宇治拾遺物語:帽子の叟、孔子と問答の事

信濃国筑摩湯 宇治拾遺物語
巻第六
6-8 (90)
孔子と問答
羅刹国

 
 今は昔、唐土に孔子、林の中の岡だちたるやうなる所にて、逍遙し給ふ。われは琴をひき、弟子どもは、ふみを読む。ここには、舟に乗たる叟の帽子したるが、船を葦につなぎて、陸にのぼり、杖をつきて、琴のしらべの終るを聞く。人々、あやしき者かなと思へり。
 

 この翁、孔子の弟子共をまねくに、ひとりの弟子、まねかれて寄りぬ。
 翁言ふ、「この琴弾き給ふはたれぞ。もし国の王か」と問ふ。「さもあらず」と言ふ。「さは、国の大臣か」、「それにもあらず」「さは、国のつかさか」「それにもあらず」「さはなにぞ」と問ふに、「ただ国のかしこき人として政をし、あしき事を直し給ふ賢き人なり」と答ふ。翁、あざ笑ひて、「いみじきしれ者かな」と言ひて去りぬ。
 御弟子、不思議に思ひて、聞きしままに語る。孔子聞きて、「かしこき人にこそあなれ。とくよび奉れ。」御弟子、走りて、いま船こぎ出づるを呼び返す。よばれて出で来たり。
 孔子宣はく、「なにわざし給ふ人ぞ。」翁のいはく、「させるものにも侍らず。ただ舟にのりて、心をゆかさんがために、まかりありくなる君はまた何人ぞ。」「世の政を直さむために、まかりありく人なり。」
 叟の言ふ、「きはまりてはかなき人にこそ。世に影をいとふ者あり。晴れにいでて、離れんと走る時、影離るる事なし。影にゐて、心のどかにをらば、影離れぬべきに、さはせずして、晴にいでて、離れんとする時には、力こそ尽くれ、影離るることなし。また犬の屍の水に流れてくだる、これを取らんと走る者は、水におぼれて死ぬ。かくのごとくの無益の事をせらるるなり。ただしかるべき居所しめて、一生を送られん、これ今生の望みなり。このことをせずして、心を世にそめて、さわがるる事は、きわめてはかなきことなり」と言ひて、返答も聞かでかり行く。舟にのりてこぎ出でぬ。
 孔子、そのうしろをみて、二たび拝みて、棹の音せぬまで、拝み入てゐ給へり。音せずなりてなん、車にのりて、かへり給ひにけるよし、人の語りしなり。