論語18-5 楚狂 接輿 歌而過孔子:原文対訳

三日不朝 論語
微子第十八
5
今之従政者
長沮桀溺
原文 書き下し
漢文叢書
現代語訳
下村湖人
要検討
楚狂
接輿
楚その狂きやう
接輿せつよ
 楚の国で、狂人をよそっていた
接輿せつよという人が、
歌而過孔子 歌うたうて孔子こうしを過すぐ。 先師の車のそばを通り過ぎながら、歌った。
曰いはく、  
鳳兮鳳兮 鳳ほうや鳳ほうや、 「鳳凰ほうおうよ、鳳凰ほうおうよ、
何德之衰 何なんぞ徳とくの衰おとろへたるや、 神通力は、どうしたか。
往者不可諫 往者おうしやは諫いさむべからず、 すんだことなら仕方がない。
來者猶可追 来者らいしやは猶なほ追おふべし、 これから先はしっかりせい
已而已而 已やまん已やまん、 国の舵取りゃあぶないぞ
やめたらどうぞい。やめたらぞい。
今之
從政者
殆而
今いまの
政まつりごとに從したがふ者ものは
殆あやふしと。
国の舵取りゃあぶないぞ」
     
孔子下 孔子こうし下くだりて、  先師は車をおりて、
欲與之言 之これと言いはんと欲ほつす。 接輿と話をしようとされた。
趨而辟之 趨はしつて之これを辟さけ、 しかし、接輿が大急ぎでどこかにかくれてしまったので、
不得與之言 之これと言いふを得えず。 お話しになることが出来なかった。
三日不朝 論語
微子第十八
5
今之従政者
長沮桀溺

  

下村湖人による注釈

 
○ 接輿=やはり隱者の一人であろう。名はわからない。孔子の車に接近したので、かりに接輿と名をつけられたのだろうといわれている。(參照三七三章、三七四章)

○ この話は、孔子六十四歳の時で、楚に行こうとした頃のことだといわれている。