原文 | 書き下し |
現代語訳 下村湖人+【独自】 |
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子曰 | 子曰く、 | 先師がいわれた。 |
我未 見 好仁者 惡 不仁者 |
我われ未いまだ 仁じんを好このむ者もの、 不仁ふじんを 悪にくむ者ものを 見みず、 |
「私はまだ、 真に仁を好む者にも、 真に不仁を悪む者にも 会ったことがない。 |
好仁者 | 仁じんを好このむ者もの、 | 真に仁を好む人は |
無以 尙之 |
以もつて之これに 尙くはふるなし、 |
自然に仁を行う人で、 全く申分がない。 |
惡 不仁者 其爲仁矣 |
不仁ふじんを 悪にくむ者ものも、 其それ仁たり、 |
しかし不仁を悪む人も、 【それは仁者とみなせる。 |
不使 不仁者 加乎 其身 |
不仁者をして 其身そのみに 加くはへしめ ざればなり、 |
それは不誠実な者によって その身に 不実を加えない からだ。】 |
×つとめて仁を行うし、また決して 不仁者の悪影響を うけることがない。 せめてその程度には誰でもなりたいものだ。 それは何もむずかしいことではない。 |
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有 能一日 用其力於 仁矣乎 |
能よく一日いちじつ 其力そのちからを 仁じんに用もちふる 有あらんか、 |
【一日、よく その人が持つ力で (好きな人にするように) 仁に尽力する人は いるだろうか。 |
我未 見 力不足者 |
我われ未だ 力ちからの足たらざる者ものを 見みず、 |
私はまだ 尽力できない者を 見たことはない。】 |
×今日一日、今日一日と、 その日その日を仁にはげめばいいのだ。 たった一日の辛抱さえ出来ない人は まさかないだろう。 |
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蓋 有之矣 |
蓋けだし 之これ有あらん、 |
【どういう訳で そういう人がいないのか、 |
我未 之見也 |
我われ未いまだ 之これを 見みざるなり。 |
私はまだ 仁を好んで尽力する人を 見たことがない。】 |
×あるかも知れないが、私はまだ、 それも出来ないような人を見たことがない。」 |
【※最後の蓋(けだし)には「思うに」ような推定の意もあるが、そうすると下村訳のように無意味で冗長な前置きになるので、反語的問い掛けと解する】