論語7-8 子曰不憤不啟:原文対訳・解説

束脩 論語
述而第七
8
一隅三隅
喪者之側
原文 書き下し
漢文叢書
現代語訳
【独自】
子曰 子曰く、 【孔子曰く、
不憤
不啟
憤ふんせざれば
啓けいせず、
詰まってなければ
一々教えない。
不悱
不發
悱ひせざれば
発はつせず、
困ってなければ
一々質問しない。
擧一隅

以三隅
一隅ぐうを挙あげて
三隅ぐうを以て
反はんせ
ざれば、
一例を挙げて、
三例を挙げて
聞いて
こなければ、

不復也
則すなはち
復またせざるなり。
その場合は
二回言わない(反復しない)】

 
 以下、下村湖人訳だが、苦しまなければだめだ・教えてやらないという説は、知る者は好む者・楽しむ者に及ばない(6-18)という章の趣旨に完全に反し、孔子を卑しめてすらいる。孔子は家父長的介入を否定し(本章)、内発性を重んじる(6-18)。論語の文脈に基づかない現実に適用できない自分達本位の解釈に、深い意味を読み取ることは不可能。

 ×先師がいわれた。
「私は、教えを乞う者が、先ず自分で道理を考え、その理解に苦しんで歯がみをするほどにならなければ、解決の糸口をつけてやらない。
また、説明に苦しんで口をゆがめるほどにならなければ、表現の手引を与えてやらない。
むろん私は、道理の一隅ぐらいは示してやることもある。
しかし、その一隅から、あとの三隅を自分で研究するようでなくては、二度とくりかえして教えようとは思わない。」

束脩 論語
述而第七
8
一隅三隅
喪者之側

下村湖人による注釈

 
○ この一章は、孔子の啓発教育を端的に物語る有名な言葉である。