原文 |
書き下し 漢文叢書 |
現代語訳 下村湖人 要検討 |
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微子びし・箕子きし・比干ひかんは共に 殷いんの紂ちゅう王の無道を諌めた。 |
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微子 去之 |
微子びし 之これを去さる、 |
微子は 諌めてきかれず、去って隠棲した。 |
箕子 爲之奴 |
箕子きし 之これが奴どと為なり、 |
箕子は 諌めて獄に投ぜられ、奴隷となった。 |
比干 諫而死 |
比干ひかんは 諫いさめて死しす。 |
比干は 極諌して死刑に処せられ、胸を剖さかれた。 |
孔子 曰 |
孔子 曰く、 |
先師はこの三人をたたえて いわれた。 |
殷有 三仁焉 |
殷いんに 三仁さんじん有あり。 |
「殷に 三人の仁者があった。」 |
○ 本章は原文があまりに簡約で、そのままではわからないので、筋がとおるだけに補足して訳した。
○ 微子=微国の子爵、名は啓、殷の紂王の庶兄、諌めてきかれなかつたので、宗廟の祭器を抱いて去り、祖先の祭祀を絶たなかつた。
○ 箕子=箕国の子爵、名は胥餘、紂王の叔父。獄に投ぜられると髪をふり乱し、狂人をよそつていた[#「狂人をよそつていた」はママ]。後出獄を許されたが、奴隷となつた。
○ 比干=紂王の叔父。極諌三日にわたつてやめなかつたため、紂王は怒つてついに彼を殺し、「聖人の胸中には七つの穴があるそうだから見てやろう」といつて、その胸をさいて見た。
○ ついでに紂王の暴虐について伝えられるところを記しておこう。彼は、殷朝の最後の王で、妃姐己だつきの愛におぼれて政治をかえりみず、宮中に九つの酒場を作り、謂ゆる酒池肉林の宴遊を事とした。そして、興を助くるため、多数の男女を裸体にして相追わせ、また炭火の上に油をぬつた銅の柱をおき、罪なき者にその上を歩ませたり、灼熱した金属を握らせたりして楽しんだ。前王朝、夏の最後の王、桀と相並んで、支那歴史にあらわれた暴君中の代表的な人物とされている。