論語17-20 孺悲見孔子~取瑟而歌:原文対訳

予欲無言 論語
陽貨第十七
20
取瑟而歌
三年之喪
原文 書き下し
漢文叢書
現代語訳
下村湖人
要検討
孺悲
欲見
孔子
孺悲じゆひ
孔子こうしを
見みんと欲ほつす。
 孺悲じゅひが
先師に
面会を求めた。
孔子
辭以疾
辞じするに疾やまひを以もつてす。 先師は
病気だといって会われなかったが、
將命者
出戶
命めいを将おこなふ者もの
戸とを出いづ。
取次の人が
それをつたえるために部屋を出ると、
取瑟而
瑟しつを取とりて
歌うたひ、
すぐ瑟しつを取りあげ、
歌をうたって、
使之
聞之
之これをして
之を聞きかしむ。
わざと孺悲に
それがきこえるようにされた。
予欲無言 論語
陽貨第十七
20
取瑟而歌
三年之喪

  

下村湖人による注釈

 
○ 孺悲=魯の人。哀公の命で、かつて孔子に喪礼を学んだと伝えられているだけで、どんな人か明らかでない。

○ 孔子がなぜ仮病をつかつて会わなかつたか。また、なぜわざと仮病だということがわかるように、歌をうたつたりしたか。これには、三つの説がある。

(一)孺悲には何か不都合なことがあつて、孔子に面会を求めるのは自分から差しひかえなければならなかつたのに、押し強く出て来たので、それを断り、わざと仮病だということを知らせて反省を求めた。

(二)誰の紹介もなしにやつて来たので、右のようなことになつた。

(三)孔子は当時、人との面会を謝絶し、俗事に遠ざかり、天を友とする生活をおくつていた。歌をうたつたのも、暗に訪客にその心境を知らせたいためだつたのである。

 以上いずれも、孔子の平常の対人的態度から推して首肯しがたいし、あと味がわるい。要するに本章は疑問符を付してなお将来の研究にまつべきであろう。