大和物語 成立著者:950年頃・としこ

概要 大和物語
成立・著者
和歌一覧

 
 大和物語、その成立は一般に950年代・作者未詳(後掲参照)とされる。

 私見では成立は950年代、著者は3段~137段まで計10段出る素性未詳の「としこ」。このとしこの配置は初段・147段の伊勢の御(872頃-938頃)を立てたことを象徴したと解する(独自。このような配置の理解は学説の解釈の仕方から皆無)、それで宇多帝のことにも詳しかったと見る(なお当初はとしこは伊勢の御ではないかとも考えたが、伊勢の御の一般的な没年認定から難しいかもしれない)。こうした配置は他の登場人物には見られない。

 

 まず成立は冒頭4段で「純友が騒ぎ」(藤原純友の乱:940年頃)が過去形で書かれること、3段の「故源大納言」である源宗于は939年没とされていることから、950年前後と見て良いだろう。細かく見れば詰められるかもしれないが、後半になるほど800年代後半の六歌仙時代の話題が増えることもあり、その時代から大きく離れない。後撰集時代(950年代成立とされる)が限度。

 「源大納言」は「としこ」が仕えた人物として3段から度々描写され、かつ初段の「伊勢の御」の没とほぼ同時期。これらをごく自然に無理なくとらえると、1段・3段のいずれにも近く近侍した人物がその思い出話を兼ねて物語を始めたと考えるのがごく自然な推論で、これに対し、自分達の推論理論・他文献を根拠に、全く物語に出てこない人物を著者想定する見立ては、推論の過程に無理と飛躍がある(目の前のことを見て見ていないの類)。

 

 学説は男性歌人を著者に想定するの主流だが、それは学者の理論・認定を前提にしているからで事実に基づかない。

 

 大和物語の絶対外せない最大の特徴として、個人的ではない網羅的な歌集なのに最初の和歌が女性(伊勢の語)ということがあげられ、これは古文和歌史上、いや世界文学史上(世界の歌の歴史上)極めて大きな意義を有する(しかしこれは学者にも誰にも認知されていない。それは一つに学界が男性が支配的で影響力ある学者の9割近いという偏りがあるから。後掲の「現状の理解」にもそれが表れている)。

 

 先頭の歌は、古事記はスサノオ、万葉は雄略天皇、竹取物語は石作皇子、伊勢物語は昔男、古今は在原元方、ここに伊勢の御がくる。そして同時期の後撰集は藤原敏行。

 こうした強固な先例を破り、先頭を女性にする類型的動機は、学説の上げるよう在原子弟、花山院、源順には全くない。どうして男性著者が女性の和歌を先頭にしようと思った点についての説明が、論者の循環論法以外にありえない。かたや伊勢の御に近い女性なら、極めて強い動機がある。

 最初の和歌が女性にくる作品は、和泉式部日記・源氏物語・紫式部集・更級日記等で、こうした強固な実例からすると、先頭が女性の歌にされている大和物語は、プライベートな女性の作品とみなせる強力な根拠が、配置と文脈にありこそすれ、漫然と男性作品と考える根拠はない。

 

 というより著者を女性と考えないとこの配置を説明することは筋が通らない。即ち自身の恋愛相手でもない女性(としこ・監の命婦)を男性著者が複数連続して出すことは類例もなく、動機もないことで、何事も先例を重んじるこの国で、本作のみを根拠に、突如男が先進的になったと見立てることにはご都合主義的な無理がある。先例にない女性を立てたなら、そういう動機が類型的にある人物、即ち女性が書いたとまず考えるのが順当(源順は順当でも何でもない。本物語を基準にせず後撰集を基準にしたら順等なのかもしれないが、それは論理が逆で背理)。在原や花山院や源順の一体どこに、伊勢の御を帝をさし置いて立てる動機があるか。こういう所が古文の本末転倒理論の権威主義的な背理ぶりを如実に表している。源順なら、源大納言を先頭にしなかった理由は何か。伊勢物語は源融を一応先頭に出しているが。大和物語で出してすらいない。よって源順と見ることは通らない。

  

 在原著者想定は、伊勢物語を丸ごと業平歌集とみなした認定に追従したもので、業平が伊勢物語の昔男たる事実の根拠が一切ない以上、大和にそれを代入する見立ては全くの筋違い(それらが不磨の大典の如く理論的根拠にする古今の業平認定は、伊勢物語を丸ごと業平歌集と誤認定したことにより、したがって、昔男は業平そのものではなく仮託と言い出し、最近はどこかにあったはずの業平原歌集などとも言い出した)。

 

 何より在原家のものが、本物語の「在中将」「在次君」という仇名を用いることがありえない。

 

現状の理解

 
 
 現状の理解をWikipedia『大和物語』作者から引用すると以下の通り。

 作者について、古くは在原滋春や花山院が擬せられたが、現在に至るまで未詳である。内容が宇多天皇や周辺の人物の話題になることが多く、その成立には宇多天皇の身辺に侍っていた女房が関わっているといわれる。以下作者ではないかとされる人物を列挙する。

  • 説 (1):在原滋春(『伊勢物語』では在原業平が関係している点で。上覚『和歌色葉集』、一条兼良『伊勢物語愚見抄』)
  • 説 (2):在原滋春作・花山院加筆(北村季吟『大和物語抄』)
  • 説 (3):花山院(釈由阿『詞林采葉抄』、一条兼良『歌林良材集』、宮内省書陵部蔵一本甘露寺親長本、御巫本注記、林恕『本朝通鑑』続編)
  • 説 (4):伊勢(宇多天皇との関係から。伝源経信『伊勢物語知顕抄』、高橋正治『大和物語』(塙選書))
  • 説 (5):敦慶親王侍女大和(林恕『本朝通鑑』続編、木崎雅興『大和物語虚静抄』)
  • 説 (6):源順(阿部俊子『校注大和物語』)
  • 節 (7):伊予(宮内省書陵部蔵石沢久吉献納本の奥書)
  • 説 (8):清原元輔(妹尾好信『平安朝歌物語の研究:大和物語篇』)