原文 |
書き下し 漢文叢書 |
現代語訳 下村湖人 要検討 |
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原壤 夷 俟 |
原壤げんじやう 夷いして 俟まつ。 |
原壤げんじょうが、 両膝をだき、うずくまったままで、 先師が近づかれるのを待っていた。 |
子曰 | 子曰く、 | 先師はいわれた。 |
幼而 不孫弟 |
幼えうにして 孫弟そんていならず、 |
「お前は、子供のころには 目上の人に対する道をわきまえず、 |
長而 無述焉 |
長ちやうじて 述のぶる無なく、 |
大人おとなになっても 何一つよいことをせず、 |
老而 不死 |
老おいて 死しせず、 |
その年になって まだ生をむさぼっているが、 |
是爲賊 | 是これを賊ぞくと為なすと。 | お前のような人間こそ世の中の賊だ。」 |
以杖 叩 其脛 |
杖つゑを以もつて 其その脛けいを 叩うてり。 |
そういって、杖で 彼の脛すねを たたかれた。 |
【※最後に脛を杖で叩いたのは、親の脛かじりを象徴的に表現したものと解する。独自だが革命的な見方と思う。19-17を合わせて参照】
○ 原壤=孔子の少年時代からの友人。母が死んだ時、孔子がくやみに行くと、彼は悲しんでいる様子もなく、外棺の上に乗つて歌をうたつていたとか、孔子に葬儀の世話をたのんで、自分は木に登つて歌をうたつていたとか伝えられている。老荘的な変り者ではなかつたかとも想像されているが、たしかでない。孔子が杖でうつぐらいだから、その時も、よほど始末におえない態度を示したのであろう。
○ それにしても、孔子が友人に対する忠告に暴力を用いたということが論語に記されているということは、変である。或は軽くさわつたぐらいのことかも知れぬ。