古事記 気比大神(敦賀と気比の由来)~原文対訳

伊奢沙和気大神 古事記
中巻⑦
14代 仲哀天皇
神功皇后の後日談
6 気比大神
酒楽の歌
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
亦其神詔。 またその神詔りたまはく、 またその神が仰せられるには
明日之旦。 「明日あすの旦あした 「明日の朝、
應幸於濱。 濱にいでますべし。 濱においでになるがよい。
獻易名之幣。 易名なかへの幣みやじり獻らむ」
とのりたまふ。
名をかえた贈物を獻上致しましよう」
と仰せられました。
     
故其旦。 かれその旦 依つて翌朝
幸行于濱之時。 濱にいでます時に、 濱においでになつた時に、
毀鼻入鹿魚。 鼻毀やぶれたる入鹿魚いるか、 鼻の毀やぶれたイルカが
既依一浦。 既に一浦に依れり。 或る浦に寄つておりました。
     
於是御子。 ここに御子、 そこで御子が
令白于神云。 神に白さしめたまはく、 神に申されますには、
於我給御食之魚。 「我に御食みけの魚な給へり」
とまをしたまひき。
「わたくしに御食膳の魚を下さいました」
と申さしめました。
     
故亦稱其御名。 かれまたその御名をたたへて それでこの神の御名を稱えて
號御食津大神。 御食津みけつ大神とまをす。 御食みけつ大神と申し上げます。
故於今。 かれ今に その神は今でも
謂氣比大神也。 氣比けひの大神とまをす。 氣比の大神と申し上げます。
     
亦其入鹿魚之鼻
血臰。
またその入鹿魚いるかの鼻の
血臭くさかりき。
またそのイルカの鼻の
血が臭うございました。
故號其浦謂血浦。 かれその浦に名づけて血浦といふ。 それでその浦を血浦ちうらと言いましたが、
今謂都奴賀也。 今は都奴賀つぬがといふなり。 今では敦賀つるがと言います。
伊奢沙和気大神 古事記
中巻⑦
14代 仲哀天皇
神功皇后の後日談
6 気比大神
酒楽の歌