伊勢物語 50段:あだくらべ あらすじ・原文・現代語訳

第49段
若草
伊勢物語
第二部
第50段
あだくらべ
第51段
前栽の菊

 
 目次
 

 ・あらすじ(大意)
 

 ・原文対照
 

 ・現代語訳(逐語解説)
 
  ♀♂うらみ ♂鳥の子 
 
  ♀朝露 ♂あな頼み
 
  ♀ゆく水に数かくよ ♂ゆく水と過ぐるよ
 
  あだ比べ
 
 

あらすじ

 
 
 この段は、男が女方で、仕事をしている女をなだめすかしている内容。
  

 鳥の子を 十づゝ十は 重(かさ)ぬとも 思はぬ人を おもふものかはとは、
 鳥頭の子達の羽のばしを、束ねる十把一絡げにかけ、思い思いに思わぬ方に動き回ると解き、全く面倒みきれん。「重ぬ≒おもぬ≒思わぬ」
 

 ゆく水に 数かくよりも はかなきは 思はぬ人を 思ふなりけり
 「数掻く」は、鳥が羽をバタバタさせる様子。それとかけてバカバカ言わんで! しかしその言葉の心は秘めた恋心? あ~もう。ここ仕事場。
 

 つまり、三助的に縫殿で女を監督補助する立場の男、それが「むかし男」(縫殿助。六歌仙参照)。
 だから女達に引っ張りダコにされ、最後にポイされるというのが47段の大幣。よそにも甘くしてなどと、恨みをかったのが19段の天雲のよそ。
 

 冒頭の「うらむる人」というのは、このような文脈。かまってちゃん。
 それに男はうらみ言で返しているわけだが、内容は「頼むからちゃんと仕事して」という意味。
 

 ハーレム(後宮)=目を離せば動き回る鳥頭の子達がたはむれ・ただ群れている所。でもある意味では可愛いと思っている(ヒナ達)。
 だから、お局が局で怒っている時、いらんのになんとな~く庇ったらそこでも妬まれた、というのが、31段の忘草(忘れ癖)。
 

 なお、上記「ゆく水」の歌は古今522に収録されているが、上述した連結(目次部分も参照)からも、古今が伊勢を参照したと解するほかない。
 こうした一連の流れを悉く分断して、古今を利用したツギハギ作品と捉えることは極めて不自然、というか古今が先という前提が成り立たない。
 伊勢に登場する帝は、39段の西院(淳和)を筆頭に、114段の仁和まで、全て850頃~886頃までにおさまっている。
 これで905年の古今後と見る方が無理。
 
 そして上述した六歌仙の没年は885頃とされ、何の問題もない。
 他方で、業平は880年没なので、仁和の帝の114段を記せない。
 だからそこは兄の行平の歌などと場当たり的認定をしだす(後撰集)。主人公業平説はそのような場当たり的勅撰認定に由来している(古今集)。
 伊勢が行平を出すときは、二回とも実名で明示しているが(79段・101段)、それ以外に登場しない。それに何より著者は在五を非難している(63段)。
 
 
 

原文対照

男女
及び
和歌
定家本 武田本
(定家系)
朱雀院塗籠本
(群書類従本)
  第50段 あだくらべ 鳥の子
   
 むかし、男ありけり。  むかし、おとこ有けり。  むかし男有けり。
  恨むる人を恨みて、 うらむる人をうらみて、 人をうらみて。
       

92
 鳥の子を
 十づゝ十は重ぬとも
 とりのこを
 とをづゝとをはかさぬとも
 鳥のこを
 とをつゝ十はかさぬとも
  思はぬ人を
  おもふものかは
  おもはぬ人を
  思ふものかは
  思はぬ人を
  思ふものかは
       
  といへりければ、 といへりければ といへりければ。をんな。
       

93
 朝露は
 消え残りてもありぬべし
 あさつゆは
 きえのこりてもありぬべし
 朝露は
 消のこりても有ぬへし
  誰かこの世を
  頼みはつべき
  たれかこのよを
  たのみはつべき
  誰か此世を
  たのみはつへき
       
  又、男、 又、おとこ、 又おとこ。
       

94
 吹く風に
 去年の桜は散らずとも
 ふくかぜに
 こぞのさくらはちらずとも
 吹風に
 こそのさくらはちらすとも
  あな頼みがた
  人の心は
  あなたのみがた
  人の心は
  あなたのみかた
  人の心や
       
  又、女、返し、 又、女、返し、 又返し。女。
       

95
 ゆく水に
 数かくよりもはかなきは
 ゆく水に
 かずかくよりもはかなきは
 行水に
 かすかくよりもはかなきは
  思はぬ人を
  思ふなりけり
  おもはぬひとを
  おもふなりけり
  思はぬ人を
  思ふなりけり
       
  又、男、 又、おとこ、 又おとこ。
       

96
 ゆく水と
 過ぐるよはひと散る花と
 行みづと
 すぐるよはひとちる花と
 行水と
 すくる齡とちる花と
  いづれ待ててふ
  ことを聞くらむ
  いづれまてゝふ
  ことをきくらむ
  いつれまててふ
  ことをきくらん
       
  あだ比べ、 あだくらべ、 あだにて。
  かたみにしける男女の、 かたみにしけるおとこ女の、 たがひに
  忍びありきしけることなるべし。 しのびありきしけることなるべし。 しのびありきすることをいふなるべし。
   

現代語訳

 
 

うらみ

 

むかし、男ありけり。
うら(恨)むる人をうら(恨)みて、

 
 
むかし男ありけり
 むかし、男がいた。
 

うらむる(△塗籠欠落)人を
 男(の仕打ち)を不満に思っている人を、
 

 うらみ 【恨み・怨み】
 ①(能動的)恨みに思うこと。=相手の仕打ちを憎く思ったり、不平・不満を感じたりすること。
 ②(受動的)不満。残念。嘆き。悲しみ。
 
 →ここでは①
 

うらみて
 残念に思って。
 
 →ここでは②
 

 このように「うらむる人をうらみ」と同音異義で用いるのは、「色好みと知る知る女」と同様(42段)。
 つまり言葉を面白く用いている。前段も全く同様の文脈。だから本段も、深刻なうらみつらみ(愛憎)の話ではない。
 

 参考:「人の呪ひごとは、 負ふものにやあらむ、 負はぬものにやあらむ」(96段「天の逆手」)
 このように表現を区別して、戒めていることからも確実。
 
 

鳥の子

 

鳥の子を 十づゝ十は 重ぬとも
 思はぬ人を おもふものかは
 
といへりければ、

 
 心:思い思いに動き回るヒナ鳥達は面倒みきれません。そういう子達は十把まとめて知りません。あとは野となれ山となれ。
 
 
鳥の子を
 烏合の衆を
 

 「鳥」とは、頭(=記憶力)が悪いことの例え。
 例えば、14段(陸奥の国)で女が自称する「くたかけ」=ばかどり。
 

 「鳥の子」とは、そういう子達がワラワラと集まっている様子。ただし、可愛いという意味も込めている。
 

十づゝ十は
 十把一絡げに
 

 十づつ:一絡げ

 十は:十把
 

 十把一絡げ(じっぱひとからげ):
 一つ一つ取り上げるほどの価値がないものとして、ひとまとめに扱うこと。
 鳥の羽と把を、子と合わせるとかけ、その心は、女子ども一々全部把握しきれん。
 
 ※著者は女所で女子を監督・補助している立場(縫殿助。六歌仙参照)。
 そうでなければ、
 信夫摺の狩衣(初段)・唐衣(≒十二単衣・9段)、倭文(麻)のをだまき(糸巻)・下紐・上の衣の洗い張りと紫色(41段)・女の装束(44段)など
 宮中の女物の服、しかも素地や糸の種類・その細部の小道具にまで頻繁に言及する説明がつかない。しかも男が。
 
 男が、女所で目をかけている様子が、19段天雲、47段大幣等。
 それに恨むのは基本的には、男より女だろう(31段・忘草)。多分。
 なお、業平は女方に入ること許されたところ、女につきまとって失笑をかった、そんな存在(65段)。
 
 

重ぬとも
 集めても
 

思はぬ人を
 目がない人に
 

おもふものかは
 目をかけてもしょうがない
 

といへりければ
 といえば、
 (女=鳥の子がこれに返し)
 
 

朝露

 

朝露は 消え残りても ありぬべし
 誰かこの世を 頼みはつべき

 
 心:朝露のように露と消ゆ私の儚い心。そんな気持ちも露知らんで! ヨヨヨ(しくしく)…もう何にも頼みません!
  つまり露を消える心と、涙(ありぬ)にかけている。う~ん、並ですなあ~。並みの涙ですなあ~。あ、やばい?
 
朝露は
 朝露は(消える定めだが)
 

消え残りても
 消えても残っても 
 

ありぬべし
 あるんだって
 (なんじゃらほい? え、クイズじゃなくて?)
 

誰かこの世を
 は~もう誰がこの用に
 

頼みはつべき
 頼んだりするものか。
 

 頼み+果つ(る)+べくもあらず
 

 →あ~もうこの世に用なんてない。

 →あ~もー頼まない。ワタシもう○ぬ。露のように儚く消え果つる。ああなんて儚くあはれなワタシ。
 

 あ~もうしょうがない。
 いやみんな可愛いんだけど、頑張る気がない人まで面倒みきれないって。ちっとは自力でやってみて。
 
 

あな頼み

 

又、男、
 
吹く風に 去年の桜は 散らずとも
 あな頼みがた 人の心は

 
 心:いや、あなたは年中散らない桜のようにいつでも綺麗でしょ(しぶといでしょ)。頼むよ(仕事して)。
 
 
又男
 

吹く風に
 ふくからに、じゃなかった、
 風が吹いても
 

去年の桜は
 去年からいるあなたは
 

 (儚く散る花とかけて、綺麗だよと暗黙のうちに褒めてなだめている)
 

散らずとも
 まだ残ってるじゃん?
 

あな頼みがた
 だから頼むよ(お願いよ。まじめにやってね)。確かに難しいことだけど(仕事の技術的に)。
 

 あな+頼み+がたき(こと)
 

 あな:まあなんとも
 

人の心は
 人の心は難しいね(心の声)
 
 (心の声が女に聞こえてしまうのは、前段と同じ)
 
 

ゆく水に数かくよ

 

又、女、返し、
 
ゆく水に 数かくよりも はかなきは
 思はぬ人を 思ふなりけり

 
 心:え、散らない桜だ、頼むだなんて…。今度はキュン死にしそう(おーい、結局そうなる?)
 何とも思ってないのに意識させるなんて。(それはこっちのセリフや!)
 
 
又女返し
 また女が返し
 

ゆく水に
 流れ行く水に
(私を見ずにゆくなんて)
 

数かくよりも はかなきは
 数を書くよりも、儚いのは、
(というのは表面的な意味。水にモジは書くわけない。その心は)
 

 数掻く(かずかく)
 :鳥が明け方霜を払うため何度も羽ばたきをすること。カモが羽をシゴくこと。
 また、そのように床の中でモジモジ自分で慰めて夜をあかす、人に見せられないことのたとえ、とのこと。

 ここでは縫物を、いじいじ、いじくることと掛けて、オンナの話。
 

思はぬ人を
 思いもよらない人を
 

思ふなりけり
 思うことよん(あ、恋?)
 
 →桜のパワーおそるべし。
 
 

ゆく水と過ぐるよ

 

又、男、
 
ゆく水と 過ぐるよはひと 散る花と
 いづれ待ててふ ことを聞くらむ

 
 心:流れる水にも花にもハナ水(ハナタレ)にも、チョまてよ、なんて言えないよ~。でも好きでもないよ~。
 
 
又男
 また男(が思うには)
 

ゆく水と 過ぐるよはひと
 水の様に過ぎ続ける年齢と
 

過ぐるよはひと 散る花と
 歳月が過ぎて散る桜と
 

いづれ待ててふ
 一体どちらに待てといえるのか(つまり、チョ待てよ、といえますか? いや無理。言えるわけがない。原始的不能)
 

 いづれ 【何れ】
 :どれ。いつ。どこ。
 

ことを聞くらむ
 なんてことを聞けるだろうか。
 

 水を差してもあかんし…。
 
 

あだ比べ

 

あだ比べ、
かたみにしける男女の、忍びありきしけることなるべし。

 
あだ比べ
 

 あだくらべ(徒比べ)
 :男女が互いの不実不貞を責め合うこと。
 
 ここでは、
 

 不実→男が目をかけないこと。ただしメカケという意味ではなく、仕事の意味。
  他方で、女は男に頼ってばかりで自分で仕事しようとしないこと。仕事と色恋の区別が全くできないこと。(多少は人の情でも)
 

 不貞→女が「かずかく」などとおおっぴらに言って、何とも思ってないこと。
  他方、男は不貞である理由が何もない。仕事だから。色目を使っているわけでもない。なだめているだけ。(これって言い訳?)
 

かたみにしける男女の
 今は昔と懐かしく思い出す、男女の間で
 

 かたみ 【形見】
 :思い出の種。昔を思い出す手がかり。
 

忍びありきしけることなるべし
 忍んでコソコソしていた話であった(なぜなら、それが新たな火種を生みかねないからである)。
 

 忍び+あり(存在)+き
 

 「ありき」を歩きというのは少し違う。
 こういう意味の微妙なずらしは、この物語のむしろ基本(それが冒頭の二つのうらみ)。
 

 というのも、「忍び歩き(外出)」だと、著者(男)と女の内情(女所での話という、物語全体の流れ)を無視しているから。
 歩いていると見ても屋外の話ではない。この物語ではそれを「わたり」と表記している(31段。宮の内で局の前に来た時の話)
 

 参考
 しのびありき 【忍び歩き】
 :人目を避けて外出すること。お忍び。
 という訳があてられているが、その出典はこの伊勢。
 よって違う。外出ではない。そういう文脈で他の本の解釈に用いるならともかく、ここでは違う。
 

 それでは「鳥の子」とか「十づつ十は」とかいう言葉の意味が、十分に拾えない。
 といっても業平説に立つ以上、その文脈を読むのは無理だけども。