古事記~少名毘古那神  原文対訳

大国主の系譜 古事記
上巻 第三部
大国主の物語
少名毘古那の神
御諸山の神
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
故大國主神。  かれ大國主の神、  そこで大國主の命が
坐、出雲之御大之
御前時。
出雲の御大みほの
御前みさきにいます時に、
出雲いずもの御大みほの
御埼みさきにおいでになつた時に、
自波穗。 波の穗より、 波なみの上うえを

天之羅摩船而。
天の羅摩かがみの船に
乘りて、
蔓芋つるいものさやを割わつて
船にして
内剥
鵝皮剥。
鵝ひむしの皮を
内剥うつはぎに剥ぎて
蛾がの皮を
そつくり剥はいで
爲衣服。 衣服みけしにして、 著物きものにして
有歸來神。 歸より來る神あり。 寄よつて來る神樣があります。
     
爾雖問其名。 ここにその名を問はせども その名を聞きましたけれども
不答。 答へず、 答えません。
且雖問
所從之諸神。
また所從みともの神たちに
問はせども、
また御從者おともの神たちに
お尋ねになつたけれども
皆白不知。 みな知らずと白まをしき。 皆知りませんでした。
     
爾多邇具久白言。
〈自多下四字以音〉
ここに多邇具久
たにぐく白して言まをさく、
ところが
ひきがえるが言いうことには、
此者久延毘古必知之。 「こは久延毘古
くえびこぞかならず知りたらむ」
と白ししかば、
「これは
クエ彦がきつと知つているでしよう」
と申しましたから、
即召久延毘古。 すなはち久延毘古を召して そのクエ彦を呼んで
問時。 問ひたまふ時に答へて白さく、 お尋ねになると、
答白
此者神產巢日神之御子。
「こは
神産巣日かむむすびの神の御子
「これは
カムムスビの神の御子みこで
少名毘古那神。
〈自毘下三字以音〉
少名毘古那
すくなびこなの神なり」と白しき。
スクナビコナの神です」と申しました。
     
故爾
白上於
神產巢日
御祖命者。
かれここに
神産巣日
御祖みおやの命に
白し上げしかば、
依つて
カムムスビの神に
申し上げたところ、
答告。    
此者實我子也。 「こは實まことに我が子なり。 「ほんとにわたしの子だ。
於子之中。 子の中に、 子どもの中でも
自我手俣
久岐斯子也。
〈自久下三字以音〉
我が手俣たなまたより
漏くきし子なり。
わたしの手の股またから
こぼれて落ちた子どもです。
故與汝
葦原色許男命。
かれ汝いまし葦原色許男
あしはらしこをの命と
あなたアシハラシコヲの命と
爲兄弟而。 兄弟はらからとなりて、 兄弟となつて
作堅其國。 その國作り堅めよ」
とのりたまひき。
この國を作り堅めなさい」
と仰せられました。
     
故自爾。 かれそれより、 それでそれから
大穴牟遲。 大穴牟遲と 大國主と
與少名毘古那。 少名毘古那と スクナビコナと
二柱神相並。 二柱の神相並びて、 お二人が竝んで
作堅此國。 この國作り堅めたまひき。 この國を作り堅めたのです。
     
然後者。 然ありて後には、 後には
其少名毘古那神者。 その少名毘古那の神は、 そのスクナビコナの神は、
度于
常世國也。
常世とこよの國に
度りましき。
海のあちらへ
渡つて行つてしまいました。
     
故顯白其
少名毘古那神。
かれその少名毘古那の神を
顯し白しし、
このスクナビコナの神のことを
申し上げた
所謂久延毘古者。 いはゆる久延毘古くえびこは、 クエ彦というのは、
於今者山田之
曾富騰者也。
今には山田の
曾富騰そほどといふものなり。
今いう山田の
案山子かかしのことです。
此神者。 この神は、 この神は
足雖不行。 足はあるかねども、 足は歩あるきませんが、
盡知
天下之事神也。
天の下の事を
盡ことごとに知れる神なり。
天下のことを
すつかり知つている神樣です。
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