原文 |
書き下し 漢文叢書 |
現代語訳 下村湖人 要検討 |
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子之 所愼 |
子しの 慎つゝしむ所ところは |
先師が 慎んだ上にも慎まれたのは、 |
齊 戰 疾 |
斉戦疾さいせんしつ。 |
斎戒さいかいと、 戦争と、 病気の場合であった。 |
○ 斎戒=祭事のまえに物忌みをして、身を清めること。
しかし戦・病という広義・マクロの概念と並ぶから、下村注のような形式ばった行事と見ることは不適当。中心に「戦」があるから前後の「齊」「疾」を個人的な文脈に解するのは不合理ですらある。古の文は配置に即して厳密に理解しなければならない。
齊は現代日本でいう「斎場」・葬式の時。つまり人が死ぬ時。
つまり本章は表面的には葬式時と戦時と疫病の時は慎んだ(忌:嫌がり避ける)という意味になる。
これはある意味当たり前。したがって、単にそれだけの意味と見れない。しかし訳者はその意味を通せないので、慎んだ上に慎んだと文言にない無意味な限定をしているのである。
結論から言えば、本章の「斎」は次章の国名の「斎」と掛け、それは戦争という人類の病と同義であり、その病を遺憾に思ったと、遠回しに象徴的に表現したものと解される。
次章で話題となる「齊」は明確に国名を意味し、本章でもその前に本来場所を意味する「所」とあるところ、前後全く無関係に見るのではなく関連があると見るべきであり、そして次章で孔子は齊に居た時に肉の味を知らなかったとあり、これが本章の慎んだに該当する。
齊は6-22で軍国主義の国と一般に理解されている(下村湖人は富国強兵の国と注するが、彼は明治生まれで戦前に旧制高校校長まで務めた人物。昇進の過程で当然当局から人事評定という思想チェックにかなった人物と類型的に見られる)。
ひるがえり孔子が戦前日本(あるいは現代の貧しい某国)のような国に請われて居る時は、口を慎んだと同義と見ていい。その文脈は、君子争う所なし(3-7)、邦くに道みち無なきも刑戮けいりくを免まぬがる(5-2)。次章も6-22も同じ。なお以上独自説。
このような齊の、論語の多角的文脈に即した理解は、戦争の国に生きた訳者には不可能だったと思う。それが訳出と注釈に出る。