古事記 葦原色許男大神~原文対訳

不具=ホムヂ 古事記
中巻④
11代 垂仁天皇
ホムチワケの物語
⑥葦原色許男大神
肥長比賣
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
故到於出雲。  かれ出雲いづもに到りまして、  かくて出雲の國においでになつて、
拜訖大神。 大神おほかみを拜み訖をへて、 出雲の大神を拜み終つて
還上之時。 還り上ります時に、 還り上つておいでになる時に、
     
肥河之中。 肥ひの河の中に 肥ひの河の中に
作黒巣橋。 黒樔くろすの橋を作り、 黒木の橋を作り、
仕奉假宮
而坐。
假宮を仕へ奉まつりて、
坐まさしめき。
假の御殿を造つて
お迎えしました。
     

出雲國
造之祖。
ここに
出雲いづもの國くにの
造みやつこの祖、
ここに
出雲の
臣の祖先の
名岐比佐都美。 名は岐比佐都美
きひさつみ、
キヒサツミという者が、
餝青葉山而。 青葉の山を餝かざりて、 青葉の作り物を飾り立てて
立其河下。 その河下に立てて、 その河下にも立てて
將獻
大御食之時。
大御食おほみあへ
獻らむとする時に、
御食物を
獻ろうとした時に、
     
其御子詔言。 その御子詔りたまはく、 その御子が仰せられるには、
是於河下。 「この河下に 「この河の下に
如青葉山者。 青葉の山なせるは、 青葉が山の姿をしているのは、
見山非山。 山と見えて山にあらず。 山かと見れば山ではないようだ。
若坐出雲之
石〓[石+司]之
曾宮。
もし出雲いづもの
いはくまの
曾その宮にます、
これは出雲の
いわくまの
曾その宮に
葦原色許男大神
以伊都玖之
祝大廷乎。
問賜也。
葦原色許男
あしはらしこをの大神を
もち齋いつく
祝はふりが大庭にはか」
と問ひたまひき。
お鎭まりになつている
アシハラシコヲの大神を
お祭り申し上げる
神主の祭壇であるか」
と仰せられました。
     

ホムチがしゃべった!(しかも高等な内容)

     
爾所
遣御伴王等。
ここに
御供に遣さえたる
王みこたち、
そこで
お伴に遣された
王たちが
聞歡
見喜而。
聞き歡び
見喜びて、
聞いて歡び、
見て喜んで、
     
御子者。
坐檳榔之
長穂宮而。
御子は
檳榔あぢまさの
長穗ながほの宮に
ませまつりて、
御子を
檳榔あじまさの
長穗ながほの宮に
御案内して、
貢上
驛使。
驛使
はゆまづかひを
たてまつりき。
急使を奉つて
天皇に奏上致しました。
不具=ホムヂ 古事記
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