源氏物語 54帖 夢浮橋:あらすじ・目次・原文対訳

手習 源氏物語
第三部
第54帖
夢浮橋
   

 
 本ページは、高千穂大名誉教授・渋谷栄一氏の『源氏物語の世界』(目次構成・登場人物・原文・訳文)を参照引用している(全文使用許可あり)。
 ここでは、その原文と現代語訳のページの内容を統合し、レイアウトを整えた。速やかな理解に資すると思うが、詳しい趣旨は上記リンク参照。
 
 

 夢浮橋(ゆめのうきはし)のあらすじ

 薫28歳の夏の話。

 薫〔源氏の子とみなされる源氏の幼妻と柏木の子・頭中将の孫〕は比叡山の奥・横川(よかわ)を訪ね、小野で出家した女について僧都に詳しく尋ねた。「その女は浮舟〔読者による通称。八の宮の三女・源氏の姪〕に違いない」と確信した薫は夢のような気がして涙を落とした。その様子を見て、僧都は浮舟を出家させたことを後悔した。薫は僧都に浮舟のいる小野への案内を頼むが僧都は「今は難しいが来月なら御案内しましょう」と述べる。薫は浮舟への口添え文を僧都に懇願して書いてもらう。

 その夜、横川から下山する薫一行の松明の火が、浮舟がいる小野の庵からも見えた。 妹尼たちが薫の噂をする中、浮舟は薫との思い出を払うように念仏を唱える。

 翌日、薫の使者として 浮舟の異父弟・小君が小野を訪れた。朝早くに僧都から前日の事情を知らせる文が届いており、妹尼たちが浮舟の素性〔八の宮の子・帝の孫・源氏の姪〕に驚いていたところだった。小君が持参した僧都の文には、薫との復縁と還俗の勧めをほのめかしてあった。簾越しに異父弟〔小君〕の姿を見た浮舟は動揺するが、結局は心を崩さず、妹尼のとりなしにも応ぜず、小君との対面も拒み、薫の文にも「(宛先が)人違いだったらいけない」と言って受け取ろうとしなかった【※】。むなしく帰京した小君から「対面できず、お返事も頂けなかった」と聞いた薫は(自分が浮舟を宇治に隠していたように)「他の誰かが浮舟を小野に隠しているのではないか」と思うのだった。

(以上Wikipedia夢浮橋より。色づけと【※】と下線は本ページ) 

 ※宛先違いで送り返すことは、51浮舟の巻と同じ。
 

目次
和歌抜粋#夢浮橋(1首:別ページ)
主要登場人物
最後の「とぞ本にはべめる」の解釈
:とまあ本にそういうことでございます=物語
×と写本に書いてある=意味不明かつ原文軽視
薫の存在意義(中将系列の徹底拒絶)
 
第54帖 夢浮橋(ゆめのうきはし)
 薫君の大納言時代  二十八歳の夏の物語
 
第一章 薫の物語
 横川僧都、薫の依頼を受け浮舟への手紙を書く
 第一段 薫、横川に出向く
 第二段 僧都、薫に宇治での出来事を語る
 第三段 薫、僧都に浮舟との面会を依頼
 第四段 僧都、浮舟への手紙を書く
 第五段 浮舟、薫らの帰りを見る
 
第二章 浮舟の物語
 浮舟、小君との面会を拒み、返事も書かない
 第一段 薫、浮舟のもとに小君を遣わす
 第二段 小君、小野山荘の浮舟を訪問
 第三段 浮舟、小君との面会を拒む
 第四段 小君、薫からの手紙を渡す
 第五段 浮舟、薫への返事を拒む
 第六段 小君、空しく帰り来る
 出典
 校訂
 

主要登場人物

 

薫(かおる)
源氏の子〔と一般にみなされる柏木の子、頭中将の孫〕
呼称:大将殿・殿
女一の宮(おんないちのみや)
今上帝の第一内親王
呼称:一品の宮
浮舟(うきふね)
呼八の宮の三女
呼称:入道の姫君・姫君
中将の君(ちゅうじょうのきみ)
浮舟の母
呼称:親・母
小君(こぎみ)
浮舟の異父弟
呼称:小君・御弟の童・童
母尼(ははのあま)
横川僧都の母
呼称:朽尼
横川僧都(よかわのそうず)
呼称:僧都
妹尼(いもうとのあま)
横川僧都の妹
呼称:故衛門督の北の方・尼君・妹・主人

 
 以上の内容は、薫の〔〕以外、以下の原文のリンクから参照。
 
 

最後の「とぞ本にはべめる」の解釈

 
 
 源氏物語の最後「人の隠し据ゑたるにやあらむと、わが御心の思ひ寄らぬ隈なく、落とし置きたまへりしならひに(人が隠し置いているのだろうかと、自分の思い限りを尽くしながら、放っておかれたと言い伝えで)、とぞ本にはべめる」。

 

 この「とぞ本にはべめる」は、…と、ほんにまあそういうことでございますという物語の語り口で、全体を総括する表現と解する。
 

 この解釈は一般に「と、もとの本にあるようです」「写本の筆者が、原本にこうあったとする注記」などとされるが、文脈上ありえない。なぜ突如注記が出現するのか。本文末尾にすぐに区別できない形で注記をつける習わしがあるのか。その例は、枕草子と源氏以外にメジャー作品であるのか。しかもそう解すると「わが御心の思ひ寄らぬ隈なく、落とし置きたまへりしならひに」で終わり、明らかに不自然。だからこれを注記とみる根拠は、文脈でも文言でもないし、ありえない。

 

 古語を文語と勝手に定義しているから、口語調が全く解せなくなる。

 というより多分単に読解力が著しく乏しいだけだと思う(ボキャ貧)。
 
 

薫の存在意義(中将系列の徹底拒絶)

 
 
 薫は、源氏没後のいわゆる第三部の最初と最後の歌の主。柏木の子で頭中将の孫。なのに源氏の子と世間的には扱われている。

 源氏の死後のエピソードは、この主人公扱いされる中将系列を否定するためにある。手習の巻でも別の中将が浮舟にしつこく言い寄って来て拒絶する。

 
 源氏物語は無名の主人公を賛美する話。朧月夜で騒動を起こし、地方に流れ無位無官になったりする。中将はライバルで主人公ではない。

 その構図が絵合で伊勢物語の在五の中将の物語と争われ、中将方が負け、源氏の日記で伊勢斎宮陣営が勝利する構図にも出る。
 伊勢は無名の昔男の話で、在五中将の話ではない。それが絵合せの趣旨で、頭中将の子の棟梁も、孫で持ち上げられた古今先頭の元方にも実力はない。大きな構図ではそういう話。
 
 若紫の由来は、伊勢初段の最初の歌詞「若紫のすりごろも」に由来。紫の由来は、伊勢41段の、紫・上の衣という段に由来している。だから源氏の話は41巻で終わる。これ以外ありえないだろう。伊勢(と竹取)は他の作品と同列ではない。竹取とならんで別格。それが絵合の趣旨。伊勢竹取の男女が、光る君とかがやく日の宮。昔男とかぐや。文屋と小町。この二人は古今の詞書で一緒にされる特別な二人。
 一般の古今の業平認定に、貫之は配置で対抗した。文屋・小町・敏行(秋下・恋二・物名)のみ巻先頭連続、業平を恋三で敏行により連続を崩す。

 この配置に別格の意味を見れないのは、和歌の完全素人。文屋の歌手が小町。だから藤壺はほとんど詠まない。

 
 
 

原文対訳

和歌 定家本
(大島本
現代語訳
(渋谷栄一)
  夢浮橋(ゆめのうきはし)
 
 

第一章 薫の物語 横川僧都、薫の依頼を受け浮舟への手紙を書く

 
 

第一段 薫、横川に出向く

 
   山におはして、例せさせたまふやうに、経仏など供養ぜさせたまふ。
 またの日は、横川におはしたれば、僧都驚きかしこまりきこえたまふ。
 
 比叡山においでになって、いつもおさせになるように、お経や仏像などをご供養させになる。
 翌日は、横川においでになったので、僧都は恐縮してご挨拶申し上げなさる。
 
   年ごろ、御祈りなどつけ語らひたまひけれど、ことにいと親しきことはなかりけるを、このたび、一品の宮の御心地のほどにさぶらひたまへるに、「すぐれたまへる験ものしたまひけり」と見たまひてより、こよなう尊びたまひて、今すこし深き契り加へたまひてければ、「重々しうおはする殿の、かくわざとおはしましたること」と、もて騷ぎきこえたまふ。
 御物語など、こまやかにしておはすれば、御湯漬など参りたまふ。
 
 何年も、ご祈祷などお頼みなさっていたが、特別に親密ということはなかったが、先般、一品の宮のご不快の折に伺候なさっていたときに、「格別すぐれた効験がおありであった」と御覧になってから、この上なく尊敬なさって、もう少し深いご縁をお結びになったので、「重々しくおいでになる殿が、このようにわざわざ訪ねていらしたこと」と、大仰にお持てなし申し上げなさる。
 お話など、親密になさっているので、御湯漬などを差し上げなさる。
 
   すこし人びと静まりぬるに、  少し人びとが静かになったので、
   「小野のわたりに、知りたまへる宿りやはべる」  「小野の辺りに、お持ちの家はございませんか」
   と、問ひたまへば、  と、お尋ねになると、
   「しかはべる。
 いと異様なる所になむ。
 なにがしが母なる朽尼のはべるを、京にはかばかしからぬ住処もはべらぬうちに、かくて籠もりはべるあひだは、夜中、暁にも、あひ訪らはむ、と思ひたまへおきてはべる」
 「さようでございます。
 ひどくみすぼらしい家です。
 拙僧の母親の老尼がおりますが、京にしっかりした家もございませんうえに、こうして籠もっております間は、夜中、暁でも、お見舞いしよう、と存じております」
   など申したまふ。
 
 などと申し上げなさる。
 
   「そのわたりには、ただ近きころほひまで、人多う住みはべりけるを、今は、いとかすかにこそなりゆくめれ」  「その近辺には、つい最近まで、人が多く住んでおりましたが、今では、たいそうひっそりとなって行くようですね」
   などのたまひて、今すこし近くゐ寄りて、忍びやかに、  などとおっしゃって、もう少し近寄って、小声で、
   「いと浮きたる心地もしはべる、また、尋ねきこえむにつけては、いかなりけることにかと、心得ず思されぬべきに、かたがた、憚られはべれど、かの山里に、知るべき人の隠ろへてはべるやうに聞きはべりしを。
 確かにてこそは、いかなるさまにて、なども漏らしきこえめ、など思ひたまふるほどに、御弟子になりて、忌むことなど授けたまひてけり、と聞きはべるは、まことか。
 まだ年も若く、親などもありし人なれば、ここに失ひたるやうに、かことかくる人なむはべるを」
 「まことにとりとめのない気のする話ですが、また一方、お尋ね申し上げるにつけては、どのようなことでかと、合点が行かず思われなさるでしょうが、どちらにしても、遠慮されますが、あの山里に、世話しなければならない人が隠れていますように聞きましたが。
 はっきりと確かめてからなら、どのような様子で、などとお漏らし申し上げましょう、などと考えておりますうちに、お弟子になって、戒律などをお授けになった、と聞きましたのは、本当ですか。
 まだ年齢も若く、親などもいた人なので、わたしが死なせてしまったように、恨み言を申す人がおりますので」
   などのたまふ。
 
 などとおっしゃる。
 
 
 

第二段 僧都、薫に宇治での出来事を語る

 
   僧都、「さればよ。
 ただ人と見えざりし人のさまぞかし。
 かくまでのたまふは、軽々しくは思されざりける人にこそあめれ」と思ふに、「法師といひながら、心もなく、たちまちに容貌をやつしてけること」と、胸つぶれて、いらへきこえむやう思ひまはさる。
 
 僧都は、「やはりそうであったか。
 普通の女とは見えなかった様子であった。
 このようにまでおっしゃるのは、並々にはお思いでいらっしゃらなかった人なのであろう」と思うと、「法師の役目とは言いながらも、考えもなく、すぐに尼姿いしてしまったことよ」と、胸がどきりとして、お答え申し上げることに思案なさる。
 
   「確かに聞きたまへるにこそあめれ。
 かばかり心得たまひて、うかがひ尋ねたまはむに、隠れあるべきことにもあらず。
 なかなかあらがひ隠さむに、あいなかるべし」など、とばかり思ひ得て、
 「確かなことを聞いていらっしゃるのだろう。
 これほどご承知で、お尋ねなさるのに、隠しきれるものでない。
 なまじ無理に隠そうとするのも、つまらないことであろう」などと、しばらく考えを決めて、
   「いかなることにかはべりけむ。
 この月ごろ、うちうちにあやしみ思うたまふる人の御ことにや」とて、
 「どのようなことでございましょうか。
 ここ何か月か、内々に不審に存じておりました女のお身の上のことでしょうか」と言って、
   「かしこにはべる尼どもの、初瀬に願はべりて、詣でて帰りける道に、宇治の院といふ所に留まりてはべりけるに、母の尼の労気にはかに起こりて、いたくなむわづらふと告げに、人の参うで来たりしかば、まかり向かひたりしに、まづ妖しきことなむ」  「あちらにおります尼たちが、初瀬に祈願がございまして、参詣して帰って来た道中で、宇治院という所に泊まりましたところ、母親の尼の疲労が急に起こって、ひどく患っているという報せを、人が報告して来たので、下山して出向きましたところに、さっそく不思議なことが」
   とささめきて、  と声をひそめて、
   「親の死に返るをばさし置きて、もて扱ひ嘆きてなむはべりし。
 この人も、亡くなりたまへるさまながら、さすがに息は通ひておはしければ、昔物語に、魂殿に置きたりけむ人のたとひを思ひ出でて、さやうなることにや、と珍しがりはべりて、弟子ばらの中に験ある者どもを呼び寄せつつ、代はり代はりに加持せさせなどなむしはべりける。
 
 「母親が今にも死にそうなのは差し置いて、介抱して心配しておりました。
 この人も、お亡くなりになったような様子ながら、やはり息はしていらっしゃいましたので、昔物語に、霊殿に置いておいた人の話を思い出して、そのようなことであろうかと、珍しがりまして、弟子の僧の中で効験のある者どもを呼び寄せては、交替で加持させたりしました。
 
   なにがしは、惜しむべき齢ならねど、母の旅の空にて病重きを助けて、念仏をも心乱れずせさせむと、仏を念じたてまつり思うたまへしほどに、その人のありさま、詳しうも見たまへずなむはべりし。
 ことの心推し量り思うたまふるに、天狗木霊などやうのものの、欺き率てたてまつりたりけるにや、となむ承りし。
 
 拙僧は、惜しむほどの年齢ではないが、母親が旅の途上で病気が重いのを助けて、念仏を一心不乱にしようと、仏にお祈り申しておりましたときなので、その人の様子、詳しくは拝見せずにおりました。
 事情を推察しますに、天狗や木霊などのようなものが、誑かしてお連れ申したのか、と理解しておりました。
 
   助けて、京に率てたてまつりて後も、三月ばかりは亡き人にてなむものしたまひけるを、なにがしが妹、故衛門督の北の方にてはべりしが、尼になりてはべるなむ、一人持ちてはべりし女子を失ひて後、月日は多く隔てはべりしかど、悲しび堪へず嘆き思ひたまへはべるに、同じ年のほどと見ゆる人の、かく容貌いとうるはしくきよらなるを見出でたてまつりて、観音の賜へると喜び思ひて、この人いたづらになしたてまつらじと、惑ひ焦られて、泣く泣くいみじきことどもを申されしかば。
 
 助けて、京にお連れ申して後も、三か月間は死んだ人のようでいらっしゃいましたが、拙僧の妹で、故衛門督の北の方でございました者が、尼になっておりますのが、一人持っていた女の子を亡くして後、月日はたくさん過ぎましたが、悲しみを忘れず嘆いておりましたところ、同じ年くらいに見える人で、このように器量もとても端整で美しい方を発見申して、観音が授けてくださったと喜んで、この人をお死なせ申すまいと、一生懸命になりまして、泣きながら熱心に救ってほしいと懇願申されたので。
 
   後になむ、かの坂本にみづから下りはべりて、護身など仕まつりしに、やうやう生き出でて人となりたまへりけれど、『なほ、この領じたりけるものの、身に離れぬ心地なむする。
 この悪しきものの妨げを逃れて、後の世を思はむ』など、悲しげにのたまふことどものはべりしかば、法師にては、勧めも申しつべきことにこそはとて、まことに出家せしめたてまつりてしになむはべる。
 
 後に、あの坂本に拙僧自身で下山して行きまして、護身などを修法いたしましたところ、だんだんと生き返って普通にお戻りになりましたが、『やはり、このとり憑いた物の怪が、身から離れないような気がする。
 この悪霊の妨げから逃れて、来世を祈りたい』などと、悲しそうにおっしゃることがございましたので、法師の勤めとしては、お勧め申すべきことと存じまして、本当に出家させ申し上げてしまったのでございます。
 
   さらに、しろしめすべきこととは、いかでかそらにさとりはべらむ。
 珍しきことのさまにもあるを、世語りにもしはべりぬべかりしかど、聞こえありて、わづらはしかるべきことにもこそと、この老い人どものとかく申して、この月ごろ、音なくてはべりつるになむ」
 まったく、お世話なさるはずの方とは、どうして何もなしに分かりましょう。
 珍しい事の様子ですので、世間話の種にもなりそうですが、噂になって、厄介なことになってはいけないと、この老女どもがあれこれ申して、この何か月間は、黙っておりました」
   と申したまへば、  と申し上げなさると、
 
 

第三段 薫、僧都に浮舟との面会を依頼

 
   「さてこそあなれ」と、ほの聞きて、かくまでも問ひ出でたまへることなれど、「むげに亡き人と思ひ果てにし人を、さは、まことにあるにこそは」と思すほど、夢の心地してあさましければ、つつみもあへず涙ぐまれたまひぬるを、僧都の恥づかしげなるに、「かくまで見ゆべきことかは」と思ひ返して、つれなくもてなしたまへど、「かく思しけることを、この世には亡き人と同じやうになしたること」と、過ちしたる心地して、罪深ければ、  「そうであったのか」と、ちらっと聞いて、ここまで尋ね出しなさったことではあるが、「てっきり死んだ人として思い諦めていた人だが、それでは、本当は生きていたのだ」とお思いになる、その気持ちは、夢のような気がしてあきれるほどのことなので、抑えることもできずに涙ぐまれなさったのを、僧都が立派な態度なので、「こんな気弱い態度を見せてよいものか」と反省して、さりげなく振る舞いなさるが、「このようにお愛しになっていたのを、この世では死んだ人と同然にしてしまったことよ」と、過ったことをした気がして、罪障深いので、
   「悪しきものに領ぜられたまひけむも、さるべき前の世の契りなり。
 思ふに、高き家の子にこそものしたまひけめ、いかなる誤りにて、かくまではふれたまひけむにか」
 「悪霊にとり憑かれていらしたのも、そうなるはずの前世からの因縁なのです。
 思うに、高貴な家柄の姫君でいらしたのでしょうが、どのような過ちによって、このようにまで身を落としなさったのだろうか」
   と、問ひ申したまへば、  と、お尋ね申し上げなさると、
   「なま王家流などいふべき筋にやありけむ。
 ここにも、もとよりわざと思ひしことにもはべらず。
 ものはかなくて見つけそめてははべりしかど、また、いとかくまで落ちあふるべき際と思ひたまへざりしを。
 珍かに、跡もなく消え失せにしかば、身を投げたるにやなど、さまざまに疑ひ多くて、確かなることは、え聞きはべらざりつるになむ。
 
 「皇族の末裔と申す血筋であったでしょうか。
 わたしも、初めから特別に正妻にと考えた人ではございません。
 ちょっとしたことでお世話し始めるようになりましたが、また一方で、このようにまで落ちぶれる身分の方とは存じませんでした。
 珍しく、跡形もなく消えてしまったので、身を投げたのかなどと、いろいろとはっきりしないことが多くて、確実なことは、聞くことができませんでした。
 
   罪軽めてものすれば、いとよしと心やすくなむ、みづからは思ひたまへなりぬるを、母なる人なむ、いみじく恋ひ悲しぶなるを、かくなむ聞き出でたると、告げ知らせまほしくはべれど、月ごろ隠させたまひける本意違ふやうに、もの騒がしくやはべらむ。
 親子の仲の思ひ絶えず、悲しびに堪へで、訪らひものしなどしはべりなむかし」
 罪障を軽くしていらっしゃるならば、とても良いことだと安心して、わたし自身は存じましたが、その母親に当たる人が、ひどく慕って悲しんでいるというを、このように聞き出したと、知らせてやりたく存じますが、何か月も隠していらっしゃったご趣旨に背くようで、何となく騒々しくなりましょうか。
 親子の間の恩愛は絶ち切れず、悲しみを堪えることができずに、きっと尋ねて来ますでしょう」
   などのたまひて、さて、  などとおっしゃって、そうして、
   「いと便なきしるべとは思すとも、かの坂本に下りたまへ。
 かばかり聞きて、なのめに思ひ過ぐすべくは思ひはべらざりし人なるを、夢のやうなることどもも、今だに語り合はせむ、となむ思ひたまふる」
 「まことに不都合な案内役とはお思いになりましょうが、あの坂本に下山なさってください。
 このように聞いて、いい加減に知らないふりのできるとは存じません人ですので、夢のようなことも、せめて今なりと話し合おう、と存じております」
   とのたまふけしき、いとあはれと思ひたまへれば、  とおっしゃる様子が、実にしみじみとお思いになっているので、
   「容貌を変へ、世を背きにきとおぼえたれど、髪鬚を剃りたる法師だに、あやしき心は失せぬもあなり。
 まして、女の御身はいかがあらむ。
 いとほしう、罪得ぬべきわざにもあるべきかな」
 「尼姿になり、出家をしたと思っていても、髪や鬢を剃った法師でさえ、けしからぬ欲望に消えない者もいるという。
 まして、女人の身ではどのようなものであろうか。
 お気の毒にも、罪障を作ることになりはしないだろうか」
   と、あぢきなく心乱れぬ。
 
 と、つまらないことを引き受けたものだと心が乱れた。
 
   「まかり下りむこと、今日明日は障りはべり。
 月たちてのほどに、御消息を申させはべらむ」
 「下山することは、今日明日は差し支えがあります。
 来月になって、お手紙を差し上げましょう」
   と申したまふ。
 いと心もとなけれど、「なほ、なほ」と、うちつけに焦られむも、さま悪しければ、「さらば」とて、帰りたまふ。
 
 と申し上げなさる。
 まことに頼りないが、「ぜひ、ぜひ」と、急に焦れったく思うのも、みっともないので、「それでは」と言って、お帰りになる。
 
 
 

第四段 僧都、浮舟への手紙を書く

 
   かの御弟の童、御供に率ておはしたりけり。
 異兄弟どもよりは、容貌もきよげなるを、呼び出でたまひて、
 あのご姉弟の童を、お供として連れておいでになっていた。
 他の兄弟たちよりは、器量も小ざっぱりとしているのを、呼び出しなさって、
   「これなむ、その人の近きゆかりなるを、これをかつがつものせむ。
 御文一行賜へ。
 その人とはなくて、ただ、尋ねきこゆる人なむある、とばかりの心を知らせたまへ」
 「この子が、あの女人の近親なのですが、この子をとりあえず遣わしましょう。
 お手紙をちょっとお書きください。
 誰それとはなくて、ただ、お探し申し上げる人がいる、という程度の気持ちをお知らせください」
   とのたまへば、  とおっしゃると、
   「なにがし、このしるべにて、かならず罪得はべりなむ。
 ことのありさまは、詳しくとり申しつ。
 今は、御みづから立ち寄らせたまひて、あるべからむことはものせさせたまはむに、何の咎かはべらむ」
 「拙僧が、この案内役になって、きっと罪障を負いましょう。
 事情は、詳しく申し上げました。
 今は、ご自身でお立ち寄りあそばして、なさるべきことをなさるのに、何の差し支えがございましょう」
   と申したまへば、うち笑ひて、  と申し上げなさると、にっこりして、
   「罪得ぬべきしるべと思ひなしたまふらむこそ、恥づかしけれ。
 ここには、俗の形にて、今まで過ぐすなむいとあやしき。
 
 「罪障を負う案内役とお考えになるのは、気恥ずかしいことです。
 わたしは、在俗の姿で、今まで過ごして来たのがまことに不思議なくらいです。
 
   いはけなかりしより、思ふ心ざし深くはべるを、三条の宮の、心細げにて、頼もしげなき身一つをよすがに思したるが、避りがたきほだしにおぼえはべりて、かかづらひはべりつるほどに、おのづから位などいふことも高くなり、身のおきても心にかなひがたくなどして、思ひながら過ぎはべるには、またえ避らぬことも、数のみ添ひつつは過ぐせど、公私に、逃れがたきことにつけてこそ、さもはべらめ、さらでは、仏の制したまふ方のことを、わづかにも聞き及ばむことは、いかで過たじと、慎しみて、心の内は聖に劣りはべらぬものを。
 
 幼い時から、出家を願う気持ちは強くございましたが、母三条宮が、心細い様子で、頼りがいもないわが身一人を頼りにお思いになっているのが、逃れられない足手まといに思われまして、世俗にかかずらっておりますうちに、自然と官位なども高くなり、身の処置も思うようにならなくなったりして、出家を願いながら過ごして来て、また断れない事も、次々と多く加わって来て、過ごしておりますが、公私ともに、止むを得ない事情によって、こうしていますが、それ以外のところでは、仏がお制止になる方面のことを、少しでもお聞き及びになるようなことは、何とか守り抜こう、身を慎んで、心中では聖に負けません。
 
   まして、いとはかなきことにつけてしも、重き罪得べきことは、などてか思ひたまへむ。
 さらにあるまじきことにはべり。
 疑ひ思すまじ。
 ただ、いとほしき親の思ひなどを、聞きあきらめはべらむばかりなむ、うれしう心やすかるべき」
 ましてや、ちょっとしたことで、重い罪障を負うようなことは、どうして考えましょうか。
 まったく有りえないことでございます。
 お疑いなさいますな。
 ただ、お気の毒な母親の思いなどを、聞いて晴らしてやろうというほどで、きっと嬉しく気が休まりましょう」
   など、昔より深かりし方の心を語りたまふ。
 
 などと、昔から深かった道心をお話しなさる。
 
   僧都も、げにと、うなづきて、  僧都も、なるほどと、うなずいて、
   「いとど尊きこと」  「ますます尊いことだ」
   など聞こえたまふほどに、日も暮れぬれば、  などと申し上げなさるうちに、日も暮れてしまったので、
   「中宿りもいとよかりぬべけれど、うはの空にてものしたらむこそ、なほ便なかるべけれ」  「途中の休憩所としても大変に都合のよいはずだが、考えも決まらないうちに立ち寄るのも、やはり不都合であろう」
   と、思ひわづらひて帰りたまふに、この弟の童を、僧都、目止めてほめたまふ。
 
 と、思いあぐねてお帰りになるときに、この姉弟の童を、僧都が、目を止めておほめになる。
 
   「これにつけて、まづほのめかしたまへ」  「この子に託して、とりあえずほのめかしてください」
   と聞こえたまへば、文書きて取らせたまふ。
 
 と申し上げなさると、手紙を書いてお与えなさる。
 
   「時々は山におはして遊びたまへよ」と「すずろなるやうには思すまじきゆゑもありけり」  「時々は山においでになって遊んで行きなさいね」と「いわれのないことのようには思われないわけもありのです」
   と、うち語らひたまふ。
 この子は心も得ねど、文取りて御供に出づ。
 坂本になれば、御前の人びとすこし立ちあかれて、「忍びやかにを」とのたまふ。
 
 と、お話しなさる。
 この子は理解できないが、手紙を受け取ってお供して出る。
 坂本になると、ご前駆の人びとが少し離れ離れになって、「目立たないように」とおっしゃる。
 
 
 

第五段 浮舟、薫らの帰りを見る

 
   小野には、いと深く茂りたる青葉の山に向かひて、紛るることなく、遣水の蛍ばかりを、昔おぼゆる慰めにて眺めゐたまへるに、例の、遥かに見やらるる谷の軒端より、前駆心ことに追ひて、いと多う灯したる火の、のどかならぬ光を見るとて、尼君たちも端に出でゐたり。
 
 小野では、たいそう青々と茂っている青葉の山に向かって、気の紛れることなく、遣水の螢だけを、昔が偲ばれる慰めとして眺めていらっしゃると、いつものように、遥か遠くに谷の見やられる軒端から、前駆が格別の先払いして、たいそうたくさん灯している火の、あわただしい光が見えるといって、尼君たちも端に出て座っていた。
 
   「誰がおはするにかあらむ。
 御前などいと多くこそ見ゆれ」
 「どなたがおいでになるのだろう。
 ご前駆などもとても大勢に見える」
   「昼、あなたに引干し奉れたりつる返り事に、『大将殿おはしまして、御饗応のことにはかにするを、いとよき折なり』と、こそありつれ」  「昼、あちらに引干しを差し上げた返事に、『大将殿がいらして、ご饗応の事が急になったので、ちょうどよい時であった』と、言ったが」
   「大将殿とは、この女二の宮の御夫にやおはしつらむ」  「大将殿とは、今上の女二の宮の夫君のことでいらっしゃろうか」
   など言ふも、いとこの世遠く、田舎びにたりや。
 まことにさにやあらむ。
 時々、かかる山路分けおはせし時、いとしるかりし随身の声も、うちつけにまじりて聞こゆ。
 
 などと言うのも、とてもこの世から隔絶して、田舎じみたことよ。
 ほんとうにそうであろうか。
 時々、このような山路を分けていらしたとき、とてもはっきりしていた随身の声も、ふと中に混じって聞こえる。
 
   月日の過ぎゆくままに、昔のことのかく思ひ忘れぬも、「今は何にすべきことぞ」と心憂ければ、阿弥陀仏に思ひ紛らはして、いとどものも言はでゐたり。
 横川に通ふ人のみなむ、このわたりには近きたよりなりける。
 
 月日の過ぎ行くままに、昔のことがこのように忘れられないでいるのも、「今さらどうなることでもない」と嫌な気持ちになるので、阿弥陀仏に思いを紛らわして、ますます無口になっていた。
 横川に行き来する人だけが、この近辺では身近な人なのであった。
 
 
 

第二章 浮舟の物語 浮舟、小君との面会を拒み、返事も書かない

 
 

第一段 薫、浮舟のもとに小君を遣わす

 
   かの殿は、「この子をやがてやらむ」と思しけれど、人目多くて便なければ、殿に帰りたまひて、またの日、ことさらにぞ出だし立てたまふ。
 睦ましく思す人の、ことことしからぬ二、三人、送りにて、昔も常に遣はしし随身添へたまへり。
 人聞かぬ間に呼び寄せたまひて、
 あの殿は、「この子をそのまま遣わそう」とお思いになったが、人目が多くて不都合なので、殿にお帰りになって、翌日、特別に出発させなさる。
 親しくお思いになる人で、大した身分でない者を二、三人、付けて、昔もいつも使者としていた随身をお加えになった。
 人が聞いていない間にお呼び寄せになって、
   「あこが亡せにし姉の顔は、おぼゆや。
 今は世に亡き人と思ひ果てにしを、いと確かにこそ、ものしたまふなれ。
 疎き人には聞かせじと思ふを、行きて尋ねよ。
 母に、いまだしきに言ふな。
 なかなか驚き騒がむほどに、知るまじき人も知りなむ。
 その親の御思ひのいとほしさにこそ、かくも尋ぬれ」
 「そなたの亡くなった姉の顔は、覚えているか。
 今はこの世にいない人と諦めていたが、まことに確かに、生きていらっしゃると言うのだ。
 他人には聞かせまいと思うので、行って確かめよ。
 母にも、まだ言ってはならない。
 かえって驚いて大騒ぎするうちに、知ってはならない人まで知ってしまおう。
 その母親のお嘆きがおいたわしいので、このようにして確かめるのだ」
   と、まだきにいと口固めたまふを、幼き心地にも、姉弟は多かれど、この君の容貌をば、似るものなしと思ひしみたりしに、亡せたまひにけりと聞きて、いと悲しと思ひわたるに、かくのたまへば、うれしきにも涙の落つるを、恥づかしと思ひて、  と、今からもう厳重に口封じなさるのを、子供心にも、姉弟は多いが、この姉君の器量を、他に似る者がないと思い込んでいたので、お亡くなりになったと聞いて、とても悲しいと思い続けていたが、このようにおっしゃるので、嬉しさに涙が落ちるのを、恥ずかしいと思って、
   「を、を」  「はい、はい」
   と荒らかに聞こえゐたり。
 
 とぶっきらぼうに申し上げた。
 
   かしこには、まだつとめて、僧都の御もとより、  あちらでは、まだ早朝に、僧都の御もとから、
   「昨夜、大将殿の御使にて、小君や参うでたまへりし。
 ことの心承りしに、あぢきなく、かへりて臆しはべりてなむ、と姫君に聞こえたまへ。
 みづから聞こえさすべきことも多かれど、今日明日過ぐしてさぶらふべし」
 「昨夜、大将殿のお使いで、小君が参られたでしょうか。
 事情をお聞き致しまして、困ったことで、かえって気後れしておりますと、姫君に申し上げてください。
 拙僧自身で申し上げなければならないことも多いが、今日明日が過ぎてから伺いましょう」
   と書きたまへり。
 「これは何ごとぞ」と尼君驚きて、こなたへもて渡りて見せたてまつりたまへば、面うち赤みて、「ものの聞こえのあるにや」と苦しう、「もの隠ししける」と恨みられむを思ひ続くるに、いらへむ方なくてゐたまへるに、
 と書いていらっしゃった。
 「これはどうしたことか」と尼君は驚いて、こちらに持って来てお見せ申し上げなさると、顔が赤くなって、「世間に知られたのではないか」とつらく、「隠し事をしていた」と恨まれることを思い続けると、答えようもなくてじっとしていらっしゃると、
   「なほ、のたまはせよ。
 心憂く思し隔つること」
 「やはり、おっしゃってください。
 情けなく他人行儀ですこと」
   と、いみじく恨みて、ことの心を知らねば、あわたたしきまで思ひたるほどに、  と、ひどく恨んで、事情を知らないので、慌てるばかりの騷ぎのところに、
   「山より、僧都の御消息にて、参りたる人なむある」  「山から、僧都のお手紙といって、参上した人が来ました」
   と言ひ入れたり。
 
 と申し入れた。
 
 
 

第二段 小君、小野山荘の浮舟を訪問

 
   あやしけれど、「これこそは、さは、確かなる御消息ならめ」とて、  不思議に思うが、「これこそは、それでは、確かなお手紙であろう」と思って、
   「こなたに」  「こちらに」
   と言はせたれば、いときよげにしなやかなる童の、えならず装束きたるぞ、歩み来たる。
 円座さし出でたれば、簾のもとについゐて、
 と言わせなさると、とても小ぎれいでしなやかな童で、何とも言えないような着飾った者が、歩いて来た。
 円座を差し出すと、簾の側にちょこんと座って、
   「かやうにては、さぶらふまじくこそは、僧都は、のたまひしか」  「このような形では、お持てなしを受けることはないと、僧都は、おっしゃっていました」
   と言へば、尼君ぞ、いらへなどしたまふ。
 文取り入れて見れば、
 と言うので、尼君が、お返事などなさる。
 手紙を中に受け取って見ると、
   「入道の姫君の御方に、山より」  「入道の姫君の御方へ、山から」
   とて、名書きたまへり。
 あらじなど、あらがふべきやうもなし。
 
 とあって、署名なさっていた。
 人違いだ、などと否定することもできない。
 
   いとはしたなくおぼえて、いよいよ引き入られて、人に顔も見合はせず。
 
 とても体裁悪く思えて、ますます後ずさりされて、誰にも顔を見せない。
 
   「常にほこりかならずものしたまふ人柄なれど、いとうたて、心憂し」  「いつも控え目でいらっしゃる人柄だが、とても嫌な、情ない方」
   など言ひて、僧都の御文見れば、  などと言って、僧都の手紙を見ると、
   「今朝、ここに大将殿のものしたまひて、御ありさま尋ね問ひたまふに、初めよりありしやう詳しく聞こえはべりぬ。
 御心ざし深かりける御仲を背きたまひて、あやしき山賤の中に出家したまへること、かへりては、仏の責め添ふべきことなるをなむ、承り驚きはべる。
 
 「今朝、こちらに大将殿がおいでになって、ご事情をお尋ねになるので、初めからの有様を詳しく申し上げてしまいました。
 ご愛情の深いお二方の仲を背きなさって、賤しい山家の中で出家なさったことは、かえって、仏のお叱りを受けるはずのことを、うかがって驚いています。
 
   いかがはせむ。
 もとの御契り過ちたまはで、愛執の罪をはるかしきこえたまひて、一日の出家の功徳は、はかりなきものなれば、なほ頼ませたまへとなむ。
 ことごとには、みづからさぶらひて申しはべらむ。
 かつがつ、この小君聞こえたまひてむ」
 しようがありません。
 もともとのご宿縁を間違いなさらず、愛執の罪をお晴らし申し上げなさって、一日の出家の功徳は、無量のものですから、やはりご期待なさいませと。
 詳細は、拙僧自身お目にかかって申し上げましょう。
 とりあえず、この小君が申し上げなさることでしょう」
   と書いたり。
 
 と書いてあった。
 
 
 

第三段 浮舟、小君との面会を拒む

 
   まがふべくもあらず、書き明らめたまへれど、異人は心も得ず。
 
 疑う余地もなく、はっきりお書きになっているが、他の人には事情が分からない。
 
   「この君は、誰れにかおはすらむ。
 なほ、いと心憂し。
 今さへ、かくあながちに隔てさせたまふ」
 「この君は、どなたでいらっしゃのだろう。
 やはり、とても情けない。
 今になってさえ、このようにひたすらお隠しになっている」
   と責められて、すこし外ざまに向きて見たまへば、この子は、今はと世を思ひなりし夕暮れに、いと恋しと思ひし人なりけり。
 同じ所にて見しほどは、いと性なく、あやにくにおごりて憎かりしかど、母のいとかなしくして、宇治にも時々率ておはせしかば、すこしおよすけしままに、かたみに思へり。
 
 と責められて、少し外の方を向いて御覧になると、この子は、これが最期と思った夕暮れにも、とても恋しいと思った人なのであった。
 一緒の所に住んでいたときは、とても意地悪で、妙に生意気で憎らしかったが、母親がとてもかわいがって、宇治にも時々連れておいでになったので、少し大きくなってからは、お互いに仲好くしていた。
 
   童心を思ひ出づるにも、夢のやうなり。
 まづ、母のありさま、いと問はまほしく、「異人びとの上は、おのづからやうやうと聞けど、親のおはすらむやうは、ほのかにもえ聞かずかし」と、なかなかこれを見るに、いと悲しくて、ほろほろと泣かれぬ。
 
 子供心を思い出すにつけても、夢のようである。
 真先に、母親の様子を、とても尋ねたく、「その他の人びとについては自然とだんだん聞くが、母親がどうしていらっしゃるかは、少しも聞くことができない」と、なまじこの子を見たばかりに、とても悲しくなって、ぽろぽろと涙がこぼれた。
 
   いとをかしげにて、すこしうちおぼえたまへる心地もすれば、  たいそう可憐で、少し似ていらっしゃるところがあるように思われるので、
   「御兄弟にこそおはすめれ。
 聞こえまほしく思すこともあらむ。
 内に入れたてまつらむ」
 「ご姉弟でいらっしゃるようだ。
 お話し申し上げたくお思いでいることもあろう。
 内にお入れ申そう」
   と言ふを、「何か、今は世にあるものとも思はざらむに、あやしきさまに面変りして、ふと見えむも恥づかし」と思へば、とばかりためらひて、  と言うのを、「どうして、今はもう生きている者と思っていないのに、尼姿に身を変えて、急に会うのも気がひける」と思うと、しばらくためらって、
   「げに、隔てありと、思しなすらむが苦しさに、ものも言はれでなむ。
 あさましかりけむありさまは、珍かなることと見たまひてけむを、うつし心も失せ、魂などいふらむものも、あらぬさまになりにけるにやあらむ。
 いかにもいかにも、過ぎにし方のことを、我ながらさらにえ思ひ出でぬに、紀伊守とかありし人の、世の物語すめりし中になむ、見しあたりのことにやと、ほのかに思ひ出でらるることある心地せし。
 
 「おっしゃるとおり、隠し事があると、お思いになるのがつらくて、何も申すことができません。
 情けなかった姿は、珍しいことだと御覧になったでしょうが、正気も失い、魂などと申すものも、以前とは違ったものになってしまったのでしょうか、何ともかとも、過ぎ去った昔のことを、自分ながら全然思い出すことができないところに、紀伊守とかいった人が、世間話をした中で、知っていた方のことかと、わずかに思い出される気がしました。
 
   その後、とざまかうざまに思ひ続くれど、さらにはかばかしくもおぼえぬに、ただ一人ものしたまひし人の、いかでとおろかならず思ひためりしを、まだや世におはすらむと、そればかりなむ心に離れず、悲しき折々はべるに、今日見れば、この童の顔は、小さくて見し心地するにも、いと忍びがたけれど、今さらに、かかる人にも、ありとは知られでやみなむ、となむ思ひはべる。
 
 その後は、あれやこれやと考え続けましたが、いっこうにはっきりと思い出されませんが、ただ一人おいでになった方の、何とか幸福にと並々ならず思っていらしたような母親が、まだ生きておいでかと、そのことばかりが脳裏を離れず、悲しい時々がございますので、今日見ると、この童の顔は、小さい時に見たことのある気がするのにつけても、とても堪えがたい気がするが、今さら、このような人に、生きていると知られないで終わりたいと、存じております。
 
   かの人、もし世にものしたまはば、それ一人になむ、対面せまほしく思ひはべる。
 この僧都の、のたまへる人などには、さらに知られたてまつらじ、とこそ思ひはべりつれ。
 かまへて、ひがことなりけりと聞こえなして、もて隠したまへ」
 あの母親が、もしこの世に生きておいででしたら、その方お一人だけには、お目にかかりたく存じております。
 この僧都が、おっしゃっている方などには、まったく知られ申すまいと、存じております。
 何とか工夫して、間違いであると申し上げて、隠してくださいませ」
   とのたまへば、  とおっしゃるので、
   「いと難いことかな。
 僧都の御心は、聖といふなかにも、あまり隈なくものしたまへば、まさに残いては、聞こえたまひてむや。
 後に隠れあらじ。
 なのめに軽々しき御ほどにもおはしまさず」
 「まことに難しいことですね。
 僧都のお考えは、聖と申すなかでも、あまりにに正直一途の方でいらっしゃいますから、まさに何も残さずに申し上げなさったことでしょう。
 後で分かってしまいましょう。
 いい加減な軽々しいご身分でもいらっしゃらないし」
   など言ひ騷ぎて、  などと言い騒いで、
   「世に知らず心強くおはしますこそ」  「見たこともないほど強情でいらっしゃること」
   と、皆言ひ合はせて、母屋の際に几帳立てて入れたり。
 
 と、皆で話し合って、母屋の際に几帳を立てて入れた。
 
 
 

第四段 小君、薫からの手紙を渡す

 
   この子も、さは聞きつれど、幼ければ、ふと言ひ寄らむもつつましけれど、  この子も、そうは聞いていたが、子供なので、唐突に言葉かけるのも気がひけるが、
   「またはべる御文、いかでたてまつらむ。
 僧都の御しるべは、確かなるを、かくおぼつかなくはべるこそ」
 「もう一通ございますお手紙を、ぜひ差し上げたい。
 僧都のお導きは、確かなことでしたのに、このようにはっきりしませんとは」
   と、伏目にて言へば、  と、伏目になって言うと、
   「そそや。
 あな、うつくし」
 「それそれ。
 まあ、かわいらしい」
   など言ひて、  などと言って、
   「御文御覧ずべき人は、ここにものせさせたまふめり。
 見証の人なむ、いかなることにかと、心得がたくはべるを、なほのたまはせよ。
 幼き御ほどなれど、かかる御しるべに頼みきこえたまふやうもあらむ」
 「お手紙を御覧になるはずの人は、ここにいらっしゃるようです。
 はたの者は、どのようなことかと分からずにおりますが、さらにおっしゃってください。
 幼いご年齢ですが、このようなお使いをお任せになる理由もあるのでしょう」
   など言へど、  などと言うので、
   「思し隔てて、おぼおぼしくもてなさせたまふには、何事をか聞こえはべらむ。
 疎く思しなりにければ、聞こゆべきこともはべらず。
 ただ、この御文を、人伝てならで奉れ、とてはべりつる、いかでたてまつらむ」
 「よそよそしくなさって、はっきりしないお持てなしをなさるのでは、何を申し上げられましょう。
 他人のようにお思いになっていたら、申し上げることもございません。
 ただ、このお手紙を、人を介してではなく差し上げなさい、とございましたので、ぜひとも差し上げたい」
   と言へば、  と言うと、
   「いとことわりなり。
 なほ、いとかくうたてなおはせそ。
 さすがにむくつけき御心にこそ」
 「まことにごもっともです。
 やはり、とてもこのように情けなくいらっしゃらないで。
 いくら何でも気味悪いほどのお方ですこと」
   と聞こえ動かして、几帳のもとに押し寄せたてまつりたれば、あれにもあらでゐたまへるけはひ、異人には似ぬ心地すれば、そこもとに寄りて奉りつ。
 
 とお促し申して、几帳の側に押し寄せ申したので、人心地もなく座っていらっしゃるその感じは、他人ではない気がするので、すぐそこに近寄って差し上げた。
 
   「御返り疾く賜はりて、参りなむ」  「お返事を早く頂戴して、帰りましょう」
   と、かく疎々しきを、心憂しと思ひて急ぐ。
 
 と、このようにすげない態度を、つらいと思って急ぐ。
 
   尼君、御文ひき解きて、見せたてまつる。
 ありしながらの御手にて、紙の香など、例の、世づかぬまでしみたり。
 ほのかに見て、例の、ものめでのさし過ぎ人、いとありがたくをかしと思ふべし。
 
 尼君は、お手紙を開いて、お見せ申し上げる。
 以前と同じようなご筆跡で、紙の香なども、いつもの、世にないまで染み込んでいた。
 ちらっと見て、例によって、何にでも感心するでしゃばり者は、ほんとめったになく素晴らしいと思うであろう。
 
   「さらに聞こえむ方なく、さまざまに罪重き御心をば、僧都に思ひ許しきこえて、今はいかで、あさましかりし世の夢語りをだに、と急がるる心の、我ながらもどかしきになむ。
 まして、人目はいかに」
 「まったく申し上げようもなく、いろいろと罪障の深いお身の上を、僧都に免じてお許し申し上げて、今は何とかして、驚きあきれたような当時の夢のような思い出話なりとも、せめてと、せかれる気持ちが、自分ながらもどかしく思われることです。
 まして、傍目にはどんなに見られることでしょうか」
   と、書きもやりたまはず。
 
 と、お心を書き尽くしきれない。
 
 

795
 「法の師と 尋ぬる道を しるべにて
 思はぬ山に 踏み惑ふかな
 「仏法の師と思って尋ねて来た道ですが、それを道標としていたのに
  思いがけない山道に迷い込んでしまったことよ
 
   この人は、見や忘れたまひぬらむ。
 ここには、行方なき御形見に見る物にてなむ」
 この子は、お忘れになったでしょうか。
 わたしは、行方不明になったあなたのお形見として見ているのです」
   など、こまやかなり。
 
 などと、とても愛情がこもっている。
 
 
 

第五段 浮舟、薫への返事を拒む

 
   かくつぶつぶと書きたまへるさまの、紛らはさむ方なきに、さりとて、その人にもあらぬさまを、思ひの外に見つけられきこえたらむほどの、はしたなさなどを思ひ乱れて、いとど晴れ晴れしからぬ心は、言ひやるべき方もなし。
 
 このようにこまごまとお書きになっている様子が、紛れようもないので、そうかといって、昔の自分とも違う姿を、意外にも見つけられ申したときの、体裁の悪さなどを思い乱れて、今まで以上に晴れ晴れしくない気持ちは、何ともいいようがない。
 
   さすがにうち泣きて、ひれ臥したまへれば、「いと世づかぬ御ありさまかな」と、見わづらひぬ。
 
 そうはいってもふと涙がこぼれて、臥せりなさったので、「まことに世間知らずのなさりようだ」と、扱いかねた。
 
   「いかが聞こえむ」  「どのように申し上げましょう」
   など責められて、  などと責められて、
   「心地のかき乱るやうにしはべるほど、ためらひて、今聞こえむ。
 昔のこと思ひ出づれど、さらにおぼゆることなく、あやしう、いかなりける夢にかとのみ、心も得ずなむ。
 すこし静まりてや、この御文なども、見知らるることもあらむ。
 今日は、なほ持て参りたまひね。
 所違へにもあらむに、いとかたはらいたかるべし」
 「気分がとても苦しゅうございますのを、おさまりましてから、やがて差し上げましょう。
 昔のことを思い出しても、まったく思い当たることがなく、不思議で、どのような夢であったのかとばかり、分かりません。
 少し気分が静まったら、このお手紙なども、分かるようなこともありましょうか。
 今日は、やはりお持ち帰りください。
 人違いであったら、とても体裁悪いでしょうから」
   とて、広げながら、尼君にさしやりたまへれば、  と言って、広げたまま、尼君にお渡しになったので、
   「いと見苦しき御ことかな。
 あまりけしからぬは、見たてまつる人も、罪さりどころなかるべし」
 「とても見苦しいなさりようですこと。
 あまり不作法なのは、世話している者どもも、咎を免れないことでしょう」
   など言ひ騒ぐも、うたて聞きにくくおぼゆれば、顔も引き入れて臥したまへり。
 
 などと言って騒ぐのも、嫌で聞いていられなく思われるので、顔を引き入れてお臥せりになった。
 
   主人ぞ、この君に物語すこし聞こえて、  主人の尼が、この君にお話を少し申し上げて、
   「もののけにやおはすらむ。
 例のさまに見えたまふ折なく、悩みわたりたまひて、御容貌も異になりたまへるを、尋ねきこえたまふ人あらば、いとわづらはしかるべきこと、と見たてまつり嘆きはべりしも、しるく、かくいとあはれに、心苦しき御ことどもはべりけるを、今なむ、いとかたじけなく思ひはべる。
 
 「物の怪のせいでしょうか。
 いつもの様子にお見えになる時もなく、ずっと患っていらっしゃって、お姿も尼姿におなりになったが、お探し申し上げなさる方がいたら、とても厄介なことになりましょうことよと、拝見し嘆いておりましたのも、その通りに、このようにまことにおいたわしく、胸打つご事情がございましたのを、今は、まことに恐れ多く存じております。
 
   日ごろも、うちはへ悩ませたまふめるを、いとどかかることどもに思し乱るるにや、常よりもものおぼえさせたまはぬさまにてなむ」  常日頃も、ずっとご病気がちでいらしたようなのを、ますますこのようなお手紙にお思い乱れなさったのか、いつも以上に分別がなくおいでです」
   と聞こゆ。
 
 と申し上げる。
 
 
 

第六段 小君、空しく帰り来る

 
   所につけてをかしき饗応などしたれど、幼き心地は、そこはかとなくあわてたる心地して、  山里らしい趣のある饗応などをしたが、子供心には、どことなくいたたまれないような気がして、
   「わざと奉れさせたまへるしるしに、何事をかは聞こえさせむとすらむ。
 ただ一言をのたまはせよかし」
 「わざわざお遣わしあそばされたそのしるしに、何とお返事申し上げたらよいのでしょう。
 ただ一言でもおっしゃってください」
   など言へば、  などと言うと、
   「げに」  「ほんとうですこと」
   など言ひて、かくなむ、と移し語れど、ものものたまはねば、かひなくて、  などと言って、これこれです、とそのまま伝えるが、何もおっしゃらないので、しかたなくて、
   「ただ、かく、おぼつかなき御ありさまを聞こえさせたまふべきなめり。
 雲の遥かに隔たらぬほどにもはべるめるを、山風吹くとも、またもかならず立ち寄らせたまひなむかし」
 「ただ、あのように、はっきりしないご様子を申し上げなさるのがよいのでしょう。
 雲が遥かに遠く隔たった場所でもないようでございますので、山の風が吹いても、またきっとお立ち寄りなさいまし」
   と言へば、すずろにゐ暮らさむもあやしかるべければ、帰りなむとす。
 人知れずゆかしき御ありさまをも、え見ずなりぬるを、おぼつかなく口惜しくて、心ゆかずながら参りぬ。
 
 と言うので、用もないのに日暮れまでいるのも妙な具合なので、帰ろうとする。
 心ひそかにお会いしたいご様子なのに、会うこともできずに終わったのを、気がかりで残念で、不満足のまま帰参した。
 
   いつしかと待ちおはするに、かくたどたどしくて帰り来たれば、すさまじく、「なかなかなり」と、思すことさまざまにて、「人の隠し据ゑたるにやあらむ」と、わが御心の思ひ寄らぬ隈なく、落とし置きたまへりしならひに、とぞ本にはべめる。
 
 早く早くとお待ちになっていたが、このようにはっきりしないまま帰って来たので、期待が外れて、「かえって遣らないほうがましだった」と、お思いになることがいろいろで、「誰かが隠し置いているのであろうか」と、ご自分の想像の限りを尽くして、放ってお置きになった経験からも、と本にございますようです。
 
 
 

【出典】

 
  出典1 逢ふことは雲居遥かに鳴る神の音に聞きつつ恋ひわたるかな(古今集恋一-四八二 紀貫之)(戻)  
 
 

【校訂】

 
  備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△  
  校訂1 加へたまひ--くはへ(へ/+給<朱>)(戻)  
  校訂2 承り--うけ給ひ(ひ/$はり)し(戻)  
  校訂3 思ひたまへはべる--*おもひ給へる(戻)  
  校訂4 ことども--こと(と/+と<朱>)も(戻)  
  校訂5 ほの聞きて--ほのきゝ給(給/$<朱>)て(戻)  
  校訂6 はるかし--はるか(か/+し<朱>)(戻)  
  校訂7 賜はりて--*給て(戻)  
 

 
 ※(以下は当サイトによる)大島本は、定家本の書写。
 書写の信頼度は、大島本<明融(臨模)本<定家自筆本、とされている。