原文 |
書き下し 漢文叢書 |
現代語訳 下村湖人+【独自】 要検討 |
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子曰 | 子曰く、 | 先師が歎息していわれた。 |
莫我知 也夫 |
我われを知しる莫なき か、 |
【私(の心)を知る者はない か】 |
×「ああ、とうとう 私は人に知られないで世を終りそうだ。」 |
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子貢曰 | 子貢しこう曰いはく、 | 子貢がおどろいていった。 |
何 爲 其 莫知子也 |
何なんぞ 其それ 子しを知しる莫なし と為なす。 |
「どうして 先生のような大徳の方が世に 知られない というようなことが、あり得ましょう。」 |
子曰 | 子曰く、 | すると先師は、しばらく沈默したあとでいわれた。 |
不怨天 不尤人 |
天てんを怨うらみず、 人ひとを尤とがめず、 |
「私は天を怨もうとも、 人をとがめようとも思わぬ。 |
下學而 上達 |
下学かがくして 上達じようたつす、 |
私はただ自分の信ずるところに従って、 低いところから学びはじめ、 一歩一歩と高いところにのぼって来たのだ。 |
知我者 其天乎 |
我われを知しる者ものは 其それ天てんか。 |
私の心は 天だけが知っている【のか】。」 |
【従来の訳は、自分のことが世に知られてないこと・大して有名になってないことを嘆いていると解しているが、それは論語冒頭1-1の「人知らずしてうらみず亦君子くんしならずや」から、繰り返し説いている「人の己を知らざるをうれへず、其の能はざる(能力が足りないこと)をうれふ」(14-32)という趣旨、本章でもなお言及する内容に真っ向から反し不適当。
これは自分で極めてきた理解を説いても周りの理想が低いため理解されない・違う角度から繰り返し言っても、本章の巷の解説のように違うように捉えられるという趣旨の発言と解さなければならない。今でいう天賦の理論で民主体で権力を縛り戒める立憲主義を、戦前日本や封建主義時代に説くようなギャップがあるということ】