伊勢物語 51段:前栽の菊 あらすじ・原文・現代語訳

第50段
あだくらべ
伊勢物語
第二部
第51段
前栽の菊
第52段
飾り粽

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文対照
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
 

あらすじ

 
 
 むかし男が、人の庭に菊を植えた。
 

 植へしうへば 秋なき時や 咲かざらむ 花こそ散らめ 根さへ枯れめや
 植えたからには 秋でなくても 飽きずに咲かんように 花が散っても 根も枯れんように。
 

 その心は、どっちつかず。
 そもそも菊がどっちのものか不明。これは著者の仕事の一つにかかわる内容(判事。六歌仙参照。動産か定着物か)
 
 この歌は多義語や反語を連発している。
 「うえしうえ」「秋と飽き」の同音異義。「ざらむ」「らめ」「めや」などの、推量と意志の複数掛け、反語との合成。
 このような構成は「色好みと知る知る女」(42段)「恨むる人を恨みて」(本段直前の50段)と、全く同様の流れの同音異義から始まっている。
 

 そして、この歌は古今268に業平の作として収録されるが、この認定は誤り。
 何より極めて技術的な内容であること、その流れを汲んだ上述の50段の歌が読人不知で古今に掲載されること、
 このような多義的描写は、伊勢物語に特有の突出した技術水準であること(一般の訳はそれを全く読めずに、浅く処理してズレるのがその証し)、
 そしてこのような描写は、物語に一貫するものであること(初冠東下り筒井筒などの象徴とされる段でも、文脈無視で大筋すら取り違える)。
 そういう状態で、伊勢の歌を業平の作とみる根拠も資格もない。それ以前に65段で業平の品性を全否定している。そんな人の歌を引用することはない。
 
 

原文対照

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第51段 前栽の菊
   
 むかし、男、  むかし、おとこ、  むかしおとこ。
  人の前栽に菊植ゑけるに、 人のせんざいにきくうへけるに、 人の前栽うへけるに。
       

97
 植ゑしうゑば
 秋なき時や咲かざらむ
 うへしうへば
 秋なき時やさかざらむ
 移し植は
(古今うへしうへは一本)
 秋なき時やさかさらん
  花こそ散らめ
  根さへ枯れめや
  花こそちらめ
  ねさへかれめや
  花こそちらめ
  ねさへ枯めや
   

現代語訳

 
 

むかし、男、
人の前栽に菊植ゑけるに、
 
植ゑしうゑば 秋なき時や 咲かざらむ
 花こそ散らめ 根さへ枯れめや

 
 
むかし男
 むかし男が、
 

人の前栽に菊植ゑけるに
 人の庭に菊を植えたところ、
 

植ゑしうゑば
 植えたからには
 
 上:~であるからには
 「色好みと知る知る女」(42段)「恨むる人を恨みて」(50段)と同様の同音異義。
 

秋なき時や
 秋でなくても、飽きない時がないように
 

咲かざらむ
 咲こうが、咲くまいが
 

花こそ散らめ
 花も散らむでいるだろうが
 
 「む」は完了なのか・推量なのか
 

根さへ枯れめや
 根さえも枯れるか、いや枯れないか。
 
 めや:~だろうか、いや~ではない。
 
 結局何がいいたいのか? 
 
 どっちのものとも、よくわからない。
 

 「植えて・しまったぁ~」
 
 →完了なのか悲嘆なのか。う~ん、すごくない?