枕草子28段 にくきもの

あなづらるる 枕草子
上巻上
28段
にくきもの
心ときめき

(旧)大系:28段
新大系:25段、新編全集:26段
(以上全て三巻本系列本。しかし後二本の構成は2/3が一致せず、混乱を招くので、三巻本理論の根本たる『(旧)大系』に準拠すべきと思う)
(旧)全集=能因本:25段
 


 
 にくきもの 急ぐことあるをりに来て長言するまらうど。あなづりやすき人ならば、「のちに」とてもやりつべけれど、さすがに心恥づかしき人、いとにくくむつかし。
 

 硯に髪の入りてすられたる。また、墨の中に石のきしきしときしみ鳴りたる。
 

 にはかにわづらふ人のあるに、験者もとむるに、例ある所にはなくて、ほかに尋ねありくほどに、いと待ちどほに久しきに、からうじて待ちつけて、喜びながら加持せさするに、このごろ物の怪にあづかりて、困じけるにや、ゐるままにすなはちねぶり声なる、いとにくし。
 

 なでふことなき人の、笑がちにてものいたう言ひたる。火桶の火、炭櫃などに、手の裏うち返しうち返し、おしのべなどしてあぶりをる者。いつか若やかなる人など、さはしたりし。老いばみたる者こそ、火桶の端に足をさへもたげて、もの言ふままにおしすりなどはすらめ。さやうの者は、人のもとに来て、ゐむとする所を、まづ扇してこなたかなたあふぎ散らして、塵掃き捨て、ゐも定まらずひろめきて、狩衣の前まき入れてもゐるべし。かかることは、いふかひなき者のきはにやと思へど、少しよろしき者の式部の大夫などもいひしがせしなり。
 

 また、酒飲みてあめき、口をさぐり、ひげある者はそれをなで、さかづき、異人に取らするほどのけしき、いみじうにくしと見ゆ。また、「飲め」と言ふなるべし、身震ひをし、頭ふり、口わきをさへひきたれて、童べの、「こふ殿に参りて」などうたふやうにする、それはしも、まことによき人のし給ひしを見しかば、心づきなしと思ふなり。
 

 ものうらやみし、身の上嘆き、人の上言ひ、露塵のこともゆかしがり、聞かまほしうして、言ひ知らせぬをば怨じ、そしり、また、わづかに聞き得たることをば、我もとより知りたることのやうに、異人にも語りしらぶるも、いとにくし。
 

 もの聞かむと思ふほどに泣くちご。烏の集まりて飛びちがひ、さめき鳴きたる。
 

 忍びて来る人見知りてほゆる犬。あながちなる所に隠しふせたる人の、いびきしたる。
 

 また、忍び来る所に長烏帽子して、さすがに人に見えじと惑ひ入るほどに、物につきさはりて、そよろといはせたる。伊予簾など掛けたるにうちかづきて、さらさらと鳴らしたるも、いとにくし。
 

 帽額の簾は、まして、こはじのうちおかるる音、いとしるし。それも、やをら引きあげて入るは、さらに鳴らず。遣戸を荒く閉開くるも、いとあやし。少しもたぐるやうにして開くるは、鳴りやはする。あしう開くれば、障子なども、ごほめかしうほとめくこそしるけれ。
 

 ねぶたしと思ひて臥したるに、蚊の細声にわびしげに名のりて、顔のほどに飛びありく。羽風さへその身のほどにあるこそ、いとにくけれ。
 

 きしめく車に乗りてある者。耳も聞かぬにやあらむと、いとにくし。わが乗りたるは、その車の主さへにくし。
 

 また、物語するに、さし出でして我ひとりさいまくる者。すべてさし出では、童も大人も、いとにくし。あからさまに来たる子供・童べに見入れ、らうたがり、をかしき物取らせなどするに、ならひて、常に来つつ、ゐ入りて調度うち散らしぬる、いとにくし。
 

 家にても、宮仕へ所にても、会はでありなむと思ふ人の来たるに、そら寝をしたるを、わがもとにある者、起こしに寄り来て、いぎたなしと思ひ顔にひきゆるがしたる、いとにくし。今参りの、さし越えて、物知り顔に教へやうなること言ひ、うしろみたる、いとにくし。
 

 わが知る人にてある人の、はやう見し女のことほめ言ひ出でなどするも、ほどへたることなれど、なほにくし。まして、さしあたらむこそ思ひやらるれ。されど、なかなかさしもあらぬなどもありかし。
 

 はなひて誦文する。おほかた、人の家の男主ならでは、高くはなひたる、いとにくし。
 

 蚤もいとにくし。衣の下にをどりありきて、もたぐるやうにする。犬のもろ声に、長々と鳴きあげたる、まがまがしくさへにくし。
 

 開けて出で入る所閉てぬ人、いとにくし。