論語18-1 微子去之 箕子為之奴 比干諌而死 孔子曰殷有三仁焉:原文対訳

四十而見悪 論語
微子第十八
1
殷有三仁
士師
原文 書き下し
漢文叢書
現代語訳
下村湖人
要検討
     微子びし・箕子きし・比干ひかんは共に
殷いんの紂ちゅう王の無道を諌めた。
微子
去之
微子びし
之これを去さる、
微子は
諌めてきかれず、去って隠棲した。
箕子
爲之奴
箕子きし
之これが奴どと為なり、
箕子は
諌めて獄に投ぜられ、奴隷となった。
比干
諫而死
比干ひかんは
諫いさめて死しす。
比干は
極諌して死刑に処せられ、胸を剖さかれた。
孔子
孔子
曰く、
先師はこの三人をたたえて
いわれた。
殷有
三仁焉
殷いんに
三仁さんじん有あり。
「殷に
三人の仁者があった。」
四十而見悪 論語
微子第十八
1
殷有三仁
士師

  

下村湖人による注釈

 
○ 本章は原文があまりに簡約で、そのままではわからないので、筋がとおるだけに補足して訳した。

○ 微子=微国の子爵、名は啓、殷の紂王の庶兄、諌めてきかれなかつたので、宗廟の祭器を抱いて去り、祖先の祭祀を絶たなかつた。

○ 箕子=箕国の子爵、名は胥餘、紂王の叔父。獄に投ぜられると髪をふり乱し、狂人をよそつていた[#「狂人をよそつていた」はママ]。後出獄を許されたが、奴隷となつた。

○ 比干=紂王の叔父。極諌三日にわたつてやめなかつたため、紂王は怒つてついに彼を殺し、「聖人の胸中には七つの穴があるそうだから見てやろう」といつて、その胸をさいて見た。

○ ついでに紂王の暴虐について伝えられるところを記しておこう。彼は、殷朝の最後の王で、妃姐己だつきの愛におぼれて政治をかえりみず、宮中に九つの酒場を作り、謂ゆる酒池肉林の宴遊を事とした。そして、興を助くるため、多数の男女を裸体にして相追わせ、また炭火の上に油をぬつた銅の柱をおき、罪なき者にその上を歩ませたり、灼熱した金属を握らせたりして楽しんだ。前王朝、夏の最後の王、桀と相並んで、支那歴史にあらわれた暴君中の代表的な人物とされている。