平家物語 巻第三 無文:概要と原文

医師問答 平家物語
巻第三
無文
むもん
燈炉之沙汰

〔概要〕
 
 前章で亡くなった平重盛(清盛長男)の逸話。天性不思議の人で、夢のお告げを見た。ある鳥居のもと、群衆の中の一つの太刀の先に首が差し上げられ、父清盛の悪行超過で奈良の春日大明神が召し取ったと言われ、平家の命運は尽きると悟った。そしてその夜部下が全く同じ夢を報告してきて、重盛は神通につき感じ入る。そうして重盛が病死する前、長男の維盛を呼び止め、三度の盃(儀式)を交わしつつ、伝家の宝刀・小鳥ではなく、父親の葬式用の無文の太刀を譲った。ひるがえり、先の盃は、これで(宝刀ではなく無文という不幸用の刀だからといって)縁を切る訳ではない、後世はどうでもいいという訳ではない、来世に因果因縁は持ち越されるという意味がある。

 内容的にはこうなるが、さらにこの無文と直後の金渡は、対で配置された象徴的意味があると解釈すべきである。つまり先の有王の章での俊寛の惨めな成れの果て、妻子は先立ち、我が家が離島のテントになったのは与えられた財を専ら浅ましく用いた報いという文脈、つまり「僧都一期が間、身に用ゐる所、大伽藍の寺物仏物ならずといふ事なし。さればかの信施無慚の罪によつて、今生ではや感ぜられけり」。さらに金渡での世間を利することでその利益を自分も享受するという文脈。つまり「鎮西より妙典といふ船頭を召しのぼせ、人を遥かにのけて対面あり。黄金を三千五百両召し寄せて、「汝は大正直の者にてあんなれば、五百両をば汝に賜ぶ。三千両をば宋朝へ渡し、千両をば育王山の僧に引き、二千両をば帝へ参らせて、田代を育王山へ申し寄せて、我が後世を弔はせよ」とぞ宣ひける」。この前後の文脈で一連一体で解すべきもの。

 


 
 すべてこの大臣は、天性不思議の人にて、行く末の事をもかねて悟り給ひけるにや。
 

 去んぬる四月七日の夜の夢に、見給ひたりけることこそ不思議なれ。たとへば、ある浜路をはるばると歩み行き給ふほどに、かたはらに大きなる鳥居のありけるを、大臣夢の内に、「あれはいかなる御鳥居やらん」と問ひ給へば、「春日大明神の御鳥居なり」とぞ申しける。人多く群衆したり。その中より大きなる法師の首を一つ太刀の先に貫き、高く差し上げたるを、大臣、「何者ぞ」と宣へば、「平家太政入道殿の悪行超過せるによつて、当社大明神の召し取らせ給ひて候ふ」と申すとおぼえて夢覚めぬ。
 当家は保元平治よりこの方、度々の朝敵を平らげ、勧賞身に余り、帝祖、太政大臣に至り一族の昇進六十余人。二十余年のこの方は、楽しみ栄え、またたちならぶ人もなかりつるに、入道の悪行によつて、当家の運命の末になるにこそと思し召して、御涙を咽ばせ給ふ。
 

 折節妻戸をほとほとと打ち叩く。大臣、「何者ぞ、あれ聞け」と宣へば、「瀬尾の太郎兼康が参つて候ふ。今夜あまりに不思議の事を見候うて、申し上げんがために、夜の明くるが遅くおぼえて参つて候ふ。御前の人をのけられ候へ」とて、人遥かにをのけて対面あり。今夜見たりける夢を一々に語り申したりければ、大臣の御覧ぜられける夢に少しもたがはず。さてこそ、瀬尾太郎兼康は、「神にも通じたる者にてありけれ」と、大臣も感じ給ひけり。
 

 その朝嫡子権亮少将維盛、院へ参るとて出で立たれけるを、大臣呼び奉て、「人の親のかやうの事申すは、をこがましけれども、御辺は人の子にはすぐれて見え給へり。貞能少将に酒進めよ」と宣へば、筑後守貞能御酌に参る。
 「これをば少将にこそとらせたけれども、親より先にはよも飲み給はじ」とて、三度承けて、その後少将に差さる。少将また三度うけ給ふ時、「貞能少将に引き出物せよ」と宣へば、かしこまり承つて、錦の袋に入りたる御太刀を一つ取りて参つたり。「いかさまこれは当家に伝はれる小烏といふ太刀やらん」と嬉しう思うて見給ふ所に、さはなくして、大臣葬の時用ふる無文の太刀といふ物なり。
 その時少将もつてのほかに気色かはつて見え給へば、大臣涙をはらはらと流いて、「それは貞能が咎にはあらず。大臣葬の時帯く無文の太刀なり。日ごろは入道殿いかにもなり給はば、重盛帯いて供せんとこそ思ひしかども、今は重盛、入道殿に先立ち奉らんずれば、御辺にたぶぞかし」とぞ宣ひける。
 

 少将これを聞き給ひて、その日は出仕もし給はず、引きかづいてぞ臥し給ふ。その後大臣熊野へ参り下向し、いくばくの日数を経ずして、病ついて失せ給ひけるにこそ、げにもと思ひ知られけれ。
 

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