紫式部日記 19 五日の夜は殿の御産養 逐語分析

中宮職の御産養 紫式部日記
第一部
道長の御産養
若女房の舟遊び
目次
冒頭
1 五日の夜は、殿の御産養
2  主殿が立ちわたれるけはひ
3  まいて殿のうちの人は
4 御膳まゐるとて
5  髪上げたる女房は
6  例は、御膳まゐるとて
7  御帳の東面二間ばかりに
8  夜更くるままに
9 御膳まゐりはてて
10  大輔の命婦は
11  弁の内侍の
12  少将のおもとの
13 その夜の御前のありさま
14 上達部、座を立ちて
15  歌どもあり
16 ♪めづらしき 光さしそふ さかづきは
17  四条大納言に
18 禄ども

 

原文
(黒川本)
現代語訳
(渋谷栄一)
〈適宜当サイトで改め〉
注釈
【渋谷栄一】
〈適宜当サイトで補注〉

1

 五日の夜は、
殿の御産養。
 御誕生五日目の夜は、
殿主催の御産養である。
【五日の夜は】-底本「五日夜は」。『絵詞』には「五日の夜は」とある。「の」を補って読む。
     
十五日の月
曇りなく
おもしろきに、
十五日の望月が
曇りなく
美しいので、
 
池の汀近う、
篝火どもを
木の下に灯しつつ、
屯食ども
立てわたす。
池の汀近くに、
いくつもの篝火を
木の下に灯しながら、
屯食などを
立て並べてある。
【篝火ども】-底本「かゝり火よもを」。『絵詞』は「かゝり火とも」とある。『全注釈』同様に「篝火ども」と訂正する。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は「篝火どもを」と校訂する。

【屯食ども立てわたす】-『全注釈』『集成』『新大系』は「あやしき」を修飾する文脈とする。
〈屯食(とじき・とんじき):強飯の握り飯〉
あやしき賤の
男の
身分卑しい
男たちが
〈賤の男:学説は身分の低い下衆・下司(下級職員)とするが「屯食(とじき)」「さえづり」と合わさり乞食的含み(独自)。
さへづり
ありく
けしきどもまで、
〈くっちゃべり〉
歩いている
様子までが、

×何やらしゃべりながら

さへづり:鳥の比喩で①ぴーちくぱーちく=ぺちゃくちゃする様子。②餌に来てちゅんちゅんついばむように、ぺちゃ・くちゃは咀嚼音にもなる。②独自。

学説は②食事音を見ないが不当。全注釈はけたたましい東国の訛りかとするが、貧しい人に大事な粗末(簡単)な食物を出した文脈が無意味化する〉

色ふしに
立ち顔なり。
〈この晴れの場に映えて
際立つ色の〉顔である。
〈いろふし(色節):①目立って晴れがましい+②晴れの儀式+③きらびやか。
立ち(顔):①目立つ ②立食・立ち食い ③「主殿が立わたれる」から儀式を際立させる〉

△①晴れがましげな顔(渋谷)
△②晴れの場に △出た顔つき(集成)
△①~様子までもが、はれがましさを 〇もりたてるかのようである(全集)
△①時を得て晴れがましい顔つきである(全注釈)
△②自分も晴儀に①あずかっているのだという、得意げな顔つきである(新大系)

2

 主殿が
立ちわたれるけはひ
おこたらず、
昼のやうなるに、
 主殿寮の役人が
立ち並んで松明を持っている様子も
かいがいしく、
昼のように明るいので、
【けはひ】-底本「けはいも」。『絵詞』は「けはひ」。『全注釈』同様に「も」を削除する。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は「けはひも」のままとする。
ここかしこの
岩の隠れ、
木のもとに、
うち群れつつをる
上達部の随身
などやうの者どもさへ、
あちらこちらの
岩の陰や
木の下陰に
参集しながら〈いる〉、
上達部の随身たち
などのような者までが、
【岩の隠れ】-底本「いはかくれ」。『絵詞』は「いはのかくれ」。『全注釈』同様に「の」を補入する。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は「岩隠れ」のままとする。
【もとに】-底本「もとことに」。『絵詞』は「もとに」。『全注釈』同様に「こと」を削除する。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は「もとごとに」のままとする。
【うち群れつつ】-底本「うちむれて」。『絵詞』は「うちむれつゝ」。『全注釈』同様に「つつ」と訂正する。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は「うち群れて」のままとする。
おのがじし
語らふ
べかめることは、
めいめいが
話し合っている
らしいことは、
 
かかる世の中の

出でおはしましたることを、
このように世の中の
光ともいうべき男御子が
御誕生されたことを、
【光】-底本「光の」。『絵詞』は「ひかり」。『全注釈』同様に「の」を削除する。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は「光の」のままとする。
陰に
いつしかと思ひしも、
陰ながら
心待ちしていたことも、
 

および顔
にぞ、
自分たちの力で願い事が叶ったような
手柄顔
をして、
【および顔にぞ】-底本「およひかほにこそ」。『絵詞』は「およひかほにそ」。「『全注釈』『集成』『新大系』は「および顔にぞ」と校訂。『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
すずろに
うち笑み、
心地よげ
なるや。
どこそことなく
にっこりして、
気持ちよさそう
なことよ。
【すずろに】-底本「そゝろに」。
    『絵詞』は「すゝろに」。「そぞろ」は「スズロの母音交替形」(岩波古語辞典)。「(「すずろ」は)「歌語としてはあまり用いられず、散文語であった。同源の語に「そぞろ」がある。源氏物語では、体言や用言を修飾し、体言と複合語をつくり、用法がかなり自由であるが、「そぞろ」は「寒し」に続く場合だけである。平家物語や徒然草、節用集や日葡辞書では「そぞろ」が多く用いられ、体言や用言の修飾、体言との複合も「そぞろ」である。室町時代は「そぞろ」が優勢である。「すずろ」と「そぞろ」の間に「すぞろ」がある。平家物語に多く、栄花物語・正法眼蔵随聞記などにも見える。平安後期、鎌倉時代に多く用いられたようである。なお、「そそろか(=背ガ高イ)」は、「そぞろ」と同源の語と考える説もあるが、意味の違いが大きいので、別語であろう」(小学館古語大辞典・語誌)。『全注釈』は「すずろ」と校訂。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。

3

まいて
殿のうちの人は、
まして
この土御門殿邸の人たちは、
【まいて】-底本「まして」。『絵詞』は「まいて」のイ音便形。『全注釈』は「まいて」と校訂。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
何ばかりの
数にしもあらぬ
五位どもなども、
ものの
数にも入らない
五位たちなども、
 
そこはかとなく
腰うちかがめて
行きちがひ、
どこそことなく
腰もうちかがめて会釈しながら
行ったり来たりして、
【腰】-底本「こしも」。『絵詞』は「こし」。『全注釈』『集成』は「腰」と校訂。『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
いそがしげなる
さまして、
忙しそうな
格好をして、
 
時に
あひ顔なり。
まさに慶時に
めぐり合わせた顔つきである。
 

4

 御膳
まゐるとて、
 中宮様に御膳を
差し上げるということで、
 
女房八人、
一つ色に
さうぞきて、
髪上げ、
白き元結して、
女房が八人、
みな白一色の
装束で、
髪を上げ、
白い元結をして、
【一つ色に】-『絵詞』は「ひとつのいろに」とある。『全注釈』は「の」ある『絵詞』のほうが「文章の句調がととのう」として訂正するが。「一色に」の文意であるから、底本のままとする。
白き御盤とり
つづき
まゐる。
白銀の御盤を取り、
一列になって
参上する。
【とりつづき】-底本「もてつゝき」。『絵詞』は「とりつゝき」。『全注釈』同様に「とりつづき」と訂正する。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
     
今宵の
御まかなひは
宮の内侍、
今夜の
御給仕役は、
宮の内侍で、
【宮の内侍】-前出橘良芸子。中宮付きの古参の女房。
いとものものしく、
あざやかなる
やうだい、
たいそう堂々として、
きわだった美しい
容姿、
【やうだい】-底本「やうたいに」。『絵詞』は「やうたい」。『全注釈』同様に「に」を削除する。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
元結
ばえしたる
髪の下がりば、
つねよりも
あらまほしきさまして、
白の元結に
一段と引き立つ美しい
髪の垂れぐあいは、
いつもよりも
好ましい様子で、
 
扇に
はづれたる
かたはらめなど、
いと
きよげに
はべりしかな。
桧扇から
こぼれて見える
横顔などは、
まことに
美しゅう
ございましたわ。
 

5

 髪上げたる女房は、  髪上げした女房は、  
源式部
<加賀守
重文が女>、
源式部
(加賀守
源重文の娘)、
【源式部】-底本割注「かゝのかみ景ふかむすめ」。『絵詞』割注「かゝのかみしけふんか女」とある。従五位下加賀守源重文の娘。中宮付きの女房。『全注釈』『集成』は「重文が女」と訂正。『新大系』『新編全集』『学術文庫』は本文「景ふがむすめ」としながら注記では「源重文の娘か」とする。
小左衛門
<故備中守
道時が女>、
小左衛門
(故備中守
橘道時の娘)、
【小左衛門】-橘道時の娘。大左衛門の妹。
小兵衛
<左京大夫明理が
女とぞいひける>、
小兵衛
(左京大夫源明理の
娘と言った)、
【小兵衛】-『絵詞』に「小兵部」とあるのは誤り。『絵詞』割注に「とそいひける」とある。『絵詞』に従って補う。源明理の娘。
大輔
<伊勢斎主
輔親が女>、
大輔
(伊勢斎主大中臣
輔親の娘)、
【大輔】-伊勢大輔。歌人としても有名。大中臣輔親の娘。
大馬
<左衛門大輔
頼信が女>、
大馬
(左衛門大輔
藤原頼信の娘)、
【大馬】-藤原頼信の娘。
小馬
<左衛門佐
道順が女>、
小馬
(左衛門佐
高階道順の娘)、
【小馬】-高階道順の娘。
小兵部
<蔵人なる
庶政が女>、
小兵部
(蔵人である
藤原庶政の娘)、
【小兵部】-底本「なり(なり$)/なかちかゝ女」。『絵詞』割注「なるちかたたか女」。藤原庶政(ちかただ)の娘。『全注釈』『集成』は『絵詞』に従って「なる庶政が女」と校訂。『新大系』『新編全集』『学術文庫』は割注を「なかちかが女」とし注記では「絵詞の「ちかたゝ」により藤原庶政の娘か」とする。
小木工
<木工允平文義
といひはべるなる人の
女なり>、
小木工
(木工允平文義
と言います人の
娘である)、
【小木工】-底本『絵詞』共に「のふよし」とあるが、「のぶよし」は「のりよし」の誤りで、平文義(のりよし)の娘か。底本割注「いひけん」。『絵詞』には「いひ侍るなる」とある。『全注釈』は「いひ侍るなる」と訂正。『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
かたちなど
をかしき若人の
かぎりにて、
容貌など
美しい若い女房たち
ばかりで、
 
さし向かひつつ
ゐわたりたりしは、
向かい合って
座って並んでいたのは、
 
いと見るかひこそ
はべりしか。
たいそう見ごたえが
ございました。
 

6

 例は、
御膳まゐるとて、
髪上ぐる
ことをぞするを、
 いつもは、中宮様に
御食膳を差し上げる際に、
髪を上げる
ことをするが、
【例は、御膳まゐるとて】-以下、『絵詞』は「見ものなりしか」まで脱文。
かかる
折とて、
このような
晴れがましい時なので、
 
さりぬべき
人びとを
選らみたまへりしを、
殿がしかるべき
女房たちを
お選びになったのに、
【選らみたまへりしを】-底本「ゑらみたまひしを」。『全注釈』『集成』『新大系』は道長に対する敬語法として不適切だとし流布本に従い「えらせたまへりしを」と改める。『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
心憂し、いみじと、
うれへ泣きなど、
ゆゆしきまでぞ
見はべりし。
つらい、大変だわと、
嫌がって泣いたりなどして、
〈けしからぬほどに〉
見えました。
×不吉なまでに

7

 御帳の東面
二間ばかりに、
 御帳台の東面の
二間ほどに、
 
三十余人
ゐなみたりし
人びとのけはひこそ
見ものなりしか。
三十人余り
並んで座っていた
女房たちの様子が
見ものであった。
 
     
威儀の御膳は、
采女どもまゐる。
威儀の御食膳は、
采女たちが差し上げる。
 
     
戸口のかたに、 戸口の方に、 【戸口のかたに】-以下、『絵詞』は「まゐりすゑたり」まで脱文。
御湯殿の
隔ての
御屏風に
かさねて、
御湯殿を
隔てて
いくつも御屏風を
並べ立て、
 
また南向きに立てて、 また南向きにも立てて、  
白き御厨子
一よろひに
まゐりすゑたり。
白い御厨子
一具に威儀の御食膳が
置かれていた。
 

8

 夜更くるままに、
月のくまなきに、
 夜が更けていくにつれて、
月が曇りなく照らして、
 
采女、
水司、
御髪上げども、
殿司、
掃司の女官、
顔も見知らぬをり。
采女や
水司、
御髪上げの女房たち、
主殿司や
掃司の女官などは、
顔も見知らない者もいる。
【采女、水司、御髪上げども】-『絵詞』はナシ。
【見知らぬ】-底本「しらぬ」。『絵詞』には「みしらぬ」とある。『全注釈』同様に「見知らぬ」と訂正。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
     
闈司
などやうの者
にやあらむ、
闈司(みかどづかさ)
などといった女官たち
であろうか、
 
おろそかに
さうぞき
けさうじつつ、
粗雑に
装束を付け
化粧したりして、
 
おどろの
髪ざし、
仰々しく挿した
簪も、
 
おほやけおほやけしき
さまして、
いかにも儀式ばった
様子で、
 
寝殿の
東の廊、
渡殿の戸口まで、
寝殿の
東の渡廊や
渡殿の戸口まで、
【渡殿の戸口】-『絵詞』は「わた殿のくち」とある。『全注釈』は「東廊ばかりか、南の方の橋廊の入り口あたりまでも居並んでいたので、その双方をさして「廊・渡殿」という必要があったし、橋廊には妻戸はなく、従って橋廊への入り口を「戸口」とはいえない」として「渡殿のくち」と校訂するが、底本のままとする。
ひまもなく
おしこみてゐたれば、
隙間もなく
無理に入り込んで座っていたので、
 
人も
え通りかよはず。
誰も
行き来することができない。
 

9

 御膳
まゐりはてて、
 御食膳を
差し上げることがすっかり終わって、
 
女房、
御簾のもとに
出でゐたり。
女房が
御簾の側に
出て来て座った。
 
     
火影に
きらきらと
見えわたる中にも、
灯火の光に
一面明る
く見える中でも、
 
大式部のおもとの
裳、唐衣、
大式部のおもとの
裳や唐衣に、
【大式部のおもと】-道長家の女房。陸奥守藤原済家の妻。
小塩山の小松原を
縫ひたるさま、
いとをかし。
小塩山の小松原を
刺繍した様子は
たいそう趣がある。
 
     
大式部は
陸奥守の妻、
殿の宣旨よ。
大式部は
陸奥守の妻で、
殿の宣旨の女房ですよ。
【宣旨よ】-底本「さむしよ」。『絵詞』には「せんしなり」とある。『全注釈』は「第十一節にも「殿の宣旨よ」とあったので、諸本のプロパー本文に従う」とする。「さむし」は「せんし」の誤写。

10

大輔の命婦は、
唐衣は
手も触れず、
大輔の命婦は、
唐衣には
何の趣向も凝らさず、
【大輔の命婦】-前出、中宮付きの女房。大江景理の妻。
裳を白銀の泥して、 裳を白銀の泥で、  
いとあざやかに
大海に摺りたるこそ、
たいそうあざやかに
大海の模様を摺り出しているのは、
 
掲焉ならぬものから、
めやすけれ。
目立ったものではないが
見た感じがよい。
 

11

弁の内侍の、 弁の内侍が、 【弁の内侍】-帝付きで中宮付き兼務の女房。
裳に白銀の洲浜、
鶴を立てたるしざま、
めづらし。
裳に銀泥の洲浜に
鶴が立っている趣向は
珍しい。
 
裳の縫物も、 裳の刺繍も、  
松が枝の
齢を
あらそはせたる
心ばへ、かどかどし。
松が枝が鶴と
長寿を
競い合っている趣向は
才気がある。
 

12

少将のおもとの、 少将のおもとが、 【少将のおもと】-道長家の古参の女房。藤原尹甫の娘、藤原宗相の妻。
これらには
劣りなる
白銀のはくさいを、
これらの人たちには
見劣りする
白銀の箔押しなので、
【白銀のはくさい】-底本「しろかねのはくさい」。『全注釈』は「この難解な本文が原文に近く、他の諸本は、その難解さを避けて「さい」二字を除去して、「はく」としたものかと推定される」として、底本のまま「箔(はくさい)。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は「箔(はく)」と校訂する。
人びと
つきしろふ。
女房たちは
つつき合って笑っている。
 
     
少将のおもとといふは、 少将のおもとという人は、  
信濃守
佐光がいもうと、
信濃守
藤原佐光の姉妹で、
 
殿のふる人なり。 殿の古参の女房である。  

13

 その夜の
御前のありさま、
 その夜の
中宮様の御前の様子が、
【ありさま】-底本「ありさまの」。『絵詞』には「ありさま」とある。『全注釈』同様に「ありさま」と訂正。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
いと人に
見せまほしければ、
とても人にも
見せたいくらい素晴らしいので、
【いと】-底本ナシ。『絵詞』には「いと」とある。『全注釈』同様に「いと」を補入。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
夜居の僧の
さぶらふ
御屏風を押し開けて、
夜居の僧侶が
伺候している
御屏風を押し開けて、
 
「この世には、
かう
いとめでたきこと、
まだ
見たまはじ」と、
言ひはべりしかば、
「この世では、
このように
とてもめでたいことは、
まだ
御覧にならないでしょう」と、
言いましたところ、
【まだ】-底本「またゑ」。『絵詞』には「また」とある。『全注釈』同様に「ゑ」を削除し「まだ見たまはじ」(まだ御覧にならないでしょう)と読む。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま「またえ見たまはじ」(またと御覧になれないでしょう)と校訂。
「あなかしこ、
あなかしこ」
と本尊をば
おきて、
「ああ、もったいない。
ああ、もったいない」
と本尊様を
そっちのけにして、
〈これは面前に表れ声をかけてきた式部を有難がったとも見れる面白描写。本尊が彰子の比喩。一般の感覚でも彰子出産に立ち会うより紫式部と会って声を聞く方が有難い経験と思う〉
手を押しすりてぞ
喜びはべりし。
手を摺り合わせて
喜んでおりました。
【手を押しすりてぞ喜びはべりし】-『絵詞』には「手をすりてよろこひよろこひ侍し」とある。『全注釈』『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。

14

 上達部、
座を立ちて、
 上達部たちは
席を立って、
【上達部】-『絵詞』には「上達部の」とある。「の」は不要。『全注釈』『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は底本のまま。
御橋の上に
まゐりたまふ。
御橋の上に
おいでになる。
 
     
殿をはじめたてまつりて、
攤うちたまふ。
殿をお始めとして、
皆で攤を打って興じなさる。
〈攤(だ):投銭の表裏や双六などの賭け事〉
上の争ひ、
いとまさなし。
高貴な方々の賭物の紙の争いは、
とても見苦しい。
〈全集は本文「かみ」として上と紙を掛ける。
まさなし(正なし):よろしくない・見苦しい。
これが式部の一貫した批判的性格で、全体でも以下の歌でも解釈指針となる。学説はこの前提を全く無視しているので現状の礼賛一色の解釈は不適当。以下の歌と同じように歌を詠みつつ提供しない道長の妻・倫子への歌も参照〉

15

歌どもあり。 その折、和歌などもある。 〈全集は「やがて」と補い時間をあけるが恣意的で不適。
「女房、盃」 〈女房~、盃~
(スタッフ~。
(栄光…?)〉

×女房よ、盃を受けよ

〈旧大系・全集・集成「さかづき」全注釈「盃さか月」新大系「さか月」とあり、新大系は本来ではないと見る。

またいずれも、与える「盃を受けて歌を詠め」(全集)という意味に解するが、賭けに興じていた文脈及び極めて強固な伝統風習に照らし、「ん。(お酌しろ、盃をもってこい)」という意味に解し、現状の学説はこうした一連の野卑な見苦しさを自発的に丸める習性・権力者を慈悲深く美化する忖度によると解する〉

などある折、

いかがは
いふべきなど、
口ぐち
思ひ心みる。
などとある折に
〈和歌も所望されたら〉
どのように
詠んだらいいでしょうなどと、
めいめい
作ってみる。
〈などある折:意味も時間も幅があり、賭事をする男の盃=和歌という理解は無理。お酌の際にお前も和歌を詠んで興じさせろと言われたことを想定したと解する。そもそも女が男の賭事・宴会に交わること自体、伝統風習的に考えられない〉

16

    【めづらしき光さしそふさかづきはもちながらこそ千代もめぐらめ】-紫式部の詠歌。『紫式部集』第八六段。題詞「宮の御産屋、五日の夜、月の光さへことに隈なき水の上の橋に、上達部、殿よりはじめたてまつりて、酔ひ乱れののしりたまふ。盃の折にさし出づ」。
『後拾遺集』(賀、四三三歌。題詞「後一条院生まれさせたまひて七夜に人びと参りあひて女房盃出せとはべりければ 紫式部」)入集。
めづらしき 〈めったにない 〈古文の有難の字義語義と同義。独自〉
 光さしそふ 光栄な
指名で差し
添える(お酌の)

×若宮御誕生の

「さしそふ」に盃を「さしそふ」と光が「さしそふ」の両意を懸ける。「光」「さし」「もち(望)」「めぐる」は「月」の縁語。

〈光は、盃の指名を受けた光栄を主意に解す。独自。月の光は珍しくないのでその意味ではない。

 通説の光と月を結び付ける説明は、文脈と無関係な観念の羅列で不適当。「光」を若宮とするのも当然視されるが、天皇を嘱望される人に月を当てること自体不相応で(だから「心み」で披露した訳ではない)、字義も具体的文脈も無視して不適当(「上達部」「まさなし」という見苦しさ、「女房、盃」という典型的女中扱い、「指さで」)。

 ここでの「さし」は指名とそれを受けてさし出でた意で、その文脈の光は、同席しがたい光景の意で用いられており(輝かしき心地すれば、昼はをさをささし出でず)、若宮の光という必然がない。また直後に指名の「指さで」があるので、「さし」は指名と解しそれで問題ないどころか本段の全文脈を完璧に拾える〉

 さかづきは 盃は

・祝宴の盃は

×「さかづき」に「盃」と「栄月」〈この「栄月」も通説だが源氏物語にすら無い特殊概念かつ、その前提である若宮を月に例えること自体が不適当であるから、前提に欠ける解釈〉

 もちながらこそ 持ちながらも △人々の手から手へと 「持ち」と「望」
〈①さかづきを持ちながらと②満月(望月・もちづき)さながらを掛ける。〉
 千代もめぐらめ 本心は誰も持ちたくないので
千代も(永遠に)めぐり続けるでしょう

△千年もめぐり続けるでしょう

 底本「千代を」。『絵詞』には「千代も」とある。定家本「紫式部集」は「千代を」。「後拾遺集」は「千代も」。『全注釈』『集成』『新大系』は「千代も」と校訂。『新編全集』『学術文庫』は底本のまま「千代を」とする。

〈「女房、盃」の指名自体たらい回しにしたい。この解釈は6「さりぬべき人びとを選らみたまへりしを、心憂し、いみじと、うれへ泣きなど、ゆゆしきまでぞ見はべりし」に根拠と伏線がある〉

 

これが運のツキや!
え~それやばくありませぬか~笑
何子それ盃ちがう、たらいや >??〉

〈万葉以来、宴会歌は低俗という伝統だし、ここでも幾重にも低俗な伏線を張っている(賤・攤・まさなし)。それでもこの歌が多数歌集に引用されてきたのは権威男好みな状況満載かつ、「まさなし」で端的に嫌悪を表現した流れと「女房、盃」の女中扱いが、それらの人々には普通だったから〉

17

「四条大納言に
さし出でむほど、
「四条大納言に
和歌をさし出すときは、

【四条大納言】-藤原公任。当代きっての文化人、歌壇の重鎮的存在。当時は従二位中納言皇太后宮大夫兼左衛門督で四十三歳。道長と同年。
公任が大納言に昇進するのは翌寛弘六年三月四日である。底本及び『絵詞』すべて「四条大納言」と表記されていることについて、『全注釈』は「紫式部は、単純な記憶の混同によって、このような後年の呼称を用いたのではない。なぜなら、紫式部は寛弘五年十一月一日の事実を記した第三六節において、当時の官称に忠実に、公任を「左衛門の督」と記しているからである。すなわち、紫式部は、和歌の世界における第一人者としての公任の権威に、正直に敬意を表して叙述する時には、その官称も、後年のより高いものを用い、人間的にむしろ軽んじて叙述する時には、当時のより低い官称によったのであって、公任に限らず、書道の最高権威としての行成にも同様の配慮がなされているのであるから、『紫式部日記』における各人の官称を、単なる作者の記憶違いであるとか、ある時点における機械的な統一表記であるとして説明することは危険である」と指摘している。

歌をば
さるものにて、
和歌の出来は
もちろんのこと、
 
声づかひ、 詠み上げる声の具合まで、  
用意いるべし」 気をくばるべきでしょう」  
など、 などと言って、  
ささめき
あらそふほどに、
ひそひそと
言い合っているうちに、
 
こと多くて、 何かとことが多くて、  
夜いたう
更けぬればにや、
夜がたいそう
更けてしまったからであろうか、
 
とりわきても
指さで
まかでたまふ。
特別に
指名することもなくて
御退出になる。
〈作ったが渡さなかった歌は、前の道長の妻倫子に詠んだ当てつけの歌と全く同じ。こちらも学説は基本礼賛とするが、全注釈は皮肉と解する〉

18

禄ども、 禄などは、  
上達部には、 上達部には  
女の装束に
御衣、
御襁褓や
添ひたらむ。
女の装束に
若宮の御衣と
御襁褓が
加わっていたのであろうか。
【御襁褓】-底本「御むつき」。『絵詞』は「むつき」とある。「御そ御むつき」とあるべき分脈。
殿上の 殿上人で  
四位は、
袷一襲ね、袴、
四位の人へは、
袷一襲と袴、
 
五位は
袿一襲ね、
五位の人へは
袿一襲、
【袴、五位は袿一襲ね】-底本ナシ。『絵詞』に「はかま五位はうちき一かさね」とある。『絵詞』によってこの句を補う。
六位は
袴一具ぞ見えし。
六位の人へは
袴一具と見えた。