枕草子319段 この草子、目に見え心に思ふことを

まことにや 枕草子
下巻下
319段
この草子

わが心に

(旧)大系:319段
新大系:跋、新編全集:本文のみ
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず混乱を招くので、以後は最も索引性に優れ三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
 

(旧)全集=能因本:321, 322段, 前田本堺本:ナシ
 321(物暗う…この草子、目に), 322(左中将のいまだ伊勢守)


 
 この草子、目に見え心に思ふことを、人やは見むとすると思ひて、つれづれなる里居のほどに書き集めたるを、あいなう、人のために便なき言ひ過ぐしもしつべき所々もあれば、よう隠しおきたりと思ひしを、心よりほかにこそもり出でにけれ。
 

 宮の御前に、内大臣の奉り給へりけるを、「これに何を書かまし。上の御前には、史記といふ文をなむ書かせ給へる」など宣はせしを、「にこそは侍らめ」と申ししかば、「さは、得てよ」とて給はせたりしを、あやしきを、こよや何やと、尽きせず多かる紙を、書き尽くさむとせしに、いとものおぼえぬことぞ多かるや。
 

 おほかた、これは、世の中にをかしきこと、人のめでたしなど思ふべき、なほ選りいでて、歌などをも、木、草、鳥、虫をも、言ひ出だしたらばこそ、「思ふほどよりはわろし。心見えなり」とそしられめ、ただ心一つにおのづから思ふことを、戯れに書きつけたれば、ものにたち交じり、人並み並みなるべき耳をも聞くべきものかはと思ひしに、「恥づかしき」なんどもぞ、見る人はし給ふなれば、いとあやしうあるや。
 げに、そもことわり、人のにくむをよしと言ひ、ほむるを悪しと言ふ人は、心のほどこそおしはからるれ。ただ、人に見えけむぞねたき。
 

 左中将、まだ伊勢守と聞こえしとき、里におはしたりしに、端の方なりし畳をさしいでしものは、この草子載りていでにけり。惑ひとり入れしかど、やがて持ておはして、いと久しくありてぞ返りたりし。それよりありきそめたるなめり、とぞほんに。