枕草子108段 方弘は、いみじう人に笑はるるものかな

ゆくすゑ 枕草子
上巻下
108段
方弘は
見苦しき

(旧)大系:108段
新大系:104段、新編全集:104段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず、混乱を招くので、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:113段
 


 
 方弘は、いみじう人に笑はるるものかな。親などいかに聞くらむ。
 供にありくものどもの、人々しきを呼びよせて、「なにしにかかる者には使はるるぞ。いかがおぼゆる」など笑ふ。
 ものいとよくするあたりにて、下襲、うへのきぬなども、人よりよくて着たるを、紙燭さしつけ焼き、あるは、「これをこと人に着せばや」などいふに、げにまた言葉遣ひなどぞあやしき。
 里に宿直物とりにやるに、「男二人まかれ」といふを、「一人してとりにまかりなむ」といふ。
 「あやしの男や。一人して二人が物をば、いかで持たるべきぞ。一升瓶に二升は入るや」といふを、なでふことと知る人はなけれど、いみじう笑ふ。
 人の使の来て、「御返しとく」といふを、「あな、にくの男や。などかうまどふ。かまどに豆やくべたる。この殿上の墨、筆も、何者の盗み隠したるぞ。飯、酒ならばこそ、人もほそがらめ」といふを、まあ笑ふ。
 

 女院なやませ給ふとて、御使に参りて、帰りたるに、「院の殿上には誰々かありつる」と人の問へば、それかれなど、四五人ばかりいふに、「また誰か」と問へば、「さて、往ぬる人どもぞありつる」といふもわらふも、またあやしきことにこそはあらめ。
 

 人間により来て、「わが君こそ、ものきこえむ。まづと、人の宣ひつることぞ」といへば、「なにごとぞ」とて、几帳のもとにさしよりたれば、「むくろごめにより給へ」といひたるを、五体ごめとなむいひつるとて、人に笑はる。
 

 除目の中の夜、さし油するに、灯台の打敷をふみて立てるに、あたらしき油単に、襪はいとよくとらへられにけり。さしあゆみてかへれば、やがて灯台は倒れぬ、襪に打敷つきていくに、まことに大地震動したりしか。
 

 頭着き給はぬかぎりは、殿上の台盤には人もつかず。それに、豆一盛り、やをらとりて、小障子のうしろにて食ひければ、ひきあらはして笑ふことかぎりなし。