更級日記 概要

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更級日記
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 菅原孝標女(すがわらの たかすえの むすめ)『更級日記』(1059年)。

 著者は菅原道真の5代孫、蜻蛉日記の著者・藤原道綱母は伯母(70歳以上年上)。
 

 概要

 寛弘5年(1008年)に出生。寛仁4年(1020年)、上総国における父の上総介としての任期が終了したので一家で帰国(上京)し、3ヶ月ほどの旅程を経てようやく京へと入った。帰国するころ彼女は13歳で、『更級日記』は上総国に居る頃から始まっている。当時、物語に対する熱が冷めず、翌年に上京した伯母から『源氏物語』五十余巻などを貰い、昼夜を問わず読み耽った。夢に僧が出てきて(女人成仏が説かれている)「法華経・第五巻を早く習え」と言うが、心にも掛けず物語を読みふけったことを、後年『更級日記』の中で、「まづいとはかなくあさまし」と批評している。万寿元年(1024年)には姉が二女を残して亡くなり、なお物語に耽読した。しかし、この頃から「信心せよ」との啓示を夢に見るようになる。
 祐子内親王に仕え、長久元年(1040年)頃、橘俊通と結婚。寛徳2年(1045年)に一男(仲俊)と二女をもうけたが、俊通は康平元年(1058年)に死去し、子供達も独立して彼女は孤独になった。このあたりで『更級日記』は終わっている。

 以上、ウィキペディア「菅原孝標女」から引用。

 


 

和歌一覧:90首。うち連歌1(47-48)。蜻蛉日記311首、和泉式部日記147首に比し少なく、和歌最盛期は過ぎた感がある。

 

原文全文:文字数は句読点括弧除き2万5千(除かないと2万7千)、原稿用紙62枚。
 蜻蛉日記8万2千、紫式部日記3万2千より短く、和泉式部日記2万より長い。
 和歌の比率は蜻蛉日記とほぼ同じ(蜻蛉1首/263字、更級1首/289字。和泉1首/136字。紫式部日記は18首のみ)。