原文 |
書き下し 漢文叢書 |
現代語訳 下村湖人+【独自】 要検討 |
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孔子曰 | 孔子曰く、 | 先師がいわれた。 |
『見善 如不及 |
善ぜんを見みては 及およばざるが如ごとくし、 |
「善を見ては、 取りにがすのを恐れるようにそれを追求し、 |
見不善 如探湯』 |
不善ふぜんを見みては 湯ゆを探さぐるが如ごとくす、 |
悪を見ては、 熱湯に手を入れるのを恐れるようにそれを避ける。 |
吾見其人矣 | 吾われ其その人ひとを見み、 | そういう言葉を私はきいたことがあるし、 |
吾聞其語矣 | 吾われ其その語ごを聞きけり。 | また現にそういう人物を見たこともある。 |
しかし、 | ||
『隱居以 求其志 |
隱居いんきよして以もつて 其その志こゝろざしを求もとめ、 |
【隠居をもって、 その(世の中にない理想の)志を求め、 |
行義以 達其道』 |
義ぎを行おこなうて以もつて 其その道みちを達たつす、 |
その信義を行う(研究と啓蒙)をもって、 その道に達する】 |
×世に用いられないでも初一念を貫き、 正義の実現に精進して、道の徹底を期する、 |
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吾聞其語矣 | 吾われ其その語ごを聞きけども、 | というようなことは、言葉ではきいたことがあるが、 |
未見其人也 | 未いまだ其その人ひとを見みざるなり。 | まだ実際にそういう人を見たことがない。」 |
※上記 独自部分の訳は、完全に独自のもので参照も下村訳以外していない(彼の説は通説的と見ていいだろう。教師かつ、7-25で「無知で我流の新説を立てる者もあるらしいが、私は絶対にそんなことはしない」と訳していた)。しかしどんな説よりも字義に最も忠実で論語の文脈を完璧に捉えきった、孔子自身の在り方を端的に表現したものと思う。
そういう趣旨のことを本章は言っている。つまり自分の辿ってきのと同じ道を自ら行く人(同志)を、まだ他に知らないと。
「達其道(道に達す)」とは、自ら行(い/おこな)っているという進行形の意味で、他人に認めてもらって雇われるとことを通説的訳のように他力本願で「期し」ている訳ではない。
従来の説は、根本的に世俗目線の通説が中道で正解と思っているので、信義と相容れないと伝統国家腐敗権力から離反する生活苦もいとわず(15-1:君子もとより窮す)、国を去り・飢え死にし・処刑された人物を、殷の三仁と称えた孔子(18-1)の目線とタフな行動原理に根本的に共感できない。共感できない人がその心を理解できる道理があるか。
殷の三仁は、現代の保守的な良識を説く人々の言説の調子からすると、恐らく国を捨てた裏切り者、愚か者と強く非難され嘲笑されるだろう。戦中に殷の三仁のような行動をとった者がいたら、旧制高校校長だった訳者がそれを称えるということは客観的・類型的に見て無理だろう。またそれを普通の家庭ある人に望んではいけないと思う。