論語2-16 子曰攻乎異端:原文対訳・解説

学而不思 論語
為政第二
16
異端
不知為不知
原文 書き下し 現代語訳
【独自】
子曰 子曰く、 孔子曰く、

異端
異端いたんを
攻をさむるは、
「異端を
攻撃しても


也已
斯これ
害がい
あるのみ。
これには
(もろもろ)害
しかない。」
     
    ×下村湖人
先師がいわれた。
「異端の
学問をしても
害だけしかない。」

 

学而不思 論語
為政第二
16
異端
不知為不知

解説

 

 本章における「異端」の意味は一般的な意味で問題ない。一般に通説ではない、つまり誤りとみなされる少数意見。これ以上の論述を展開しても議論の実益はないと思う。

 問題は「攻」の理解であり、ここで世の解釈が大きく分かれる。

①多数説はこれを専攻・学問的に治めるの意味に解し、異端の学問を習得することには害しかないとする。その一例が上記の下村訳。
②有力説(荻生徂徠等)は、これを攻撃の意味に解し、異端を攻撃することは害しかないとする。
この点思うに、孔子は学ぶだけで考えないのは暗いと直前で説く(学而不思)ところ、①の理解はまさに多数決的・権威主義的見解で、問答をやめない孔子のあくなき学問追究の立場に真っ向から反するものであるから(例えば、現代以前の日本では現在主流とされる西洋・英米の考えは道徳的に誤りとされ、教科書が墨塗にされていたが、孔子ならこの点をどう言うか)、①の多数説的解釈は、混迷の世の常の権威主義的誤謬というべきもので、戦前・江戸時代の日本人的論者の見解としては普通でも、孔子の本意と言いようがない。でなければ現代においてなお世界を代表する哲人として世界的評価を得ていない(哲学者サッカー参照。しかも中立の主審の役を当てられる)。
また②の攻撃解釈は字義通りの「害」と並んで対をなし、その点でも妥当。