原文 |
書き下し 漢文叢書 |
現代語訳 下村湖人 要検討 |
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邦君之妻 | 邦君はうくんの妻つま、 | 国君の妻は、 |
君稱之 | 君きみ之これを称しようして、 | 国君が呼ぶ時には |
曰夫人 | 夫人ふじんと曰いふ。 | 「夫人」といい、 |
夫人 自稱 |
夫人ふじん 自みづから称しようして、 |
夫人自ら呼ぶ時には |
曰小童 | 小童せうどうと曰いふ。 | 「小童」といい、 |
邦人 稱之 |
邦人はうじん 之これを称しようして、 |
国内の人が呼ぶ時には |
曰 君夫人 |
君夫人くんぷじんと曰いふ。 | 「君夫人」といい、 |
稱諸異邦 |
諸これを 異邦いはうに称しようして、 |
外国に対しては |
曰寡小君 | 寡小君くわせうくんと曰いふ。 | 「寡小君」といい、 |
異邦人 稱之 |
異邦人いはうじん 之これを称しようして、 |
外国の人が 呼ぶ時にはやはり |
亦曰 君夫人 |
亦また 君夫人くんぷじんと曰いふ。 |
「君夫人」という。 |
本章は17-25(ただ女子と小人とは養ひ難しと為す、之を近づくれば則ち不孫なり、之を遠ざくれば則ち怨む)とセットで理解しなければならない。そこで下村注釈は「論語の全篇を通じて、孔子が女性を正面から問題にしたのはこの一章以外にはなく、これだけがその女性観を物語る材料である」としていたが、それは本章には孔子という主体が明示されないことによる。この点は、前章で孔子が息子の伯魚に「詩」を学んだかとした流れから、明確な対句構造をなす本章は、孔子の意を汲む古来の学ぶべき「詩」を言ったものと解す。
17-25で下村訳は「近づくれば則ち不孫」を「近づけるとのさばる」と訳しつつ、章の意義について注釈するに
「私は孔子の女性観が本来正しいものであつたとは決して信じない。
元来孔子は父権時代、一夫多妻時代に生活して、その社会組識には何の疑いも抱いていなかつたし、女性の向上の重要性というようなことについて真剣に考えて見たこともなかつたのである。もし孔子が女性について何か考えていたとすれば、それは、女性は常に悪の根元であり、士君子にとつて最も警戒すべき対象である、というぐらいなことに過ぎなかつたであろう。
従つて孔子の女性観が今日批難の的になるのはやむを得ない。ただ私のいいたいのは、本章の一句だけをとらえて孔子の女性観を判断するのは誤りであるということである」
としているが、注釈者のいう「本来正しいもの」が正しいという保証はどこにあるか。この見解は論語上の根拠を示さず、専ら主観に基づき「孔子の女性観」を決め、したがって最後も孔子を弁護しているようで何も弁護になってない(青字の女性観の擁護と見れば、訳者の出身地・九州熊本や時代的にも一貫する)。
孔子が女子と小人を並べた趣旨は、論語総体の文脈に照らし、自分達の生活のことばかり言うのが女子と小人と解する他に筋が通らず、こう見ると、それらは養い難いとした文脈からも通るし、何の無理もない差別と無縁の表現でもある。女性一般を言う訳ではないから小人と並べる。「のさばる」という家父長的不快感とは違う。
これを踏まえて、本章について見る。
「君」の妻たるは「夫人」、市井の民からは「君夫人」、「夫人」とは、論語ではフラットに「かの人」という意味。
つまり民の生活を担えるレベルの男女は男女平等(小さい余地ある子ではなく「人」。男側を君子とせず「君」とするのも同旨)。なのに女性の自称は「小童(即ち17-25にいう女子)」、対外的には「寡小君」と君に小をつけ共にへりくだることも(君が父権主義者なら激怒必至)、君たる人、君のパートナーとして相応しい謙遜で、そういう市井に敬われる男女、即ち17-25を裏返し不遜ではなく、公費を乱費しない人こそ、君子・理想の君主の夫人に相応しいという趣旨と解する。つまり君子論とパラレルの女性版。不遜といえば、夫人という人で国難に国費を云々した話を見た気もするが、危うきに近寄らない。
以上独自。
○ こういう言葉が論語の一章になつているのは可笑しい。「孔子曰」も「子曰」も原文にないところを見ると、何かがまぎれこんだのではないかとも想像される。もし孔子の言葉であるとすれば礼を正す意味で、何かいつた場合の一部ではなかろうか。孔安国はそういう意味のことをいつている。