枕草子292段 成信の中将は、入道兵部卿の宮の

日のうらうら 枕草子
下巻下
292段
成信の中将は
つねに文

(旧)大系:292段
新大系:273段、新編全集:274段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず混乱を招くので、以後は最も索引性に優れ三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:271段
 


 
 成信の中将は、入道兵部卿の宮の御子にて、かたちいとをかしげに、心ばへもをかしうおはす。伊予の守兼資が女忘れて、親の伊予へ率てくだりしほど、いかにあはれなりけむとこそおぼえしか。あかつきに行くとて、今宵おはして、有明の月に帰り給ひけむ直衣姿などよ。
 

 その君、常にゐてものいひ、人の上など、わるきはわるしなど宣ひしに、物忌くすしう、つのかめなどにたててくふ物まつかいけなどするものの名を姓にて持たる人のあるが、こと人の子になりて、平などいへど、ただそのもとの姓を、わかき人々ことぐさにてわらふ。ありさまもことなることもなし、をかしきかたなども遠きが、さすがに人にさしまじり、心などのあるを、御前わたりも、見苦しなど仰せらるれど、はらぎたなきにや、告ぐる人もなし。
 

 一条の院に作らせ給ひたる一間の所には、にくき人はさらに寄せず。東の御門につと向かひて、いとをかしき小廂に、式部のおもとともろに夜も昼もあれば、上もつねにもの御覧じに入らせ給ふ。
 「今宵は、うちに寝なむ」とて、南の廂に二人臥しぬるのちに、いみじう呼ぶ人のあるを、うるさしなどいひあはせて、寝たるやうにてあれば、なほいみじうかしがましう呼ぶを、「それ、おこせ。そら寝ならむ」と仰せられければ、この兵部来て起こせど、いみじう寝入りたるさまなれば、「さらに起き給はざめり」といひに行きたるに、やがてゐつきて、ものいふなり。
 しばしかと思ふに、夜いたうふけぬ。「権中将にこそあなれ。こはなにごとを、かゐてはいふぞ」とて、みそかに、ただいみじうわらふも、いかでかは知らむ。あかつきまでいひ明かして帰る。
 また、「この君、いとゆゆしかりけり。さらに、寄りおはせむにものいはじ。なにごとを、さはいひ明かすぞ」などいひわらふに、遣戸あけて、女は入り来ぬ。
 

 つとめて、廂に人のものいふを聞けば、「雨いみじう降る折に来たる人なむあはれなる。日頃おぼつかなく、つらきことありとも、さてぬれて来たらむは、憂きこともみな忘れぬべし」とは、などていふにかあらむ。
 さあらむを、昨夜も、昨日の夜も、そがあなたの夜も、すべて、このごろ、うちしきり見ゆる人の、今宵いみじからむ雨にさはらで来たらむは、なほ一夜もへだてじと思ふなめりとあはれになりなむ。さらで、日頃も見ず、おぼつかなくて過ぐさむ人の、かかる折にしも来むは、さらに心ざしのあるにはせじとこそおぼゆれ。人の心々なるものなればにや。もの見知り、思ひ知りたる女の、心ありと見ゆるなどを語らひて、あまた行くところもあり、もとよりのよすがなどもあれば、しげくも見えぬを、なほさるいみじかりし折に来たりし、など、人にも語りつがせ、ほめられむと思ふ人のしわざにや。
 それも、むげに心ざしなからむには、げになにしにかは、作りごとにても見えむとも思はむ。されど、雨のふる時に、ただむつかしう、今朝まではればれしかりつる空ともおぼえず、にくくて、いみじき細殿、めでたき所とおぼえず。まいて、いとさらぬ家などは、とく降りやみねかしとこそおぼゆれ。
 

 をかしきこと、あはれなることもなきものを、さて、月のあかきはしも、過ぎにしかた、行く末まで、思ひ残さるることなく、心もあくがれ、めでたく、あはれなること、たぐひなくおぼゆ。それに来たらむ人は、十日、二十日、一月、もしは一年も、まいて七八年ありて思ひ出でたらむは、いみじうをかしとおぼえて、えあるまじうわりなきところ、人目つつむべきやうありとも、かならず立ちながらも、ものいひてかへし、また、とまるべからむは、とどめなどもしつべし。
 

 月のあかき見るばかり、ものの遠く思ひやられて、過ぎにしことの憂かりしも、うれしかりしも、をかしとおぼえしも、ただ今のやうにおぼゆる折やはある。こま野の物語は、なにばかりをかしきこともなく、ことばもふるめき、見所多からぬも、月に昔を思ひ出でて、むしばみたる蝙蝠とり出でて、「もとみしこまに」といひてたづねたるが、あはれなるなり。
 

 雨は心もとなきものと思ひしみたればにや、片時降るもいとにくくぞある。やむごとなきこと、おもしろかるべきこと、たふとうめでたかべいことも、雨だに降れば、いふかひなくくちをしきに、なにか、そのぬれてかこち来たらむがめでたからむ。
 

 交野の少将もどきたる落窪の少将などはをかし。昨夜、一昨日の夜もありしかばこそ、それもをかしけれ。足洗ひたるぞにくき。きたなかりけむ。
 

 風などの吹き、あらあらしき夜来たるは、たのもしくて、うれしうもありなむ。
 

 雪こそめでたけれ。
 「忘れめや」などひとりごちて、忍びたることはさらなり、いとさあらむ所も、直衣などはさらにもいはず、うへのきぬ、蔵人の青色などの、いとひややかにぬれたらむは、いみじうをかしかべし。緑衫なりとも、雪にだにぬれなばにくかるまじ。昔の蔵人は、夜など、人のもとにも、ただ青色を着て、雨にぬれても、しぼりなどしけるとか。今は昼だに着ざめり。ただ緑衫のみうちかづきてこそあめれ。衛府などの着たるは、まいていみじうをかしかりしものを。かく聞きて、雨にありかぬ人やあらむとすらむ。
 

 月のいみじうあかき夜、紙のまたいみじう赤きに、ただ、「あらずとも」と書きたるを、廂にさし入りたる月にあてて、人の見しこそをかしかりしか。雨降らむ折は、さはありなむや。
 
 

日のうらうら 枕草子
下巻下
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成信の中将は
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