古事記 住吉三神(墨江大神)~原文対訳

国之大祓 古事記
中巻⑦
14代 仲哀天皇
神功皇后の神がかり
4 住吉三神
三韓征伐
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
於是教覺之状。 ここに教へ覺したまふ状、 そこで神のお教えになることは
具如先日。 つぶさに先さきの日の如くありて、 悉く前の通りで、
凡此國者。 「およそこの國は、 「すべてこの國は
坐汝命
御腹之御子。
汝命いましみことの
御腹にます御子の
皇后樣の
お腹においでになる御子の
所知國者也。 知らさむ國なり」
とのりたまひき。
治むべき國である」
とお教えになりました。
     
爾建内宿禰。  ここに建内の宿禰白さく、  そこでタケシウチの宿禰が、
白恐。我大神。 「恐し、我が大神、 「神樣、おそれ多いことですが、
坐其神
腹之御子。
その神の御腹にます御子は その皇后樣の
お腹はらにおいでになる御子は
何子歟。 何の御子ぞも」
とまをせば、
何の御子でございますか
と申しましたところ、
答詔。 答へて詔りたまはく、  
男子也。 「男子をのこなり」と詔りたまひき。 「男の御子だ」と仰せられました。
     
爾具請之。 ここにつぶさに請ひまつらく、 そこで更にお願い申し上げたことは、
今如此言教之
大神者。
「今かく言教へたまふ大神は、 「今かようにお教えになる神樣は
欲知其御名。 その御名を知らまくほし」とまをししかば、 何という神樣ですか」と申しましたところ、
即答詔。 答へ詔りたまはく、 お答え遊ばされるには
是天照大神
之御心者。
「こは天照らす大神の御心なり。 「これは天照らす大神の御心だ。

底筒男。
また
底筒そこつつの男を、
またソコツツノヲ・
中筒男。 中筒なかつつの男を、 ナカツツノヲ・
上筒男。 上筒うはつつの男を ウハツツノヲ
三柱大神者也。 三柱の大神なり。 の三神だ。
〈此時
其三柱大神之
御名者顯也〉
(この時に
その三柱の大神の御名は
顯したまへり)
 
今寔
思求其國者。
今まことに
その國を求めむと思ほさば、
今まことに
あの國を求めようと思われるなら、
於天神地祇。 天あまつ神かみ地くにつ祇かみ、 天地の神たち、

山神及
河海之諸神。
また
山の神
海河の神たちまでに
また
山の神、
海河の神たちに
悉奉幣帛。 悉に幣帛ぬさ奉り、 悉く幣帛へいはくを奉り、
我之御魂。 我が御魂を わたしの御魂みたまを
坐于船上而。 御船の上にませて、 御船みふねの上にお祭り申し上げ、
眞木灰
納瓠。
眞木まきの灰を
瓠ひさごに納れ、
木の灰を
瓠ひさごに入れ、
亦箸及
比羅傳
〈此三字以音〉
多作。
また箸と
葉盤ひらでとを
多さはに作りて、
また箸はしと
皿とを
澤山に作つて、
皆皆散浮大海
以可度。
皆皆大海に散らし浮けて、
度わたりますべし」
とのりたまひき。
悉く大海に散ちらし浮うかべて
お渡わたりなさるがよい」
と仰せなさいました。
国之大祓 古事記
中巻⑦
14代 仲哀天皇
神功皇后の神がかり
4 住吉三神
三韓征伐

天照と三神の名が出される意義

 
 
 ここでは神の名が複数でてくる。
 天照は権威の所在を示している。続く三柱がいわゆる住吉三神で(古事記での呼称は墨江大神)、複数なので直接の交信主ではない。表記上は、これらの命を受けたの霊的存在が、神功皇后に憑依し、指図を実行しているということになる。一応古事記に書いてあることなので、この神がかりが、ただの狂言や狐憑き(野狐)という可能性は除外して考えると、大規模組織の意思決定のように、末端の実行者の意思決定でされているものではない(上巻で示されたように、安河原での評議を経ている)。

 だから実質はこの三神の意志で、それを否定しなかったのが天照、ということに表記上はなる。