紫式部日記 2 まだ夜深きほどの月さし曇り 逐語分析

土御門殿邸の秋 紫式部日記
第一部
五壇の御修法
女郎花・白露の歌
目次
冒頭
1 まだ夜深きほどの
2 われもわれもと
3 観音院の僧正
4 法住寺の座主は
5 さいさ阿闍梨も
6 人びと参りつれば

 

原文
(黒川本)
現代語訳
(渋谷栄一)
〈適宜当サイトで改め〉
注釈
【渋谷栄一】
〈適宜当サイトで補注〉

1

 まだ夜深きほどの  まだ夜明けまでには遠い、
夜の深いうちの
 
月さし曇り、 月がすこし陰って、  
木の下 木の下が  
をぐらきに、 小暗い感じがするころなのに、  
「御格子
参りなばや」
「御格子を
上げたいものですね」
 
「女官は、
今まで
さぶらはじ」
「女官は、
この時分までは
起きていますまい」
【女官】-「にょうくわん」と読む。高級「女官」を「にょくわん」といい、女嬬・采女等の下級「女官」を「にょうくわん」という。上格子・下格子の上げ外し等は、掃司の女嬬の仕事。
「蔵人参れ」 「女蔵人が上げなさい」 【蔵人】-女蔵人をいう。女蔵人は下臈女房だが、高級女官のうち。
など
言ひしろふほどに、
などと
言い合っているうちに、
 
後夜の鉦 後夜の鉦を  
打ち驚かして、 打つ音が響きわたって、  
五壇の御修法の 五壇の御修法の 【五壇の御修法】-天皇または国家の大事の時だけに宮中で中央及び東西南北に五つの壇を築いて、それぞれに五大明王を勧請して息災、調伏などを行う大掛かりな修法。土御門殿の東の対に設けられた。
時始めつ。 定時の勤行を始めた。  

2

われもわれもと、 われもわれもと、  
うち上げたる
伴僧の声々、
競い声を上げている
伴僧の声々が、
 
遠く近く、 遠くからまた近くから、  
聞きわたされたるほど、 絶え間なく聞こえてくるのは、  
おどろおどろしく尊し。 まことに荘厳で尊い。  

3

 観音院の僧正、  観音院の僧正が、 【観音院の僧正】-勝算。中壇の不動明王を受け持つ。
東の対より、 東の対から寝殿へと、  
二十人の伴僧を率ゐて、 二十人の伴僧を率いて、  
御加持 中宮の御加持に  
参りたまふ足音、 参上なさる足音が、  
渡殿の橋の 渡殿の橋を  
とどろとどろと ずしんずしんと  
踏み鳴らさるる 踏み鳴らされる音  
さへぞ、 までが、  
ことごとのけはひには 他の行事のときとは  
似ぬ。 違った感じである。  

4

法住寺の座主は 法住寺の座主は 【法住寺の座主】-慶円かとされる。降三世明王を受け持つ。
馬場の御殿、 馬場の御殿へ、  
浄土寺の僧都は 浄土寺の僧都は 【浄土寺の僧都】-底本「へんちゝの僧つ」。「浄土」の草体を「遍知」と誤写した本文誤謬とされる。明教のこと。金剛夜叉明王を受け持つ。『集成』『新大系』『学術文庫』は注釈では「浄土寺」または「浄土寺か」としながら本文では「へんち寺」のままとする。『全注釈』『新編全集』は本文も「浄土寺」と改める。
文殿などに、 文殿などにと、  
うち連れたる浄衣姿にて、 お揃いの浄衣姿で、  
ゆゑゆゑしき 〈ものものしい〉 △立派ないくつもの
唐橋どもを渡りつつ、 唐橋を渡りながら、  
木の間をわけて 木々の間をわけ入って  
帰り入るほども、 帰っていく様子も、  
遥かに見やらるる
心地して
遠くまで眺めやっていたい
感じがして
 
あはれなり。 しみじみと感慨深い。  

5

さいさ阿闍梨も、 斎祇阿闍梨も、

斎祇阿闍梨】-底本「さいさ阿さり」。斎祇(さいぎ)阿闍梨の誤り。大威徳明王の壇を担当。『集成』『新大系』『新編全集』『学術文庫』は注釈では「斎祇」または「斎祇か」としながら本文では「さいさ」のままとする。『全注釈』は本文も「斎祇」と改める。

〈藤原道綱次男。渋谷校訂原文「斎祇」・訳「さいさ」を入れ替え。最早「さいさ」で「さいき(ぎ)」の意と公知とする〉

大威徳を敬ひて、 大威徳明王を敬って、  
腰をかがめたり。 腰をかがめて礼拝している。  

6

人びと
参りつれば、
やがて女官たちが
出仕してくると、
 
夜も明けぬ。 夜もすっかり明けた。