論語17-26 子曰 年四十而見悪焉 其終也已:原文対訳

女子与小人 論語
陽貨第十七
26
四十而見悪
殷有三仁
原文 書き下し
漢文叢書
現代語訳
独自
子曰 子曰く、 孔子曰く、

四十而
見惡焉
年とし
四十にして
悪にくまる、
四十歳でも
憎まれるのは
(先章「怨」参照)
其終
也已
其それ終をはらん
のみ。
それは(人として)終り
という他ない。
    以下、下村湖人の訳
    × 先師がいわれた。
「人間が四十歳にもなって
人にそしられるようでは、
もう先が見えている。」

 
 一般には下村訳のような一般論と解されているが、本章は先章と一続きで解する必要がある。
 即ち、 先章の「女子」及び「怨」と、先篇で本章と同じ末尾配置にある「邦君之妻」と対にし、妻子の話題を念頭に語ったものと解する。そう見ると、無限定の表現より文脈が一層適切で納得できるものになると思う。
 こうした私見によれば論語を無理なく一貫して通せるが、逆に一般の説は、一連の文脈の理解が断片的で解釈も文言に忠実ではない。

 

 これまでの流れは、17-24で「君子」でも色々と人の悪(を称する者=吹聴する者)を憎むところはある、それに続け「女子」は養い難いとして女子に怨まれる(17-25)、それに続くのが本章である。したがって、本章を君子に憎まれると終わっていると限定する説(穂積)もあるが、それは文脈を一方的に男性本位にしか捉えていない。
 また逆に、多数説のように単に四十以上で人に憎まれると終りなら、人として終わっている人は眼鏡をかけた人とそれを支持し続ける人々、即ち数千万単位でいることになる(田舎で襲撃事件が続いても無関係というのは為政側の無神経な傲慢)。してみるとそれも間違っていないかもしれないが、ここではそれだけではない文脈の含みを見る。

 

 即ち本章の「四十而」から、一般に「四十而不惑」(2-4)が参照され説明されるところ、ここでは人が立つ「三十」でも天命を知る「五十」でもなく不惑の「四十」としたのはなぜかを考える。

 そうして「惑」は古来、男性が女性にいうものでもあるところ、「四十而不惑」はこの娘に決めた(大方は妻子もでき、それ以上惑わされない)という意味も見れる。一人で立つのが三十、複数の関係をいうのが不惑。それなのに不惑の前提になる妻子にすら怨まれる「四十而見悪」なら、見込み違いで天下国家を論じる以前の問題。そういう文脈を一連の文脈に見るべきと思う。

 それを「四十」とはこういう年だと「不惑」の字義から離れ、めいめい立派な内容を定義して論じていたのでは、論語の文脈、憎まれる・怨まれるとした文脈にも筋が通らない。

 

 男児に女子を欠きながら「不惑」を望むのは一般に困難だろう。逆もしかり。十分満たされた(①心から愛し②愛された)後で大丈夫になるのが道理で、一度も十分に満たされたこともないまま、大丈夫にはならない(17-21:子生三年~父母之懷~三年之愛参照)。家が疎かなら国家も疎か。孔子的には国家が疎かだから家が疎か。
 男児といっても古い文脈では大人をいうが(九州男児)、それには古い含みがある。そうした人の性を、釈迦力に無いものとし遠ざけ、逆に反動で強く求める(遠ざけると怨む先章参照)ほど、煩悩にはまるというのが生理で摂理。

 最初は①親子関係(親子の愛は上下主従で表裏一体。伝統的価値観からは憎まれると思うが、親が子を養い育むことは哺乳類全般に言え、生き物全体から見ればともかく、生まれながらに霊長たる人にとって高次の性質とは言えない。それは体感的にも納得できると思う)、そこに付随並列する兄弟姉妹やペット養育の情、次は②対等な男女関係の愛、そこに付随並列する対等な夫婦協働関係・友人関係の情、さらに次は③社会単位・④国家単位、それ以上の単位の構造は重層的でピラミッド形をなし、その人の愛の形・即ち表出は下の基礎相応の構造となる(愛の相応原則)。個人的愛と社会的情はパラレルで絡み合うが別であるため、これを愛と情の螺旋の階梯理論とでも名付ける。類説は知らない。なお区別に意味があるのではなく、実態を理解するために区別している。

 ここで愛を言ったのは、にくむことは愛(低次も高次も)が実現しない裏返しであるからであって、本章の文脈は、原初の愛情の他、いい大人になったら高次の愛情を知らないとダメだ(それは先章のような片方一方目線での情ではない)という意味で理解するのが高等な理解。

 

 古典では単純に見える文章でも、何の逡巡(多角的視点)もなくそうなった訳ではない。単に自説を言い切る文章なら、いつの時代にもいくらでもある。

 

 以上独自。
 

女子与小人 論語
陽貨第十七
26
四十而見悪
殷有三仁