原文 |
書き下し 漢文叢書 |
現代語訳 下村湖人+【独自】 要検討 |
---|---|---|
子曰 | 子曰く、 | 先師がいわれた。 |
大哉 堯之 爲君也 |
大だいなるかな 堯げうの 君きみたるや、 |
「堯帝の 君徳は 何と大きく、 |
巍巍乎 | 巍巍乎ぎぎことして、 | 何と荘厳なことであろう。 |
唯天爲大 | 唯ただ天てんを大だいと為なす。 | 世に真に偉大なものは天のみであるが、 |
唯堯則之 | 唯ただ堯げう之これに則のつとる。 | ひとり堯帝は天とその偉大さ【に則る】×を共にしている。 |
蕩蕩乎 | 蕩蕩乎たうたうことして | その徳の広大無辺さは |
民無能名焉 | 民たみ能よく名なづくる無なし。 | 何と形容してよいかわからない。 |
巍巍乎 | 巍巍乎ぎぎことして | 【崇高にして |
其有 成功也 |
其の 成功せいこう 有あるや、 |
その成功はあり、 |
煥乎 | 煥乎くわんことして | 燦然として |
其有 文章 |
其それ 文章ぶんしやうあり。 |
その文章はある】 |
×人はただその功業の荘厳さと 文物制度の燦然たるとに眼を見はるのみである。」 |
※前段で「則」を反転させ堯を天と一体化させるのは(戦前)日本的発想。天命思想を権威付けに都合良く利用、というより今の人々が素朴に単なる概念としか思ってないように最初から単なる方便と考えていたかもしれない。しかし自分達だけを守る都合の良い神(氏神)は信じる、あるいは日本の人が死ぬとどういう理屈か神格化することは信じるみたいで、それを古事記では土着の神・国つ神といい、天つ神と対比される。宇宙・太陽系レベルの神が地球一国だけに加担する道理がないのに、そういう単純な論理がわからない。つまり根本でなめて所詮統治の方便としか思ってないから、適当で誇大な話になる。
ハーバード、ケンブリッジには神学部があるが(最近では人文系のオックスフォードより理系のケンブリッジの神学部が上という)、そんなことは現在の日本の最高学府で考えられない。しかし考えたら自分達の長は神だと言い出し、神を本気で畏れる国に人間宣言をさせられ、何とも思わなかった不遜な実績がある。よって6歳児発言がある。論理、理の理解が自分達本位で、神同様、理は自分達が編み出していると本気で思っている。その理の認識の浅さが、日本の学問理論の立論の限界。