論語2-12 子曰君子不器:原文対訳・解説

温故知新 論語
為政第二
12
君子不器
先行其言
原文 書き下し 現代語訳
【独自】
子曰
君子
子曰く、
君子くんしは
器きならず。
孔子曰く
君子は
器ではない。
    (人々の中に入る精神・中身で、
一般の尺度では、はかれない。
西の強い酒をスピリッツという)
    ×下村湖人
「先師がいわれた。
君子は
機械的な人間であってはならぬ。」

 

温故知新 論語
為政第二
12
君子不器
先行其言

解説

この語は意味に幅があるので解釈を要する。つまり孔子が用いる「器」の意味を、一般的な語義と彼の用法に即して、明らかにしなければならない。
下村湖人の注釈は「原文の器は道具で、使用目的が一定し、自由のきかない機械的人間の意」とするが、孔子の文脈に多角的に即さずかつ特殊な理解を当てており、解釈として不適当。
孔子の用例は以下の通り。
①「子曰管仲之器小哉」(3-22):ここでは管仲を戒める文脈で器が小さいとしているから、現代と同じ用法。人としての器・度量の意味。
②「子曰女(汝)器也 曰何器也 曰瑚璉也」(5-4):ここでは人の器を食器(瑚璉:神前に供える器)に見立て、君子に仕えられる器と暗喩で説く。
③「子曰君子…其使人也器之」(13-25):ここで君子は人を器で用いるとある。これも①②の用法。
以上を総合すると、ここでの器は入れ物としての人
君子は、用いられる人の器と対比した、使用者たる君主・天子(人々を満たして用いる存在)。
君子不器とは、君子はそういう器ではない、人にはかれないという意味。それを裏返した趣旨は、君子・天子かどうかは中身と精神で決まる
。その中身は仁徳。
論語は本質が君主論・自己統治論(この概念は民主制の根本。ここでの民は高度な主体性ある市民で、烏合の衆や大政翼賛会的大衆=論語でいう小人ではない)。
君主つまり天子への世俗身分的思い込みを避けて君子とする。そして次章で君子とは何か問われ、行いを先にするものという。つまり口先ではない者。そう言うことは裏返せば、言行一致しない小人による統治が一般的。
以上独自説で類説もないと思う。本邦の統治論も列強には及ばない。それは公至上主義で、それを縛る概念(天道・天命)を隣国同様、体制に都合良く解し、即物的で信仰をなくし、単なる作り話として口先の権威付けに利用し、通らないことも通せると思ってきた。それで人間宣言。