平家物語 巻第三 僧都死去:概要と原文

有王 平家物語
巻第三
僧都死去
そうずしきょ
異:有王
/辻風

〔概要〕
 
 平家打倒の鹿ヶ谷の陰謀で鹿児島南部の鬼界が島に流罪に処された俊寛僧都は、侍童の有王が俊寛の妻子は相次ぎ死んだことを聞かされ、唯一残された娘が帰ってきてほしいとする手紙を読みつつ、やせこけていたが、さらに断食をして死んだ。

 「有王渡つて二十三日と申すに、僧都、庵の中にて、遂に終はり給ひぬ。歳三十七とぞ聞こえし」

 有王により俊寛の亡骸は俊寛の「我が家」こと松竹のテントを崩して荼毘に付され、遺骨を俊寛の娘のもとに持ち帰ると、娘は声を上げて泣き、十二歳で尼になった。

 


 
 僧都、うつつにてありけりと思ひ定めて、「そもそも去年少将や判官入道迎への時も、これらが文といふ事のなかりしが、今汝が便りにも、音信のなきはかうともいはざりしか」と宣へば、有王涙に咽びて、うつぶして、しばしは御返事にも及ばず。
 ややあつて起き上がり、涙をおさへて申しけるは、「君の西八条へ御出で候ひし時、追捕の官人参つて資財雑具を追捕し、御内の人どもからめ取り、御謀叛の次第を尋ねとひ、皆失ひはて候ひき。北の方は幼き人を隠しかね参らさせ給ひ、鞍馬の奥に忍びて御渡り候ひしに、この童ばかりこそ時々参つて、御宮仕へつかまつり候ひしか。いづれも御歎きの愚かなる事は候はざりしかども、幼き人はあまりに恋ひ参らさせ給ひて、参り候ふたびごとには、『有王よ、我鬼界が島とかやへ具して参れ』とて、むつからせ候ひしが、過ぎ候ひし二月、疹痘と申す事に失せさせおはしまし候ひぬ。北の方はその御歎きと申し、これの御事と申し、ひとかたならぬ御思ひに、思し召し沈ませ給ひしが、同じき三月二日、遂にかくれさせ給ひ候ひぬ。今は姫御前ばかりこそ、奈良の姥御前の御もとに忍びて御渡り候へ。それより御文給はつて参つて候へ」とて、取り出だして奉る。
 

 僧都これをあけて見給ふに、有王が申すに違はず書かれたり。奥には、「などや三人流されてまします人の、二人は召し帰されて候ふに、今一人残されて、今まで御上りも候はぬぞ。あはれ尊きも卑しきも、女の身ほど口惜しかりける事は候はず。男の身にてだに候はば、渡らせ給ふ島へも、などか参らで候ふべき。この童を御伴にて急ぎ上らせ給へ」とぞ書かれたる。
 「有王これ見よ。この子が文の書きやうのはかなさよ。おのれをともにて、急ぎ上れと書いたる事のうらめしさよ。俊寛が心に任せたる憂き身ならば、何とてかこの島にて三年の春秋をば送るべき。今年は十二になるとこそ思ふに、これほどにはかなくては、いかでか人にも見え、宮仕ひをもして、身をもたすくべきか」とて泣かれけるにぞ、人の親の心はやみにあらねども、子を思ふ道に迷ふほども知られける。
 「この島へ流されて後は、暦もなければ、月日のかはりゆくをも知らず。ただおのづから花の散り、葉の落つるを見ては、三年の春秋をわきまへ、蝉の声麦秋を送れば夏と思ひ、雪の積もるを冬と知る。白月黒月のかはりゆくを見ては、三十日をわきまへ、指を折つて算ふれば、今年は六つになると思ふ幼き者も、はや先立ちけるござんなれ。西八条へ出でし時、この子が『我も行かん』としたひしを、『やがて帰らうずるぞ』と慰め置きしが、今のやうにおぼゆるぞや。それを限りと思はましかば、今しばらくもなどか見ざらん。親となり子となり、夫婦の縁の結びも、みなこの世一つに限らぬ契りぞかし。などされば、それらがさやうに先立ちけるを、今まで夢幻にも知らざりけるぞ。人目も知らず、いかにもして、命をいかうど思ひしも、これらを今一度見ばやと思ふためなり。今は生きても何かせん。姫が事こそ心苦しけれども、それは生き身なれば、歎きながらも過ごさんずらん。さのみながらへて、おのれに憂き目を見せんも、我が身ながらつれなかるべし」とて、おのづから食事を留め、ひとへに弥陀の名号を唱へ、臨終正念をぞ祈られける。
 

 有王渡つて二十三日と申すに、僧都、庵の中にて、遂に終はり給ひぬ。歳三十七とぞ聞こえし。
 

 有王空しき姿に取りつき、天に仰ぎ地に臥し、心の行くほど泣き飽いて、「やがて後世の御伴つかまつるべう候へども、この世には姫御前ばかりこそ渡らせ給ひ候へ。後世とぶらひ参らすべき人も候はず。しばしながらへて、後世を弔ひ参らせん」とて、ふしどを改めず、庵をきりかけ、松の枯れ枝、蘆の枯葉を取り覆ひ、藻塩の煙となし奉り、荼毘事終はりにければ、白骨を拾ひ首にかけ、また商人船の便りに九国の地へぞ着きにける。
 

 その後都へ上り、僧都の御娘の忍んでおはしける所へ参つて、ありし様、はじめよりこまごまと語り申す。
 「なかなか御文を御覧じてこそ御思ひはまさらせ給ひて候ひしか。硯も紙もなければ、御返事にも及ばず、思し召され候ひし御事、さながら空しうやみ候ひにき。今は生々世々を送り、多生曠劫をば隔つとも、いかでか御声をも聞き、御姿をも見参らさせ給ふべき」と申しければ、
 姫御前、伏しまろび、声も惜しまず泣かれける。やがて十二の歳尼になり、奈良の法華寺に行ひすまして、父母の後世を弔ひ給ふぞ哀れなる。
 有王は俊寛僧都の遺骨を首にかけ、高野へ上り、奥の院に納めつつ、蓮華台にて法師になり、諸国七道修行して、主の後世をぞ弔ひける。かやうに人の思ひ歎きのつもりぬる、平家の末こそ恐ろしけれ。
 

有王 平家物語
巻第三
僧都死去
そうずしきょ
異:有王
/辻風