古事記 ワニのカニの歌(敦賀の蟹)~原文対訳

矢河枝比賣 古事記
中巻⑧
15代 応神天皇
愛の歌物語
3 ワニのカニの歌
髮長比賣
原文 書き下し
(武田祐吉)
現代語訳
(武田祐吉)
故獻大御饗之時。 かれ大御饗みあへ獻たてまつる時に、 そこで御馳走を奉る時に、
其女
矢河枝比賣。(命)
その女
矢河枝やかはえ比賣の命に
そのヤガハエ姫に
令取大御酒盞
而獻。
大御酒盞を取らしめて
獻る。
お酒盞さかずきを取らせて
獻りました。
     
於是天皇。 ここに天皇、 そこで天皇が
任令取其大御酒盞 その大御酒盞を取らしつつ、 その酒盞をお取りになりながら
而御歌曰。 御歌よみしたまひしく、 お詠み遊ばされた歌、
     
許能迦邇夜 伊豆久能迦邇 この蟹かにや 何處いづくの蟹。 この蟹かにはどこの蟹だ。
毛毛豆多布 都奴賀能迦邇 百傳ふ 角鹿つぬがの蟹。 遠くの方の敦賀つるがの蟹です。
余許佐良布 伊豆久邇伊多流 横よこさらふ 何處に到る。 横歩よこあるきをして何處へ行くのだ。
伊知遲志麻 美志麻邇斗岐 伊知遲いちぢ島 美み島に著とき、 イチヂ島・ミ島について、
美本杼理能 迦豆伎伊岐豆岐 鳰鳥みほどりの 潛かづき息衝き、 カイツブリのように水に潛くぐつて息いきをついて、
志那陀由布 佐佐那美遲袁 しなだゆふ 佐佐那美道ささなみぢを 高低のあるササナミへの道を
須久須久登 和賀伊麻勢婆夜 すくすくと 吾わが行いませばや、 まつすぐにわたしが行ゆきますと、
許波多能美知邇 阿波志斯袁登賣 木幡こはたの道に 遇はしし孃子をとめ、 木幡こばたの道で出逢つた孃子おとめ、
宇斯呂傳波 袁陀弖呂迦母 後方うしろでは 小楯をだてろかも。 後姿うしろすがたは楯のようだ。
波那美波志 比斯那須 齒並はなみは 椎菱しひひしなす。 齒竝びは椎しいの子みや菱ひしの實のようだ。
伊知比韋能 和邇佐能邇袁 櫟井いちゐの 丸邇坂わにさの土にを、 櫟井いちいの丸邇坂わにさかの土つちを
波都邇波 波陀阿可良氣美 初土はつには 膚赤らけみ 上うえの土つちはお色いろが赤い、
志波邇波 邇具漏岐由惠 底土しはには に黒き故、 底の土は眞黒まつくろゆえ
美都具理能 曾能那迦都爾袁 三栗みつぐりの その中つ土にを 眞中まんなかのその中の土を
加夫都久 麻肥邇波阿弖受 頭著かぶつく 眞火には當てず かぶりつく直火じかびには當てずに
麻用賀岐 許邇加岐多禮 眉畫まよがき 濃こに書き垂れ 畫眉かきまゆを濃く畫いて
阿波志斯袁美那  遇はしし女をみな。 お逢あいになつた御婦人、
迦母賀登 和賀美斯古良 かもがと 吾わが見し兒ら このようにもとわたしの見たお孃さん、
迦久母賀登 阿賀美斯古邇 かくもがと 吾あが見し兒に あのようにもとわたしの見たお孃さんに、
宇多多氣陀邇 牟迦比袁流迦母 うたたけだに 向ひ居をるかも 思いのほかにも向かつていることです。
伊蘇比袁流迦母  い副そひ居るかも。 添つていることです。
     
如此御合
生御子。
 かくて御合みあひまして、
生みませる御子、
 かくて御結婚なすつて
お生うみになつた子が
宇遲能和紀
〈自宇下五字以音〉
郎子也。
宇遲うぢの
和紀郎子
わきいらつこなり。
ウヂの
若郎子
わきいらつこでございました。