原文 |
書き下し 漢文叢書 |
現代語訳 下村湖人 要検討 |
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陳子禽 | 陳子禽ちんしきん、 | 陳子禽ちんしきんが |
謂 子貢曰 |
子貢しこうに 謂いつて曰いはく、 |
子貢にいった。 |
子 爲恭也 |
子しの 恭きようを為なすや、 |
「あなたは ご謙遜が過ぎます。 |
仲尼 豈賢於子乎 |
仲尼ちうぢも 豈あに子しより賢けんならんや。 |
仲尼先生といえども あなた以上だとは私には思えません。」 |
子貢曰 | 子貢しこう曰く、 | すると子貢がいった。 |
君子 一言以 爲知 |
君子くんしは 一言いちげんを以て 知ちと為なし、 |
「君子は 一言で 知者ともいわれ、 |
一言以 爲不知 |
一言いちげんを以て 不知ふちと為なす、 |
一言で 愚者ともいわれる。 |
言不可 不愼也 |
言げんは慎つゝしまざる 可べからざるなり。 |
だから、口はうっかりきくもの ではない。 |
夫子之 不可及也 |
夫子ふうしの 及およぶ可べからざるや、 |
先生が、 われわれの到底及びもつかない方であられるのは、 |
猶天之 不可 階而升也 |
猶ほ天てんの 階かいして升のぼる 可べからざるがごときなり。 |
ちょうど天に 梯子をかけて登れ ないのと同じようなものだ。 |
夫子 之得 邦家者 |
夫子ふうしにして 邦家はうかを 得えば、 |
もし先生が 国家を 治める重任につかれたら、 |
所謂『 | 所謂いはゆる | それこそ古語にいわゆる、「 |
立之 斯立 |
之これを立たつれば 斯こゝに立たち、 |
これを立つれば ここに立ち、 |
道之 斯行 |
之これを導みちびけば 斯こゝに行ゆき、 |
これを導けば ここに行われ、 |
綏之 斯來 |
之これを綏やすんずれば 斯こゝに来きたり、 |
これを安んずれば ここに来り、 |
動之 斯和 |
之これを動うごかせば 斯こゝに和わするなり、 |
これを動かせば ここに和やわらぐ。 |
其生 也榮 |
其生そのせいや 栄えい、 |
その生や 栄え、 |
其死也 哀』 |
其死そのしや 哀あい、 |
その死や かなしむ。」 |
とある通り、民生もゆたかになり、 道義も作興し、人民は帰服して平和を楽しみ、 先生の御存命中はその政治をたたえ、 亡くなられたらその徳を慕うて心から悲しむだろう。 とても、とても、 |
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如之何 其可及也 |
之これを如何いかんぞ 其それ及およぶ可べけんや。 |
私などの 及ぶところではないのだ。」 |
○ 陳子禽=一〇章【1-10】註參照。子貢の門人であつたことはたしかだが、同時に孔子の門人であつたかどうかは、はつきりしない。一〇章では孔子のことを「夫子」と呼び、ここでは「仲尼」と呼んでいる。「夫子」は現に大夫であるか、或はかつて大夫であつた人に対する敬称でもあるから、それで子禽が孔子の門人であつたと断定するわけには行かない。本章で「仲尼」と呼んでいるところから判断すると、孔子と直接の師弟関係がなかつたのではなかろうか。