう」とお思いになりながらも、例のご性癖なので、今になってかえってご愛情が募るようである。
 
72  院のおはしましつる世こそ憚りたまひつれ、后の御心いちはやくて、かたがた思しつめたることどもの報いせむ、と思すべかめり。
 ことにふれて、はしたなきことのみ出で来れば、かかるべきこととは思ししかど、見知りたまはぬ世の憂さに、立ちまふべくも思されず。
 
 院の御在世中こそは、遠慮もなさっていたが、大后の御気性は激しくて、あれこれと悔しい思いをしてきたことの仕返しをしよう、とお思いのようである。
 何かにつけて、体裁の悪いことばかりが生じてくるので、きっとこうなることとはお思いになっていたが、ご経験のない世間の辛さなので、立ち交じっていこうともお考えになれない。
 
73  左の大殿も、すさまじき心地したまひて、ことに内裏にも参りたまはず。
 故姫君を、引きよきて、この大将の君に聞こえつけたまひし御心を、后は思しおきて、よろしうも思ひきこえたまはず。
 大臣の御仲も、もとよりそばそばしうおはするに、故院の御世にはわがままにおはせしを、時移りて、したり顔におはするを、あぢきなしと思したる、ことわりなり。
 
 左の大殿も、面白くない気がなさって、格別内裏にも参内なさらない。
 亡き姫君を、今の帝を避けて、この大将の君に妻合わせなさったお気持ちを、大后は根にお持ちになって、あまり良くはお思い申し上げていない。
 大臣同士の御仲も、もとから疎遠でいらっしゃったうえに、故院の御世には左大臣の思い通りでいられたが、御世が替わって、右大臣が得意顔でいらっしゃるのが、面白くないとお思いになるのも、もっともなことである。
 
74  大将は、ありしに変はらず渡り通ひたまひて、さぶらひし人びとをも、なかなかにこまかに思しおきて、若君をかしづき思ひきこえたまへること、限りなければ、あはれにありがたき御心と、いとどいたつききこえたまふことども、同じさまなり。
 限りなき御おぼえの、あまりもの騒がしきまで、暇なげに見えたまひしを、通ひたまひし所々も、かたがたに絶えたまふことどもあり、軽々しき御忍びありきも、あいなう思しなりて、ことにしたまはねば、いとのどやかに、今しもあらまほしき御ありさまなり。
 
 大将の君は、昔に変わらず左大臣邸にお通いになって、お仕えしていた女房たちをも、かえって以前以上にこまごまとお気を配りになって、若君を大切におかわいがり申されることは、この上もないので、しみじみとありがたいお心だと、左大臣がますます大切にお世話申し上げなさる事どもは、昔同様である。
 この上ない院の御寵愛で、あまりにもうるさいまでにお暇もなさそうにお見えになったが、お通いになっていた方々も、あちこちと途絶えなさることもあり、軽率なお忍び歩きもつまらないようにお思いなさって、特になさらないので、とてものんびりとして、今の方がかえって理想的なお暮らしぶりである。
 
75  西の対の姫君の御幸ひを、世人もめできこゆ。
 少納言なども、人知れず、「故尼上の御祈りのしるし」と見たてまつる。
 父親王も思ふさまに聞こえ交はしたまふ。
 嫡腹の、限りなくと思すは、はかばかしうもえあらぬに、ねたげなること多くて、継母の北の方は、やすからず思すべし。
 物語にことさらに作り出でたるやうなる御ありさまなり。
 
 西の対の姫君のお幸せを、世間の人もお称え申し上げる。
 少納言なども、人知れず、「故尼上の御祈祷の効験」と拝している。
 父親王とも隔意なくお文をお通わし申し上げなさる。
 正妻腹の姫君の、この上なくと願っている方は、これといったこともないので、妬ましいことが多くて、継母の北の方はきっと面白くなくお思いであろう。
 物語にことさらに作り出したようなご様子である。
 
76  斎院は、御服にて下りゐたまひにしかば、朝顔の姫君は、替はりにゐたまひにき。
 賀茂のいつきには、孫王のゐたまふ例、多くもあらざりけれど、さるべき女御子やおはせざりけむ。
 大将の君、年月経れど、なほ御心離れたまはざりつるを、かう筋ことになりたまひぬれば、口惜しくと思す。
 中将におとづれたまふことも、同じことにて、御文などは絶えざるべし。
 昔に変はる御ありさまなどをば、ことに何とも思したらず、かやうのはかなしごとどもを、紛るることなきままに、こなたかなたと思し悩めり。
 
 斎院は、故院の御服喪のためにお下がりになったので、朝顔の姫君は、代わってお立ちになった。
 賀茂の斎院には、孫王のお就きになる例は多くもなかったが、適当な内親王がいらっしゃらなかったのであろう。
 大将の君は、幾歳月を経ても依然としてお忘れになれなかったのに、このように特別のご身分になってしまったので、残念なとお思いになる。
 中将のもとにお便りをおやりになることも以前と同じで、お手紙などは途絶えていないのだろう。
 以前と変わったご様子などを特に何ともお考えにならず、このようなちょっとした事柄を気の紛れることのないのにまかせて、あちらこちらと思い悩んでいらっしゃる。
 
 
 

第四段 源氏朧月夜と逢瀬を重ねる

 
77  帝は、院の御遺言違へず、あはれに思したれど、若うおはしますうちにも、御心なよびたるかたに過ぎて、強きところおはしまさぬなるべし、母后、祖父大臣とりどりしたまふことは、え背かせたまはず、世のまつりごと、御心にかなはぬやうなり。
 
 帝は、故院の御遺言に背かず、源氏の君を親しくお思いであったが、お若くいらっしゃるうえにも、お心が優し過ぎて、毅然としたところがおありでないのであろう、母后や祖父大臣が、それぞれになさる事に対しては、反対することがおできあそばされず、天下の政治もお心通りに行かないようである。
 
78  わづらはしさのみまされど、尚侍の君は、人知れぬ御心し通へば、わりなくてと、おぼつかなくはあらず。
 五壇の御修法の初めにて、慎しみおはします隙をうかがひて、例の、夢のやうに聞こえたまふ。
 かの、昔おぼえたる細殿の局に、中納言の君、紛らはして入れたてまつる。
 人目もしげきころなれば、常よりも端近なる、そら恐ろしうおぼゆ。
 
 源氏の君にとって、厄介な事ばかりが多くなるが、尚侍の君には心密かにお心を通わしていらっしゃるので、無理をなさりつつも、長い途絶えがあるわけではない。
 五壇の御修法の初日で、帝がお慎しみあそばしていられる隙間を狙って、いつものように夢のような心地でお逢い申し上げる。
 あの昔を思い出させる細殿の局に、中納言の君が人目を紛らしてお入れ申し上げる。
 人目の多いころなので、いつもより端近なのが何となく恐ろしく思わずにはいられない。
 
79  朝夕に見たてまつる人だに、飽かぬ御さまなれば、まして、めづらしきほどにのみある御対面の、いかでかはおろかならむ。
 女の御さまも、げにぞめでたき御盛りなる。
 重りかなるかたは、いかがあらむ、をかしうなまめき若びたる心地して、見まほしき御けはひなり。
 
 朝夕に拝見している人でさえ見飽きない源氏の君のご様子なので、ましてまれまれにある逢瀬であっては、どうして並々のことであろうか。
 女君のご様子も、なるほど素晴しいお盛りであるが、重々しいという点ではどうであろうか、魅力的で優美で若々しい感じがして好ましいご様子である。
 
80  ほどなく明け行くにや、とおぼゆるに、ただここにしも、  間もなく夜も明けて行こうかと思われるころに、ちょうどすぐ側で、
81  「宿直申し、さぶらふ」  「宿直申しの者が、ここにおります」
82  と、声づくるなり。
 「また、このわたりに隠ろへたる近衛司ぞあるべき。
 腹ぎたなきかたへの教へおこするぞかし」と、大将は聞きたまふ。
 をかしきものから、わづらはし。
 
 と、声を上げて申告するようである。
 「自分以外にも、この近辺で密会している近衛府の官人がいるのだろう。
 こ憎らしい傍輩が教えてよこしたのだろう」と、大将はお聞きになる。
 面白いと思う一方で、厄介でもある。
 
83  ここかしこ尋ねありきて、  あちこちと探し歩いて、
84  「寅一つ」  「寅一つ」
85  と申すなり。
 女君、
 と申しているようだ。
 女君が、
 

146
 「心から かたがた袖を 濡らすかな
 明くと教ふる 声につけても」
 「自分からあれこれと涙で袖を濡らすことですわ
  夜が明けると教えてくれる声につけましても」
 
86  とのたまふさま、はかなだちて、いとをかし。  とおっしゃる様子は、いじらしくてまことに魅力的である。
 

147
 「嘆きつつ わが世はかくて 過ぐせとや
 胸のあくべき 時ぞともなく」
 「嘆きながら一生をこのように過ごせというのでしょうか
  胸の思いの晴れる間もないのに」
 
87  静心なくて、出でたまひぬ。  慌ただしい思いで、お出ましになった。
 
88  夜深き暁月夜の、えもいはず霧りわたれるに、いといたうやつれて、振る舞ひなしたまへるしも、似るものなき御ありさまにて、承香殿の御兄の藤少将、藤壺より出でて、月の少し隈ある立蔀のもとに立てりけるを、知らで過ぎたまひけむこそいとほしけれ。
 もどききこゆるやうもありなむかし。
 
 夜の深い暁の月夜に、何ともいいようのない霧が立ちこめていて、とてもたいそうお忍び姿で振る舞っていらっしゃるのが、他に似るものがないほどのご様子で、承香殿女御の兄君の藤少将が藤壺から出て来て月の光が少し蔭になっている立蔀の側に立っていたのを知らないでお通り過ぎになったことはお気の毒であったことよ。
 きっとご非難申し上げるようなこともあるだろうよ。
 
89  かやうのことにつけても、もて離れつれなき人の御心を、かつはめでたしと思ひきこえたまふものから、わが心の引くかたにては、なほつらう心憂し、とおぼえたまふ折多かり。
 
 このような事につけても、よそよそしくて冷たい方のお心を、一方では立派であるとお思い申し上げてはいるものの、自分勝手な気持ちからすれば、やはり辛く恨めしいと思われなさる時が多い。
 
 
 

第三章 藤壺の物語 塗籠事件

 
 

第一段 源氏、再び藤壺に迫る

 
90  内裏に参りたまはむことは、うひうひしく、所狭く思しなりて、春宮を見たてまつりたまはぬを、おぼつかなく思ほえたまふ。
 また、頼もしき人もものしたまはねば、ただこの大将の君をぞ、よろづに頼みきこえたまへるに、なほ、この憎き御心のやまぬに、ともすれば御胸をつぶしたまひつつ、いささかもけしきを御覧じ知らずなりにしを思ふだに、いと恐ろしきに、今さらにまた、さる事の聞こえありて、わが身はさるものにて、春宮の御ためにかならずよからぬこと出で来なむ、と思すに、いと恐ろしければ、御祈りをさへせさせて、このこと思ひやませたてまつらむと、思しいたらぬことなく逃れたまふを、いかなる折にかありけむ、あさましうて、近づき参りたまへり。
 心深くたばかりたまひけむことを、知る人なかりければ、夢のやうにぞありける。
 
中宮は、内裏に参内なさるようなことは、物馴れない気がし窮屈にお感じになって、春宮をご後見申し上げなされないのを、気がかりに思われなさる。
 また一方、頼りとする人もいらっしゃらないので、ただこの大将の君をいろいろとお頼り申し上げていらっしゃったが、依然として、この憎らしいご執心が止まないうえに、ややもすれば度々胸をお痛めになって、故院が少しも関係をお気づきあそばさずじまいだったのを思うだけでもとても恐ろしいのに、今その上にまた、そのような事の噂が立っては、自分の身はともかくも、春宮の御ためにきっとよくない事が出て来ようとお思いになると、とても恐ろしいので、ご祈祷までおさせになって、この事をお絶ちいただこうと、あらゆるご思案をなさって逃れなさるが、どのような機会だったのだろうか、思いもかけぬことに、お近づきになった。
 慎重に計画なさったことを、気づいた女房もいなかったので、夢のようであった。
 
91  まねぶべきやうなく聞こえ続けたまへど、宮、いとこよなくもて離れきこえたまひて、果て果ては、御胸をいたう悩みたまへば、近うさぶらひつる命婦、弁などぞ、あさましう見たてまつりあつかふ。
 男は、憂し、つらし、と思ひきこえたまふこと、限りなきに、来し方行く先、かきくらす心地して、うつし心失せにければ、明け果てにけれど、出でたまはずなりぬ。
 
 筆に写して伝えることができないくらい言葉巧みにかき口説き申し上げなさるが、宮は、まことにこの上もなく冷たくおあしらい申し上げなさって、遂にはお胸をひどくお痛めなさったので、近くに控えていた命婦や弁などが、驚きあきれてご介抱申し上げる。
 男君は、恨めしい、辛い、とお思い申し上げなさること、この上もないので、過去も未来も、まっ暗闇になった感じで、理性も失せてしまったので、夜もすっかり明けてしまったが、お出ましにならないままになってしまった。
 
92  御悩みにおどろきて、人びと近う参りて、しげうまがへば、我にもあらで、塗籠に押し入れられておはす。
 御衣ども隠し持たる人の心地ども、いとむつかし。
 宮は、ものをいとわびし、と思しけるに、御気上がりて、なほ悩ましうせさせたまふ。
 兵部卿宮、大夫など参りて、
 宮のご病気に驚いて、女房たちがお近くに参上して、しきりに出入りするので、茫然自失のまま塗籠に押し込められていらっしゃる。
 お召物を隠し持っている女房たちの心地も、とても気が気でない。
 宮は、何もかもとても辛い、とお思いになったので、のぼせられて、なおもお苦しみあそばす。
 兵部卿宮や中宮大夫などが参上して、
93  「僧召せ」  「僧を呼べ」
94  など騒ぐを、大将、いとわびしう聞きおはす。
 からうして、暮れゆくほどにぞおこたりたまへる。
 
 などと騒ぐのを、大将はとても辛く聞いていらっしゃる。
 やっとのことで、暮れて行くころにご回復あそばした。
 
95  かく籠もりゐたまへらむとは思しもかけず、人びとも、また御心惑はさじとて、かくなむとも申さぬなるべし。
 昼の御座にゐざり出でておはします。
 よろしう思さるるなめりとて、宮もまかでたまひなどして、御前人少なになりぬ。
 例もけ近くならさせたまふ人少なければ、ここかしこの物のうしろなどにぞさぶらふ。
 命婦の君などは、
 男君がこのようにが籠もっていられようとはお思いもなさらず、女房たちも再びお心を乱させまいと思って、これこれしかじかでとも申し上げないのだろう。
 宮は昼の御座にいざり出ていらっしゃる。
 ご回復そばしたらしいと思って、兵部卿宮もご退出などなさって、御前は人少なになった。
 いつもお側近くに仕えさせなさる者は少ないので、あちらこちらの物蔭などに控えている。
 命婦の君などは、
96  「いかにたばかりて、出だしたてまつらむ。
 今宵さへ、御気上がらせたまはむ、いとほしう」
 「どのように人目をくらまして、お帰らせ申し上げようか。
 今夜までも、おのぼせになられたら、おいたわしい」
97  など、うちささめき扱ふ。
 
 などと、ひそひそとささやき困っている。
 
98  君は、塗籠の戸の細めに開きたるを、やをらおし開けて、御屏風のはさまに伝ひ入りたまひぬ。
 めづらしくうれしきにも、涙落ちて見たてまつりたまふ。
 
 男君は塗籠の戸が細めに開いているのを静かに押し開けて、御屏風の隙間を伝わってお入りになった。
 珍しく嬉しいにつけても、涙が落ちて拝見なさる。
 
99  「なほ、いと苦しうこそあれ。
 世や尽きぬらむ」
 「やはり、とても苦しい。
 死んでしまうのかしら」
100  とて、外の方を見出だしたまへるかたはら目、言ひ知らずなまめかしう見ゆ。
 御くだものをだに、とて参り据ゑたり。
 箱の蓋などにも、なつかしきさまにてあれど、見入れたまはず。
 世の中をいたう思し悩めるけしきにて、のどかに眺め入りたまへる、いみじうらうたげなり。
 髪ざし、頭つき、御髪のかかりたるさま、限りなき匂はしさなど、ただ、かの対の姫君に違ふところなし。
 年ごろ、すこし思ひ忘れたまへりつるを、「あさましきまでおぼえたまへるかな」と見たまふままに、すこしもの思ひのはるけどころある心地したまふ。
 
 と言って、外の方を遠く見ていらっしゃる横顔は、何とも言いようがないほど優美に見える。
 お果物だけでも、といって差し上げてある。
 箱の蓋などにも、おいしそうに盛ってあるが、宮は見向きもなさらない。
 世の中をとても深く思い悩んでいられるご様子で、静かに物思いに耽っていらっしゃるのは、たいそういじらしげである。
 髪の生え際や、頭の恰好、御髪のかかっている様子の、この上ない美しさなど、まるで、あの対の姫君に異なるところがない。
 ここ数年来、少し思い忘れていらしたのを、「驚きあきれるまでよく似ていらっしゃることよ」と御覧になっていらっしゃると、少し執心の晴れる心地がなさる。
 
101  気高う恥づかしげなるさまなども、さらに異人とも思ひ分きがたきを、なほ、限りなく昔より思ひしめきこえてし心の思ひなしにや、「さまことに、いみじうねびまさりたまひにけるかな」と、たぐひなくおぼえたまふに、心惑ひして、やをら御帳のうちにかかづらひ入りて、御衣の褄を引きならしたまふ。
 けはひしるく、さと匂ひたるに、あさましうむくつけう思されて、やがてひれ伏したまへり。
 「見だに向きたまへかし」と心やましうつらうて、引き寄せたまへるに、御衣をすべし置きて、ゐざりのきたまふに、心にもあらず、御髪の取り添へられたりければ、いと心憂く、宿世のほど、思し知られて、いみじ、と思したり。
 
 気品高く気後れするようなご様子なども、まったく対の姫君と別人と区別することも難しいのを、やはり、何よりも大切に昔からお慕い申し上げてきた心の思いなしか、「たいそう格別に、お年とともにますますお美しくなってこられたことよ」と、他に並ぶものがなくお思いになると、惑乱して、そっと御帳の中に纏いつくように入り込んで、御衣の褄を引き動かしなさる。
 気配ははっきり分かり、さっと薫物の香が匂ったので、宮はあきれて不快な気がなさって、そのまま伏せっておしまいになった。
 「振り向いて下さるだけでも」と恨めしく辛くて引き寄せなさると、宮は、お召物を脱ぎ滑らせていざり退きなさるが、思いがけず、御髪がお召し物と一緒に掴まえられたので、まことに情けなく、宿縁の深さが思い知られなさって、実に辛いとお思いになった。
 
102  男も、ここら世をもてしづめたまふ御心、みな乱れて、うつしざまにもあらず、よろづのことを泣く泣く怨みきこえたまへど、まことに心づきなし、と思して、いらへも聞こえたまはず。
 ただ、
 男君も、長年抑えてこられたお心がすかっり惑乱して、気でも違ったようにあらゆる事を泣きながらお恨み訴え申し上げなさるが、宮は、本当に厭わしいとお思いになって、お返事も申し上げなさらない。
 わずかに、
103  「心地の、いと悩ましきを。
 かからぬ折もあらば、聞こえてむ」
 「気分が、とてもすぐれませんので。
 このようでない時であったら、お返事申し上げましょう」
104  とのたまへど、尽きせぬ御心のほどを言ひ続けたまふ。
 
とおっしゃるが、尽きないお心のたけを言い続けなさる。
 
105  さすがに、いみじと聞きたまふふしもまじるらむ。
 あらざりしことにはあらねど、改めて、いと口惜しう思さるれば、なつかしきものから、いとようのたまひ逃れて、今宵も明け行く。
 
 そうは言っても、さすがにお心を打つような内容も交じっているのだろう。
 以前にも関係がないではなかった仲だが、再びこうなって、ひどく情けなくお思いになるので、優しくおっしゃりながらもとてもうまく言い逃れなさって、今夜もそのまま明けて行く。
 
106  せめて従ひきこえざらむもかたじけなく、心恥づかしき御けはひなれば、  しいてお言葉に従い申し上げないのも恐れ多く、奥ゆかしいご様子なので、
107  「ただ、かばかりにても、時々、いみじき愁へをだに、はるけはべりぬべくは、何のおほけなき心もはべらじ」  「わずか、この程度であっても、時々大層深い苦しみだけでも、晴らすことができれば、何の大それた考えもございません」
108  など、たゆめきこえたまふべし。
 なのめなることだに、かやうなる仲らひは、あはれなることも添ふなるを、まして、たぐひなげなり。
 
 などと、ご安心申し上げなさるのだろう。
 ありふれたことでさえも、このような間柄には、しみじみとしたことも多く付きまとうというものだが、それ以上に、匹敵するものがなさそうである。
 
109  明け果つれば、二人して、いみじきことどもを聞こえ、宮は、半ばは亡きやうなる御けしきの心苦しければ、  夜が明けてしまったので、王命婦と弁が二人して、大変なことになるとご忠告申し上げ、宮は半ば魂も抜けたような御様子なのが、おいたわしいので、男君は、
110  「世の中にありと聞こし召されむも、いと恥づかしければ、やがて亡せはべりなむも、また、この世ならぬ罪となりはべりぬべきこと」  「世の中にまだ生きているとお聞きあそばすのも、とても恥ずかしいので、このまま死んでしまいますのも、また、この世だけともならぬ罪障となりましょうことよ」
111  など聞こえたまふも、むくつけきまで思し入れり。
 
 などと申し上げなさるが、君は気味悪いまでに思いつめていらっしゃった。
 
 

148
 「逢ふことの かたきを今日に 限らずは
 今幾世をか 嘆きつつ経む
 「お逢いすることの難しさが今日でおしまいでないならば
  いく転生にわたって嘆きながら過すことでしょうか
 
112  御ほだしにもこそ」  御往生の妨げにもなっては」
113  と聞こえたまへば、さすがに、うち嘆きたまひて、 と申し上げなさると、そうは言うものの、ふと嘆息なさって、
 

149
 「長き世の 恨みを人に 残しても
 かつは心を あだと知らなむ」
 「未来永劫の怨みをわたしに残したと言っても
  そのようなお心はまた一方ですぐに変わるものと知っていただきたい」
 
114  はかなく言ひなさせたまへるさまの、言ふよしなき心地すれど、人の思さむところも、わが御ためも苦しければ、我にもあらで、出でたまひぬ。
 
 わざと何でもないことのようにおっしゃるご様子が、何とも言いようのない気がするが、相手のお思いになることも、ご自分のためにも苦しいので、男君は呆然自失の心地で、お出ましになった。
 
 
 

第二段 藤壺、出家を決意

 
115  「いづこを面にてかは、またも見えたてまつらむ。
 いとほしと思し知るばかり」と思して、御文も聞こえたまはず。
 うち絶えて、内裏、春宮にも参りたまはず、籠もりおはして、起き臥し、「いみじかりける人の御心かな」と、人悪ろく恋しう悲しきに、心魂も失せにけるにや、悩ましうさへ思さる。
 もの心細く、「なぞや、世に経れば憂さこそまされ」と、思し立つには、この女君のいとらうたげにて、あはれにうち頼みきこえたまへるを、振り捨てむこと、いとかたし。
 
 「何の面目があって、再びお目にかかることができようか。
 宮が気の毒だとお気づきになるだけでも」とお思いになって、後朝の文も差し上げなさらない。
 すっかりもう、内裏、春宮にも参内なさらず、引き籠もっていらっしゃって、寝ても覚めても、「本当にひどいお気持ちの方だ」と、体裁が悪いほど恋しく悲しいので、気も魂も抜け出してしまったのだろうか、ご気分までが悪く感じられる。
 何となく心細く、「どうしてか、世の中に生きていると嫌なことばかり増えていくのだろう」と、発意なさる一方では、この対の姫君がとてもかわいらしげで、心からお頼り申し上げていらっしゃるのを、振り捨てるようなこと、とても難しい。
 
116  宮も、その名残、例にもおはしまさず。
 かうことさらめきて籠もりゐ、おとづれたまはぬを、命婦などはいとほしがりきこゆ。
 宮も、春宮の御ためを思すには、「御心置きたまはむこと、いとほしく、世をあぢきなきものに思ひなりたまはば、ひたみちに思し立つこともや」と、さすがに苦しう思さるべし。
 
 宮も、あの事があとを引いて、普段通りでいらっしゃらない。
 こうわざとらしく引き籠もっていらっしゃって、お便りもなさらないのを、命婦などはお気の毒がり申し上げる。
 宮も、春宮の御身の上をお考えになると、「お心隔てをお置きになること、お気の毒であるし、世の中をつまらないものとお思いになったら、一途に出家を思い立つ事もあろうか」と、やはり苦しくお思いにならずにはいられないのだろう。
 
117  「かかること絶えずは、いとどしき世に、憂き名さへ漏り出でなむ。
 大后の、あるまじきことにのたまふなる位をも去りなむ」と、やうやう思しなる。
 
 「このようなことが止まなかったら、ただでさえ辛い世の中に、嫌な噂までが立てられるだろう。
 大后が、けしからんことだとおっしゃっているという中宮の地位をも退いてしまおう」と、次第にお思いになる。
 
118  院の思しのたまはせしさまの、なのめならざりしを思し出づるにも、「よろづのこと、ありしにもあらず、変はりゆく世にこそあめれ。
 戚夫人の見けむ目のやうにはあらずとも、かならず、人笑へなることは、ありぬべき身にこそあめれ」など、世の疎ましく、過ぐしがたう思さるれば、背きなむことを思し取るに、春宮、見たてまつらで面変はりせむこと、あはれに思さるれば、忍びやかにて参りたまへり。
 
 故院が御配慮あそばして仰せになったことが、並大抵のことではなかったことをお思い出しになるにつけても、「すべてのことが、以前と違って、変わって行く世の中のようだ。
 戚夫人が受けたような辱めではなくても、きっと、世間の物嗤いになるようなことが、身の上に起こるにちがいない」などと、世の中が厭わしく、生きて行きがたく感じられずにはいられないので、出家してしまうことを御決意なさるが、春宮にお眼にかからないで尼姿になることが悲しく思われなさるので、こっそりと参内なさった。
 
119  大将の君は、さらぬことだに、思し寄らぬことなく仕うまつりたまふを、御心地悩ましきにことつけて、御送りにも参りたまはず。
 おほかたの御とぶらひは、同じやうなれど、「むげに、思し屈しにける」と、心知るどちは、いとほしがりきこゆ。
 
 大将の君は、それほどでないことでさえお気づきにならないことなく宮にお仕え申し上げていらっしゃるが、ご気分がすぐれないことを理由にして、お送りの供奉にも参上なさらない。
 一通りのお世話はいつもと同じようだが、「すっかり、気落ちしていらっしゃる」と、事情を知っている女房たちはお気の毒にお思い申し上げる。
 
120  宮は、いみじううつくしうおとなびたまひて、めづらしううれしと思して、むつれきこえたまふを、かなしと見たてまつりたまふにも、思し立つ筋はいとかたけれど、内裏わたりを見たまふにつけても、世のありさま、あはれにはかなく、移り変はることのみ多かり。
 
 春宮は、たいそうかわいらしく御成長されて、珍しく嬉しいとお思いになって、おまつわり申し上げなさるのを、宮は、いとしいと拝見なさるにつけても、御決意なさったことはとても難しく思われるが、宮中あたりの雰囲気を御覧になるにつけても、世の中のありさまはしみじみと心細く移り変わって行くことばかりが多い。
 
121  大后の御心もいとわづらはしくて、かく出で入りたまふにも、はしたなく、事に触れて苦しければ、宮の御ためにも危ふくゆゆしう、よろづにつけて思ほし乱れて、  大后のお心もとても煩わしくて、このようにお出入りなさるにつけても体裁悪く、何かにつけて辛いので、春宮のお身の上のためにも危険で恐ろしく、万事につけてお思い乱れて、
122  「御覧ぜで、久しからむほどに、容貌の異ざまにてうたてげに変はりてはべらば、いかが思さるべき」  「私を御覧にならない、その長い間のうちに、姿形が違ったふうに嫌な恰好に変わりましたら、どのようにお思いあそばしますか」
123  と聞こえたまへば、御顔うちまもりたまひて、  とお申し上げなさると、お顔をじっとお見つめになって、
124  「式部がやうにや。
 いかでか、さはなりたまはむ」
 「式部のようになの。
 どうして、そのようにはおなりになりましょう」
125  と、笑みてのたまふ。
 いふかひなくあはれにて、
 と、笑っておっしゃる。
 何とも言いようがなくいじらしいので、
126  「それは、老いてはべれば醜きぞ。
 さはあらで、髪はそれよりも短くて、黒き衣などを着て、夜居の僧のやうになりはべらむとすれば、見たてまつらむことも、いとど久しかるべきぞ」
 「あの人は、年老いていますので醜いのですよ。
 そうではなくて、髪はそれよりも短くして、黒い衣などを着て、夜居の僧のようになりましょうと思うので、お目にかかることも、ますます間遠になるにちがいありませんよ」
127  とて泣きたまへば、まめだちて、  と言ってお泣きになると、真顔になって、
128  「久しうおはせぬは、恋しきものを」  「長い間いらっしゃらないのは、恋しいのに」
129  とて、涙の落つれば、恥づかしと思して、さすがに背きたまへる、御髪はゆらゆらときよらにて、まみのなつかしげに匂ひたまへるさま、おとなびたまふままに、ただかの御顔を脱ぎすべたまへり。
 御歯のすこし朽ちて、口の内黒みて、笑みたまへる薫りうつくしきは、女にて見たてまつらまほしうきよらなり。
 「いと、かうしもおぼえたまへるこそ、心憂けれ」と、玉の瑕に思さるるも、世のわづらはしさの、空恐ろしうおぼえたまふなりけり。
 
 とおっしゃって、涙が落ちるので、恥ずかしいとお思いになって、それでも横をお向きになっていらっしゃるが、お髪はふさふさと美しくて、目もとがやさしく輝いていらっしゃる様子は、大きく成長なさっていくにつれて、まるで、あの源氏の君の方のお顔を移し変えなさったようである。
 御歯が少し虫歯になって、口の中が黒ずんで、笑っていらっしゃる輝く美しさは、女にして拝見したい美しさである。
 「とても、こんなに似ていらっしゃるのが、心配だ」と、玉の疵にお思いなされるのも、世間のうるさいことが、空恐ろしくお思いになられるのであった。
 
 
 

第四章 光る源氏の物語 雲林院参籠

 
 

第一段 秋、雲林院に参籠

 
130  大将の君は、宮をいと恋しう思ひきこえたまへど、「あさましき御心のほどを、時々は、思ひ知るさまにも見せたてまつらむ」と、念じつつ過ぐしたまふに、人悪ろく、つれづれに思さるれば、秋の野も見たまひがてら、雲林院に詣でたまへり。
 
 大将の君は、春宮をたいそう恋しくお思い申し上げになっているが、「藤壺の宮の情けないほど冷たいお心のほどを、時々はお悟りになるようにお仕向け申そう」と、じっと堪えながらお過ごしなさるが、体裁が悪く所在なく思われなさるので、秋の野原も御覧になるついでに、雲林院に参詣なさった。
 
131  「故母御息所の御兄の律師の籠もりたまへる坊にて、法文など読み、行なひせむ」と思して、二、三日おはするに、あはれなること多かり。
 
 「亡き母御息所の御兄上の律師が籠もっていらっしゃる坊で、経文などを読み、勤行をしよう」とお思いになって、二、三日滞在していらっしゃると、心打たれる事柄が多かった。
 
132  紅葉やうやう色づきわたりて、秋の野のいとなまめきたるなど見たまひて、故里も忘れぬべく思さる。
 法師ばらの、才ある限り召し出でて、論議せさせて聞こしめさせたまふ。
 所からに、いとど世の中の常なさを思し明かしても、なほ、「憂き人しもぞ」と、思し出でらるるおし明け方の月影に、法師ばらの閼伽たてまつるとて、からからと鳴らしつつ、菊の花、濃き薄き紅葉など、折り散らしたるも、はかなげなれど、
 紅葉がだんだん一面に色づいてきて、秋の野がとても優美な様子などを御覧になって、京の邸のことなども忘れてしまいそうに思われなさる。
 法師たちで、学才のある者ばかりを召し寄せて、論議させてお聞きあそばす。
 場所柄のせいで、ますます世の中の無常を夜を明かしてお考えになっても、やはり、『つれない人こそ、恋しく思われる』と、思い出さずにはいらっしゃれない明け方の月の光に、法師たちが閼伽棚にお供え申そうとして、からからと音を鳴らしながら、菊の花、濃い薄い紅葉など、折って散らしてあるのも、些細なことのようだが、
133  「このかたのいとなみは、この世もつれづれならず、後の世はた、頼もしげなり。
 さも、あぢきなき身をもて悩むかな」
 「この方面のお勤めは、この世の所在なさの慰めになり、また来世も頼もしげである。
 それに引き比べ、つまらない身の上を持て余していることよ」
134  など、思し続けたまふ。
 律師の、いと尊き声にて、
 などと、お思い続けなさる。
 律師が、とても尊い声で、
135  「念仏衆生摂取不捨」  「念仏衆生摂取不捨」
136  と、うちのべて行なひたまへるは、いとうらやましければ、「なぞや」と思しなるに、まづ、姫君の心にかかりて思ひ出でられたまふぞ、いと悪ろき心なるや。
 
 と、声を引き延ばして読経なさっているのは、とても羨ましいので、「どうして自分は」とお考えになると、まず、姫君が心にかかって思い出されなさるのは、まことに未練がましい悪い心であるよ。
 
137  例ならぬ日数も、おぼつかなくのみ思さるれば、御文ばかりぞ、しげう聞こえたまふめる。
 
 いつにない長い隔ても、不安にばかり思われなさるので、お手紙だけは頻繁に差し上げなさるようである。
 
138  「行き離れぬべしやと、試みはべる道なれど、つれづれも慰めがたう、心細さまさりてなむ。
 聞きさしたることありて、やすらひはべるほど、いかに」
 「現世を離れることができようかと、ためしにやって来たのですが、所在ない気持ちも慰めがたく心細さが募るばかりで。
 途中までしか聞いていない事があってぐずぐずしておりますが、いかがお過ごしですか」
139  など、陸奥紙にうちとけ書きたまへるさへぞ、めでたき。
 
 などと、陸奥紙に気楽にお書きになっているのまでが素晴らしい。
 
 

150
 「浅茅生の 露のやどりに 君をおきて
 四方の嵐ぞ 静心なき」
 「浅茅生に置く露のようにはかないこの世にあなたを置いてきたので
  まわりから吹きつける世間の激しい風を聞くにつけ気ががりでなりません」
 
140  など、こまやかなるに、女君もうち泣きたまひぬ。
 御返し、白き色紙に、
 などと情愛こまやかに書かれているので、女君もついお泣きになってしまった。
 お返事は、白い色紙に、
 

151
 「風吹けば まづぞ乱るる 色変はる
 浅茅が露に かかるささがに」
 「風が吹くとまっ先に乱れて色変わりするはかない浅茅生の露の上に
  糸をかけてそれを頼りに生きている蜘蛛のようなわたしですから」
 
141  とのみありて、「御手はいとをかしうのみなりまさるものかな」と、独りごちて、うつくしとほほ笑みたまふ。
 
 とだけあるので、「ご筆跡はとても上手になっていくばかりだなあ」と、つい独り言を洩らして、かわいいと微笑んでいらっしゃる。
 
142  常に書き交はしたまへば、わが御手にいとよく似て、今すこしなまめかしう、女しきところ書き添へたまへり。
 「何ごとにつけても、けしうはあらず生ほし立てたりかし」と思ほす。
 
 いつも手紙をやりとりなさっているので、ご自分の筆跡にとてもよく似て、さらに少しなよやかで、女らしさが書き加わっていらっしゃった。
 「どのような事につけても、まあまあに育て上げたものよ」とお思いになる。
 
 
 

第二段 朝顔斎院と和歌を贈答

 
143  吹き交ふ風も近きほどにて、斎院にも聞こえたまひけり。
 中将の君に、
 吹き通う風も近い距離なので、斎院にもお手紙を差し上げなさった。
 中将の君に、
144  「かく、旅の空になむ、もの思ひにあくがれにけるを、思し知るにもあらじかし」  「このように旅の空に、物思いゆえに身も魂もさまよい出たのを、ご存知なはずはありますまいね」
145  など、怨みたまひて、御前には、  などと、恨み言を述べて、斎院の御前には、
 

152
 「かけまくは かしこけれども そのかみの
 秋思ほゆる 木綿欅かな
 「口に上して言うことは恐れ多いことですけれど
  その昔の秋のころのことが思い出されます
 
146  昔を今に、と思ひたまふるもかひなく、とり返されむもののやうに」  『昔の仲を今に』と存じます甲斐もなく、取り返せるもののように思われまして」
147  と、なれなれしげに、唐の浅緑の紙に、榊に木綿つけなど、神々しうしなして参らせたまふ。
 
 と、親しげに、唐の浅緑の紙に、榊に木綿をつけたりなどして、神々しく仕立てて差し上げさせなさる。
 
148  御返り、中将、  お返事は、中将の君が、
149  「紛るることなくて、来し方のことを思ひたまへ出づるつれづれのままには、思ひやりきこえさすること多くはべれど、かひなくのみなむ」  「気の紛れることもなくて、過ぎ去ったことを思い出してはその所在なさに、お偲び申し上げることは多くございますが、何の甲斐もございません事ばかりで」
150  と、すこし心とどめて多かり。
 御前のは、木綿の片端に、
 と、少し丹念に多く書かれていた。
 斎院の歌は、木綿の片端に、
 

153
 「そのかみや いかがはありし 木綿欅
 心にかけて しのぶらむゆゑ
 「その昔どうだったとおっしゃるのでしょうか
  心にかけて偲ぶとおっしゃるわけは
 
151  近き世に」  近い世には、なおさらに」
152  とぞある。
 
 とある。
 
153  「御手、こまやかにはあらねど、らうらうじう、草などをかしうなりにけり。
 まして、朝顔もねびまさりたまへらむかし」と思ほゆるも、ただならず、恐ろしや。
 
 「ご筆跡は、こまやかな美しさではないが巧みで、草書きなど美しくなったものだ。
 ましてや、お顔もいよいよ美しくなられたろう」と想像されるのも、心が騒いで恐ろしいことよ。
 
154  「あはれ、このころぞかし。
 野の宮のあはれなりしこと」と思し出でて、「あやしう、やうのもの」と、神恨めしう思さるる御癖の、見苦しきぞかし。
 わりなう思さば、さもありぬべかりし年ごろは、のどかに過ぐいたまひて、今は悔しう思さるべかめるも、あやしき御心なりや。
 
 「ああ、このころであったよ。
 野の宮でのしみじみとした事は」とお思い出しになって、「不思議に、同じような事だ」と、神域を恨めしくお思いになられるご性癖が、見苦しいことである。
 是非にとお思いなら、望みのようにもなったはずのころには、のんびりとお過ごしになって、今となって悔しくお思いになるらしいのも、奇妙なご性質であることよ。
 
155  院も、かくなべてならぬ御心ばへを見知りきこえたまへれば、たまさかなる御返りなどは、えしももて離れきこえたまふまじかめり。
 すこしあいなきことなりかし。
 
 斎院もこのような君の並々でないお気持ちをよくお見知り申し上げていらっしゃるので、時たまのお返事などにはあまりすげなくはお応え申すこともできないようである。
 少し困ったことである。
 
156  六十巻といふ書、読みたまひ、おぼつかなきところどころ解かせなどしておはしますを、「山寺には、いみじき光行なひ出だしたてまつれり」と、「仏の御面目あり」と、あやしの法師ばらまでよろこびあへり。
 しめやかにて、世の中を思ほしつづくるに、帰らむことももの憂かりぬべけれど、人一人の御こと思しやるがほだしなれば、久しうもえおはしまさで、寺にも御誦経いかめしうせさせたまふ。
 あるべき限り、上下の僧ども、そのわたりの山賤まで物賜び、尊きことの限りを尽くして出でたまふ。
 見たてまつり送るとて、このもかのもに、あやしきしはふるひどもも集りてゐて、涙を落としつつ見たてまつる。
 黒き御車のうちにて、藤の御袂にやつれたまへれば、ことに見えたまはねど、ほのかなる御ありさまを、世になく思ひきこゆべかめり。
 
 天台六十巻という経文をお読みになり、不審な所々を解説させたりなどしていらっしゃるのを、山寺にとっては、たいそうな光明を修行の力でお祈り出し申したとか、仏の御面目が立つことだと、賤しい法師連中までが喜び合っていた。
 心静かにして、世の中のことをお考え続けなさると、帰ることも億劫な気持ちになってしまいそうだが、姫君一人の身の上をご心配なさるのが心にかかる事なので、長くはいらっしゃれないで、寺にも御誦経の御布施を立派におさせになる。
 伺候している人のすべて、身分の上下を問わずすべての僧たちや、その周辺の山賤にまで施物を下賜され、あらゆる功徳を施してお出になる。
 お見送り申そうとして、あちらこちらに賤しい柴掻き人連中が集まっていて、感涙を落としながら拝し上げる。
 黒いお車の中に喪服を着て質素にしていらっしゃるので、よくはっきりお見えにならないが、かすかなご様子をまたとなく素晴らしい方とお思い申し上げているようである。
 
 
 

第三段 源氏、二条院に帰邸

 
157  女君は、日ごろのほどに、ねびまさりたまへる心地して、いといたうしづまりたまひて、世の中いかがあらむと思へるけしきの、心苦しうあはれにおぼえたまへば、あいなき心のさまざま乱るるやしるからむ、「色変はる」とありしもらうたうおぼえて、常よりことに語らひきこえたまふ。
 
 女君は、この数日間にいっそう美しく成長なさった感じがして、とても落ち着いていらっしゃって、男君との仲が今後どうなって行くのだろうかと思っている様子がいじらしくお思いなさるので、困った心がさまざまに乱れているのがはっきりと目につくのだろうか、『色変わりする』とあったのもかわいらしく思われて、いつもよりも親密にお話し申し上げなさる。
 
158  山づとに持たせたまへりし紅葉、御前のに御覧じ比ぶれば、ことに染めましける露の心も見過ぐしがたう、おぼつかなさも、人悪るきまでおぼえたまへば、ただおほかたにて宮に参らせたまふ。
 命婦のもとに、
 山の土産にお持たせになった紅葉を、お庭先のと比べて御覧になると、格別に一段と染めてあった露の風情も、そのままにはできにくく、久しいご無沙汰も体裁悪いまで思われなさるので、ただ普通のご挨拶として中宮に差し上げなさる。
 命婦のもとに、
159  「入らせたまひにけるを、めづらしきこととうけたまはるに、宮の間の事、おぼつかなくなりはべりにければ、静心なく思ひたまへながら、行ひもつとめむなど、思ひ立ちはべりし日数を、心ならずやとてなむ、日ごろになりはべりにける。
 紅葉は、一人見はべるに、錦暗う思ひたまふればなむ。
 折よくて御覧ぜさせたまへ」
 「参内あそばしたのを、珍しい事とお聞きいたしましたが、中宮さまと春宮さまとの間の事を、ご無沙汰いたしておりましたので気がかりに存じながらも、仏道修行を致そうなどと計画しておりました日数を、不本意なことになってはと思いつつ、何日にもなってしまいました。
 紅葉は独りで見ていますと、せっかくの美しさも『夜の錦』と残念に思われましたので。
 よい折に御覧下さいませ」
160  などあり。
 
 などとある。
 
161  げに、いみじき枝どもなれば、御目とまるに、例の、いささかなるものありけり。
 人びと見たてまつるに、御顔の色も移ろひて、
 なるほど、立派な枝ぶりなので、お目も惹きつけられると、いつものようにちょっとした文が結んであるのだった。
 女房たちが拝見しているので、お顔の色も変わって、
162  「なほ、かかる心の絶えたまはぬこそ、いと疎ましけれ。
 あたら思ひやり深うものしたまふ人の、ゆくりなく、かうやうなること、折々混ぜたまふを、人もあやしと見るらむかし」
 「依然として、このようなお心がお止みにならないのが、ほんとうに嫌なこと。
 惜しいことに思慮深くいらっしゃる方が、考えもなくこのようなことを時々お加えなさるのを、女房たちもきっと変だと思うであろう」
163  と、心づきなく思されて、瓶に挿させて、廂の柱のもとにおしやらせたまひつ。
 
 と、気に食わなく思われなさって、瓶に挿させて廂の柱のもとに押しやらせなさった。
 
 
 

第四段 朱雀帝と対面

 
164  おほかたのことども、宮の御事に触れたることなどをば、うち頼めるさまに、すくよかなる御返りばかり聞こえたまへるを、「さも心かしこく、尽きせずも」と、恨めしうは見たまへど、何ごとも後見きこえならひたまひにたれば、「人あやしと、見とがめもこそすれ」と思して、まかでたまふべき日、参りたまへり。
 
 一般の事柄や春宮の御事に関することなどは、源氏の君を頼りにしている様子に他人行儀な素っ気ないお返事ばかりを申し上げなさるので、「なんと冷静に、どこまでも用心深く」と、愚痴をこぼしたく御覧になるが、どのような事でもご後見申し上げ慣れていらっしゃるので、「女房が変だと、怪しんだりしたら大変だ」とお思いになって、中宮の退出なさる予定の日に参内なさった。
 
165  まづ、内裏の御方に参りたまへれば、のどやかにおはしますほどにて、昔今の御物語聞こえたまふ。
 御容貌も、院にいとよう似たてまつりたまひて、今すこしなまめかしき気添ひて、なつかしうなごやかにぞおはします。
 かたみにあはれと見たてまつりたまふ。
 
 まず最初、帝の御前に参上なさると、くつろいでいらっしゃるところで、昔今のお話を申し上げなさる。
 帝の御容貌も院にとてもよくお似申していらっしゃって、さらに一段と優美な点が付け加わって、お優しく穏やかでおいであそばす。
 お互いに懐かしく思ってお会いなさる。
 
166  尚侍の君の御ことも、なほ絶えぬさまに聞こし召し、けしき御覧ずる折もあれど、  尚侍の君の御ことも、依然として仲が切れていないようにお聞きあそばし、それらしい様子を御覧になる折もあるが、
167  「何かは、今はじめたることならばこそあらめ。
 さも心交はさむに、似げなかるまじき人のあはひなりかし」
 「どうして、今に始まったことならばともかく、以前から続いていたことなのだ。
 そのように心を通じ合っても、おかしくはない二人の仲なのだ」
168  とぞ思しなして、咎めさせたまはざりける。
 
 と、しいてそうお考えになって、お咎めあそばさないのであった。
 
169  よろづの御物語、文の道のおぼつかなく思さるることどもなど、問はせたまひて、また、好き好きしき歌語りなども、かたみに聞こえ交はさせたまふついでに、かの斎宮の下りたまひし日のこと、容貌のをかしくおはせしなど、語らせたまふに、我もうちとけて、野の宮のあはれなりし曙も、みな聞こえ出でたまひてけり。
 
 いろいろなお話、学問上で不審にお思いあそばしている点などをお尋ねあそばして、また、好色めいた歌の話なども、お互いに打ち明けお話し申し上げなさる折に、あの斎宮がお下りになった日のことや、ご容貌が美しくおいであそばしたことなどを、お話しあそばすので、自分も気を許して、野宮のしみじみとした明け方の話も、すっかりお話し申し上げてしまったのであった。
 
170  二十日の月、やうやうさし出でて、をかしきほどなるに、  二十日の月が、次第に差し昇ってきて、風情ある時分なので、
171  「遊びなども、せまほしきほどかな」  「管弦の御遊なども、催してみたい折だね」
172  とのたまはす。
 
 と仰せになる。
 
173  「中宮の、今宵、まかでたまふなる、とぶらひにものしはべらむ。
 院ののたまはせおくことはべりしかば。
 また、後見仕うまつる人もはべらざめるに。
 春宮の御ゆかり、いとほしう思ひたまへられはべりて」
 「中宮が、今夜、御退出なさるそうで、そのお世話に参りましょう。
 故院の御遺言あそばされたことがございましたので。
 他に御後見申し上げる人もございませんようなので。
 春宮の御縁も、気がかりに存じられまして」
174  と奏したまふ。
 
 とお断り申し上げになる。
 
175  「春宮をば、今の皇子になしてなど、のたまはせ置きしかば、とりわきて心ざしものすれど、ことにさしわきたるさまにも、何ごとをかはとてこそ。
 年のほどよりも、御手などのわざとかしこうこそものしたまふべけれ。
 何ごとにも、はかばかしからぬみづからの面起こしになむ」
 「春宮を、わたしの養子にしてなどと、御遺言あそばされたので、とりわけ気をつけてはいるのだが、特別に区別した扱いにするのも、今さらどうかしらと思って。
 お年の割には、御筆跡などが格別に立派でいらっしゃるようだ。
 何事においても、ぱっとしないわたしの面目をほどこしてくれることになる」
176  と、のたまはすれば、  と、仰せになるので、
177  「おほかた、したまふわざなど、いとさとく大人びたるさまにものしたまへど、まだ、いと片なりに」  「おおよそ、なさることなどは、とても賢く大人のような様子でいらっしゃるが、まだ、とても不十分で」
178  など、その御ありさまも奏したまひて、まかでたまふに、大宮の御兄の藤大納言の子の、頭の弁といふが、世にあひ、はなやかなる若人にて、思ふことなきなるべし、妹の麗景殿の御方に行くに、大将の御前駆を忍びやかに追へば、しばし立ちとまりて、  などと、その御様子も申し上げなさって退出なさる時に、大后のご兄弟の藤大納言の子で、頭の弁という者が、時流に乗って今を時めく若者なので、何も気兼ねすることのないのであろう、妹の麗景殿の御方に行くところに、源氏の大将の前駆が先払いをひそやかにすると、ちょっと立ち止まって、
179  「白虹日を貫けり。
 太子畏ぢたり」
 「白虹が日を貫いた。
 太子は、懼ぢた」
180  と、いとゆるるかにうち誦じたるを、大将、いとまばゆしと聞きたまへど、咎むべきことかは。
 后の御けしきは、いと恐ろしう、わづらはしげにのみ聞こゆるを、かう親しき人びとも、けしきだち言ふべかめることどももあるに、わづらはしう思されけれど、つれなうのみもてなしたまへり。
 
 と、たいそうゆっくりと朗誦したのを、大将はまことに聞きにくいとお聞きになったが、何の咎め立てをできることであろうか。
 大后の御機嫌はひどく恐ろしく厄介な噂ばかり聞いているうえに、このように一族の人々までも態度に現して非難して言うらしいことがあるのを、厄介に思われなさったが、知らないふりをなさっていた。
 
 
 

第五段 藤壺に挨拶

 
181  「御前にさぶらひて、今まで、更かしはべりにける」  「帝の御前に伺候していて、今まで夜を更かしてしまいました」
182  と、聞こえたまふ。
 
 と、中宮にご挨拶申し上げなさる。
 
183  月のはなやかなるに、「昔、かうやうなる折は、御遊びせさせたまひて、今めかしうもてなさせたまひし」など、思し出づるに、同じ御垣の内ながら、変はれること多く悲し。
 
 月が明るく照っているので、「昔、このような時には、管弦の御遊をあそばされて、華やかにお扱いしてくださった」などと、お思い出しになると、同じ宮中ながらも、変わってしまったことが多く悲しい。
 
 

154
 「九重に 霧や隔つる 雲の上の
 月をはるかに 思ひやるかな」
 「宮中には霧が幾重にもかかっているのでしょうか
  雲の上で見えない月をはるかにお思い申し上げますことよ」
 
184  と、命婦して、聞こえ伝へたまふ。
 ほどなければ、御けはひも、ほのかなれど、なつかしう聞こゆるに、つらさも忘られて、まづ涙ぞ落つる。
 
 と、王命婦を取り次ぎにして、申し上げさせなさる。
 それほど離れた距離ではないので、御様子もかすかではあるが、慕わしく聞こえるので、源氏の君は辛い気持ちも自然と忘れられて、まっ先に涙がこぼれた。
 
 

155
 「月影は 見し世の秋に 変はらぬを
 隔つる霧の つらくもあるかな
 「月の光は昔の秋と変わりませんのに
  隔てる霧のあるのがつらく思われるのです
 
185  霞も人のとか、昔もはべりけることにや」  『霞が人の仲を隔てる』とか、昔もあったことでございましょうか」
186  など聞こえたまふ。
 
 などと、申し上げなさる。
 
187  宮は、春宮を飽かず思ひきこえたまひて、よろづのことを聞こえさせたまへど、深うも思し入れたらぬを、いとうしろめたく思ひきこえたまふ。
 例は、いととく大殿籠もるを、「出でたまふまでは起きたらむ」と思すなるべし。
 恨めしげに思したれど、さすがに、え慕ひきこえたまはぬを、いとあはれと、見たてまつりたまふ。
 
 中宮は、春宮をいつまでも名残惜しくお思い申し上げなさって、いろいろな事柄をお話し申し上げなさるが、深くお考えにならないのを、ほんとうに不安にお思い申し上げなさる。
 いつもは、とても早くお寝みになるのを、「お帰りになるまでは起きていよう」とお考えなのであろう。
 残念そうにお思いでいたが、そうはいうものの、後をお慕い申し上げることのおできになれないのを、とてもいじらしいと、お思い申し上げなさる。
 
 
 

第六段 初冬のころ、源氏朧月夜と和歌贈答

 
188  大将、頭の弁の誦じつることを思ふに、御心の鬼に、世の中わづらはしうおぼえたまひて、尚侍の君にも訪れきこえたまはで、久しうなりにけり。
 
 大将の君は、頭の弁が朗誦していたことを考えると、お気が咎めて、世の中が厄介に思われなさって、尚侍の君にもお便りを差し上げなさることもなく、長いことになってしまった。
 
189  初時雨、いつしかとけしきだつに、いかが思しけむ、かれより、  初時雨、早くもその気配を見せたころ、どうお思いになったのであろうか、向こうから、
 

156
 「木枯の 吹くにつけつつ 待ちし間に
 おぼつかなさの ころも経にけり」
 「木枯が吹くたびごとに訪れを待っているうちに
  長い月日が経ってしまいました」
 
190  と聞こえたまへり。
 折もあはれに、あながちに忍び書きたまへらむ御心ばへも、憎からねば、御使とどめさせて、唐の紙ども入れさせたまへる御厨子開けさせたまひて、なべてならぬを選り出でつつ、筆なども心ことにひきつくろひたまへるけしき、艶なるを、御前なる人びと、「誰ればかりならむ」とつきしろふ。
 
 と差し上げなさった。
 時節柄しみじみとしたころであり、無理をしてこっそりお書きになったらしいお気持ちもいじらしいので、お使いを引き留めさせて、唐の紙を入れさせなさっている御厨子を開けさせなさって、特別上等なのをあれこれ選び出しなさって、筆を念入りに整えて認めていらっしゃる様子が優美なので、御前の女房たちは、「どのくらいの方なのだろう」と、お互いに突つき合っている。
 
191  「聞こえさせても、かひなきもの懲りにこそ、むげにくづほれにけれ。
 身のみもの憂きほどに、
 「お便りを差し上げても、何の役にも立たないのに懲りまして、すっかり気落ちしておりました。
 自分だけが情けなく思われていたところに、
 

157
 あひ見ずて しのぶるころの 涙をも
 なべての空の 時雨とや見る
  お逢いできずに恋い忍んで泣いている涙の雨までを
  ありふれた秋の時雨とお思いなのでしょうか
 
192  心の通ふならば、いかに眺めの空ももの忘れしはべらむ」  お互いに心が通じるならば、どんなにか物思いに沈んでいる気持ちも、紛れることでしょう」
193  など、こまやかになりにけり。
 
 などと、つい情のこもった手紙になってしまった。
 
194  かうやうにおどろかしきこゆるたぐひ多かめれど、情けなからずうち返りごちたまひて、御心には深う染まざるべし。
 
 このように源氏の君にお便りを差し上げる人々は多いようであるが、君は無愛想にならないようお返事をなさって、お気持ちには深く留めないのであろう。
 
 
 

第五章 藤壺の物語 法華八講主催と出家

 
 

第一段 十一月一日、故桐壺院の御国忌

 
195  中宮は、院の御はてのことにうち続き、御八講のいそぎをさまざまに心づかひせさせたまひけり。
 
 中宮は、故院の一周忌の御法事に引き続き、御八講の準備にいろいろとお心をお配りあそばすのであった。
 
196  霜月の朔日ごろ、御国忌なるに、雪いたう降りたり。
 大将殿より宮に聞こえたまふ。
 
 霜月の初め頃、御国忌の日に雪がたいそう降った。
 大将殿から中宮にお便りを差し上げなさる。
 
 

158
 「別れにし 今日は来れども 見し人に
 行き逢ふほどを いつと頼まむ」
 「故院にお別れ申した日がめぐって来ましたが、雪は降っても
  その人にまた行きめぐり逢える時はいつと期待できようか」
 
197  いづこにも、今日はもの悲しう思さるるほどにて、御返りあり。
 
 どちらにおかれても、今日は物悲しく思わずにいらっしゃれない日なので、お返事がある。
 
 

159
 「ながらふる ほどは憂けれど 行きめぐり
 今日はその世に 逢ふ心地して」
 「生きながらえておりますのは辛く嫌なことですが
  一周忌の今日は、故院の在世中に出会ったような思いがいたしまして」
 
198  ことにつくろひてもあらぬ御書きざまなれど、あてに気高きは思ひなしなるべし。
 筋変はり今めかしうはあらねど、人にはことに書かせたまへり。
 今日は、この御ことも思ひ消ちて、あはれなる雪の雫に濡れ濡れ行ひたまふ。
 
 格別に念を入れたのでもないお書きぶりだが、上品で気高いのは君の思い入れであろう。
 書風が独特で当世風というのではないが、他の人よりは優れてお書きあそばしている。
 今日は、中宮へのご執心も抑えて、しみじみと雪の雫に濡れながら御追善の法事をなさる。
 
 
 

第二段 十二月十日過ぎ、藤壺、法華八講主催の後、出家す

 
199  十二月十余日ばかり、中宮の御八講なり。
 いみじう尊し。
 日々に供養ぜさせたまふ御経よりはじめ、玉の軸、羅の表紙、帙簀の飾りも、世になきさまにととのへさせたまへり。
 さらぬことのきよらだに、世の常ならずおはしませば、ましてことわりなり。
 仏の御飾り、花机のおほひなどまで、まことの極楽思ひやらる。
 
 十二月の十日過ぎ頃に、中宮の御八講が催される。
 たいそう荘厳である。
 毎日供養なさる御経をはじめとして、玉の軸や、羅の表紙、帙簀の装飾も、この世にまたとない様子に御準備させなさっていた。
 宮は普通の催しでさえ、この世のものとは思えないほど立派にお作りになっていらっしゃるので、今日の催しはまして言うまでもない。
 仏像のお飾りや、花机の覆いなどまで、本当の極楽浄土が思いやられる。
 
200  初めの日は、先帝の御料。
 次の日は、母后の御ため。
 またの日は、院の御料。
 五巻の日なれば、上達部なども、世のつつましさをえしも憚りたまはで、いとあまた参りたまへり。
 今日の講師は、心ことに選らせたまへれば、「薪こる」ほどよりうちはじめ、同じう言ふ言の葉も、いみじう尊し。
 親王たちも、さまざまの捧物ささげてめぐりたまふに、大将殿の御用意など、なほ似るものなし。
 常におなじことのやうなれど、見たてまつるたびごとに、めづらしからむをば、いかがはせむ。
 
 第一日は、先帝の御ため。
 第二日は、母后の御ため。
 その次の日は、故院の御ため。
 この日は第五巻の日なので、上達部なども、世間の思惑に遠慮なさってもおられず、大勢参上なさった。
 今日の講師は、特にお選びあそばしていらっしゃるので、「薪こり」という讃歌をはじめとして、同じ唱える言葉でも、たいそう尊い。
 親王たちもさまざまな供物を捧げて行道なさるが、大将殿のお心づかいなどは、やはり他に似るものがない。
 いつも同じことのようだが、拝見する度毎に素晴らしいのは、どうしたらよいだろうか。
 
201  果ての日、わが御ことを結願にて、世を背きたまふよし、仏に申させたまふに、皆人びと驚きたまひぬ。
 兵部卿宮、大将の御心も動きて、あさましと思す。
 
 最終日は、中宮御自身のことを結願として、ご出家なさる主旨を仏に僧からお申し上げさせなさるので、参集の人々はお驚きになった。
 兵部卿宮や大将は、お気も動転して呆然となさる。
 
202  親王は、なかばのほどに立ちて、入りたまひぬ。
 心強う思し立つさまのたまひて、果つるほどに、山の座主召して、忌むこと受けたまふべきよし、のたまはす。
 御伯父の横川の僧都、近う参りたまひて、御髪下ろしたまふほどに、宮の内ゆすりて、ゆゆしう泣きみちたり。
 何となき老い衰へたる人だに、今はと世を背くほどは、あやしうあはれなるわざを、まして、かねての御けしきにも出だしたまはざりつることなれば、親王もいみじう泣きたまふ。
 
 親王は、儀式の最中に座を立って、御簾の内にお入りになった。
 中宮は御決心の固いことをおっしゃって、終わりころに山の座主を召して、戒をお受けになる旨を仰せになる。
 御伯父の横川の僧都がお近くに参上なさって、お髪を下ろしなさる時は、宮邸中どよめいて、不吉にも泣き声が満ちわたった。
 たいしたこともない老い衰えた人でさえ、今は最後と出家をする時は不思議と感慨深いものなのだが、まして前々からお顔色にもお出しにならなかったことなので、親王もひどくお泣きになる。
 
203  参りたまへる人びとも、おほかたのことのさまも、あはれに尊ければ、みな、袖濡らしてぞ帰りたまひける。
 
 参集なさった方々も、大方の成り行きもしみじみと尊いので、皆、袖を濡らしてお帰りになったのであった。
 
204  故院の御子たちは、昔の御ありさまを思し出づるに、いとど、あはれに悲しう思されて、みな、とぶらひきこえたまふ。
 大将は、立ちとまりたまひて、聞こえ出でたまふべきかたもなく、暮れまどひて思さるれど、「などか、さしも」と、人見たてまつるべければ、親王など出でたまひぬる後にぞ、御前に参りたまへる。
 
 故院の皇子たちは、中宮の昔の御様子をお思い出しになると、ますますしみじみと悲しく思わずにはいらっしゃれなくて、皆、お見舞いの言葉をお掛け申し上げなさる。
 大将はお席にお残りになって、お言葉かけ申し上げるすべもなく、目の前がまっ暗闇に思われなさるが、「どうして、そんなにまで」と、人々がお見咎め申すにちがいないので、親王などがお出になった後に、御前に参上なさった。
 
205  やうやう人静まりて、女房ども、鼻うちかみつつ、所々に群れゐたり。
 月は隈なきに、雪の光りあひたる庭のありさまも、昔のこと思ひやらるるに、いと堪へがたう思さるれど、いとよう思し静めて、
 だんだんと人の気配が静かになって、女房連中は鼻をかみながら、あちこちに群れ集まっていた。
 月は隈もなく照って、雪が光っている庭の様子も、昔のことが遠く思い出されて、とても堪えがたく思われなさるが、じっとお気持ちを鎮めて、
206  「いかやうに思し立たせたまひて、かうにはかには」  「どのように御決意あそばして、このように急なご出家を」
207  と聞こえたまふ。
 
 とお尋ね申し上げになる。
 
208  「今はじめて、思ひたまふることにもあらぬを、ものさわがしきやうなりつれば、心乱れぬべく」  「今初めて、決意致したのではございませんが、何となく騒々しいようになってしまったので、決意も揺らいでしまいそうで」
209  など、例の、命婦して聞こえたまふ。
 
 などと、いつものように王命婦を通じて申し上げなさる。
 
210  御簾のうちのけはひ、そこら集ひさぶらふ人の衣の音なひ、しめやかに振る舞ひなして、うち身じろきつつ、悲しげさの慰めがたげに漏り聞こゆるけしき、ことわりに、いみじと聞きたまふ。
 
 御簾の中の様子や、おおぜい伺候している女房の衣ずれの音、わざとひっそりと気をつけて振る舞い身じろぎながらも、悲しみが慰めがたそうに外へ漏れくる様子は、もっともなことで、悲しいとお聞きになる。
 
211  風、はげしう吹きふぶきて、御簾のうちの匂ひ、いともの深き黒方にしみて、名香の煙もほのかなり。
 大将の御匂ひさへ薫りあひ、めでたく、極楽思ひやらるる夜のさまなり。
 
 風が激しく吹き吹雪いて、御簾の内の匂い、たいそう奥ゆかしい黒方に染み込んで、名香の煙もほのかである。
 大将の御匂いまで薫り合って素晴らしく、極楽浄土が思いやられる今夜の様子である。
 
212  春宮の御使も参れり。
 のたまひしさま、思ひ出できこえさせたまふにぞ、御心強さも堪へがたくて、御返りも聞こえさせやらせたまはねば、大将ぞ、言加はへ聞こえたまひける。
 
 春宮からの御使者も参上した。
 中宮は仰せになった時のことを、お思い出しあそばされると、固い御決意も堪えがたくて、お返事も最後まで十分にお申し上げあそばされないので、大将が言葉をお添えになったのであった。
 
213  誰も誰も、ある限り心収まらぬほどなれば、思すことどもも、えうち出でたまはず。
 
 どなたもどなたも、皆が悲しみに堪えられない時なので、思っていらっしゃる事などもおっしゃれない。
 
 

160
 「月のすむ 雲居をかけて 慕ふとも
 この世の闇に なほや惑はむ
 「月のように心澄んだ御出家の境地をお慕い申しても
  なおも子どもゆえのこの世の煩悩に迷い続けるのであろうか
 
214  と思ひたまへらるるこそ、かひなく。
 思し立たせたまへる恨めしさは、限りなう」
 と存じられますのが、どうにもならないことで。
 出家を御決意なさった恨めしさは、この上もなく」
215  とばかり聞こえたまひて、人びと近うさぶらへば、さまざま乱るる心のうちをだに、え聞こえあらはしたまはず、いぶせし。
 
 とだけお申し上げになって、女房たちがお側近くに伺候しているので、いろいろと乱れる心中の思いさえ、お表し申すことができないので、気が晴れない。
 
 

161
 「おほふかたの 憂きにつけては 厭へども
 いつかこの世を 背き果つべき
 「世間一般の嫌なことからは離れたが、子どもへの煩悩は
  いつになったらすっかり離れ切ることができるのであろうか
 
216  かつ、濁りつつ」  一方では、煩悩を断ち切れずに」
217  など、かたへは御使の心しらひなるべし。
 あはれのみ尽きせねば、胸苦しうてまかでたまひぬ。
 
 などと、一部は取次ぎの女房のとりなしであろう。
 悲しみの気持ちばかりが尽きないので、胸の苦しい思いで退出なさった。
 
 
 

第三段 後に残された源氏

 
218  殿にても、わが御方に一人うち臥したまひて、御目もあはず、世の中厭はしう思さるるにも、春宮の御ことのみぞ心苦しき。
 
 お邸でも、ご自分のお部屋でただ独りお臥せりになって、お眠りになることもできず、世の中が厭わしく思われなさるにつけても、春宮の御身の上のことばかりが気がかりである。
 
219  「母宮をだに朝廷がたざまにと、思しおきしを、世の憂さに堪へず、かくなりたまひにたれば、もとの御位にてもえおはせじ。
 我さへ見たてまつり捨てては」など、思し明かすこと限りなし。
 
 「せめて母宮だけでも表向きの御後見役にと、故院もお考えおきあそばされていたのに、世の中の嫌なことに堪え切れず、このようにおなりになってしまったので、もとの中宮の地位のままでいらっしゃることもおできになれまい。
 自分までがご後見申し上げなくなってしまったら」などと、お考え続けなさり、夜を明かすことは一再でない。
 
220  「今は、かかるかたざまの御調度どもをこそは」と思せば、年の内にと、急がせたまふ。
 命婦の君も御供になりにければ、それも心深うとぶらひたまふ。
 詳しう言ひ続けむに、ことことしきさまなれば、漏らしてけるなめり。
 さるは、かうやうの折こそ、をかしき歌など出で来るやうもあれ、さうざうしや。
 
 「今となっては、こうした方面の御調度類などを、さっそくに」とお思いになると、年内にと考えてお急がせなさる。
 王命婦の君もお供して出家してしまったので、その人にも懇ろにお見舞いなさる。
 詳しく語ることも、仰々しいことになるので、省略したもののようである。
 実のところ、このような折にこそ趣の深い歌なども出てくるものだが、物足りないことよ。
 
221  参りたまふも、今はつつましさ薄らぎて、御みづから聞こえたまふ折もありけり。
 思ひしめてしことは、さらに御心に離れねど、まして、あるまじきことなりかし。
 
 参上なさっても、今は遠慮も薄らいで、宮御自身でお話し申し上げなさる時もあるのであった。
 ご執心であったことは、全然君のお心からなくなってはないが、言うまでもなく、あってはならないことである。
 
 
 

第六章 光る源氏の物語 寂寥の日々

 
 

第一段 諒闇明けの新年を迎える

 
222  年も変はりぬれば、内裏わたりはなやかに、内宴、踏歌など聞きたまふも、もののみあはれにて、御行なひしめやかにしたまひつつ、後の世のことをのみ思すに、頼もしく、むつかしかりしこと、離れて思ほさる。
 常の御念誦堂をば、さるものにて、ことに建てられたる御堂の、西の対の南にあたりて、すこし離れたるに渡らせたまひて、とりわきたる御行なひせさせたまふ。
 
 年も改まったので、宮中の辺りは賑やかになり、内宴や踏歌などとお聞きになるにつけても、何となくしみじみとした気持ちばかりがされて、御勤行をひっそりとなさりながら、ただ来世のことばかりをお考えになるので、来世も頼もしく、厄介に思われたことも遠い昔の事のように思われる。
 いつもの御念誦堂は、それはそれとして、特別にお建てになられた御堂で、それは西の対の南に当たっていて、その少し離れた所に宮はお渡りあそばして、格別に心をこめた御勤行をあそばす。
 
223  大将、参りたまへり。
 改まるしるしもなく、宮の内のどかに、人目まれにて、宮司どもの親しきばかり、うちうなだれて、見なしにやあらむ、屈しいたげに思へり。
 
 大将の君が参賀に上がった。
 新年らしく感じられるものもなく、宮邸の中はひっそりとして、人目も少なく、中宮職の者で親しい者ばかりが、ちょっとうなだれて、思いなしであろうか、思い沈んだふうに見える。
 
224  白馬ばかりぞ、なほ牽き変へぬものにて、女房などの見ける。
 所狭う参り集ひたまひし上達部など、道を避きつつひき過ぎて、向かひの大殿に集ひたまふを、かかるべきことなれど、あはれに思さるるに、千人にも変へつべき御さまにて、深うたづね参りたまへるを見るに、あいなく涙ぐまる。
 
 ただ白馬の節会だけは、やはり昔に変わらないものとして、女房などが見物した。
 所狭しと参賀に参集なさった上達部などは、道を避け避けして通り過ぎて、向かいの右大臣邸に参集なさるのを、人の世とはこういうものであるが、しみじみと感じられるところに、大将の君が一人当千といってもよいご様子で、志深く年賀に参上なさったのを見ると、女房らは無性に涙がこぼれる。
 
225  客人も、いとものあはれなるけしきに、うち見まはしたまひて、とみに物ものたまはず。
 さま変はれる御住まひに、御簾の端、御几帳も青鈍にて、隙々よりほの見えたる薄鈍、梔子の袖口など、なかなかなまめかしう、奥ゆかしう思ひやられたまふ。
 「解けわたる池の薄氷、岸の柳のけしきばかりは、時を忘れぬ」など、さまざま眺められたまひて、「むべも心ある」と、忍びやかにうち誦じたまへる、またなうなまめかし。
 
 客人の大将の君も、たいそうしみじみとした様子に感じられ、あたりを見回しなさって、直ぐにはお言葉も出ない。
 様変わりしたお暮らしぶりで、御簾の端や御几帳も青鈍色になって、隙間隙間から微かに見えている薄鈍色や、くちなし色の袖口などが、かえって優美で、奥ゆかしく想像されなさる。
 「一面に解けかかっている池の薄氷や、岸の柳の芽ぶきは、時節を忘れていない」などと、あれこれと感慨を催されて、『なるほど情趣を解する』と、ひっそりと口ずさみなさっているのは、またとなく優美である。
 
 

162
 「ながめかる 海人のすみかと 見るからに
 まづしほたるる 松が浦島」
 「海人が住む松が浦島という、物思いに沈んでいらっしゃるお住まいかと存じますと何より先に涙に暮れてしまいます」
 
226  と聞こえたまへば、奥深うもあらず、みな仏に譲りきこえたまへる御座所なれば、すこしけ近き心地して、  と申し上げなさると、奥深い所でもなく、すべて仏にお譲り申していらっしゃる御座所なので、ちょっと身近な心地がして、
 

163
 「ありし世の なごりだになき 浦島に
 立ち寄る波の めづらしきかな」
 「昔の俤さえないこの松が浦島のような所に
  立ち寄る波も珍しいのに、立ち寄ってくださるとは珍しいですね」
 
227  とのたまふも、ほの聞こゆれば、忍ぶれど、涙ほろほろとこぼれたまひぬ。
 世を思ひ澄ましたる尼君たちの見るらむも、はしたなければ、言少なにて出でたまひぬ。
 
 とおっしゃる声がほのかに聞こえるので、堪えてはいたが、涙がほろほろとおこぼれになった。
 世の中を悟り澄ましている尼君たちが見ているだろうことも体裁が悪いので、言葉少なにしてお帰りになった。
 
228  「さも、たぐひなくねびまさりたまふかな」  「なんと、またとないくらいご立派にお成りですこと」
229  「心もとなきところなく世に栄え、時にあひたまひし時は、さる一つものにて、何につけてか世を思し知らむと、推し量られたまひしを」  「何の不足もなく世に栄え時流に乗っていらっしゃった時は、そうした人にありがちのことで、どのようなことで人の世の機微をお知りになるだろうか、と思われておりましたが」
230  「今はいといたう思ししづめて、はかなきことにつけても、ものあはれなるけしきさへ添はせたまへるは、あいなう心苦しうもあるかな」  「今はたいそう思慮深く落ち着いていられて、ちょっとした事につけても、しんみりとした感じまでがお加わりになったのは、どうにも気の毒でなりませんね」
231  など、老いしらへる人びと、うち泣きつつ、めできこゆ。
 宮も思し出づること多かり。
 
 などと、年老いた女房たちは、涙を流しながらお褒め申し上げる。
 宮も、お思い出しになる事が多かった。
 
 
 

第二段 源氏一派の人々の不遇

 
232  司召のころ、この宮の人は、賜はるべき官も得ず、おほかたの道理にても、宮の御賜はりにても、かならずあるべき加階などをだにせずなどして、嘆くたぐひいと多かり。
 かくても、いつしかと御位を去り、御封などの停まるべきにもあらぬを、ことつけて変はること多かり。
 皆かねて思し捨ててし世なれど、宮人どもも、よりどころなげに悲しと思へるけしきどもにつけてぞ、御心動く折々あれど、「わが身をなきになしても、春宮の御代をたひらかにおはしまさば」とのみ思しつつ、御行なひたゆみなくつとめさせたまふ。
 
 司召のころ、この宮に仕える人々は当然賜るはずの官職も得られず、世間一般の道理から考えても、中宮の年爵として、必ずあるはずの加階などさえなかったりして、嘆いている者がたいそう多かった。
 このようにご出家されたにしても、直ちにお位を取り去り、御封などが停止されるはずもないのに、ご出家を口実にして変わることが多かった。
 すべて既にお捨てになった世の中ではあるが、宮は仕えている人々が頼りなげに悲しいと思っている様子を見るにつけて、お気持ちの納まらない時々もあるが、「自分の身を犠牲にしてでも、春宮が無事に帝となって御即位をお遂げあそばされるなら」とばかりお考えになっては、御勤行を余念なくお勤めあそばす。
 
233  人知れず危ふくゆゆしう思ひきこえさせたまふことしあれば、「我にその罪を軽めて、宥したまへ」と、仏を念じきこえたまふに、よろづを慰めたまふ。
 
 人知れず危険で不吉にお思い申し上げあそばす事があるので、「わたしに免じて、春宮の罪障を軽くして、お宥しくださいまし」と、仏をお念じ申し上げることによって、万事をお慰めになる。
 
234  大将も、しか見たてまつりたまひて、ことわりに思す。
 この殿の人どもも、また同じきさまに、からきことのみあれば、世の中はしたなく思されて、籠もりおはす。
 
 大将の君も、そのように拝察なさって、ごもっともであるとお考えになる。
 こちらの邸に仕える人々も、また同様に辛いことばかりあるので、君も世の中を面白くなく思わずにはいらっしゃれなくて、引き籠もっていらっしゃる。
 
235  左の大臣も、公私ひき変へたる世のありさまに、もの憂く思して、致仕の表たてまつりたまふを、帝は、故院のやむごとなく重き御後見と思して、長き世のかためと聞こえ置きたまひし御遺言を思し召すに、捨てがたきものに思ひきこえたまへるに、かひなきことと、たびたび用ゐさせたまはねど、せめて返さひ申したまひて、籠もりゐたまひぬ。
 
 左大臣も、公私ともに変わった世の中の情勢に、億劫にお思いになって、致仕の表を奉りなさるが、帝は、故院が貴くな重々しい御後見役とお考えになって、いつまでも国家の柱石と申された御遺言をお考えになると、見捨てにくい方とお思い申していらっしゃるので、無意味なことだと、何度もお許しあそばさないが、無理に御返上申されて、引き籠もっておしまいになった。
 
236  今は、いとど一族のみ、返す返す栄えたまふこと、限りなし。
 世の重しとものしたまへる大臣の、かく世を逃がれたまへば、朝廷も心細う思され、世の人も、心ある限りは嘆きけり。
 
 今では、ますます右大臣一族だけが、いやが上にもお栄えになることはこの上もない。
 世の重鎮でいらっしゃった左大臣が、このように政界をお退きになったので、帝も心細くお思いあそばし、世の中の人も良識のある人は皆嘆くのであった。
 
237  御子どもは、いづれともなく人がらめやすく世に用ゐられて、心地よげにものしたまひしを、こよなう静まりて、三位中将なども、世を思ひ沈めるさま、こよなし。
 かの四の君をも、なほ、かれがれにうち通ひつつ、めざましうもてなされたれば、心解けたる御婿のうちにも入れたまはず。
 思ひ知れとにや、このたびの司召にも漏れぬれど、いとしも思ひ入れず。
 
 ご子息たちは、どの方も皆人柄が良く朝廷に用いられて、得意そうでいらっしゃったが、すっかり沈んで、三位中将なども、前途を悲観している様子は、格別である。
 あの右大臣家の四の君との仲も、相変わらず間遠にお通いになってはいるが、心外なお扱いをなさっているので、気を許した婿君の中にはお入れにならない。
 思い知れというのであろうか、今度の司召にも漏れてしまったが、たいして気にはしていない。
 
238  大将殿、かう静かにておはするに、世ははかなきものと見えぬるを、ましてことわり、と思しなして、常に参り通ひたまひつつ、学問をも遊びをももろともにしたまふ。
 
 大将殿が、このようにひっそりとしていらっしゃるので、世の中というものは無常なものだと思えたので、まして自分などは当然のことだ、としいてお考えになって、いつも参上なさっては、学問も管弦のお遊びをもご一緒になさる。
 
239  いにしへも、もの狂ほしきまで、挑みきこえたまひしを思し出でて、かたみに今もはかなきことにつけつつ、さすがに挑みたまへり。
 
 昔も、気違いじみてまで張り合い申されたことをお思い出しになって、お互いに今でもちょっとした事につけてでも、そうはいうものの張り合っていらっしゃる。
 
240  春秋の御読経をばさるものにて、臨時にも、さまざま尊き事どもをせさせたまひなどして、また、いたづらに暇ありげなる博士ども召し集めて、文作り、韻塞ぎなどやうのすさびわざどもをもしなど、心をやりて、宮仕へをもをさをさしたまはず、御心にまかせてうち遊びておはするを、世の中には、わづらはしきことどもやうやう言ひ出づる人びとあるべし。
 
 春秋の季の御読経はいうまでもなく、臨時のものでも、あれこれと尊い法会をおさせになったりなどして、また一方、無聊で暇そうな博士連中を呼び集めて、作文会や韻塞ぎなどの気楽な遊びなどをして気を晴らし、宮仕えなどもめったになさらず、お気の向くままに遊び興じていらっしゃるのを、世間では、厄介なことをだんだん言い出す人々がきっといるであろう。
 
 
 

第三段 韻塞ぎに無聊を送る

 
241  夏の雨、のどかに降りて、つれづれなるころ、中将、さるべき集どもあまた持たせて参りたまへり。
 殿にも、文殿開けさせたまひて、まだ開かぬ御厨子どもの、めづらしき古集のゆゑなからぬ、すこし選り出でさせたまひて、その道の人びと、わざとはあらねどあまた召したり。
 殿上人も大学のも、いと多う集ひて、左右にこまどりに方分かせたまへり。
 賭物どもなど、いと二なくて、挑みあへり。
 
 夏の雨が静かに降って所在ないころ、三位中将が適当な詩集類をたくさん持たせて参上なさった。
 源氏の二条院でも、文庫を開けさせなさって、まだ開いたことのない御厨子類の中の、珍しい古い詩集で由緒あるものを少し選び出させなさって、その道に堪能な人々を、特別にというのではないが、大勢お召しになっていた。
 殿上人も大学寮の人も、とてもたくさん集まって、左方と右方とに交互に組をお分けになった。
 賭物なども、又となく素晴らしい物で、競い合った。
 
242  塞ぎもて行くままに、難き韻の文字どもいと多くて、おぼえある博士どもなどの惑ふところどころを、時々うちのたまふさま、いとこよなき御才のほどなり。
 
 韻塞ぎが進んで行くにつれて、難しい韻の文字類がとても多くて、世に聞こえた博士連中などがまごついている箇所箇所を、源氏の君が時々口にされる様子は、実に深い学殖である。
 
243  「いかで、かうしもたらひたまひけむ」  「どうして、こうも満ち足りていらっしたのだろう」
244  「なほさるべきにて、よろづのこと、人にすぐれたまへるなりけり」  「やはり前世の因縁で、何事にも、人に優っていらっしゃるのであるなあ」
245  と、めできこゆ。
 つひに、右負けにけり。
 
 と、お褒め申し上げる。
 最後には、右方が負けた。
 
246  二日ばかりありて、中将負けわざしたまへり。
 ことことしうはあらで、なまめきたる桧破籠ども、賭物などさまざまにて、今日も例の人びと、多く召して、文など作らせたまふ。
 
 二日ほどして、中将が負け饗応をなさった。
 大げさではなく、優美な桧破子類や賭物などがいろいろとあって、今日もいつもの人々を大勢招いて漢詩文などをお作らせになる。
 
247  階のもとの薔薇、けしきばかり咲きて、春秋の花盛りよりもしめやかにをかしきほどなるに、うちとけ遊びたまふ。
 
 階段のもとの薔薇が、わずかばかり咲いて、春秋の花盛りよりもしっとりと美しいころなので、くつろいで管弦の合奏をなさる。
 
248  中将の御子の、今年初めて殿上する、八つ、九つばかりにて、声いとおもしろく、笙の笛吹きなどするを、うつくしびもてあそびたまふ。
 四の君腹の二郎なりけり。
 世の人の思へる寄せ重くて、おぼえことにかしづけり。
 心ばへもかどかどしう、容貌もをかしくて、御遊びのすこし乱れゆくほどに、「高砂」を出だして謡ふ、いとうつくし。
 大将の君、御衣脱ぎてかづけたまふ。
 
 中将のご子息で、今年初めて童殿上する子が、八、九歳ほどで、声がとても美しく、笙の笛を吹いたりなどする子を、源氏の君はかわいがりお相手になさる。
 四の君腹の二郎君であった。
 世間の心寄せも重くて、特別大切に扱っていた。
 気立ても才気があふれ、顔形も良くて、音楽のお遊びが少しくだけてゆくころ、「高砂」を声張り上げて謡うのが、とてもかわいらしい。
 源氏の大将の君は、お召物を脱いでお与えになる。
 
249  例よりは、うち乱れたまへる御顔の匂ひ、似るものなく見ゆ。
 薄物の直衣、単衣を着たまへるに、透きたまへる肌つき、ましていみじう見ゆるを、年老いたる博士どもなど、遠く見たてまつりて、涙落しつつゐたり。
 「逢はましものを、小百合ばの」と謡ふとぢめに、中将、御土器参りたまふ。
 
 いつもよりは、酔い乱れなさったお顔の色つやが、他に似るものがなく素晴らしく見える。
 羅の直衣に、単重を着ていらっしゃるので、透いてお見えになる肌は、いよいよ美しく見えるので、年老いた博士連中など、遠くから拝見して、涙を落としながら座っていた。
 「逢いたいものを、小百合の花の」と謡い終わるところで、中将が君に、お盃を差し上げなさる。
 
 

164
 「それもがと 今朝開けたる 初花に
 劣らぬ君が 匂ひをぞ見る」
 「それを見たいと思っていた今朝咲いた花に
  劣らないお美しさのわが君でございます」
 
250  ほほ笑みて、取りたまふ。
 
 苦笑して、盃をお受けになる。
 
 

165
 「時ならで 今朝咲く花は 夏の雨に
 しをれにけらし 匂ふほどなく
 「時節に合わず今朝咲いた花は夏の雨に
  萎れてしまったらしい、美しさを見せる間もなく
 
251  衰へにたるものを」  すっかり衰えてしまったものを」
252  と、うちさうどきて、らうがはしく聞こし召しなすを、咎め出でつつ、しひきこえたまふ。
 
 と、陽気に戯れて、酔いの紛れの言葉とお取りなしになるのを、お咎めになる一方で、無理に盃をお進めになる。
 
253  多かめりし言どもも、かうやうなる折のまほならぬこと、数々に書きつくる、心地なきわざとか、貫之が諌め、たうるる方にて、むつかしければ、とどめつ。
 皆、この御ことをほめたる筋にのみ、大和のも唐のも作り続けたり。
 わが御心地にも、いたう思しおごりて、
 多く詠まれたらしい歌も、このような時の真面目でない歌を数々書き連ねるのもはしたないわざだと、貫之の戒めていることであり、それに従って、面倒なので省略した。
 すべて、この君を讃えた趣旨ばかりで、和歌も漢詩も詠み続けてあった。
 ご自身でも、たいそう自負されて、
254  「文王の子、武王の弟」  「私は、文王の子、武王の弟である」
255  と、うち誦じたまへる御名のりさへぞ、げに、めでたき。
 「成王の何」とか、のたまはむとすらむ。
 そればかりや、また心もとなからむ。
 
 と、口ずさみなさったご自認の言葉までが、なるほど、立派である。
 それでは「成王の何」と、おっしゃろうというのであろうか。
 そればかりは、気がかりであろうよ。
 
256  兵部卿宮も常に渡りたまひつつ、御遊びなども、をかしうおはする宮なれば、今めかしき御遊びどもなり。
 
 兵部卿宮も常にお越しになっては、管弦のお遊びなども嗜みのある宮なので、華やかなお相手である。
 
 
 

第七章 朧月夜の物語 村雨の紛れの密会露見

 
 

第一段 源氏、朧月夜と密会中、右大臣に発見される

 
257  そのころ、尚侍の君まかでたまへり。
 瘧病に久しう悩みたまひて、まじなひなども心やすくせむとてなりけり。
 修法など始めて、おこたりたまひぬれば、誰も誰も、うれしう思すに、例の、めづらしき隙なるをと、聞こえ交はしたまひて、わりなきさまにて、夜な夜な対面したまふ。
 
 そのころ、尚侍の君が里邸に退出なさっていた。
 瘧病に長く患いなさって、加持や祈祷なども気がねなく行おうとしてであった。
 修法などを始めて、お治りになったので、どなたもどなたも喜んでいらっしゃる時に、例によって、めったにない機会だからと、お互いに示し合わせなさって、無理を押して毎夜毎夜お逢いなさる。
 
258  いと盛りに、にぎははしきけはひしたまへる人の、すこしうち悩みて、痩せ痩せになりたまへるほど、いとをかしげなり。
 
 女君はまことに女盛りで、快活で派手な感じがなさる方が、少し病んで痩せた感じにおなりでいらっしゃるところは、実に魅力的である。
 
259  后の宮も一所におはするころなれば、けはひいと恐ろしけれど、かかることしもまさる御癖なれば、いと忍びて、たび重なりゆけば、けしき見る人びともあるべかめれど、わづらはしうて、宮には、さなむと啓せず。
 
 大后の宮も同じ里邸にいらっしゃるころなので、感じがとても恐ろしい気がしたが、このような危険な逢瀬こそかえって思いの募るご性癖なので、たいそうこっそりと度重なってゆくと、気配を察知する女房たちもきっといたにちがいないだろうが、厄介なことと思って、大后の宮には、このようなことがあって、とは申し上げない。
 
260  大臣、はた思ひかけたまはぬに、雨にはかにおどろおどろしう降りて、神いたう鳴りさわぐ暁に、殿の君達、宮司など立ちさわぎて、こなたかなたの人目しげく、女房どもも怖ぢまどひて、近う集ひ参るに、いとわりなく、出でたまはむ方なくて、明け果てぬ。
 
 右大臣は、もちろん思いもなさらないが、雨が急に激しく降り出して、雷がひどく鳴り轟いていた暁方に、殿のご子息たちや、皇后宮職の官人たちなどが立ち騒いで、ここかしこに人目が多く、女房たちもおろおろと恐がって、近くに参集していたので、源氏の君はまことに困って、お帰りになるすべもなくて、すっかり夜が明けてしまった。
 
261  御帳のめぐりにも、人びとしげく並みゐたれば、いと胸つぶらはしく思さる。
 心知りの人二人ばかり、心を惑はす。
 
 御帳台のまわりにも、女房たちが大勢並んで伺候しているので、まことに胸がどきどきなさる。
 事情を知っている女房二人ほどは、どうしたらよいか分からないでいる。
 
262  神鳴り止み、雨すこしを止みぬるほどに、大臣渡りたまひて、まづ、宮の御方におはしけるを、村雨のまぎれにてえ知りたまはぬに、軽らかにふとはひ入りたまひて、御簾引き上げたまふままに、  雷が鳴りやんで、雨が少し小降りになったころに、右大臣が渡っていらして、まずは大后の宮のお部屋にいらっしゃったのを、村雨の音に紛れてそれをご存知でなかったところへ、気軽にひょいとお入りになって、御簾を巻き上げなさりながら、
263  「いかにぞ。
 いとうたてありつる夜のさまに、思ひやりきこえながら、参り来でなむ。
 中将、宮の亮など、さぶらひつや」
 「いががですか。
 とてもひどい昨夜の荒れ模様を、ご心配申し上げながら、お見舞いにも参りませんでしたが。
 中将や、宮の亮などは、お側にいましたか」
264  など、のたまふけはひの、舌疾にあはつけきを、大将は、もののまぎれにも、左の大臣の御ありさま、ふと思し比べられて、たとしへなうぞ、ほほ笑まれたまふ。
 げに、入り果ててものたまへかしな。
 
 などと、おっしゃる様子が早口で軽率なのを、大将の君は、このような危険な時にでも、左大臣のご様子をふとお思い出しお比べになって、比較しようもないほどつい笑ってしまわれる。
 いかにも、すっかり部屋の中に入ってからおっしゃればよいものを。
 
265  尚侍の君、いとわびしう思されて、やをらゐざり出でたまふに、面のいたう赤みたるを、「なほ悩ましう思さるるにや」と見たまひて、  尚侍の君は、とてもやりきれなくお思いになって、静かに御帳の外にいざり出なさると、顔がたいそう赤くなっているのを、「まだ苦しんでいられるのだろうか」と御覧になって、
266  「など、御けしきの例ならぬ。
 もののけなどのむつかしきを、修法延べさすべかりけり」
 「どうして、まだお顔色がいつもと違うのでしょうか。
 物の怪などがしつこいから。
 修法を続けさせるべきであった」
267  とのたまふに、薄二藍なる帯の、御衣にまつはれて引き出でられたるを見つけたまひて、あやしと思すに、また、畳紙の手習ひなどしたる、御几帳のもとに落ちたり。
 「これはいかなる物どもぞ」と、御心おどろかれて、
 とおっしゃると、薄二藍色の帯がお召物にまつわりついて出ているのをお見つけになって、変だとお思いになると、また一方に、懐紙に歌などを書きちらしたものが御几帳のもとに落ちていた。
 「これはいったいどうしたことか」と、驚かずにはいらっしゃれなくて、
268  「かれは、誰れがぞ。
 けしき異なるもののさまかな。
 たまへ。
 それ取りて誰がぞと見はべらむ」
 「あれは、誰のものですか。
 見慣れない物ですね。
 見せてください。
 それを手に取って誰のものか調べよう」
269  とのたまふにぞ、うち見返りて、我も見つけたまへる。
 紛らはすべきかたもなければ、いかがは応へきこえたまはむ。
 我にもあらでおはするを、「子ながらも恥づかしと思すらむかし」と、さばかりの人は、思し憚るべきぞかし。
 されど、いと急に、のどめたるところおはせぬ大臣の、思しもまはさずなりて、畳紙を取りたまふままに、几帳より見入れたまへるに、いといたうなよびて、慎ましからず添ひ臥したる男もあり。
 今ぞ、やをら顔ひき隠して、とかう紛らはす。
 あさましう、めざましう心やましけれど、直面には、いかでか現はしたまはむ。
 目もくるる心地すれば、この畳紙を取りて、寝殿に渡りたまひぬ。
 
 とおっしゃるので、女君も振り返って見て、ご自分でもお見つけになった。
 ごまかすこともできないので、どのようにお応え申し上げられよう。
 呆然としていらっしゃるのを、「我が子ながら恥ずかしいと思っていられるのだろう」と、これほどの方はお察しなさって遠慮すべきである。
 しかし、まことに性急でゆったりしたところがおありでない大臣なので、後先のお考えもなくなって、懐紙をお持ちになったまま、几帳から覗き込みなさると、まことにたいそうしなやかな恰好で、臆面もなく添い臥している男までがいる。
 今になって、そっと顔をひき隠して、あれこれと身を隠そうとする。
 あきれて、癪にさわり腹立たしいけれど、面と向かってはどうして暴き立てることがおできになれようか。
 目の前がまっ暗になる気がするので、この懐紙を取って、寝殿にお渡りになった。
 
270  尚侍の君は、我かの心地して、死ぬべく思さる。
 大将殿も、「いとほしう、つひに用なき振る舞ひのつもりて、人のもどきを負はむとすること」と思せど、女君の心苦しき御けしきを、とかく慰めきこえたまふ。
 
 尚侍の君は、呆然自失して、死にそうな気がなさる。
 大将殿も、「困ったことになった。
 とうとう、つまらない振る舞いが重なって、世間の非難を受けるだろうことよ」とお思いになるが、女君の気の毒なご様子を、いろいろとお慰め申し上げなさる。
 
 
 

第二段 右大臣、源氏追放を画策する

 
271  大臣は、思ひのままに、籠めたるところおはせぬ本性に、いとど老いの御ひがみさへ添ひたまふに、これは何ごとにかはとどこほりたまはむ。
 ゆくゆくと、宮にも愁へきこえたまふ。
 
 大臣は、思ったままを口に出し、胸に収めて置くことのできない性格の上に、ますます老人の僻みまでがお加わりになっていたので、これはどうしてためらったりなさろうか、ずけずけと大后の宮にも訴え申し上げなさる。
 
272  「かうかうのことなむはべる。
 この畳紙は、右大将の御手なり。
 昔も、心宥されでありそめにけることなれど、人柄によろづの罪を宥して、さても見むと、言ひはべりし折は、心もとどめず、めざましげにもてなされにしかば、やすからず思ひたまへしかど、さるべきにこそはとて、世に穢れたりとも、思し捨つまじきを頼みにて、かく本意のごとくたてまつりながら、なほ、その憚りありて、うけばりたる女御なども言はせたまはぬをだに、飽かず口惜しう思ひたまふるに、また、かかることさへはべりければ、さらにいと心憂くなむ思ひなりはべりぬる。
 男の例とはいひながら、大将もいとけしからぬ御心なりけり。
 斎院をもなほ聞こえ犯しつつ、忍びに御文通はしなどして、けしきあることなど、人の語りはべりしをも、世のためのみにもあらず、我がためもよかるまじきことなれば、よもさる思ひやりなきわざ、し出でられじとなむ、時の有職と天の下をなびかしたまへるさま、ことなめれば、大将の御心を、疑ひはべらざりつる」
 「これこれしかじかのことがございます。
 この懐紙は、右大将のご筆跡である。
 以前にも、親の許しを受けないで始まった仲であるが、人品の良さに免じていろいろと我慢して、それでは婿殿にしようかと言いました時は心にも止めず、失敬な態度をお取りになったので、不愉快に存じましたが、前世からの宿縁なのかと思って、決して清らかでなくなったからといっても、帝がお見捨てになるまいことを信頼して、このように当初どおり宮中に差し上げながらも、やはりその遠慮があって、晴れ晴れしい女御などともお呼ばせになれませんでしたことさえ、物足りなく残念に存じておりましたのに、再びこのような事までがございましたのでは、改めてたいそう情けない気持ちになってしまいました。
 男の習性とは言いながら、大将もまことにけしからんご性癖であるよ。
 斎院にもやはり手を出し手を出ししては、こっそりとお手紙のやりとりなどをして、怪しい様子だなどと人が話しましたのも、国家のためばかりでなく、自分自身にとっても決して良いことではないので、まさかそのような思慮分別のないことはし出かさないだろうと、当代の知識人として天下を風靡していらっしゃる様子は格別のようなので、大将のお心を疑ってもみなかった」
273  などのたまふに、宮は、いとどしき御心なれば、いとものしき御けしきにて、  などとおっしゃると、大后の宮は、さらにきついご気性なので、とてもお怒りの態度で、
274  「帝と聞こゆれど、昔より皆人思ひ落としきこえて、致仕の大臣も、またなくかしづく一つ女を、兄の坊にておはするにはたてまつらで、弟の源氏にて、いときなきが元服の副臥にとり分き、また、この君をも宮仕へにと心ざしてはべりしに、をこがましかりしありさまなりしを、誰れも誰れもあやしとやは思したりし。
 皆、かの御方にこそ御心寄せはべるめりしを、その本意違ふさまにてこそは、かくてもさぶらひたまふめれど、いとほしさに、いかでさる方にても、人に劣らぬさまにもてなしきこえむ、さばかりねたげなりし人の見るところもあり、などこそは思ひはべりつれど、忍びて我が心の入る方に、なびきたまふにこそははべらめ。
 斎院の御ことは、ましてさもあらむ。
 何ごとにつけても、朝廷の御方にうしろやすからず見ゆるは、春宮の御世、心寄せ殊なる人なれば、ことわりになむあめる」
 「帝とは申し上げるが、昔からどの人も軽んじお思い申し上げて、致仕の大臣も、またとなく大切に育てている一人娘を、兄で春宮でいっしゃる方には差し上げないで、弟の源氏で、まだ幼い者の元服の時の添臥に取り立てて、さらにまた、この妹君を宮仕えにという心づもりでいましたところを、きまりの悪い様子になったのを、誰もが皆、不都合であるとはお思いになったでしょうか。
 皆が、あのお方にお味方していたようなのを、その当てが外れたことになって、こうして出仕していらっしゃるようだが、気の毒で、何とかそのような宮仕えであっても、他の人に負けないようにして差し上げよう、あれほど憎らしかった人の手前もあるし、などと思っておりましたが、こっそりと自分の気に入った方に、心を寄せていらっしゃるのでしょう。
 斎院のお噂は、ますますもってそうなのでしょうよ。
 どのようなことにつけても、帝にとって安心できないように見えるのは、春宮の御治世を、格別期待している人なので、もっともなことでしょう」
275  と、すくすくしうのたまひ続くるに、さすがにいとほしう、「など、聞こえつることぞ」と、思さるれば、  と、容赦なくおっしゃり続けるので、そうはいうものの聞き苦しく、「どうして、申し上げてしまったのか」と、思わずにいられないので、
276  「さはれ、しばし、このこと漏らしはべらじ。
 内裏にも奏せさせたまふな。
 かくのごと、罪はべりとも、思し捨つまじきを頼みにて、あまえてはべるなるべし。
 うちうちに制しのたまはむに、聞きはべらずは、その罪に、ただみづから当たりはべらむ」
 「まあ仕方ない。
 暫くの間、この話を漏らすまい。
 帝にも奏上あそばすな。
 このように罪がありましても、帝がお捨てにならないのを頼りにして、いい気になっているのでしょう。
 内々にお諌めなさっても聞きませんでしたら、その責めはひとえにこのわたしが負いましょう」
277  など、聞こえ直したまへど、ことに御けしきも直らず。
 
 などと、お取りなし申されるが、格別ご機嫌も直らない。
 
278  「かく、一所におはして隙もなきに、つつむところなく、さて入りものせらるらむは、ことさらに軽め弄ぜらるるにこそは」と思しなすに、いとどいみじうめざましく、「このついでに、さるべきことども構へ出でむに、よきたよりなり」と、思しめぐらすべし。
 
 「このように同じ邸にいらして忍び入る隙もないのに、遠慮会釈もなく、あのように忍び込んで来られるというのは、わざと軽蔑し愚弄しておられるのだ」とお思いになると、ますますひどく腹立たしくて、「この機会に、しかるべき事件を企てるのには、よいきっかけだ」と、いろいろとお考えめぐらすようである。
 
 
 

【出典】

 
  出典1 琴の音に峰の松風かよふらしいづれの緒より調べそめけむ(拾遺集雑上-四五一 斎宮女御)(戻)  
  出典2 ちはやぶる神垣山の榊葉は時雨に色も変はらざりけり(後撰集冬-四五七 読人しらず)(戻)  
  出典3 ちはやぶる神の斎垣も越えぬべし今はわが身の惜しけくもなし(拾遺集恋四-九二四 柿本人麿)(戻)  
  出典4 わが庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉立てる門(古今集雑下-九八二 読人しらず)(戻)  
  出典5 少女子が袖振る山の瑞垣の久しき世より思ひそめてき(拾遺集雑恋-一二一〇 柿本人麿)(戻)  
  出典6 榊葉の香をかぐはしみ求め来れば八十氏人ぞまどゐせりける(古今集神楽歌-五七七 読人しらず)(戻)  
  出典7 天の原踏みとどろかし鳴る神も思ふ仲をば裂くるものかは(古今集恋四-七〇一 読人しらず)(戻)  
  出典8 世にふれば憂さこそまされみ吉野の岩のかけ道踏み慣らしてむ(古今集雑下-九五一 読人しらず)(戻)  
  出典9 天の戸を押し開け方の月見れば憂き人しもぞ恋しかりける(新古今集恋四-一二六〇 読人しらず)(戻)  
  出典10 念仏衆生摂取不捨(観音無量寿経)(戻)  
  出典11 いにしへのしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな(伊勢物語-六五)(戻)  
  出典12 取り返す物にもがなや世の中をありしながらの我が身と思はむ(出典未詳-源氏釈所引)(戻)  
  出典13 見る人もなくて散りぬる奥山の紅葉は夜の錦なりけり(古今集秋下-二九七 紀貫之)(戻)  
  出典14 昔者荊軻慕燕丹之義 白虹貫日太子畏之(史記-鄒陽伝)(戻)  
  出典15 山桜見に行く道を隔つれば人の心ぞ霞なりける(出典未詳-奥入所引)(戻)  
  出典16 数ならぬ身のみもの憂く思ほえて待たるるまでもなりにけるかな(後撰集雑四-一二六〇 読人しらず)(戻)  
  出典17 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな(後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔)(戻)  
  出典18 音に聞く松が浦島今日ぞ見るむべも心ある海人は住みけり(後撰集雑一-一〇九三 素性法師)(戻)  
  出典19 甕頭竹葉経春熟 階底薔薇入夏開(白氏文集巻十七-一〇五五)(戻)  
  出典20 高砂の さいさごの 高砂の 尾上に立てる 白玉 玉椿 玉柳 それもがと さむ 汝もがと 練緒染緒の 御衣架にせむ 玉柳 何しかも さ 何しかも 何しかも 心もまたいけむ 百合花の さ百合花の 今朝咲いたる 初花に あはましものを さゆり花の(催馬楽-高砂)(戻)  
  出典21 周公戒伯禽曰 我文王之子 武王之弟 成王之叔父(史記-魯周公世家)(戻)  
 
 

【校訂】

 
  備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ重ね--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△  
  校訂1 憂しと--うして(て/$と<朱>)(戻)  
  校訂2 はた--(/+はた<朱>)(戻)  
  校訂3 御随身--みすいら(ら/$し<朱>)む(戻)  
  校訂4 かすかに--かす(す/+か)に(戻)  
  校訂5 がな--哉(哉/$かな<朱>)(戻)  
  校訂6 出で--(/+いて<朱>)(戻)  
  校訂7 たたずまひ--たたすさ(さ/$ま<朱>)ひ(戻)  
  校訂8 残す--のう(う/$こ<朱>)す(戻)  
  校訂9 しつべく--しつへく(/\/$く<朱>)(戻)  
  校訂10 かならず--か(か/$か<朱>)ならす(戻)  
  校訂11 御返し--御かへり(かへり/$返し<朱>)(戻)  
  校訂12 春宮の--*春宮(宮/+の)(戻)  
  校訂13 一度にと--ひとたひにも(も/$と<朱>)(戻)  
  校訂14 何心--(/+なに<朱>)心(戻)  
  校訂15 藤の御衣にやつれたまへる--(/+藤の御そにやつれ給へる)(戻)  
  校訂16 立たるる--た(た/+た)るゝ(戻)  
  校訂17 こととは--こと(と/+と<朱>)は(戻)  
  校訂18 夜深き--(/+夜)ふかき(戻)  
  校訂19 なほ、この憎き御心のやまぬに--(/+猶このにくき御心のやまぬに<朱>)(戻)  
  校訂20 御ために--御ため(め/+に)(戻)  
  校訂21 入れられて--いれら(ら/+れ)て(戻)  
  校訂22 など--(/+なと<朱>)(戻)  
  校訂23 たまへる--給つ(つ/$へ)る(戻)  
  校訂24 かしげなる--(/+かしけなる<朱>)(戻)  
  校訂25 ありと--あか(か/$り<朱>)と(戻)  
  校訂26 入れり--いれる(る/$り<朱>)(戻)  
  校訂27 籠もり--こもる(る/$り<朱>)(戻)  
  校訂28 らうたげにて--らうたけ(け/+に)て(戻)  
  校訂29 短くて--みしかくも(も/$て<朱>)(戻)  
  校訂30 常に--つね(ね/+に<朱>)(戻)  
  校訂31 たまへれば--給つ(つ/$へ<朱>)れは(戻)  
  校訂32 なまめかしき--なる(る/$ま<朱>)めかしき(戻)  
  校訂33 たまは--(/+給<朱>)は(戻)  
  校訂34 問はせ--とか(か/$は<朱>)せ(戻)  
  校訂35 奏し--そこ(こ/$う<朱>)し(戻)  
  校訂36 みづから--身つ(つ/+か<朱>)ら(戻)  
  校訂37 と--(/+と)(戻)  
  校訂38 たまへらむ--給つ(つ/$へ<朱>)らむ(戻)  
  校訂39 表紙--へこし(こし/$うし<朱>)(戻)  
  校訂40 似るもの--にる(る/+もの<朱>)(戻)  
  校訂41 下ろし--(+おろし<朱>)(戻)  
  校訂42 などか--(/+なと<朱>)か(戻)  
  校訂43 思さるれど--お(お/+ほ<朱>)さるれと(と/$と)(戻)  
  校訂44 たまへらるる--*給はらるゝ(戻)  
  校訂45 南に--みなみの(の/#)に(戻)  
  校訂46 上達部--かむ(む/+たち<朱>)め(戻)  
  校訂47 知らむ--え(え/&しら<朱>)む(戻)  
  校訂48 学問--かくも(も/+む<朱>)(戻)  
  校訂49 かう--かこ(こ/$う<朱>)(戻)  
  校訂50 おもしろく--*おもろしく(戻)  
  校訂51 ならぬ--(/+な<朱>)らぬ(戻)  
  校訂52 続け--*つけ(戻)  
  校訂53 見たまひて--*みたまて(戻)  
  校訂54 死ぬべく--しぬへし(し/$く<朱>)(戻)  
  校訂55 たまはぬ--給ら(ら/#)ぬ(戻)  
 

 
 ※(以下は当サイトによる)大島本は、定家本の書写。
 書写の信頼度は、大島本<明融(臨模)本<定家自筆本、とされている。