原文 |
書き下し 漢文叢書 |
現代語訳 下村湖人+【独自】 要検討 |
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曾子曰 | 曾子そうし曰く、 | 曾先生がいわれた。 |
吾聞 諸夫子 |
吾われ諸これを 夫子ふうしに聞きく、 |
「私は 先生がこんなことをいわれたのを きいたことがある。 |
『人未 有 自致者也 |
人ひと未いまだ 自みづから致いたす者もの 有あらざるなり、 |
【人がまだ 自分でなしたことがない者 でも |
必也 親喪乎』 |
必かならずや 親おやの喪もか。 |
必ずや 親の葬式になると 自分でなす羽目になるだろう】 |
以下、下村湖人の訳 | ||
×人間が 自己の全部を出しきってしまうということは、 先ずないものだが、 せめて親の死を悲しむ時ぐらいは、 そうありたいものだ、と。」 |
【しかし論法が安易なので、曾子の捉え方がおかしかったのではないか(属人的な文脈(14-46で孔子が原壤という人の脛を杖で叩いたことがあったが、これは親の脛かじりを象徴的に表現したものと解する)を曾子が一般化した)、それを明示で留保した文脈としておく。独自】