原文 |
書き下し 漢文叢書 |
現代語訳 【独自】 |
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子曰 | 子曰く、 | 【孔子曰く、 |
不憤 不啟 |
憤ふんせざれば 啓けいせず、 |
詰まってなければ 一々教えない。 |
不悱 不發 |
悱ひせざれば 発はつせず、 |
困ってなければ 一々質問しない。 |
擧一隅 不 以三隅 反 |
一隅ぐうを挙あげて 三隅ぐうを以て 反はんせ ざれば、 |
一例を挙げて、 三例を挙げて 聞いて こなければ、 |
則 不復也 |
則すなはち 復またせざるなり。 |
その場合は 二回言わない(反復しない)】 |
以下、下村湖人訳だが、苦しまなければだめだ・教えてやらないという説は、知る者は好む者・楽しむ者に及ばない(6-18)という章の趣旨に完全に反し、孔子を卑しめてすらいる。孔子は家父長的介入を否定し(本章)、内発性を重んじる(6-18)。論語の文脈に基づかない現実に適用できない自分達本位の解釈に、深い意味を読み取ることは不可能。
×先師がいわれた。
「私は、教えを乞う者が、先ず自分で道理を考え、その理解に苦しんで歯がみをするほどにならなければ、解決の糸口をつけてやらない。
また、説明に苦しんで口をゆがめるほどにならなければ、表現の手引を与えてやらない。
むろん私は、道理の一隅ぐらいは示してやることもある。
しかし、その一隅から、あとの三隅を自分で研究するようでなくては、二度とくりかえして教えようとは思わない。」
○ この一章は、孔子の啓発教育を端的に物語る有名な言葉である。