徒然草141段 悲田院の尭蓮上人:原文

身死して 徒然草
第四部
141段
悲田院の尭蓮
心なし

 
 悲田院の尭蓮上人は、俗姓は三浦のなにがしとかや、双なき武者なり。
 

 ふるさとの人の来たりて物語りすとて、「あづまうどこそ、言ひつることは頼まるれ。都の人は、ことうけのみよくて、まことなし」
 と言ひしを、聖、「それはさこそおぼすらめども、おのれは都に久しく住みて、慣れて見侍るに、人の心劣れりとは思ひ侍らず。なべて心柔らかに、情けあるゆゑに、人の言ふほどのこと、けやけく否びがたくて、よろづ、え言ひ放たず、心弱くことうけしつ。
 偽りせんとは思はねど、乏しくかなはぬ人のみあれば、おのづから本意通らぬこと多かるべし。
 あづまうどは、わがかたなれど、げには心の色なく、情けおくれ、ひとへにすくよかなるものなれば、初めより否と言ひてやみぬ。
 にぎはひ豊かなれば、人には頼まるるぞかし」
 とことわられ侍りしこそ、この聖、声うちゆがみ、荒々しくて、聖教のこまやかなる理、いとわきまへずもやと思ひしに、この一言ののち、心にくくなりて、多かる中に寺をも住持せらるるは、かくやはらぎたるところありて、その益もあるにこそと覚え侍りし。