源氏物語 17帖 絵合:あらすじ・目次・原文対訳

関屋 源氏物語
第一部
第17帖
絵合
松風

 
 本ページは、高千穂大名誉教授・渋谷栄一氏の『源氏物語の世界』(目次構成・登場人物・原文・訳文)を参照引用している(全文使用許可あり)。
 ここでは、その原文と現代語訳のページの内容を統合し、レイアウトを整えた。速やかな理解に資すると思うが、詳しい趣旨は上記リンク参照。
 
 

 絵合(えあわせ)のあらすじ

【14『澪標』末尾からの続き。以下の、~でかこった冒頭の段落は下記引用元の澪標にあったが、絵合の内容なのでこちらに移した】

~斎宮の母・六条御息所亡き後、斎宮は二条東院へと引き取られ【…略…】しばらくして、入内の日。斎宮の晴れ姿に、御息所の代から仕える女房たちはこの場に御息所がいないことを惜しみ、感涙する。朱雀帝【源氏の異母兄。冷泉に譲位したのでここでは朱雀院】からは、祝いの品々と共に、文が寄せられた。内裏へ入った、斎宮は梅壺に殿舎が決まり、これ以降、斎宮女御と呼ばれる。~
 

 光源氏31歳春の話。
 内大臣光源氏の後見のもと、斎宮は入内して梅壺に入り女御となった。若い冷泉帝【源氏と藤壺の子:表向きは桐壺帝と藤壺の子】は始め年上の斎宮女御になじめなかったが、絵画という共通の趣味をきっかけに寵愛を増す。
 先に娘を弘徽殿女御として入内させていた権中納言(頭中将)はこれを知り、負けじと豪華な絵を集めて帝の気を引こうと躍起になった。

 宮中でも人々が絵を批評しあうのが流行し、藤壺中宮【かがやく日の宮】の御前で物語絵合せが行われた…

【藤壺御前絵合せ】

【竹取の翁vs宇津保の俊蔭、伊勢物語vs正三位の絵合せ。この部分は上記あらすじで軽く流されるがここが本巻中核。文献で「伊勢物語」初出。竹取物語とはしていない。物語としたのは伊勢物語だけ。しかも他作品に比して主体を示さない。つまり主人公の名を激しく争った(多くの人にそうであるように、伊勢は当時から在五の日記・歌集とみなされていた)。他人の絵で勝負した中将方の滑稽さ、主人公の自筆日記による前伊勢斎宮陣営の勝利は、在五性を否定し無名男の日記とする著者の意志。何となくの物語論ではなく、本巻三月十日と三月二十日の絵合はどう見ても960年三月三十日天徳内裏歌合の派生概念。つまり和歌と密接不可分。そして絵合せで詠まれた和歌は伊勢のものだけ。斎宮方は左、弘徽殿は右、竹取・伊勢・源氏(左)vs宇津保・正三位・頭中将(右)という構図で、初めから右に勝ち目はない】

 …のをきっかけに、帝の御前でも梅壺対弘徽殿の絵合せが華々しく催された。
【冷泉御前絵合せ】
 古今の素晴らしい絵が数多く出された中で、最後の勝負に源氏が出した須磨の絵日記はその絵の見事さと感動的な内容で人々の心を打ち、梅壺【前伊勢斎宮】方が勝利を収めた。

 絵合せからしばらくして、冷泉帝は藤壺中宮に、貴族たちが弘徽殿女御と梅壺のどちらが中宮にふさわしいかを噂している事で、悩みを打ち明ける。その後源氏は藤壺に絵日記を献上し、一方でいつか出家する日のことを思って嵯峨野に御堂の建立を始めた。

Wikipedia絵合より。【】と色づけと下線とは本ページ)
 

目次
和歌抜粋内訳#絵合(9首:別ページ)
主要登場人物
 
第17帖 絵合(えあわせ)
 光る源氏の内大臣時代
 三十一歳春の後宮制覇の物語
 
第一章 前斎宮の物語
 前斎宮をめぐる朱雀院と光る源氏の確執
 第一段 朱雀院、前斎宮の入内に際して贈り物する
 第二段 源氏、朱雀院の心中を思いやる
 第三段 帝と弘徽殿女御と斎宮女御
 第四段 源氏、朱雀院と語る
 
第二章 後宮の物語
 中宮の御前の物語絵合せ
 第一段 権中納言方、絵を集める
 第二段 源氏方、須磨の絵日記を準備
 第三段 三月十日、中宮の御前の物語絵合せ
 第四段 「竹取」対「宇津保
 第五段 「伊勢物語」対「正三位
 
第三章 後宮の物語
 帝の御前の絵合せ
 第一段 帝の御前の絵合せの企画
 第二段 三月二十日過ぎ、帝の御前の絵合せ
 第三段 左方【伊勢斎宮】、勝利をおさめる
 
第四章 光る源氏の物語
 光る源氏世界の黎明
 第一段 学問と芸事の清談
 第二段 光る源氏体制の夜明け
 第三段 冷泉朝の盛世
 第四段 嵯峨野に御堂を建立
 出典
 校訂
 

主要登場人物

 

光る源氏(ひかるげんじ)
三十一歳
呼称:内大臣・大臣・大殿・殿
齋宮女御(さいぐうのにょうご)
源氏の養女
呼称:前齋宮・齋宮の女御・齋宮・梅壺の御方・梅壺・宮
冷泉帝(れいぜいてい)
今上帝
呼称:帝・内裏・主上
頭中将(とうのちゅうじょう)
源氏の従兄弟
呼称:権中納言・中納言
弘徽殿女御(こうきでんのにょうご)
頭中将の娘
呼称:弘徽殿・女御・御女
朱雀院(すざくいん)
源氏の兄
呼称:院・院の帝
藤壺宮(ふじつぼのみや)
冷泉帝の母
呼称:中宮・宮
紫の上(むらさきのうえ)
源氏の正妻
呼称:女君

 
 以上の内容は、全て以下の原文のリンクを参照。文面はそのままで表記を若干整えた。
 
 
 

原文対訳

  定家本
(大島本
現代語訳
(渋谷栄一)
  絵合(えあわせ)
 
 

第一章 前斎宮の物語 前斎宮をめぐる朱雀院と光る源氏の確執

 
 

第一段 朱雀院、前斎宮の入内に際して贈り物する

 
1  前斎宮の御参りのこと、中宮の御心に入れてもよほしきこえたまふ。
 こまかなる御とぶらひまで、とり立てたる御後見もなしと思しやれど、大殿は、院に聞こし召さむことを憚りたまひて、二条院に渡したてまつらむことをも、このたびは思し止まりて、ただ知らず顔にもてなしたまへれど、おほかたのことどもは、とりもちて親めききこえたまふ。
 
 前斎宮のご入内のことを、中宮がご熱心にご催促申される。
 こまごまとしたお世話まで、これといったご後見役もいないとご心配になるが、源氏の大殿は、朱雀院がお聞きあそばすことをはばかりなさって、二条の院にお迎え申すことをも、この度はお思いとどまりになって、まったく知らない顔に振る舞っていらっしゃるが、一通りの準備は、受け持って親のように世話してお上げになる。
 
2  院はいと口惜しく思し召せど、人悪ろければ、御消息など絶えにたるを、その日になりて、えならぬ御よそひども、御櫛の筥、打乱の筥、香壺の筥ども、世の常ならず、くさぐさの御薫物ども、薫衣香、またなきさまに、百歩の外を多く過ぎ匂ふまで、心ことに調へさせたまへり。
 大臣見たまひもせむにと、かねてよりや思しまうけけむ、いとわざとがましかむめり。
 
 朱雀院はたいそう残念に思し召されるが、体裁が悪いので、お手紙なども絶えてしまっていたが、ご入内の当日になって、何ともいえない素晴らしいご装束の数々や、お櫛の箱や打乱の箱、香壺の箱などを幾つも、並大抵のものでなく、いろいろのお薫物の数々、薫衣香のまたとない素晴らしいほどに、百歩の外を遠く過ぎても匂うくらいの、特別に心をこめてお揃えあそばした。
 源氏の内大臣が御覧になろうからと、前々からご準備あそばしていたのであろうか、いかにも特別誂えといった感じのようである。
 
3  殿も渡りたまへるほどにて、「かくなむ」と、女別当御覧ぜさす。
 ただ、御櫛の筥の片つ方を見たまふに、尽きせずこまかになまめきて、めづらしきさまなり。
 挿櫛の筥の心葉に、
 源氏の殿もお越しになっていた時なので、「これこれの次第で」と言って、女別当が御覧に入れさせる。
 ちょっと、お櫛の箱の片端を御覧になると、この上もなく精巧で優美に、めったにない作りである。
 さし櫛の箱の心葉に、
 

274
 「別れ路に 添へし小櫛を かことにて
 遥けき仲と 神やいさめし」
 「別れの御櫛を差し上げましたが、それを口実に
  あなたとの仲を遠く離れたものと神がお決めになったのでしょうか」
 
4  大臣、これを御覧じつけて、思しめぐらすに、いとかたじけなくいとほしくて、わが御心のならひ、あやにくなる身を抓みて、  大臣は、これを御覧になって、いろいろとお考えめぐらすと、たいそう恐れ多く、またおいたわしくて、ご自分の性癖のままならぬ恋に惹かれるわが身をつまされて、
5  「かの下りたまひしほど、御心に思ほしけむこと、かう年経て帰りたまひて、その御心ざしをも遂げたまふべきほどに、かかる違ひ目のあるを、いかに思すらむ。
 御位を去り、もの静かにて、世を恨めしとや思すらむ」など、「我になりて心動くべきふしかな」と、思し続けたまふに、いとほしく、「何にかくあながちなることを思ひはじめて、心苦しく思ほし悩ますらむ。
 つらしとも、思ひきこえしかど、また、なつかしうあはれなる御心ばへを」など、思ひ乱れたまひて、とばかりうち眺めたまへり。
 
 「あの伊勢にお下りになった時、お心にお思いになっただろうことを、このように何年も経って京にお帰りになって、そのお気持ちを遂げられる時に、このように意に反することが起こったのを、どのようにお思いであろう。
 御位を去り、もの静かに過ごしていらして、世を恨めしくお思いだろうか」などと、「自分がその立場であったなら、きっと心を動かさずにはいられないだろう」と、お思い続けなさると、お気の毒になって、「どうしてこのような無理強引なことを思いついて、おいたわしくお苦しめ悩ますのだろう。
 かつては恨めしいともお思い申したが、また一方では、お優しく情け深いお気持ちの方を」などと、お思い乱れなさって、しばらくは物思いに耽っていらっしゃった。
 
6  「この御返りは、いかやうにか聞こえさせたまふらむ。
 また、御消息もいかが」
 「このご返歌は、どのように申し上げあそばすのでしょうか。
 また、お手紙はどのように」
7  など、聞こえたまへど、いとかたはらいたければ、御文はえ引き出でず。
 宮は悩ましげに思ほして、御返りいともの憂くしたまへど、
 などと、お尋ね申し上げなさるが、とても具合が悪いので、お手紙はお出しになれない。
 宮はご気分も悪そうにお思いになって、ご返事をとても億劫になさったが、
8  「聞こえたまはざらむも、いと情けなく、かたじけなかるべし」  「ご返事申されないのも、とても情けなく、恐れ多いことでしょう」
9  と、人びとそそのかしわづらひきこゆるけはひを聞きたまひて、  と、女房たちが催促申し上げ困っている様子をお聞きになって、
10  「いとあるまじき御ことなり。
 しるしばかり聞こえさせたまへ」
 「とても良くないことです。
 かたちだけでもご返事差し上げなさいませ」
11  と聞こえたまふも、いと恥づかしけれど、いにしへ思し出づるに、いとなまめき、きよらにて、いみじう泣きたまひし御さまを、そこはかとなくあはれと見たてまつりたまひし御幼心も、ただ今のこととおぼゆるに、故御息所の御ことなど、かきつらねあはれに思されて、ただかく、  と申し上げなさるにつけても、ひどく恥ずかしいが、昔のことをお思い出しになると、院のたいそう優しくお美しくいらして、ひどくお泣きになったご様子を、どことなくしみじみと拝見なさった子供心にも、つい昨日のことと思われると、亡き母御息所のお事などを、それからそれへとしみじみと悲しく思い出さずにはいらっしゃれないので、ただこのように、
 

275
 「別るとて 遥かに言ひし 一言も
 かへりてものは 今ぞ悲しき」
 「別れの御櫛をいただいた時に仰せられた一言が
  帰京した今となっては悲しく思われます」
 
12  とばかりやありけむ。
 御使の禄、品々に賜はす。
 大臣は、御返りをいとゆかしう思せど、え聞こえたまはず。
 
 と、ぐらいにお書きになったのであろうか。
 お使いへの禄を、身分に応じてお与えになる。
 大臣は、お返事をひどく御覧になりたくお思いになったが、お口にはお出しになれない。
 
 
 

第二段 源氏、朱雀院の心中を思いやる

 
13  「院の御ありさまは、女にて見たてまつらまほしきを、この御けはひも似げなからず、いとよき御あはひなめるを、内裏は、まだいといはけなくおはしますめるに、かく引き違へきこゆるを、人知れず、ものしとや思すらむ」など、憎きことをさへ思しやりて、胸つぶれたまへど、今日になりて思し止むべきことにしあらねば、事どもあるべきさまにのたまひおきて、むつましう思す修理宰相を詳しく仕うまつるべくのたまひて、内裏に参りたまひぬ。
 
 「院のご様子は、女性として拝見したい美しさだが、この宮のご様子も不似合いでなく、とても似つかわしいお間柄のようであるが、帝は、まだとてもご幼少でいらっしゃるようなので、このように無理にお運び申すことを、宮は人知れず不快にお思いでいらっしゃろうか」などと、立ち入ったことまで想像なさって、胸をお痛めになるが、今日になって中止するわけにもいかないので、万事しかるべきさまにお命じになって、ご信頼になっている修理の宰相に委細お世話申し上げるべくお命じになって、宮中に参内なさった。
 
14  「うけばりたる親ざまには、聞こし召されじ」と、院をつつみきこえたまひて、御訪らひばかりと、見せたまへり。
 よき女房などは、もとより多かる宮なれば、里がちなりしも参り集ひて、いと二なく、けはひあらまほし。
 
 「表立った親のようには、お考えいただかれないように」と、院にご遠慮申されて、ただご挨拶程度と、お見せになった。
 優れた女房たちがもともと大勢いる宮邸なので、里に引き籠もりがちであった女房たちも参集して、実にまたとなくその感じは理想的である。
 
15  「あはれ、おはせましかば、いかにかひありて、思しいたづかまし」と、昔の御心ざま思し出づるに、「おほかたの世につけては、惜しうあたらしかりし人の御ありさまぞや。
 さこそえあらぬものなりけれ。
 よしありし方は、なほすぐれて」、物の折ごとに思ひ出できこえたまふ。
 
 「ああ、もし母御息所が生きていらしたら、どんなにかお世話の仕甲斐のあることに思って、お世話なさったことだろう」と、故人のご性質をお思い出しになるにつけ、「特別な関係を抜きにして考えれば、まことに惜しむべきお人柄であったよ。
 ああまではいらっしゃれないものだ。
 風流な面では、やはり優れて」と、何かの時々にはお思い出し申し上げなさる。
 
 
 

第三段 帝と弘徽殿女御と斎宮女御

 
16  中宮も内裏にぞおはしましける。
 主上は、めづらしき人参りたまふと聞こし召しければ、いとうつくしう御心づかひしておはします。
 ほどよりはいみじうされおとなびたまへり。
 宮も、
 中宮も宮中においであそばしたのであった。
 帝は、新しい妃が入内なさるとお耳にあそばしたので、たいそういじらしく緊張なさっていらっしゃる。
 お年よりはたいそうおませで大人びていらっしゃる。
 中宮も、
17  「かく恥づかしき人参りたまふを、御心づかひして、見えたてまつらせたまへ」  「このような立派な妃が入内なさるのだから、よくお気をつけてお会い申されませ」
18  と聞こえたまひけり。
 
 と申し上げなさるのであった。
 
19  人知れず、「大人は恥づかしうやあらむ」と思しけるを、いたう夜更けて参う上りたまへり。
 いとつつましげにおほどかにて、ささやかにあえかなるけはひのしたまへれば、いとをかし、と思しけり。
 
 お心の中で、「年長の妃は気がおけるのではなかろうか」とお思いであったが、宮はたいそう夜が更けてからご入内なさった。
 実に慎み深くおっとりしていて、小柄で華奢な感じがしていらっしゃるので、たいそうおきれいな、とお思いになったのであった。
 
20  弘徽殿には、御覧じつきたれば、睦ましうあはれに心やすく思ほし、これは、人ざまもいたうしめり、恥づかしげに、大臣の御もてなしもやむごとなくよそほしければ、あなづりにくく思されて、御宿直などは等しくしたまへど、うちとけたる御童遊びに、昼など渡らせたまふことは、あなたがちにおはします。
 
 弘徽殿女御には、おなじみになっていらしたので、親しくかわいく気がねなくお思いになり、この方は、人柄も実に落ち着いて、気が置けるほどで、内大臣のご待遇も丁重で重々しいので、軽々しくはお扱いできにくく自然お思いになって、御寝の伺候などは対等になさるが、気を許した子供どうしのお遊びなどに、昼間などにお出向きになることは、あちら方に多くいらっしゃる。
 
21  権中納言は、思ふ心ありて聞こえたまひけるに、かく参りたまひて、御女にきしろふさまにてさぶらひたまふを、方々にやすからず思すべし。
 
 権中納言は、考えるところがあってご入内おさせ申したのだが、このように宮が入内なさって、ご自分の娘と競争する形で伺候なさるのを、何かにつけて穏やかならずお思いのようである。
 
 
 

第四段 源氏、朱雀院と語る

 
22  院には、かの櫛の筥の御返り御覧ぜしにつけても、御心離れがたかりけり。
 
 院におかせられては、あの櫛の箱のお返事を御覧になったにつけても、お諦めにくくお思いであった。
 
23  そのころ、大臣の参りたまへるに、御物語こまやかなり。
 ことのついでに、斎宮の下りたまひしこと、先々ものたまひ出づれば、聞こえ出でたまひて、さ思ふ心なむありしなどは、えあらはしたまはず。
 大臣も、かかる御けしき聞き顔にはあらで、ただ「いかが思したる」とゆかしさに、とかうかの御事をのたまひ出づるに、あはれなる御けしき、あさはかならず見ゆれば、いといとほしく思す。
 
 そのころ、源氏の内大臣が参上なさったので、しみじみとお話なさった。
 事のついでに、斎宮が伊勢へお下りになったことを、以前にもお話し出されたのだが、再びお口に出されて、あのように恋い慕っていたお気持ちがあったのだなどとは、お打ち明けになれない。
 大臣も、このようなご意向を知っているふうに顔にはお出しにならず、ただ「どうお思いでいらっしゃるか」とだけが知りたくて、何かと斎宮の御事をお話に出されると、御傷心の御様子が並々ならず窺えるので、たいそう気の毒にお思いになる。
 
24  「めでたしと、思ほししみにける御容貌、いかやうなるをかしさにか」と、ゆかしう思ひきこえたまへど、さらにえ見たてまつりたまはぬを、ねたう思ほす。
 
 「素晴らしい器量だと、御執着していらっしゃるご容貌は、いったいどれほどの美しさなのか」と、拝見したくお思い申されるが、まったく拝見おできになれないのを悔しくお思いになる。
 
25  いと重りかにて、夢にもいはけたる御ふるまひなどのあらばこそ、おのづからほの見えたまふついでもあらめ、心にくき御けはひのみ深さまされば、見たてまつりたまふままに、いとあらまほしと思ひきこえたまへり。
 
 まことに重々しくて、仮にも子どもっぽいお振る舞いなどがあれば、自然とちらりとお見せになることもあろうが、奥ゆかしいお振る舞いがいよいよ深くなっていく一方なので、拝見するにつれて、実に理想的だとお思い申し上げた。
 
26  かく隙間なくて、二所さぶらひたまへば、兵部卿宮、すがすがともえ思ほし立たず、「帝、おとなびたまひなば、さりとも、え思ほし捨てじ」とぞ、待ち過ぐしたまふ。
 二所の御おぼえども、とりどりに挑みたまへり。
 
 このように隙間もない状態で、お二方の女御が伺候していらっしゃるので、兵部卿宮は、すらすらとはご決意になれず、「帝が、御成人あそばしたら、いくらなんでもわが姫君をお見捨てあそばすことはあるまい」と、その時機をお待ちになる。
 お二方への御寵愛はそれぞれに優れていて、お互に競い合っていらっしゃる。
 
 
 

第二章 後宮の物語 中宮の御前の物語絵合せ

 
 

第一段 権中納言方、絵を集める

 
27  主上は、よろづのことに、すぐれて絵を興あるものに思したり。
 立てて好ませたまへばにや、二なく描かせたまふ。
 斎宮の女御、いとをかしう描かせたまふべければ、これに御心移りて、渡らせたまひつつ、描き通はさせたまふ。
 
 主上は、いろいろのことの中でも特に絵に興味をお持ちでいらっしゃった。
 取り立ててお好みあそばすせいか、並ぶ者がなく上手にお描きあそばす。
 斎宮の女御は、たいそう上手にお描きあそばすことができるので、この方にお心が移って、しじゆうお渡りになっては、お互いに絵を描き心を通わせ合っていらっしゃる。
 
28  殿上の若き人びとも、このことまねぶをば、御心とどめてをかしきものに思ほしたれば、まして、をかしげなる人の、心ばへあるさまに、まほならず描きすさび、なまめかしう添ひ臥して、とかく筆うちやすらひたまへる御さま、らうたげさに御心しみて、いとしげう渡らせたまひて、ありしよりけに御思ひまされるを、権中納言、聞きたまひて、あくまでかどかどしく今めきたまへる御心にて、「われ人に劣りなむや」と思しはげみて、すぐれたる上手どもを召し取りて、いみじくいましめて、またなきさまなる絵どもを、二なき紙どもに描き集めさせたまふ。
 
 殿上の若い公達でも、この事を習う者をお目に掛けなさり、お気に入りにあそばしたので、なおさらのこと、お美しい方が、趣のあるさまに型にはまらずのびのびと描き、優美に物に寄り掛かって、ああかこうかと筆を止めて考えていらっしゃるご様子は、そのかわいらしさにお心が捉えられて、たいそう頻繁にお渡りあそばして、以前にもまして格段に御寵愛が深くなったのを、権中納言がお聞きになって、どこまでも才気煥発な現代風なご性分なので、「自分は人に負けるものか」と心を奮い立てて、優れた名人たちを呼び集めて、厳重な注意を促して、またとない素晴らしい絵の数々をまたとない立派な幾枚もの紙に描き集めさせなさる。
 
 
 

第二段 源氏方、須磨の絵日記を準備

 
29  「物語絵こそ、心ばへ見えて、見所あるものなれ」  「とりわけ物語絵は、趣向も現れて、見所のあるものだ」
30  とて、おもしろく心ばへある限りを選りつつ描かせたまふ。
 例の月次の絵も、見馴れぬさまに、言の葉を書き続けて、御覧ぜさせたまふ。
 
 と言って、権中納言はおもしろく興趣ある場面ばかりを選んでは描かせなさる。
 普通の月次の絵も、目新しい趣向に詞書を書き連ねて、主上に御覧に入れなさる。
 
31  わざとをかしうしたれば、また、こなたにてもこれを御覧ずるに、心やすくも取り出でたまはず、いといたく秘めて、この御方へ持て渡らせたまふを惜しみ、領じたまへば、大臣、聞きたまひて、  特別に興趣深く描いてあるので、主上は、またこちらで御覧あそばそうとすると、権中納言は気安くお取り出しにならず、ひどく秘密になさって、こちら前斎宮の御方へ御持参あそばそうとするのを惜しんで、お貸しなさらないので、内大臣は、それをお聞きになって、
32  「なほ、権中納言の御心ばへの若々しさこそ、改まりがたかめれ」  「相変わらず、権中納言のお心の大人げなさは、変わらないな」
33  など笑ひたまふ。
 
 などとお笑いになる。
 
34  「あながちに隠して、心やすくも御覧ぜさせず、悩ましきこゆる、いとめざましや。
 古代の御絵どものはべる、参らせむ」
 「むやみに隠して、素直に御覧に入れず、お気を揉ませ申すのは、ひどくけしからぬことです。
 古代の御絵が数々ございます、それを差し上げましょう」
35  と奏したまひて、殿に古きも新しきも、絵ども入りたる御厨子ども開かせたまひて、女君ともろともに、「今めかしきは、それそれ」と、選り調へさせたまふ。
 
 と奏上なさって、殿にある古いのも新しいのも、幾つもの絵の入っている御厨子の数々を開けさせになさって、女君とご一緒に、「現代風なのは、これだあれだ」と、お選び揃えなさる。
 
36  「長恨歌」「王昭君」などやうなる絵は、おもしろくあはれなれど、「事の忌みあるは、こたみはたてまつらじ」と選り止めたまふ。
 
 「長恨歌」や「王昭君」などのような絵は、おもしろく感銘深いものだが、「縁起でないものは、このたびは差し上げまい」とお見合わせになる。
 
37  かの旅の御日記の箱をも取り出でさせたまひて、このついでにぞ、女君にも見せたてまつりたまひける。
 御心深く知らで今見む人だに、すこしもの思ひ知らむ人は、涙惜しむまじくあはれなり。
 まいて、忘れがたく、その世の夢を思し覚ます折なき御心どもには、取りかへし悲しう思し出でらる。
 今まで見せたまはざりける恨みをぞ聞こえたまひける。
 
 あの須磨の御日記の箱をもお取り出しになって、この機会に女君にもお見せ申し上げになったのであった。
 ご心境を深く知らなくて今初めて見るような人でさえ、多少情趣の分かるような人ならば、きっと涙を禁じえないほどのしみじみと感銘深いものである。
 まして、忘れがたく、その当時の夢のような体験をお覚ましになる時とてないお二方にとっては、当時に立ち戻ったように悲しく思い出さずにはいらっしゃれない。
 今までお見せにならなかった恨み言を申し上げなさるのであった。
 
 

276
 「一人ゐて 嘆きしよりは 海人の住む
 かたをかくてぞ 見るべかりける
 「独り都に残って嘆いていた時よりも、海人が住んでいる
  干潟を絵に描いていたほうがよかったわ
 
38  おぼつかなさは、慰みなましものを」  頼りなさも、それで慰められもしましたでしょうに」
39  とのたまふ。
 いとあはれと、思して、
 とおっしゃる。
 まことにもっともだと、お思いになって、
 

277
 「憂きめ見し その折よりも 今日はまた
 過ぎにしかたに かへる涙か」
 「辛い思いをしたあの当時よりも、今日はまた
  再び過去を思い出していっそう涙が流れて来ます」
 
40  中宮ばかりには、見せたてまつるべきものなり。
 かたはなるまじき一帖づつ、さすがに浦々のありさまさやかに見えたるを、選りたまふついでにも、かの明石の家居ぞ、まづ、「いかに」と思しやらぬ時の間なき。
 
 中宮だけにはぜひともお見せ申し上げなければならないものである。
 不出来でなさそうなのを一帖ずつ、何といっても浦々の景色がはっきりと描き出されているのを、お選びになる折にも、あの明石の住居のことが、まっさきに、「どうしているだろうか」とお思いやりにならない時がない。
 
 
 

第三段 三月十日、中宮の御前の物語絵合せ

 
41  かう絵ども集めらると聞きたまひて、権中納言、いと心を尽くして、軸、表紙、紐の飾り、いよいよ調へたまふ。
 
 このように幾つもの絵を源氏の大臣が集めていらっしゃるとお聞きになって、権中納言は、たいそう対抗意識を燃やして、軸や、表紙、紐の飾りをいっそう立派に調えなさる。
 
42  弥生の十日のほどなれば、空もうららかにて、人の心ものび、ものおもしろき折なるに、内裏わたりも、節会どものひまなれば、ただかやうのことどもにて、御方々暮らしたまふを、同じくは、御覧じ所もまさりぬべくてたてまつらむの御心つきて、いとわざと集め参らせたまへり。
 
 三月の十日ころなので、空もうららかで人の心ものびのびとし、ちょうどよい時期なので、宮中あたりでも節会と節会の合間なので、ただこのようなことをして、どなたもどなたもお過ごしになっていらっしゃるのを、源氏の大臣は、同じことなら、いっそう興味深く主上に御覧あそばされるようにして差し上げようとのお考えになって、たいそう特別に集めて献上させなさった。
 
43  こなたかなたと、さまざまに多かり。
 物語絵は、こまやかになつかしさまさるめるを、梅壺の御方は、いにしへの物語、名高くゆゑある限り弘徽殿は、そのころ世にめづらしく、をかしき限りを選り描かせたまへれば、うち見る目の今めかしきはなやかさは、いとこよなくまされり。
 
 こちら側からとあちら側からと、いろいろと多くあった。
 物語絵は、精巧でやさしみがまさっているようなのを、斎宮女御の梅壺の御方では、昔の物語で、有名で由緒ある絵ばかりを、弘徽殿の女御方では、現代のすばらしい新作で、興趣ある絵ばかりを選んで描かせなさったので、一見したところの華やかさでは、実にこの上なく勝っていた。
 
44  主上の女房なども、よしある限り、「これは、かれは」など定めあへるを、このころのことにすめり。
 
 主上付きの女房なども、絵に嗜みのある人々はすべて、「これはどうの、あれはどうの」などと批評し合うのを、近頃の仕事にしているようである。
 
 
 

第四段 「竹取」対「宇津保」

 
竹取対決
45  中宮も参らせたまへるころにて、方々、御覧じ捨てがたく思ほすことなれば、御行なひも怠りつつ御覧ず。
 この人びとのとりどりに論ずるを聞こし召して、左右と方分かたせたまふ。
 
 中宮も参内あそばしていらっしゃる頃なので、あれやこれやお見逃しになれなくお思いのことなので、御勤行も怠りながら御覧になる。
 この人々が銘々に議論し合うのをお聞きあそばして、左右の組にお分けあそばす。
 
46  梅壺の御方には、平典侍、侍従の内侍、少将の命婦
 右には、大弐の典侍、中将の命婦、兵衛の命婦を、ただ今は心にくき有職どもにて、心々に争ふ口つきどもを、をかしと聞こし召して、
 まづ、物語の出で来はじめの祖なる『竹取の翁』に『宇津保の俊蔭』を合はせて争ふ。
 
 梅壺の御方には、平典侍、侍従内侍、少将命婦たち、弘徽殿女御の右方には、大弍典侍、中将命婦、兵衛命婦たちが、当時のすぐれた識者たちとして、思い思いに論争する弁舌の数々を、中宮は興味深くお聞きになって、最初に、物語の元祖である『竹取の翁』と『宇津保の俊蔭』を番わせて争う。
 
47  「なよ竹の世々に古りにけること、をかしきふしもなけれど、かくや姫のこの世の濁りにも穢れず、はるかに思ひのぼれる契り高く、神代のことなめれば、あさはかなる女、目及ばぬならむかし」と言ふ。  「なよ竹の代々に歳月を重ねたことは、特におもしろい節はないけれども、かぐや姫がこの世の濁りにも汚れず、遥かに気位も高く天に昇った運勢は立派で、神代のことのようなので、思慮の浅い女には、きっと分らないでしょう」と言う。
48  右は  
  右方は、
49  「かぐや姫ののぼりけむ雲居は、げに、及ばぬことなれば、誰も知りがたし。
 この世の契りは竹の中に結びければ、下れる人のこととこそは見ゆめれ。
 ひとつ家の内は照らしけめど、百敷のかしこき御には並ばずなりにけり。
 阿部のおほしが千々の黄金を捨てて、火鼠の思ひ片時に消えたるも、いとあへなし。
 車持の親王の、まことの蓬莱の深き心も知りながら、いつはりて玉の枝に疵をつけたるをあやまち」となす。
 
 「かぐや姫が昇ったという雲居は、おっしゃるとおり、及ばないことなので、誰も知ることができません。
 この世での縁は、竹の中に生まれたので、素性の卑しい人と思われます。
 一つの家の中は照らしたでしょうが、宮中の恐れ多い光と並んで妃にならずに終わってしまいました。
 阿倍の御主人が千金を投じて、火鼠の裘に思いを寄せて片時の間に消えてしまったのも、まことにあっけないことです。
 車持の親王が、真実の蓬莱の神秘の事情を知りながら、偽って玉の枝に疵をつけたのを欠点とします」
50  絵は、巨勢相覧、手は、紀貫之書けり。
 紙屋紙に唐の綺をばいして、赤の表紙、檀の軸、世の常の装ひなり。
 
 絵は、巨勢相覧、書は、紀貫之が書いたものであった。
 紙屋紙に唐の綺を裏張りして、赤紫の表紙、紫檀の軸、ありふれた表装である。
 
 
宇津保対決
51  「俊蔭は、はげしき波風におぼほれ、知らぬ国に放たれしかど、なほ、さして行きける方の心ざしもかなひて、つひに、人の朝廷にもわが国にも、ありがたき才のほどを広め、名を残しける古き心を言ふに、絵のさまも、唐土と日の本とを取り並べて、おもしろきことども、なほ並びなし」と言ふ。  「俊蔭は、激しい波風に溺れ、知らない国に流されましたが、やはり、目ざしていた目的を叶えて、遂に、外国の朝廷にもわが国にも、めったにない音楽の才能を知らせ、名を残した昔の伝えからいうと、絵の様子も、唐土と日本とを取り合わせて、興趣深いこと、やはり並ぶものがありません」と言う。
 
52  
 白き色紙、青き表紙、黄なる玉の軸なり。
 絵は、常則、手は、道風なれば、今めかしうをかしげに、目もかかやくまで見ゆ。
 
 白い色紙に、青い表紙、黄色の玉の軸である。
 絵は、飛鳥部常則、書は、小野道風なので、現代風で興趣深そうで、目もまばゆいほどに見える。
 
   左は、そのことわりなし。
 
 左方には、反論の言葉がない【※相手にするまでもない】。
 
 
 

第五段 「伊勢物語」対「正三位」

 
53  次に、『伊勢物語』に『正三位』を合はせて、また定めやらず。
 これも、右はおもしろくにぎははしく、内裏わたりよりうちはじめ、近き世のありさまを描きたるは、をかしう見所まさる。
 
 次に、『伊勢物語』と『正三位』を番わせて、また結論が出ない。
 これも、右方は興味深く華やかで、宮中あたりをはじめとして、近頃の様子を描いたのは、興趣深く見応えがする。
 
54  平内侍  平典侍は、
 

278
 「伊勢の海の 深き心を たどらずて
 ふりにし跡と 波や消つべき
 「『伊勢物語』の【海ほど】深い心を訪ねないで
  単に古い物語だからといって価値まで落としめてよいものでしょうか
 
55  世の常のあだことのひきつくろひ飾れるに圧されて、業平が名をや朽たすべき」と、争ひかねたり。  世間普通の色恋事のおもしろおかしく書いてあることに気押されて、業平の名を汚してよいものでしょうか」と、反論しかねている【※業平の人格評が良くないから】。
56  右の典侍  
 右方の大弍の典侍は、
 

279
 「雲の上に 思ひのぼれる 心には
 千尋の底も はるかにぞ見る」
 「雲居の宮中に上った『正三位』の心から見ますと
 『伊勢物語』の千尋の心も遥か下の方に見えます」
 
57  「兵衛の大君の心高さは、げに捨てがたけれど、在五中将の名をば、え朽たさじ」  「兵衛の大君の心高さは、なるほど捨てがたいものですが、在五中将の名は、汚すことはできますまい」【※なお「兵衛の大君」は伊勢物語には存在しないのでこれが読者にとって正体不明の「正三位」と解することになるが、展開から俊蔭未満のかませと推測させる文脈である】
 
     ※突如出てくる「兵衛の大君」は伊勢物語に存在しないので、在五との対比でこちらが正体不明の「正三位」と解することになるが、前の議論の対比から、俊蔭未満で反応するまでもないかませという文脈(当サイト)。
 
58  とのたまはせて、  と仰せになって、中宮【と言わせておいて、前伊勢斎宮】は、
     
 

280
 「みるめこそ うらふりぬらめ 年経にし
 伊勢をの海人の 名
をや沈めむ」
〔伊勢斎宮 ×通説藤壺中宮〕「ちょっと見た目には古くさく見えましょうが
昔から名高い伊勢物語の名伊勢の無名の昔男の名】を【底の浅い業平の名で】落としめることができましょうか」
 
59  かやうの女言にて、乱りがはしく争ふに、一巻に言の葉を尽くして、えも言ひやらず。
 ただ、あさはかなる若人どもは、死にかへりゆかしがれど、主上のも、宮のも片端をだにえ見ず、いといたう秘めさせたまふ。
 
(改め訳)このような女の言で、昔男の名を入り乱れ激しく(△やかましく:全集)争うが、一巻に言葉を尽くして、他の部分は何も自分で語れない(一部だけ見て在五の物語と言って、仕込んできた部分以外は何も答えられない)。
 ただ浅はかな若人どもは、その点死ぬほど知りたがるが、主上の付人も宮の付人も伊勢物語を片端も自分で読むことができず(在五の「けぢめ見せぬ心」などの記述を出して主人公性を否定しても騒ぎが激しくなるだけなので(直後の文脈参照)、藤壺はもういい、もういいと)、とても念入りに秘めさせなさった。
 
    (渋谷訳)このような女たちの論議で、とりとめもなく優劣を争うので、一巻の判定に数多くの言葉を尽くしても容易に決着がつかない。
 ただ、思慮の浅い若い女房たちは、死ぬほど興味深く思っているが、主上づきの女房も、中宮づきの女房も、その一部分さえ覗き見ることができないほど、たいそう内密にしていらっしゃった。
 
   

※「えも言ひやらず」と「え見ず」は対をなしているから対応させて解する。通説はどちらも絵合の総括とするが、2つの原文訳出が全く対応しておらず、よってその見立ては間違いで、これは伊勢物語に関する具体的言及と解さないと的外れ。

「えも言ひやらず」は、伊勢の一巻(一部分)に言葉を尽くし他の部分は何も言えない・語れないという右方の文脈。

「え見ず」は「あさはかなる若人」の能力として描かれ、通説を反復するだけで自分の頭では伊勢を読めないこと。読めない・多くの一般読者のように見ても意味が分からない侮蔑的表現として見れないとしている。

 通説は、「えも言ひやらず」「え見ず」を、それまでの当事者側の論争から「みるめこそ」の和歌で突然判定段階に移行した中での表現と解するが唐突に過ぎ、捉え方が不自然に細切れで観念的過ぎる。根拠があってそうなっているのではなく、伊勢の主人公の名を争い、他作品に比し在五物語とせず伊勢物語と定義した議論を正面から捉えられず、何でもいいから終わらせたことにしてこうなっている。

 

     
 

第三章 後宮の物語 帝の御前の絵合せ

 
 

第一段 帝の御前の絵合せの企画

 
60  大臣参りたまひて、かくとりどりに争ひ騒ぐ心ばへども、をかしく思して、  内大臣【源氏】が参内なさって、このようにそれぞれが優劣を競い合って【争って騒いで】いる気持ちをおもしろくお思いになって、
61  「同じくは、御前にて、この勝負定めむ」  「同じことなら、主上の御前において、この優劣の決着をつけましょう」
62  と、のたまひなりぬ。
 かかることもやと、かねて思しければ、中にもことなるは選りとどめたまへるに、かの「須磨」「明石」の二巻は、思すところありて、取り交ぜさせたまへり。
 
 と、おっしゃるまでになった。
 このようなこともあろうかと以前からお思いになっていたので、その中でも特別なのは選び残していらっしゃったが、あの「須磨」「明石」の二巻は、お考えになるところがあって、今度はお加えになったのであった。
 
63  中納言も、その御心劣らず。
 このころの世には、ただかくおもしろき紙絵をととのふることを、天の下いとなみたり。
 
 権中納言も、そのお気持ちは負けていない。
 最近の世では、ただこのような美しい紙絵を揃えることが、世の中の流行になっていた。
 
64  「今あらため描かむことは、本意なきことなり。
 ただありけむ限りをこそ」
 「今新たに描くことは、つまらないことだ。
 ただ持っているものだけで」
65  とのたまへど、中納言は人にも見せで、わりなき窓を開けて、描かせたまひけるを、院にも、かかること聞かせたまひて、梅壺に御絵どもたてまつらせたまへり。
 
 とおっしゃったが、権中納言は他人にも見せないで秘密の部屋を準備してお描かせになったが、朱雀院におかれても、このような騷ぎがあるとお耳にあそばして、梅壺に幾つかの御絵を差し上げなさった。
 
66  年の内の節会どものおもしろく興あるを、昔の上手どものとりどりに描けるに、延喜の御手づから事の心書かせたまへるに、またわが御世の事も描かせたまへる巻に、かの斎宮の下りたまひし日の大極殿の儀式、御心にしみて思しければ、描くべきやう詳しく仰せられて、公茂が仕うまつれるが、いといみじきをたてまつらせたまへり。
 
 一年の内の数々の節会のおもしろく興趣ある様を昔の名人たちがそれぞれに描いた絵に、延喜の帝がお手ずからその趣旨をお書きあそばしたものや、また御自身の御世のこともお描かせになった巻には、あの斎宮がお下りになった日の大極殿での儀式をお心に刻みこまれてあったので、描くべきさまを詳しく仰せになって、巨勢公茂がお描き申したのだが、そのたいそう素晴らしいのを差し上げなさった。
 
67  艶に透きたる沈の箱に、同じき心葉のさまなど、いと今めかし。
 御消息はただ言葉にて、院の殿上にさぶらふ左近中将を御使にてあり。
 かの大極殿の御輿寄せたる所の、神々しきに、
 優美に透かし彫りのある沈の箱に、同じ趣旨の心葉のさまなど、実に現代的である。
 お便りはただ口上だけで、院の殿上に伺候する左近中将をご使者としてあった。
 あの大極殿の御輿を寄せた場面の、神々しい絵に、
 

281
 「身こそかくし めの外なれ そのかみの
 心のうちを 忘れしもせず」
 「わが身はこのように内裏の外におりますが
  あの当時の気持ちは今でも忘れずにおります」
 
68  とのみあり。
 聞こえたまはざらむも、いとかたじけなければ、苦しう思しながら、昔の御簪の端をいささか折りて、
 とだけある。
 お返事を申し上げなさらないのも、たいそう恐れ多いので、辛くお思いになりながら、昔のお簪の端を少し折って、
 

282
 「しめのうちは 昔にあらぬ 心地して
 神代のことも 今ぞ恋しき」
 「内裏の中は昔とすっかり変わってしまった気がして
  神にお仕えしていた昔のことが今は恋しく思われます」
 
69  とて、縹の唐の紙に包みて参らせたまふ。
 御使の禄など、いとなまめかし。
 
 とお書きになって、縹の唐の紙に包んで差し上げなさる。
 ご使者への禄などは、たいそう優美である。
 
70  院の帝御覧ずるに、限りなくあはれと思すにぞ、ありし世を取り返さまほしく思ほしける。
 大臣をもつらしと思ひきこえさせたまひけむかし。
 過ぎにし方の御報いにやありけむ。
 
 院の帝が御覧になって、限りなくお心がお動きになるにつけ、御在位中のころを取り戻したく思し召すのであった。
 内大臣をひどいとお思い申しあそばしたことであろう。
 過去の御報いでもあったのであろうか。
 
71  院の御絵は、后の宮より伝はりて、あの女御の御方にも多く参るべし。
 尚侍の君も、かやうの御好ましさは人にすぐれて、をかしきさまにとりなしつつ集めたまふ。
 
 朱雀院の御絵は、母の大后の宮から伝わって、あの弘徽殿の女御のお方にも多く集まっているのであろう。
 朧月夜の尚侍の君も、このようなご趣味は人一倍優れていて、興趣深い絵を描かせては集めていらっしゃる。
 
 
 

第二段 三月二十日過ぎ、帝の御前の絵合せ

 
72  その日と定めて、にはかなるやうなれど、をかしきさまにはかなうしなして、左右の御絵ども参らせたまふ。
 女房のさぶらひに御座よそはせて、北南方々別れてさぶらふ。
 殿上人は、後涼殿の簀子に、おのおの心寄せつつさぶらふ。
 
 何日にと催し日を決めて、急なようであるが、興趣深いさまにちょっと設備をして、左右の数々の御絵を御前に差し出させなさる。
 女房が伺候する所に主上の御座を設けて、その北と南とにそれぞれ分かれて女房たちが座る。
 殿上人は後涼殿の簀子にそれぞれが心を寄せながら控えている。
 
73  左は、紫檀の箱に蘇芳の花足、敷物には紫地の唐の錦、打敷は葡萄染の唐の綺なり。
 童六人、赤色に桜襲の汗衫、衵は紅に藤襲の織物なり。
 姿、用意など、なべてならず見ゆ。
 
 左方は、紫檀の箱に蘇芳の華足、敷物には紫地の唐の錦、打敷は葡萄染めの唐の綺である。
 女童六人は、赤色に桜襲の汗衫、衵は紅に藤襲の織物である。
 姿や心用意などが、並々でなく見える。
 
74  右は、沈の箱に浅香の下机、打敷は青地の高麗の錦、あしゆひの組、花足の心ばへなど、今めかし。
 童、青色に柳の汗衫、山吹襲の衵着たり。
 
 右方は、沈の箱に浅香の下机、打敷は青地の高麗の錦、脚結いの組紐、華足の趣など、現代的である。
 女童は、青色に柳の汗衫、山吹襲の衵を着ている。
 
75  皆、御前に舁き立つ。
 主上の女房、前後と、装束き分けたり。
 
 女童たち皆で、帝の御前に御絵を並べ立てる。
 主上づきの女房は、左方が前に右方が後にと、それぞれ装束の色を分けて座っている。
 
76  召しありて、内大臣、権中納言、参りたまふ。
 その日、帥宮も参りたまへり。
 いとよしありておはするうちに、絵を好みたまへば、大臣の、下にすすめたまへるやうやあらむ、ことことしき召しにはあらで、殿上におはするを、仰せ言ありて御前に参りたまふ。
 
 主上のお召しがあって、内大臣と権中納言が参上なさる。
 その日は帥宮も参上なさった。
 たいそう風流でいらっしゃるうちでも、絵を特にお嗜みでいらっしゃるので、内大臣が内々お勧めになったのでもあろうか、仰々しいお招きではなくて、殿上の間にいらっしゃるのを、帝の御下命があって御前に参上なさる。
 
77  この判仕うまつりたまふ。
 いみじう、げに描き尽くしたる絵どもあり。
 さらにえ定めやりたまはず。
 
 この判者をお勤めになる。
 たいそう、なるほど上手に筆の限りを尽くしたいくつもの絵がある。
 全然判定することがおできになれない。
 
78  例の四季の絵も、いにしへの上手どものおもしろきことどもを選びつつ、筆とどこほらず描きながしたるさま、たとへむかたなしと見るに、紙絵は限りありて、山水のゆたかなる心ばへをえ見せ尽くさぬものなれば、ただ筆の飾り、人の心に作り立てられて、今のあさはかなるも、昔のあと恥なく、にぎははしく、あなおもしろと見ゆる筋はまさりて、多くの争ひども、今日は方々に興あることも多かり。
 
 左方の例の四季の絵も、昔の名人たちがおもしろい画題を選んでは筆もすらすらと描き流してある風情は、譬えようがなく優れていると見えるが、紙絵には紙幅に限りがあって、山水の豊かな趣を現し尽くせないものなので、右方のひたすら筆先の技巧や絵師の趣向の巧みさに飾られているだけで当世風の浅薄なのも、左方の昔の絵に劣らず華やかで実におもしろいと見える点では優れているので、多数の論争なども今日は両方ともに興味深いことが多かった。
 
79  朝餉の御障子を開けて、中宮もおはしませば、深うしろしめしたらむと思ふに、大臣もいと優におぼえたまひて、所々の判ども心もとなき折々に、時々さし応へたまひけるほど、あらまほし。
 
 朝餉の間の御障子を開けて、中宮も御覧になっていらっしゃるので、絵に深く御精通であろうと思うと、内大臣もたいそう素晴らしいとお思いになって、所々の判定の不安な折々には、時々ご意見を述べなさった様子は、理想的である。
 
 
 

第三段 左方、勝利をおさめる

 
80  定めかねて夜に入りぬ。
 左はなほ数一つある果てに、「須磨」の巻出で来たるに、中納言の御心、騒ぎにけり。
 あなたにも心して、果ての巻は心ことにすぐれたるを選り置きたまへるに、かかるいみじきものの上手の、心の限り思ひすまして静かに描きたまへるは、たとふべきかたなし。
 
 勝負がつかないで夜に入った。
 左方はなお一番残っている最後に、「須磨」の絵巻が出て来たので、権中納言のお心は動揺してしまった。
 あちら右方でも心づもりをして、最後の巻には特に優れた絵を選り残していらっしゃったのだが、このような大変な絵の名人が心ゆくばかり思いを澄ませて心静かにお描きになったのには、譬えようがない。
 
81  親王よりはじめたてまつりて、涙とどめたまはず。
 その世に、「心苦し悲し」と思ほししほどよりも、おはしけむありさま、御心に思ししことども、ただ今のやうに見え、所のさま、おぼつかなき浦々、磯の隠れなく描きあらはしたまへり。
 
 帥親王をはじめまいらせて、皆感涙を止めることがおできになれない。
 あの当時に、「お気の毒に、悲しいこと」とお思いになった時よりも、お過ごしになったという所の様子や、どのようなお気持ちでいらっしゃったのかなどが、まるで目の前のことのように見え、その土地の風景や、見たこともない浦々、磯を隈なく描き現していらっしゃった。
 
82  草の手に仮名の所々に書きまぜて、まほの詳しき日記にはあらず、あはれなる歌などもまじれる、たぐひゆかし。
 誰もこと事思ほさず、さまざまの御絵の興、これに皆移り果てて、あはれにおもしろし。
 よろづ皆おしゆづりて、左、勝つになりぬ。
 
 草書体に仮名文字を所々に書き交ぜて、正式の詳しい日記ではなく、しみじみとした歌などが混じっているのは、その残りの巻が見たいくらいである。
 誰も他人事とは思われず、いろいろな御絵に対する興味は、これにすっかり移ってしまって、感慨深く興趣深い。
 万事みなこの絵日記に譲って、左方が勝ちとなった。
 
      
 

第四章 光る源氏の物語 光る源氏世界の黎明

 
 

第一段 学問と芸事の清談

 
83  夜明け方近くなるほどに、ものいとあはれに思されて、御土器など参るついでに、昔の御物語ども出で来て、  夜明けが近くなったころに、何となくしみじみと感慨がこみ上げてきて、お杯などを傾けなさる折に、昔のお話などが出てきて、
84  「いはけなきほどより、学問に心を入れてはべりしに、すこしも才などつきぬべくや御覧じけむ、院ののたまはせしやう、『才学といふもの、世にいと重くするものなればにやあらむ、いたう進みぬる人の、命、幸ひと並びぬるは、いとかたきものになむ。
 品高く生まれ、さらでも人に劣るまじきほどにて、あながちにこの道な深く習ひそ』と、諌めさせたまひて、本才の方々のもの教へさせたまひしに、つたなきこともなく、またとり立ててこのことと心得ることもはべらざりき。
 
 「幼いころから、学問に心を入れておりましたが、少し学才などがつきそうに御覧になったのでしょうか、故院が仰せになったことには、『学問の才能というものは、世間でも重んじられるからであろうか、たいそう学問を究めた人で、長寿と幸福とが並んだ者はめったにいないものだ。
 高い身分に生まれて、そうしなくても人に劣ることのない身分なのだから、むやみにこの道に深入りするな』と、お諌めあそばして、正式な学問以外の芸能を教えてくださいましたが、出来の悪いものもなく、また特にこのことはと上達したこともございませんでした。
 
85  絵描くことのみなむ、あやしくはかなきものから、いかにしてかは心ゆくばかり描きて見るべきと、思ふ折々はべりしを、おぼえぬ山賤になりて、四方の海の深き心を見しに、さらに思ひ寄らぬ隈なく至られにしかど、筆のゆく限りありて、心よりはことゆかずなむ思うたまへられしを、ついでなくて、御覧ぜさすべきならねば、かう好き好きしきやうなる、後の聞こえやあらむ」  ただ、絵を描くことだけは、妙なつまらないことですが、どうしたら心のゆくほど描けるだろうかと、思う折々がございましたが、思いもよらない賤しい身の上となって、四方の海の深い趣を見ましたので、まったく思い至らぬ所のないほど会得できましたが、絵筆で描くには限界がありまして、心で思うとおりには事の運ばぬように存じられましたが、機会がなくて御覧に入れるわけにも行きませんので、このように物好きのような催し事は、後々に噂が立ちましょうか」
86  と、親王に申したまへば、  と、帥親王に申し上げなさると、
87  「何の才も、心より放ちて習ふべきわざならねど、道々に物の師あり、学び所あらむは、事の深さ浅さは知らねど、おのづから移さむに跡ありぬべし。
 筆取る道と碁打つこととぞ、あやしう魂のほど見ゆるを、深き労なく見ゆるおれ者も、さるべきにて、書き打つたぐひも出で来れど、家の子の中には、なほ人に抜けぬる人、何ごとをも好み得けるとぞ見えたる。
 
 「何の芸道でも、心がこもっていなくては習得できるものではありませんが、それぞれの道に師匠がいて、学びがいのあるような芸能は、度合の深さ浅さは別として、自然と学んだだけの事は後に残るでしょう。
 書画の道と碁を打つことは不思議と天分の差が現れるもので、深く習練したと思えぬ凡愚の者でも、その天分によって巧みに描いたり打ったりする者も出て来ますが、名門の子弟の中にはやはり抜群の人がいて、何事にも上達すると見えました。
 
88  院の御前にて、親王たち、内親王、いづれかは、さまざまとりどりの才習はさせたまはざりけむ。
 その中にも、とり立てたる御心に入れて、伝へ受けとらせたまへるかひありて、『文才をばさるものにて言はず、さらぬことの中には、琴弾かせたまふことなむ一の才にて、次には横笛、琵琶、箏の琴をなむ、次々に習ひたまへる』と、主上も思しのたまはせき。
 世の人、しか思ひきこえさせたるを、絵はなほ筆のついでにすさびさせたまふあだこととこそ思ひたまへしか、いとかう、まさなきまで、いにしへの墨がきの上手ども、跡をくらうなしつべかめるは、かへりて、けしからぬわざなり」
 故院のお膝もとで、親王たちや内親王の、どなたにもいろいろとさまざまなお稽古事を習わさせなかったことがありましょうか。
 その中でも、特にご熱心になって伝授を受けご習得なさった甲斐があって、『詩文の才能は言うまでもなく、それ以外のことの中では、琴の琴をお弾きになることが第一番で、次には、横笛、琵琶、箏の琴を次々とお習いになった』と、故院も仰せになっていました。
 世間の人もそのようにお思い申し上げていましたが、絵はやはり筆のついでの慰み半分の余技と存じておりましたが、たいそうこんなに不都合なくらいに、昔の墨描きの名人たちが逃げ出してしまいそうなのは、かえってとんでもないことです」
89  と、うち乱れて聞こえたまひて、酔ひ泣きにや、院の御こと聞こえ出でて、皆うちしほれたまひぬ。
 
 と、酔いに乱れて申し上げなさって、酔い泣きであろうか、故院の御事を申し上げて、皆涙をお流しになった。
 
 
 

第二段 光る源氏体制の夜明け

 
90  二十日あまりの月さし出でて、こなたは、まださやかならねど、おほかたの空をかしきほどなるに、書司の御琴召し出でて、和琴、権中納言賜はりたまふ。
 さはいへど、人にまさりてかき立てたまへり。
 親王、箏の御琴、大臣、琴、琵琶は少将の命婦仕うまつる。
 上人の中にすぐれたるを召して、拍子賜はす。
 いみじうおもしろし。
 
 二十日過ぎの月がさし出して、こちら側はまだ明るくないけれども、いったいに空の美しいころなので、書司のお琴をお召し出しになって、和琴を権中納言がお引き受けなさる。
 そうは言っても、他の人以上に上手にお弾きになる。
 帥親王は箏の御琴、内大臣は琴の琴を、琵琶は少将の命婦がおつとめする。
 殿上人の中から勝れた人を召して、拍子を仰せつけになる。
 たいそう興趣が深い。
 
91  明け果つるままに、花の色も人の御容貌ども、ほのかに見えて、鳥のさへづるほど、心地ゆき、めでたき朝ぼらけなり。
 禄どもは、中宮の御方より賜はす。
 親王は、御衣また重ねて賜はりたまふ。
 
 夜が明けていくにつれて、花の色も人のお顔形などもほのかに見えてきて、鳥が囀るころは、快い気分がして、素晴らしい朝ぼらけである。
 禄などは、中宮の御方から御下賜なさる。
 親王は御衣をまた重ねて頂戴なさる。
 
 
 

第三段 冷泉朝の盛世

 
92  そのころのことには、この絵の定めをしたまふ。
 
 その当時のことぐさには、この絵日記の評判をなさる。
 
93  「かの浦々の巻は、中宮にさぶらはせたまへ」  「あの浦々の巻は、中宮にお納めください」
94  と聞こえさせたまひければ、これが初め、残りの巻々ゆかしがらせたまへど、  とお申し上げさせになったので、この初めの方や、残りの巻々を御覧になりたくお思いになったが、
95  「今、次々に」  「いずれそのうちに、ぼつぼつと」
96  と聞こえさせたまふ。
 主上にも御心ゆかせたまひて思し召したるを、うれしく見たてまつりたまふ。
 
 とお申し上げさせになる。
 主上におかせられても御満足に思し召していらっしゃるのを、嬉しくお思い申し上げなさる。
 
97  はかなきことにつけても、かうもてなしきこえたまへば、権中納言は、「なほ、おぼえ圧さるべきにや」と、心やましう思さるべかめり。
 主上の御心ざしは、もとより思ししみにければ、なほ、こまやかに思し召したるさまを、人知れず見たてまつり知りたまひてぞ、頼もしく、「さりとも」と思されける。
 
 ちょっとしたことにつけても、このようにお引き立てになるので、権中納言は、「やはり、世間の評判も圧倒されるのではなかろうか」と、悔しくお思いのようである。
 しかし主上の御愛情は、初めからこちらに馴染んでいらっしゃったので、やはり、御寵愛の厚い御様子を、人知れず拝見し存じ上げていらっしゃったので、頼もしく思い、「いくら何でも」とお思になるのであった。
 
98  さるべき節会どもにも、「この御時よりと、末の人の言ひ伝ふべき例を添へむ」と思し、私ざまのかかるはかなき御遊びも、めづらしき筋にせさせたまひて、いみじき盛りの御世なり。
 
 しかるべき節会などにつけても、「この帝のご時代から始まったと、末の世の人々が言い伝えるであろうような新例を加えよう」とお思いになり、私的なこのようなちょっとしたお遊びも、珍しい趣向をお凝らしになって、大変な盛りの御代である。
 
 
 

第四段 嵯峨野に御堂を建立

 
99  大臣ぞ、なほ常なきものに世を思して、今すこしおとなびおはしますと見たてまつりて、なほ世を背きなむと深く思ほすべかめる。
 
 しかし内大臣は、やはり無常なものと世の中をお思いになって、主上がもう少し御成人あそばすのを拝したら、やはり出家しようと深くお思いのようである。
 
100  「昔のためしを見聞くにも、齢足らで、官位高く昇り、世に抜けぬる人の、長くえ保たぬわざなりけり。
 この御世には、身のほどおぼえ過ぎにたり。
 中ごろなきになりて沈みたりし愁へに代はりて、今までもながらふるなり。
 今より後の栄えは、なほ命うしろめたし。
 静かに籠もりゐて、後の世のことをつとめ、かつは齢をも延べむ」と思ほして、山里ののどかなるを占めて、御堂を造らせたまひ、仏経のいとなみ添へてせさせたまふめるに、末の君たち、思ふさまにかしづき出だして見むと思し召すにぞ、とく捨てたまはむことは、かたげなる。
 いかに思しおきつるにかと、いと知りがたし。
 
 「昔の例を見たり聞いたりするにつけても、若くして高位高官に昇り、世に抜きん出た人で、長生きすることはできないものだったのだ。
 この御代では、わが身のほどは過ぎてしまった。
 途中で零落して悲しい思いをした代わりに、今まで生き永らえたのだ。
 今後の栄華は、やはり命が心配である。
 静かに引き籠もって、後の世のことを勤め、また一方では寿命を延ばそう」とお思いになって、山里の静かな所を手に入れて、御堂をお造らせになり、仏像や経巻のご準備をさせていらっしゃるらしいけれども、幼少のお子たちを思うようにお世話しようとお思いになるにつけても、すぐに出家するのは難しそうである。
 どのようにお考えなのかと、まことに分からない。
 
 
 

【出典】

 
  出典1 伊勢の海の千尋の底も限りあれば深き心を何にたとへむ(古今六帖三-一七五七)(戻)  
 
 

【校訂】

 
  備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△  
  校訂1 かくなむ--かくな(な/+む)(戻)  
  校訂2 思ほして--お(お/+も)ほして(戻)  
  校訂3 大人は--おとな(な/+は)(戻)  
  校訂4 心--心の(の/$<朱>)(戻)  
  校訂5 まねぶ--(/+ま)ねふ(戻)  
  校訂6 たまひて--たま(ま/+ひ))て(戻)  
  校訂7 御心ばへ--み心(心/+はへ)(戻)  
  校訂8 御心--(/+御)心(戻)  
  校訂9 人だに--人た(た/+に)(戻)  
  校訂10 御心どもには--*御心とともには(戻)  
  校訂11 集めらる--あつ(つ/+め)らる(戻)  
  校訂12 御覧じ捨て--こらむして(て/#)すて(戻)  
  校訂13 色紙--しる(る/$き)し(戻)  
  校訂14 今めかしう--いまめ(め/+か)しう(戻)  
  校訂15 左は--*みきは(戻)  
  校訂16 たまひて--たま(ま/+ひ)て(戻)  
  校訂17 定めむ」と--さためむ(む/+と)(戻)  
  校訂18 窓を--ま△(△/#)とを(戻)  
  校訂19 仕うまつれるが--つか(か/+う)まつれるか(戻)  
  校訂20 御前に--*御こせむに(戻)  
  校訂21 あと--あとに(に/#)(戻)  
  校訂22 詳しき--くはは(は/$)しき(戻)  
  校訂23 勝つに--かへ(へ/$つ<朱>)に(戻)  
  校訂24 たまひしに--たま(ま/+い)しに(戻)  
  校訂25 おれ者も--をれもの(の/+も)(戻)  
  校訂26 人--人の(の/#)(戻)  
  校訂27 さまざま--*さま(戻)  
  校訂28 伝へ--う(う/=つイ)たへ(戻)  
  校訂29 うちしほれ--うちしほた(た/#)れ(戻)  
  校訂30 足らで--たえ(え/$ら)て(戻)  
 

 
 ※(以下は当サイトによる)大島本は、定家本の書写。
 書写の信頼度は、大島本<明融(臨模)本<定家自筆本、とされている。